28 号砲と死神


5月になり、回復した鯉登と月島、それから二階堂は札幌へと来るように召集がかかった。もちろんナマエも同行するように言われ、少ない荷をまとめて出発の準備をする。病院生活もこれで終わりだ。

「札幌には凶悪な連続殺人犯の確保に向かう。狙われているのは娼婦だけとの話だが、外出はしないでくれ」
「わかりました」

札幌の街に着くなり、月島に厳命された。話によると、数か月前から娼婦を狙った殺人を繰り返している犯人が刺青人皮の手掛かりになると踏んでの事だそうだ。札幌までは同行するが、札幌での任務の最中は予め手配している宿で待機しておくようにとのお達しだった。作戦は真夜中に決行される。

「よし、お守りにいいものをやろう」

鯉登が意気揚々とそう言い、もぞもぞと懐に手を伸ばす。一体お守りって何だろうなと思いながら出てくるものを待っていると、手のひらサイズの円形の紙をふたつ差し出された。素直にそれを受け取り、じっと見れば、そこに手描きされた似顔絵がそれぞれと「鯉登少尉」「月島軍曹」の文字が書かれている。

「これは…?」
「メンコというものだ。地面に置かれたメンコの近くに叩きつけて、ひっくり返す。ひっくり返したメンコは自分のものにできるのだ」
「あ、えと、はい……」

丸い紙は見たままメンコであるようが、聞きたかったのはそこではない。なぜ当然のように鯉登と月島の顔が描かれ、あまつさえそれをお守りと言っているのかということだ。

「私のものはとくにいい出来だぞ。鶴見中尉殿のものもあるが、生憎これは貸せないのですまんが」

懐から追加で一枚を取り出す。そこには鯉登の言う通りこれまた手描きの鶴見の似顔絵と「鶴見中尉」の文字が書かれていた。どうやらこれも鯉登のお手製らしい。
それから、時計台で菊田や宇佐美と合流するといって出発する三人を見送る。どうか無事に帰ってきてほしい。ナマエにはそう祈ることしかできないが、ぎゅっと胸の前で鯉登から渡されたメンコを握った。


時計の針が1時30分を回る。寝ていていいと言われてはいるが、到底眠ることなんて出来なかった。何も見えるわけのない窓から外を見ていると、大きな煙突がシルエットになって浮かび上がるほどの花火が打ち上げられた。まるでお祭りのようだ。

「…花火…?」

ほどなくして、同じ方向から煙と炎がごうごうと上がっているのが見えた。間違いない。あの方向が今回の現場なのだろう。街はどんどんと騒がしくなった。目の前の道を消防士のような格好をしている男たちが走っていく。自分も、と駆けだしたくなって、寸でのところで思いとどまる。自分が行ったところで何ができる。足手まといになるだけだ。
炎も騒音も夜中のうちに止んだけれど、結局眠れずに掛け布団を被ったまま窓の傍に座って外を見続けていると、外が白んできた。朝だ。

「月島さん…!」

窓から表の道に月島が現れたのが見えて、ナマエはあわてて部屋を飛び出ると、階下の玄関口に急いだ。引き戸を開けるのは内側も外側もほとんど同じようなタイミングになり、がらりと開けたすぐそこに月島が立っている。

「月島さん!ご無事で、よかった、です…」
「ああ、問題ない。鶴見中尉から君を連れてくるように言われている」

どうやらここから移動するらしい。迎えに来てくれた月島は怪我こそしていないが、全身からなにか苦みを伴うような臭いがする。これには覚えがあった。ビールの臭いだ。父が自棄になって飲んでいるのか浴びているのかわからなくなるような行儀の悪い酒盛りをした後に脱ぎ捨てられているような服の臭いと同じだった。

「どうかしたか?」
「いえ、あの、ビールみたいな臭いがするなと思って…」
「すまん。麦酒工場で戦闘になったんだ。樽が壊れてビールの海に浸かってしまってな」

臭いの原因はビールで正解らしいが、ビールの海に浸かるとは予想も出来なかった。曰く、昨晩の火事もその麦酒工場で起こったものらしい。
そこから月島に連れてこられたのは、宿よりも北上した場所にある教会だった。ここには鶴見や鶴見の伴ってきた兵士たちも集合しているようだ。

