06 死神の傷
旭川の本隊から離れ、小樽に駐屯することになった。小樽に囚人の情報がちらほらとあるし、なによりいよいよ本隊から離れなければ身動きが取りづらくなってきているのだ。実行に移された計画はこれから怒涛の勢いで燃え上がるに違いなかった。
「月島、小樽に彼女を連れていくぞ」
「小樽へですか?近くに宿を手配しましょうか」
「いや、兵営に住まわせる」
え、と思い切り声を上げてしまいそうなのを何とか抑え込む。まさか彼女の素性を兵卒に公表するつもりだろうか。彼女の存在は今のところ月島と宇佐美、それから鶴見の三人しか知らないことだ。
「あくまで未来人であるということは伏せる。そうだな…私の遠縁の娘ということにしようか」
「怪しまれませんか。着付けもわからなかったくらいですよ。なにか他にも同じようなことがあって疑われでもしたら面倒かと思いますが…」
彼女は着付けひとつ知らなかったし、かまど式の厨の使い方も知らなかった。ナマエの生きていた時代の常識と今の常識では齟齬があって当然だ。気付かぬうちにそういうところが露呈してしまうかもしれないし、それにぽろりと外来語を漏らすことがある。あれもただの町娘ではないと訝しまれたら厄介だ。
「そうだな…外国で暮らしていたことにするか。病弱で手術のためにと枕詞を付ければそれらしいだろう。実際私の知り合いにも幼少期外国で暮らしたがために日本人らしくない人間は二人ほどいる」
「はぁ……」
鶴見は随分設定に乗り気のようだが、少し盛り過ぎじゃないのか。まぁしかし、月島だって盛り過ぎな設定にうっかりしてやられた身である。嘘というものはおどおどと自信なさげにつくからバレてしまうのだ。堂々としていれば案外わからないものかもしれない。
二階堂たちに火鉢を運ばせたまでは良かったが、誤算だったのは二人がうっかり屋敷の中に招かれたこと、そして勝手な振る舞いに指導を入れたところでナマエが気を失って倒れたことだった。
「つ、月島軍曹…そのひとは…」
「俺が看ておく。お前達は兵舎に戻って罰掃除だ」
倒れたナマエの脈を確認する。恐らく気を失っているだけだろうが、頭を打っているから慎重に運ばなければ。二階堂たちを兵舎に戻らせ、ナマエを横抱きにすると寝室へ運んだ。彼女の身の上を考えれば男の怒鳴り声に拒否反応を示すのは当然のことだ。しくじった。これで警戒されてしまえばまた一から出直さなければならない。
「くそ、こんなの宇佐美のほうがよっぽど得意分野じゃないのか……」
もっと言えば三島や岡田のほうが上手くやりそうなものだが、発見当時のことを考えれば自分か宇佐美の二択になるのは仕方がない。宇佐美は鶴見に対する偏執的なところがあるけれど、命令とあらば「紳士で爽やかな好青年」を演じることなど造作もないだろう。だからそういう役回りは自分には相応しくない。
「同じと言ったってな……」
月島を抜擢した理由は「問題のある父親に育てられた」という共通点のためだ。しかし月島はその父親を自らの手で殺していて、彼女は自らの命を絶つことを選択した。同じだが、決定的に違う。鶴見はそれでも月島であればナマエの信頼を得て情報を掌握できるだろうと確信を持っているようだった。あのひとがそう言うならばそうだ、とは思うが、しかしさすがに今回ばかりは自信がない。
「うっ……」
「目が覚めたか」
ナマエが身じろぎをする。意識が戻ったらしい。身体を起こそうとしたが上手く力が入らないのかふらついている。慌てて支えに入ったが、先ほど怯えさせてしまったばかりの自分が触れるのは悪手だっただろうか。
「つ、きしま、さ……」
「すまない。君の身の上を知っていて目の前で取るような振る舞いじゃなかった。二階堂たちには火鉢を玄関の前に置いておけと言ってあったんだ。君に会わせないようにするために」
