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05 サムシングフォー借り物係


サムシングフォー、というものがある。何か古いもの、何か新しいもの、何か借りたもの、何か青いもの、の四つで、結婚式当日に花嫁が身に着けると幸せな結婚生活を送れるというものだ。もとはイギリスの伝統らしいが、現在は日本でも広く知られている。

「え、借りたものって私のでいいの?」
「うんっ!だって親友から借りたいじゃん!」

『サムシングボロー』何か借りたものというのは幸せのおすそ分けという意味があり、普通幸せな結婚生活を送っている知人や友人から借りるものである。その定義からするとナマエは外れに外れまくっている。
今回ナマエにその係をお願いしてきたのは中学時代の親友とも呼べる友人であり、彼女がいいと言うのならそれでもいいのか、とその係を引き受けることにした。


恋愛お休み宣言をして以降のナマエの生活は大人しいものだった。意外と自分は恋愛をしていなくても元気でいられるものだな、と自分でも新しい発見に驚いたくらいだ。いままで恋人に費やしてきた時間がポッと空白になってしまって持て余すことはあったけれど、なにか良い感じの趣味でも見つければ解消できるだろう。
そう意気込んで新しい趣味を見つけるべく繰り出した街中。駅できょろきょろと周囲を見ている男がいた。なにか探してるのかなと少し観察していると、構内にある周辺地図の前に移動した。どうやら道に迷っているようだ。

「うーん……3A…あれ、3Aだと反対側なのかなぁ」

黒髪の男は顎に手を当てながら自分の手元の地図と看板の地図を見比べている。ちょっとあまりにも困っている様子だったから、ナマエは思わず男に「あの」と声をかけた。

「どこか探されてるんですか?あの、私でわかることであればお手伝いしますよ」
「えっ!本当!?」

背の高い黒髪の男は、その身長を感じさせない、まるで子犬のような仕草で目を輝かせた。ぐっと距離を縮められて驚いたが、困っているのは事実のようだし、自分から声をかけたのだ。行き先くらいは聞いてあげなければ。

「えっと、どこに行こうとしてらしたんですか?」
「ここ。友達と待ち合わせなんだけど、東京慣れてなくて」

男に見せられたスマホの画面で店を確認する。ナマエもよく利用しているカフェだった。確かにこの駅も最寄りの一つだけれど、別のメトロの駅のほうが迷わず行くことが出来ただろう。しかしこの辺りはそれなりに土地勘があるから、ちゃんと説明できる範囲だ。

「まず3B出口から出て、右に曲がってください。そのあとこの角…ここに薬局があるので、そこを左に…で、真っすぐ行ったら左手にマーガレットっていう美容院があるので、その次の信号を渡って右に行って、道なりに進んで階段を上って、公園と反対側を──」

順調に説明を続けていたつもりだが、ちらりと男の顔を見上げるとキャパオーバーとばかりに目をぐるぐる回していた。これは絶対に途中で迷うやつだ。

「……あの、良かったら途中まで一緒に行きましょうか?」
「えっ、いいの!?」
「はい。道は複雑ですけど近くですし、全然良いですよ」

今日は特に決めた予定があるわけでもない。このまま迷うのをわかって彼を放り出しておくのも後味が悪いし、良く知った道ではあるし、送ってやるのも人助けのひとつだろう。男はナマエの手を握ってぶんぶんと上下に振り、大袈裟なほど「ありがとう!ありがとう!」と感謝をした。

「僕は灰原!こんなに東京でこんなに親切なひとに会えると思わなかった!」
「ミョウジです。じゃあ、さっそく行きましょうか」

東京にどんな偏見を持っているんだ、とも思ったが、ナマエ自身も大学進学で上京してきたばかりのときは同じようなことを思っていた記憶がある。名乗る必要はなかったかとも思ったけれども、なんだか勢いに押されて名乗ってしまった。
灰原を引き連れてまず3B出口に向かい、地下から地上に出る。出てすぐに右に曲がり、薬局が見えてくるまで直進する。

「待ち合わせのお友達は東京の方なんですか?」
「うん、地元はおんなじなんだけど、友達は大学から東京に上京して来てて、そのままこっちで働いてるんだ」
「へぇ、そうなんですか」
「今日もさぁ、僕方向音痴だから駅で待ち合わせって言ってくれたんだけど、地図アプリ見ていくから大丈夫って言っちゃって」