「…宇佐美だが」

教会に足を踏み入れる直前、月島がなにか言いづらそうに言い淀む。その様子を見て「どうかしたんですか」と聞くことが出来るほど馬鹿ではなかった。ああそうか、宇佐美は昨晩の戦闘で命を落としたのだろう。彼とは始めこそ苦手意識を持って接する仲だったが、鶴見の部下たちの中では月島と同じく初めから秘密を共有する間柄だった。だから少しだけ他の兵士たちよりも少しだけ特別な存在で、そんな存在をこの世界に来て失ったのはこれが初めてのことだった。

「…あの、手を合わせてもいいですか?」

月島が頷く。教会に辿り着くと、礼拝堂の中で鶴見が刺青人皮を広げてあれこれと思考をしているようだった。何人かが礼拝堂の中にいて、二階堂なんかは不思議そうに刺青人皮の並ぶさまを眺めている。集中しているようで、声をかけるのは憚られた。

「ミョウジさん、宇佐美はこっちだ」

月島にそう言われ、教会のなかの別室に連れていかれる。白い布の上に横たえられ、上から軍衣がかけられていた。ナマエはすぐそばに跪くと、両手を合わせる。顔は見ていいか分からなくて、月島に尋ねると彼がサッと顔の部分の軍衣をめくった。穏やかな顔をしている。苦しんだような表情ではなくて、まるで眠っているような、いやそれよりも何か満たされたような、そういう顔に見えた。かけるべき言葉は分からなかった。ナマエは宇佐美の顔をまた軍衣で覆い、月島のあとをついて礼拝堂に向かった。

「その、大丈夫か?」
「え……?」

礼拝堂に入る直前、月島がそう尋ねた。主語のないその台詞の意味するところを考え、数秒で宇佐美の死や遺体のことを言っているのだと理解した。それがすぐに分からない程度にはまだ頭の中が混乱している。

「すみません、まだ、実感が湧かなくて…」

麦酒工場で起こった戦闘というのがどんなものであったのかは想像するしかないが、月島がああなっていた可能性は大いにある。身近だった宇佐美が命を落としたことで、より一層彼が、この戦闘がどれだけ死に近いものかを思い知らされた。もしもの時は月島の盾になれたら、なんて少し考えてはみたが、足がすくんで庇うことも出来ないだろう。
礼拝堂の中に入り、鶴見の暗号解読の邪魔になってしまわないように隅の椅子に座る。ステンドグラスを通った光が淡く色づいて礼拝堂の床を照らしていた。

「ミョウジさん、横になって眠っていていいぞ。昨晩は眠れなかったんだろう」
「いえ…皆さんのほうが疲れてるのに私だけなんて…」
「俺たちは鍛えているからな。暗号解読にどれだけ時間がかかるかもわからん。休めるときに休んでおいた方がいい」

月島の言う通り、確かに暗号の解読なんてすぐに終わるとは思えないし、それを起きて待っていて肝心なときに動けないとなればその方が迷惑がかかるだろう。ナマエは大人しくtる期島の言う通りに長椅子の一つに横になる。暗号に集中するために皆静寂を保っていて、だから目を閉じれば眠気は比較的早く訪れた。


それから何時間経っただろう。結局ナマエは二時間程度で目を覚ました。暗号解読は未だ続いている。差し込む光がいつの間にか夕日に変わった。ふと、床に広げた刺青人皮に向き合っていた鶴見がすっと背筋を伸ばして口を開く。

「解けた」

その言葉に礼拝堂の中にいる面々がざわつく。一様に立ち上がり、組み合わされた刺青人皮を覗き込む。ナマエもそれに加わり、それを見た。刺青の直線と直線が繋がり、大きな星の形を成している。

「これが金塊の在り処?ついに…」
「これでやっと金塊争奪戦が終わるのですね」

菊田が声を上げ、二階堂がいつにない冷静さで続く。北海道のどこかを表す記号であるとするなら、この大きな星はまさか。ナマエの唇が動く。

「五稜郭…?」
「本番はこれからだ」

鶴見が拳銃を手に取り、身を翻すと素早く菊田に向けて2発の銃弾を撃ち込んだ。何故仲間のはずの菊田を撃ったんだ。驚くナマエとは対照的に月島は驚く素振りを見せなかった。
鶴見が一歩、二歩と追い詰めるかのように近づき、懐から何かを取り出す。菊田は胸を撃たれた致命傷でごぼりと口から血を吐いた。

「これが何かわかるな?菊田特務曹長」

そう言い、鶴見は何かを菊田に見せる。そして「私がそばにいないからと油断してしっぽを出した」と続ける。菊田は中央、つまり政府のスパイであり、鶴見の反乱を政府に報告しようとしていた。その証拠こそが今鶴見が菊田に差し出した小さな紙切れだった。