「そ、う…だったんですね。あの、洋平さんと浩平さんに、お茶どうですかって言ったの、私なんです……だからその…叱らないであげてください…」
起きて早々二階堂兄弟のことを言うとは思わなくて少し驚いた。思わず支えてしまったが、特に怯える様子はない。少なくとも、ここで支えたこと自体は悪手ではなかったのだろう。
「た、倒れてしまって、ご迷惑をおかけしました。その…男のひとの怒る声が…どうしても怖くて…ごめんなさい…」
ナマエは申し訳なさそうに小さくなってそう言った。普段より挙動が多少不審に見えるが、少なくともあの大声のために月島と全く話せないということはなさそうだった。ここからは言葉選びを間違えることが出来ない。月島は慎重に言葉を選ぶ。
「君が謝ることじゃない。ミョウジさんの育った環境のことは鶴見中尉から聞いている。知っていたのに配慮が足りなかった」
「あの、その、月島さんが怖いわけではないんです」
ナマエが慌てて口を開く。逡巡するように視線を泳がせ、一度目が合ったがすぐに逸らされてしまった。ここで急かすのは得策ではないだろうと彼女の言葉を待っていると、おずおずゆっくり唇を動かした。
「つ、月島さんが、その……一番安心できるひと、だから…」
何と返せばいいのか、思い浮かばなかった。計画通りだ。鶴見に言われた通り、彼女から正しい情報を得るためにまず信頼を得る。すべて、彼の計画の通り。特別親切にするのも、甲斐甲斐しく世話を焼くのも、すべて君を利用するためだと言ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
11月下旬。小樽へと鶴見が異動し、それに合わせてナマエも鶴見の屋敷を出ることになった。彼女は鶴見の遠縁の娘で、幼少期に治療のために渡米。体調が改善したために帰国したが、国内に身寄りがないためこちらでの面倒をみることになった、というのが筋書きだ。
どこの小説の主人公だと思わなくもないが、鶴見が堂々と言ってしまえば案外疑われずに受け入れられるものである。実績は自分だ。これで彼女が外来語やこの時代にない言葉をうっかり口にしても多少誤魔化しがきくし、当たり前の風習を知らなかったり道具の使い方を知らない場面があってもある程度乗り切れる。もっとも、大前提として事情を知る月島と宇佐美が補助はするが。
「私の私情ですまないが、ひとりこの兵営でともに生活をさせることになった」
小樽の兵営は商店だった建物を使用している。せせこましいが、本隊の目が離れることでやり易くなることはいくつもあるだろう。襖を取り払った広間に兵卒を集め、鶴見が一番前に立ってそう言った。ナマエのお披露目というわけだ。面々がざわつき、月島が咳ばらいをすればそれはたちどころに止む。
「ナマエ、入りなさい」
「は、はい……」
おどおどとした様子でナマエが鶴見の隣に立った。着付け方さえ知らなかった着物も、今では随分上手に着られるようになっている。「ご挨拶しなさい」と鶴見が言うと、ナマエはぺこりと首を垂れる。
「ナマエは私の遠縁の娘だ。最近まで持病の治療のためにアメリカで生活をしていた。不慣れなところもあるが、よろしく頼む」
「は、初めまして。ミョウジナマエといいます…その、お食事の手伝いなどをさせていただきます。よ、よろしくお願いします」
「ここは本隊と勝手が違うことも多い。多少お前たちの世話をする手があった方がやるべきことに集中できるだろう」
ナマエは視線をうろうろと所在なさげに動かしたが、月島を見つけるとホッと目元を和らげる。盛りすぎな設定を訝しむ者、そもそも興味本位で近づいてくる者と色々いるだろうが、それはこちらで上手く捌いてやらねば。もっとも、鶴見の縁者といわれて滅多なことをする人間はここにはいないだろうが。
「月島、ナマエを部屋まで案内してやれ」
「はい」
