21 死神の条件


武装をしたと言っても、看守は看守だ。訓練を受けて死線を潜りぬけてきた自分たちに敵うわけがない。網走監獄での懸念は、看守や囚人よりも杉元・土方一派だと言える。杉元は実際以前洋平をやられているし、牛山や土方、永倉と、複数人で対峙しても不安要素の残る戦力が揃っている。オマケに向こうには尾形百之助がいる。あの男ほどの精密射撃が出来る人間を月島は他に知らない。

「……すごい…」
「ミョウジさんの時代のほうが立派なのがあっただろう?」
「そうだと思います、けど…自分の目で見るのは初めてです」

駆逐艦を見上げてナマエが言った。彼女の時代の軍艦がどのようなものかは想像出来ないけれど、これよりも大きく高性能であることは間違いがない。月島はそっとナマエを見下ろす。

「…中尉殿はああいっていたが…無理に君まで網走に行くことはないと思うが……」
「いえ、その…ここで待つだけというのも、落ち着きませんし…」

月島はきゅっと唇を引き結ぶ。彼女は先日、小樽を離れるときに鶴見陣営に協力することを正式に決めたらしい。彼女の未来の情報というのは値千金の最強の手札であり、それをつかうということは未来さえ変える可能性があるということだ。

「あの、どうか、ご無事で…」
「問題ない。いくら武器を持っていても看守は看守だ」

顔も知らない何千何万という人間の未来を変える。そのなかで恐らく命を奪うことに繋がることもある。彼女にその重責を背負わせるときには、自分もそれを隣で背負う。月島の中で、それは密かな覚悟となって息づいていた。


網走監獄での作戦は、舎房の全焼と看守、囚人の殲滅によって終結した。問題はのっぺらぼうが死んだことと、のっぺらぼうの他の唯一の手がかりであるアシリパを取り逃したことだ。こちらの負傷者がいないというわけではなかったが、上々の戦果と言える。
金塊の在り処に関しても、手詰まりというわけではなかった。不死身の杉元とあちら側の内通者であったアイヌの女、インカラマッを捕虜にすることが出来た。これは貴重な情報源だ。
焼け落ちた監獄の中で手がかりになるものを捜索している中、月島の隣に立った鯉登が、数メートル先に見えるナマエの姿に視線を向けながら言った。

「それにしても…ナマエ嬢をこんなところまで連れてくるとは…鶴見中尉殿は何をお考えなのか…」
「さぁ。私にはわかりませんが、兵器開発の分野に挑戦したいのだそうですよ。有坂閣下の開発された武器を見たいのだと聞きましたが」

鯉登にそう言われ、事前に鶴見から聞かされていた設定を口にする。実際のところ、ナマエをわざわざ網走監獄にまで連れていくことはなかったのではという疑問は月島の中にもあった。わざわざ危険を侵してまで凄惨な戦場を見せる必要はあったのか。しかも、今日だってこうして囚人の遺体の転がる地獄のような光景を見せに連れてきている。この時代の婦女子にでもおぞましい光景なのに、戦争のない時代の彼女にはより恐ろしいものに見えるに違いない。まったく、相変わらずあの御仁の考えていることというのはよくわからない。

「ふむ。まぁナマエ嬢は不思議な雰囲気を持った女性だからな…兵器開発という女性には先進的な分野に興味があってもおかしくないか…」
「はぁ……」
「鶴見中尉殿とはあまり似ておられんが、ナマエ嬢にはナマエ嬢特有の魅力があるからな」

鯉登がひとりでそう納得をする。鶴見の縁者という設定だからと言って、少し手放しに評価しすぎじゃないだろうか。もっとも、月島だって並々ならぬ感情を抱いているのだから、人のことは言えないかもしれないが。

「む。あちらで何か発見されたようだな。行くぞ、月島ァ」
「はい」

舎房の奥側を捜索していた兵卒がにわかに騒がしくなる。なにか目ぼしいものでも発見できたのか。長い足を使って颯爽と歩いていく鯉登の後ろを月島は追った。


主だった捜索がひと段落したころ、月島は鶴見に呼び出され、今後の作戦を聞かされた。インカラマッいわく、アシリパを連れて逃げたキロランケはパルチザンの仲間との合流を図って樺太に向かったのではないかとのことだった。その意見には鶴見も同意であり、先遣隊を派遣する運びとなった。

