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10 ラッキーセブンになる男


今日の星座占いの結果は最下位。それだけでどことなく気分は下がるというものだ。今日は良かれと思ってやったことが仇になる残念な日らしい。ラッキーアイテムはスマホのカメラ。とりあえず今日はいい感じのカフェなんかに行っていい感じの写真とかを撮って運気を上げようと思う。
それにしても、世間は狭い。まさかカフェでたまたま知り合った男が七海の会社の社長だとは思わなかった。しかもオススメだという本は結局七海がオススメしたものだと発覚した。あのラブロマンス要素の強い本を七海が勧めたのだと思うと何とも言えない気持ちになる。自分自身の恋愛は面倒だと思っているようだけど、読む分にはラブロマンスも好きなのだろうか。

「まぁ、実際の恋愛とは別物だしね」

ナマエは誰に言うでもなくぽつりとこぼす。うっかりなのかわざとなのだかカフェで三人顔を合わせたとき、五条のことを少し褒めたら、七海は珍しい勢いでナマエには五条は似合わないという旨を捲し立ててきた。べつにそういうつもりで言ったんじゃないし、七海の会社の社長だからそれなりのことを言ってみただけなのだけれど、自分のいままでの恋愛体質のことを思い返せばそう思われても仕方ないとは思う。


今日は久しぶりにひとりで出かけようと、比較的家に近い商業地区まで足を延ばしていた。特にこれといって欲しいものがあるわけではないが、なにかいい感じの春服が見つかれば儲けものくらいの気持ちだった。メトロの構内から出て目的のビルの方面に向かう。ファッションビルに入る少し手前でのことだった。

「あれ、ナマエちゃん」
「え?あれ、五条さん?」
「奇遇だね。デート?買い物?」
「ひとりで買い物ですよ」

声をかけてきたのは五条だった。大きな紙袋をひとつ抱えているから彼も買い物なのだろう。デートかなんて聞かれたが、残念ながら現在はデートをするような相手なんていない。奇遇なこともあるもんだなぁと思っていると、後ろから「悟、勝手に行くなよ」と別の声が飛んできた。

「まったく君は。だいたいなんで悟の分まで私が持たなきゃいけない──って、あれ、女の子?」
「ごめんって。知ってる顔見かけたから声かけてたんだよ」

声の主は肩ほどまでの長さの黒髪をハーフアップにまとめている若い男だった。五条よりは少し身長が低いかもしれないが、ナマエにとっては充分見上げなければならない背の高さである。五条の友人なのだろうと思い、ナマエはとりあえずぺこりと会釈をした。それに続いて五条が男にナマエを紹介する。

「ナマエちゃん。ほら、前言ってた七海のさ」
「…ああ!ナマエちゃんね、七海の」

七海の何なんだ、と突っ込みたくなったが「友達」以外に続く言葉はないのだからと思って「どうも、ミョウジです」と名乗るに留める。五条は男のことを「夏油傑」と紹介した。七海のことも知っているようだし同じ会社の人間かと思ったがそうではないようで、七海とは大学時代の知人であるらしい。

「そっか、君がナマエちゃんか。話に聞いてた通りすごく可愛いね」
「おいおい傑。ナンパしたら後が怖いよ」

夏油が冗談めかしてそう言って、五条がそれに突っ込んだ。お世辞をナンパだと取るほど単純ではないが、後が怖いというのは意味が解らない。二人の独特のノリなのか、五条の「後が怖い」の意味を夏油が理解しているのかは知らないけれど、どうやらどんな反応すればいいかもわからずに妙な顔をするのはナマエひとりだった。

「今日は七海と一緒じゃないんだ」
「え?あ、はい」

ちょいちょい、と五条に手招かれ、なんだろうと思ってそれに従うと、素早く肩を組まれて気がつけばスマホのシャッター音がカシャリと間抜けに響いた。

「な、なんですか急に…」
「うっかり街で遭遇した記念的な?七海にも送っとこ」

時間差でナマエのスマホもメッセージの通知が鳴る。確認すれば五条が今撮った写真をナマエにも送ったようだった。五条に肩を組まれ、二人の後ろでは夏油がノリノリでピースをしている。ナマエはというと突然のことで驚いた顔をしているばかりだったが、五条と夏油の雰囲気からホストクラブのキャストと客なんかに見えなくもなかった。こんな写真を七海に見られるのは恥ずかしいが、五条が送ってしまったのならもう仕方がない。
一分も経たないうちに五条のスマホが鳴って、にやにやと笑みを浮かべながら通話に応じる。「もっしもーし」と気の抜けた声が聞こえてきた。