一通りの話が終わり、鶴見に指名されて前に出る。ナマエの部屋は鶴見の部屋の隣だった。兵卒たちの寝泊りする部屋のある母屋から渡り廊下を経て東側の離れにある部屋で、鶴見の隣というのもナマエの身の安全のための配慮だろうとうかがえる。
「ミョウジさん、この部屋を使ってくれ。俺は母屋の方で寝泊りするが、いつでも呼びつけてくれていいし、隣には鶴見中尉もいる。滅多なことはないから安心してほしい」
「あ、ありがとうございます……」
大勢の視線に晒されてかなり緊張したのだろう。部屋に入ってようやく胸をなでおろしたように見える。
「えと、あの、この兵営?にはどのくらいの兵士さんが住んでるんですか?」
「任務の都合で入れ替わるが…だいたい30人くらいだな。何か気になることでもあったか?」
「いっいえ、その一緒に生活するから、名前と顔を覚えなきゃって…覚えきれるか、ちょっと不安です…」
男ばかりの大所帯での生活を不安に思うような発言が出てくるかと思ったのに、まったく違うそれに少し面食らった。ここに来たばかりの彼女なら真っ先にそれが出てきたのではないだろうか。随分な変化だと思う。
「こ、この前火鉢を運んでくださったのは二階堂さん、ですよね…あの、月島さんがそう呼んでたから…じ、実は洋平さんと浩平さんの見分けは、ついてないんですけど…」
「問題ない。俺たちだってロクにわからんからな。あいつらは双子で、大体一緒に行動してるから二階堂って呼んでやれば間違いないぞ」
月島が少し冗談めかして言うと、ナマエが眉を下げて表情を和らげる。こんな顔もするのか、と、今まであまり見せることのなかった種類の表情をしげしげと観察した。あまりにじっと見てしまったものだからナマエがなんだろうかと首をかしげ、誤魔化すように咳ばらいをする。
「何か分からないこととか不安なことはないか?」
「あ、じゃ、じゃあ台所の使い方を教えてほしい、です…」
ナマエが胸の前で拳を握る。食事の手伝いなどというのは半分以上方便だったが、彼女は思いのほかその気らしい。まぁ、炊事兵もいなければ班ごとの行動もなくなるだろうこの状況では厨を預かる人間がひとりいるのはかなり助かるだろう。
「わかった。俺は一度母屋の方に戻るから、そのあと厨を案内しよう」
彼女はどんな料理を作るのか。いままで食材を運ぶばかりで、茶を馳走になったことはあるが何か食事を振る舞われたことはない。味付けが未来的だった場合は「アメリカで流行りの」とでも言えば誤魔化せるだろうか。
月島が詮無いことを考えていると、ナマエがいくつか躊躇うようにくちをはくはくと動かした。「どうした?」と言葉を促せば、ようやく言葉が声になる。
「あの、あんまりこういうこと言っちゃいけないかもなんですけど…ちょっとだけ、わくわくしてるんです」
ナマエは緊張を紛らわすように指先で手遊びをしてそんなことを言った。それから視線を一度下げ、緩む目元で月島を見上げる。
「月島さんたちと一緒に暮らせるの…」
はにかむような彼女に思わず言葉を失って、すると彼女は自分が不味いことを言ったのだと解釈して「ご、ごめんなさい!」とすぐに謝罪を口にした。すぐになんでもかんでも謝ろうとするのは恐らく生まれてから今までで身についた癖であり処世術だろうと思う。
自分はこの柔らかな雰囲気を纏い始めた彼女に何と言うのが正解だろう。過去に飛ばされ、孤独と不安に苛まれる女性にかける、甘い蜜の言葉とは。
「……俺も、ミョウジさんがそばにいるのは安心できる」
自分の中で一番相応しいだろうと思って選んだ上っ面だけの言葉を聞き、彼女は目を輝かせた。それから少し頬を染める。
「わ、私、美味しいって言ってもらえるように、お料理がんばりますっ!」
「…ああ、期待してる」
彼女は知らない。鶴見率いる我々が、これからどんなことを成そうとしているのか。その中で何人の命を奪い、踏みにじり、目的を達そうとしているのか。そして彼女自身がこの計画の鍵になるかもしれない、ということも。