「これは宇佐美上等兵の手柄だ」
「あなたもお終いです…鶴見中尉殿…必ず殺されますよ…」

あの小さな紙切れには何が書いてあるのか。宇佐美は菊田と二人、先に札幌で連続殺人犯の捜査をしていたと聞く。話の全貌が分からないナマエに正確なことが分かるはずもなく、目の前で今まで味方だと思っていたはずの菊田が撃たれたことへの動揺を抑えるのに必死だった。

「貴様が言いたいことは分かっている。受け渡しの際は菊田特務曹長の生存が目視で確認出来なければ、中央はいよいよ私の暴走を制圧しに乗り出してくるのだろう?」

鶴見が平坦な声で言った。彼らは反乱軍だ。これらの計画と真意を政府に察知されれば勿論裏切者としての裁きを受けることになる。死んでいった戦友たちへの弔いだと謳っていたって、政府にとってみれば逆賊甚だしい。鶴見が振り返り、礼拝堂にいる面々へ向かって朗々と声を上げた。

「菊田特務曹長を撃った銃声は我々が今!!ここで自ら退路を断ち是が非でも金塊を手に入れにいくのだという決意の号砲なのだ!!」

それは紛うことなく強烈なカリスマ性で人々を惹き付ける指導者のそれであった。彼の演説には心を奮い立たせる特別な力がある。この道こそが正しく、最も望ましい道であると信じさせることが出来る。背後で菊田がせせら笑った。

「俺が言ってんのは中央のことじゃねぇ…あんたを倒すのはノラ坊さ…」
「…ノラ坊?」
「地獄行きの特等席……俺のとなりを空けておきますよ」

ぜぇぜぇと絶え絶えな息で菊田がそう言い、懐から二丁の拳銃を取り出した。ナマエの斜め前に立っていた月島がすかさず動き、小銃を構えて菊田の頭を撃ち抜く。ドンッという銃声とともに菊田の頭から血しぶきが上がり、そのまま動かなくなった。月島の動きに迷いはなかった。

「鶴見中尉殿のとなりは私の席だ」

ぞっとするほど静かな声だ。心臓を掴まれたような気分になる。月島にとって鶴見が尊敬に値する上官だということは心得ているが、なにか今日は、今は、今までに感じたことのなかった狂気のようなものを感じた。

「各地の部下たち全員に場所を伝えろ!あらゆる遺贈手段を駆使して一秒でも早く集まるように!武器弾薬を軍馬に満載して不眠不休で来いと!!」

鶴見のその声を合図に兵士が一斉に動き出した。目指す先は函館。五稜郭。ここが決戦の地になるだろう。札幌での戦闘は遠くで見ていてもかなり大規模なものであったことが伺えた。あれと同じ、いや、あれ以上の戦闘を繰り広げることになるのは想像に難くない。しかしそれに勝利すれば、彼らの悲願である金塊に辿り着くことが出来るのだ。

「……鯉登少尉…?」

ばたばたと動く兵士たちの中、鯉登が神妙な顔をして立ちつくしていた。彼も喜んで飛び回るかと思っていたのに、少し意外な反応にナマエも戸惑う。教会の外にふらりと出ていったのを見て後を追った。

「あ、あの……どうかしましたか…?」
「ナマエさん……」

目元には明確に迷いが見られた。視線が泳ぎ、場所を定めないまま何度も左右を移動する。彼は樺太の旅を経て何かが変わったように思えた。付き合いの短いナマエにも分かるくらいなのだからこれは確かなことだろう。成長と言うべきか、それとも何か違う変化なのか。

「私は鶴見中尉を…いや、鶴見中尉は月島を……」
「え、えっと……?」

鯉登の言葉はまとまらない。彼の唇がはくはくと動き、迷っていた言葉の全てをぐっと飲み込む。それからナマエの両肩を掴んでじっと見つめた。

「月島は私の部下だ。あの男は必ず、私が守る」

どうしてそれを自分に言うのか。鯉登もナマエが情報を提供する交換条件を知らされたのだろうか。ナマエは気迫に押され、何も聞くことが出来ずにこくこくと頷くことしかできなかった。
向こうで月島が鯉登を呼ぶ声がする。間もなく札幌駅から室蘭本線に乗る。戦場には同行することはないが、自分もそのごく間近で争奪戦の行方を見守ることになるだろう。







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