「ナマエちゃんさ、実際どうなの?」
「え?どう…って何がですか?」
「七海のこと」

夏油がそう声をかけてきて、説明をされても要領を得ないからナマエは頭の上にはてなマークを浮かべた。七海のことを「どう」と言われても、どこの部分を聞かれているのか全くわからない。夏油は切れ長の目を少し見開いてそれから「いい感じなんじゃなかったの?」と続けた。

「えっ、い、いい感じって…!?」
「あれ、違った?悟からはそう聞いてたんだけど…」

そこまで言われれば、正確な表現は出来ないにしろ、ナマエにも尋ねられたなかの省略された言葉がどんなものだったのか想像することは容易かった。つまり五条は、七海とナマエが交際関係に発展する寸前だとでも夏油に話していたに違いない。

「な、七海とはそういうのじゃ…ええっと、七海は面倒見良いから…いつもダメな私に構ってくれますけど…」
「へぇ。七海がねぇ」

夏油が珍しいものを見るかのように自らの顎先に手を当てると、ナマエのことをしげしげと見下ろした。少し気まずいような気持ちになって視線を左右に動かす。ふいに少し離れていたところで通話をしていた五条がこちらをちらりと見て、長い足を動かしながら近くに戻ってきた。

「えー?いま傑がナマエちゃんのことナンパしてるとこ」

五条がそんなふうに適当なことを言って、夏油が「ちょっと悟」と嗜めるのと同時にスマホを突き抜けて七海の声が『はぁ!?』と聞こえてきた。

「あはは、それは僕に言われてもなぁ」

何の話をしているのか、五条側の通話だけでは内容まではわからない。ちらちらこちらを見てくるからひょっとして自分のことを言われているのではないかと勘繰ってしまう。
それから五条は通話を終えると、ナマエに意味深な笑みを浮かべながらサムズアップをしてきた。

「あの、何のお話されてたんです?」
「すぐにわかるよ」

そうはぐらかされて、結局なんだったのわからないまま五条と夏油とは別れることになった。背の高い二人が街の人混みに紛れていくのを見送り、本来の目的であった買い物に戻る。

「なんだったんだろ…ほんとにもう…」

その日は新しい靴を買って、胸の躍るような気分で帰路についた。日が西に傾いてあたりの景色を淡くオレンジ色に変える。自宅の最寄り駅から家に向かう道の途中、ポケットの中でスマホが震えた。ダイレクトメールか何かと思って確認をすると、通知は着信で相手は七海だった。

「もしもし、七海?」
『ミョウジ、今どこにいますか?』
「え?えっと、買い物から帰るところで…もうすぐ家につくよ」

足元の小石をこつんと蹴る。ころころと転がり、電柱にぶつかって動きを止める。昼間に五条と何を話していたんだろう。気になるけれどなんだか聞きづらい。彼の言葉を待っていれば『わかりました』と返ってきた。

「何か用だった?」
『ええ、少し。家の前で待たせて貰ってます』
「えッ!?は!?」

まさかもう待っているとは思わなくって、思わず大きな声が出てしまった。まさかもう待っているなんて、そんなの相当重要な用事じゃないか。

「す、すぐ帰るから!」
『いえ、ゆっくりで構いませんよ』

転ばないように。と最後に付け加えられる。早速足元がもつれそうになって、何とか体勢を整えて事なきを得た。通話を切ると、スマホをポケットにしまってマンションへと足早に向かう。エントランスに駆け込むようにしてエレベーターに乗り込み、自分の部屋のある階のボタンを焦って意味もなく何度か押した。ナマエの胸中とは裏腹にエレベーターは緩慢な動作で扉が閉じてゆっくりと上っていく

「……七海…何の用だろ…」

四角く閉ざされた箱の中でぽつんとこぼした。自分が七海を頼って駆け込み寺のように話を聞いてもらうことは毎度のことだけれど、反対は一度もなかった。しかも待ち合わせじゃなくているかもわからない時間にナマエの家を尋ねてくるなんて、ひょっとしたら相当重要な話かもしれない。こんなの、なにかあったのかと思って不安になる。
目的の階に辿り着くと一目散に自分の部屋に向かった。部屋の扉の前にはスーツを着た七海が何か大きな荷物を持って立っている。

「七海!ごめん、待たせちゃって──わっ!」

少しでもと思って駆け寄ると、辿り着く直前で体勢を崩す。前のめりに転ぶことを覚悟してぎゅっと目を閉じると、七海が抱きとめてくれたから地面に顔をぶつけることは避けることができた。

「ご、ごめん…」
「怪我は?」
「ない、です…」

がさり、と自分の左側で大きなものが動く気配がした。しかも馨しい花の芳香が漂っている。視線をそちらに向けると、それが花であることに気が付いた。バラだ。真っ赤なバラの花束。七海が手にしていても随分大きな花束で、多分100本近くあるのではないかと思われた。