灰原の気安い雰囲気は不思議なもので、テンポよく会話が続いていく。人懐っこいというかなんというか、人の懐に入るのが上手いひとだ。なんだか話しているうちに元々仲が良かったかのような気分になっていった。

「今日は観光かなにかですか?」
「観光っていうか、明日同級生の結婚披露宴があるんだ。それで前乗りでさ」
「なるほど」

確かに友人の結婚式というものは観光に括れるかは微妙なところである。無事に薬局を曲がり、マーガレットという美容院を通りすぎてすぐの信号を渡ってから右折する。少し道なりに行けば住宅街に入って階段が見えてきて、それを上るとすぐに公園がある。目的地のカフェはもうすぐそこだ。公園とは反対側の歩道にある小道を入っていくと、左手にカフェが見えてきた。

「灰原さん、ここですよ、待ち合わせだっていうカフェ」
「あっ!本当だ!ありがとう!すごく助かったよ!」

カフェの看板が見えたところで指をさしてそれを伝えると、灰原がパァっと表情を輝かせてナマエに向き直り、両手を握ると駅でやったようにぶんぶんと上下に振って感謝を表現した。
木目を基調とした店構えのそこは、自分一人で行くこともあるし七海と一緒に利用したこともある。ここ、チーズケーキが美味しいんだよなぁと思いながら何気なく看板を眺めていると、カフェの出入り口の扉がカランカランというドアベルの音を立てながら開く。

「あっ、七海!」

声に出したのはナマエではない。灰原だ。良く知った名前に「まさか」と思いながら顔を上げると、七海建人そのひとが驚いた様子で店を飛び出してきていた。こんなに驚いている七海は珍しい。とはいえそれをからかうことが出来ない程度にはナマエも驚いている。

「は、灰原、なんでミョウジと一緒にいるんです?」
「駅で迷ってたら道案内してくれたんだ!七海、ミョウジさんと知り合いなの?」

こんな偶然あるんだね!と灰原がにこにこ笑っている。本当にすごい偶然だ。たまたま駅で助けたひとが自分の友人の友人だったなんて。七海は状況を飲み込むように数秒黙り。それからハァーとため息をついた。

「……まぁ、店先にずっと突っ立ってるのも迷惑です。中に」
「はぁーい」
「ミョウジも時間さえあればいかがですか」
「え、いいの?」

時間ならいくらでもある。せっかくだしまぁお茶していこうかな、と、七海に勧められるがままに店内に入った。七海が待っていたのは4人掛けの席のようで、灰原が七海の向かいに、ナマエはなんとなく七海の隣に荷物を置き、カウンターに注文をしに行く。

「灰原、何頼みます?」
「えーっと、キャラメルラテと…あ、アップルパイ美味しそうだなぁ」
「ミョウジは紅茶とチーズケーキでいいですか?」
「えっ、あ、うん」

七海がサクサクとその場を仕切り、あとから来た二人の注文を店員に通していく。ナマエがここのチーズケーキが好きだということを七海は覚えてくれていたらしい。ほどなくしてチーズケーキと紅茶が用意されて、続いて灰原のキャラメルラテとアップルパイがトレイに乗せられる。それを持って座席に戻る。

「灰原、あれだけ迷いそうだったら連絡くれって言ってたじゃないですか。たまたま道案内してくれる人に出会ったからいいものを…」
「ごめんって!七海に連絡する前にミョウジさんが声かけてくれたんだよ」

七海と灰原がポンポンと会話のキャッチボールを続ける。地元の同級生と言っていただけあって、さすがに仲のいい様子だ。そういえば友達の結婚式で東京に来たのだと灰原は言っていたけれど、まさかその友達とは七海のことだったりしないか。いやまさかそんな。とは思いつつも、気になってしまったら確かめなくては気持ちが悪い。

「ねぇ、灰原さんか明日友達の披露宴だから東京来たって聞いたんだけど、ひょっとして明日の披露宴って……」
「私じゃありませんよ」
「あは、あはは…だよね、そうだよね」
「だいたい、もしも私だとしたらそんなのミョウジが知らないわけないでしょう。普通に報告します」

まさかの可能性をしっかりと否定されてホッと胸をなでおろした。なんでホッとしたんだろう。自分でもよくわからない。順当に考えたら、もしも七海が結婚するなんてことになった場合ナマエにはどこかで報告してくれるだろう。少なくとも披露宴の前日まで知らないなんてことはないに決まっている。そういう程度には仲の良い相手だとさすがに自負のようなものがある。