「ありがと…」
「いえ、こちらこそ突然押しかけてすみません」

口先ではそう会話をしていたけれど、頭の中にぐるぐると渦巻いていたのはこのバラの贈り先とスーツの意味だった。ひょっとして、今から誰かのところに告白にでも行くつもりだったんだろうか。その前に自分に報告をしにきてくれたのかもしれない。都合よくこれが自分宛てのものかも、なんて、そこまで自惚れることは出来なかった。だって自分は、七海に散々みっともないところばかりを見せてきた。

「……あの、その、えーっと、どうか…したの?」

緊張しながらそう尋ねる。意識した矢先にこの始末だ。こんなことなら七海のことを意識なんてしなければ良かった。したくなかった。自分の恋愛運のなさを呪う。

「告白を、しようと思いまして」
「そう、なんだ」

言葉をなんとか吐き出した。具体的に考えたことはなかったけれど、七海に恋人が出来たら今まで通りとはいかないだろう。

「変な勘違いしないでくださいよ」
「…してないよ」
「してますよ、その顔を見ればわかります」

七海の顔を見ていられなくて、視線を外した。七海の腕の中から身体を離そうとしたけれど、七海がナマエの肩をぐっと強く掴むからそれは叶わなかった。

「ミョウジ……好きです」
「え…?」
「私と、付き合ってくれませんか」
「え!?は、はぁ…!?」

事態が飲み込めなくて、思わず大きな声が出てしまった。七海はナマエの肩を解放すると、右手に持っていた真っ赤なバラの花束をナマエに差し出す。そっと手を伸ばして恐る恐るそれを受け取れば、重みでまたバランスを崩した。そのまま七海がナマエを包むようにして抱きとめる。

「……バラの花って…流石に七海がカッコいいからってキザすぎない?」
「……アナタが言ったんでしょう。バラの花束を持って付き合って下さいって、そんな都合のいい王子様はいないって。だったら私がそれになります」
「そんなこと言っ……たわ」
「ええ、言いましたよ」

自分の発言を省みる。確かにいつだったか、七海と話していた時にそんなことをこぼした覚えがある。そうだ、バンドマンと破局したときだ。あんな些細なことを七海は覚えてくれていたのか。

「そんなこと…覚えててくれたの…?」
「ミョウジとのことならなんだって覚えてます」

自分に都合の良いことばかりが起きる。どうしよう。嬉しい。信じたい。だけど七海はこんな自分の何がいいと思ってくれるのだろう。いつもいつも、頼ってばっかりでみっともないところばっかりを晒して。

「…私に引っかかってくれる男なんか、変な男ばっかりだよ」
「アナタが引っかかってくれるなら、変な男でもなんでも構いませんよ」

バラの花を潰してしまわないようにしながら、七海のスーツのジャケットの胸元を軽く掴んだ。「…なんでそんなこと言ってくれるの」と尋ねると、七海が少しくすくすと笑って空気を揺らし、ナマエの髪を柔らかく梳いた。

「惚れた弱みって奴でしょうよ。アナタじゃなきゃ、面倒なこともこんな恥ずかしい思いも御免だ」
「…いつから?」
「さぁ。多分随分前から」
「……私、全然知らなかった…なのにいつも相談ばっかして、最低じゃん」
「では、その罪滅ぼしとしてお付き合いいただいても?」

罪滅ぼしなんて、そんなひどい言い訳なんかしない。どうせ七海もお道化てそう言っただけに決まっていた。ここのところぐるぐると考えていたいろいろな感情が混ざって、すべてが濾過されて背筋のあたりから抜けていくような、そういう爽快感のようなものを感じる。

「私も七海のことが好き」

逸らしていた視線をはっきりと七海に合わせる。青と緑を混ぜた美しい瞳の中に、バラの花が小さく炎のように映りこんでいる。燃えているみたいに綺麗だ。

「今まで付き合ったどんな相手より、私がアナタを幸せにします」
「七海は私なんかでいい…?」
「この花束のバラは99本あるんです。ほら、いま意味を調べてみてください」

確かバラは本数によって意味があるんだっけ、と俄かな知識が脳裏をよぎる。言われるままにそれを調べれば、スマホのディスプレイには「永遠の愛」「ずっと好きでした」と強烈な言葉が並んでいた。なんて言ったら良いのかわからなくなって顔を上げると、七海がナマエの額に軽いキスを落とした。

「次のミョウジの誕生日には、今回の分に9本上乗せするつもりですので」
「えっ……」
「ほら、正解を確認していただいても?」

ナマエは慌ててディスプレイをもう一度見る。108本のバラの意味は──。



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