「結婚するのは私たちの高校時代の同級生です。灰原が前乗りして観光したいって言うから、こうして待ち合わせをしたんですよ。まぁ、方向音痴のせいであわや迷子寸前でしたが」

少し嫌味を交えながらそう説明して、灰原が慣れた様子で「辛辣だなぁ」と笑っていた。七海がズバズバものを言うのは親しい相手だけだから、そういう対応をするのもそれに随分慣れた様子なのも、灰原との仲も相当仲がいいのだとわかる。

「ミョウジは何か用があってここまで?」
「ああ、いやぁ…新しい趣味探しみたいな?ほら、最近ヒマな時間増えちゃったからさぁ」
「なるほど」

流石に灰原がいる前で明け透けに恋愛に失敗し続けた結果だということまで言うのは憚られ、掻い摘んでそう説明した。いままでの経緯を知っている七海は恐らくこれで察しただろう。

「仲良いんだね!七海とミョウジさんは大学の友達とか?あ、それとも職場関係?」
「大学時代のバイト仲間ですよ」

灰原が尋ねてそれに七海が答える。なんとも簡潔な回答である。七海は面倒見がよくていつも自分に付き合ってくれるが、言葉にしてしまえばごく簡潔な関係である。灰原は七海の簡潔なその説明に「なるほど」と頷いたあと、あれ、と首を傾げた。

「じゃあひょっとして前に言ってた女の子って…」
「待て、灰原!」

灰原が言葉を途中まで口にして、七海がそれをぶった切る。それと同時に机の下でガンッと音がして、恐らく七海が灰原の足を蹴ったのだろうと思われた。灰原の顔が一瞬引き攣って、それから「いてて……」と呻き声と一緒にそう漏らす。

「…灰原、なんでこんなときばっかり鋭いんだ」

ひょっとして七海は灰原に自分の話をしていたのか。変な噂話じゃないといいけれど、それをこの場で追求するのはなんとなく憚られたからやめておくことにした。
一杯のお茶が済んだあと、観光に行く灰原と七海を見送った。一緒に遊ばないかと誘ってくれたけれど、同級生水入らずのところにお邪魔させてもらうのは申し訳なくって丁重にお断りした。


翌週、親友に結婚式のサムシングボローの品物を渡す約束をして、カフェで待ち合わせた。昔は一緒にお酒を飲むことが多かったけど、あいにく彼女は妊娠中である。二年前に籍は入れていて、あとから式をやろうという流れだったから、妊娠中にウエディングドレスを着ることになってしまったようだ。

「ありがとーっ!ごめんねムリ言って」
「私は全然。でも本当に良かったの?ホラ、私って元カレ関係全部アレじゃん?」
「まーそれは否定しないけどさ。イギリスの伝統とかよりは友情の方が大事かなって思うから」

親友がふんわりと笑った。今の旦那に出会ってから、彼女は本当に幸せそうにしている。それが羨ましくて妬ましい気持ちになったことも何度かあったけれど、やっぱり親しい人が幸せでいてくれるのは嬉しい。

「で、ナマエは何貸してくれるの?」
「迷ったんだけどさぁ…これとかどうかなって思って…」

ナマエが差し出したのは刺の入ったハンカチだった。ただのハンカチじゃない。高校時代親友が刺にハマって、ナマエも一緒にやろうよと誘ってくれて縫ったものだった。ハンカチは既製品だけれど、刺繍は図案から自分たちで考えたものである。思い出のハンカチだ。

「ありがと!これ超懐かしいね。まだ綺麗に持てってくれてたんだぁ」
「だってめちゃくちゃ頑張って刺繍したじゃん。覚えてる?」
「覚えてる覚えてる」

そこから高校時代の思い出話に花を咲かせ、同級生たちがどこでなにをしているなんて話で盛り上がった。その話の区切りで親友が「ナマエは最近どうなの?」と聞いてきて、苦い顔を返すしかできなかった。

「恋愛は一応休んでる…みたいな感じかなぁ」
「なるほどねぇ。まあさ、意外と身近にいるんじゃない?」
「身近ぁ?身近ねぇ……」

首をひねるナマエを前に、親友はストローに口をつけて美味しそうにルイボスティーを飲んだ。身近って言っても、あんまりピンとこない。今は休んでるところだけれど、いつか彼女みたいに幸せな結婚が出来たりするんだろうか。



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