「樺太に行く以上ロシア語の通訳が必要だ。お前にはその役を担ってもらう」
「はい」
「あとは杉元に…それから谷垣も同行すると言いそうだな」

鶴見が地図を広げ、とんとんをそれを指先で叩く。ロシア語話者と言えば小隊では鶴見のほかに月島と尾形が筆頭であったが、いま適任は自分しかいないだろう。先遣隊というからには後から本隊が続くのだろうが、それはどのくらいで到着するのか。いや、それ以前に自分たちだけで確保できるのが望ましい。

「鯉登少尉もだな。鯉登閣下から是非にと打診があるだろう。あまり大所帯にもしたくない。四人で向かうのが丁度いいか」
「はい」

わかっているはずなのにどうして本隊の到着時期を気にしてしまうのか。それは間違いなく、本隊には「彼女」が含まれるからだ。そんなことを考えている場合ではないとわかっているのに、頭の中では一体彼女とどれくらい離れることになるのか、彼女を一人にして大丈夫だろうかと不安がよぎる。もっとも、自分と離れるからと言って彼女がひとりきりになるわけではないが。

「心ここにあらずといった様子だな、月島」
「えっ…いやっ…そんなことは……」
「そんなにミョウジくんが心配か?」

当然のように見透かされてひゅっと息をのむ。いや、そもそも鶴見相手に自分などが隠し事をするなんてこと自体に無理があるのだ。それでも口に出して肯定することは憚られ、しかし沈黙はもはや肯定だった。

「ミョウジくんの無事はもちろん私が保障する。彼女は我々の今後における強力な手札になり得る…しかし、心配するべきは月島、むしろお前だ」
「私…ですか…?」

一体自分にどんな懸念事項があるというのだろう。思いつかなくて聞き返せば、鶴見は笑みを深める。それからそっと口を開いた。

「お前にはまだ言っていなかったが…未来の重大な情報を得るにあたって、ミョウジくんと取り引きをしている」
「取り引き、ですか…」

少し意外だった。ナマエはそういうことを提示してくるような性格だと思っていなかったからだ。彼女は一体鶴見にどんな交換条件を出したのだろう。情報提供後の自分の身柄の安全か、それとももっと別の事か…。しかしそれに月島がどう関わるというのだろう。鶴見が月島に視線を投げる。

「この争奪戦が終わるまで、月島、お前が無事でいることだ」
「え…!?」
「彼女はお前のために死神になる覚悟をした。我々もそれに全力で報いなければならない」

鶴見の話は続いたが、正直予想だにしていなかった条件に思考がついていかなかった。自分の安全の保障でもなく、そのほかの対価でもなく、彼女は月島の無事を条件に出していた。確かに彼女から信頼を勝ち得ている手ごたえはあった。誰と口を利くのもおどおどしていた彼女が、自分とは比較的普通に接するようになっていた。しかしまさか、自分の命よりも月島を選ぶとは。

「通訳のためにお前を先遣隊として派遣することは変えられない。が、我々に必要な情報を確実に得るためにも、必ず生きて戻れ、月島」

鶴見が月島の肩をぽんと叩く。頭の中はまだ正直混乱していた。
それから主治医である家永同席のもと、谷垣、鯉登を集めて杉元に樺太の話を持ちかけた。あの男にほかの選択肢などがあるはずもなく、鶴見の予定の通り杉元、谷垣、鯉登、月島の四人が樺太へアシリパ捜索の先遣隊として派遣されることが決まった。


翌日、月島が樺太行きのための荷物を整理していると、執務室がわりにしている部屋にナマエが顔を出した。

「あの…月島さん…」
「ああ、ミョウジさんか。何かあったか?」
「えと、樺太に行かれるって聞いて…」

おずおずと話しかけてきた彼女は、どうやら樺太先遣隊の話を鶴見から聞いたようだった。彼女の出した交換条件を耳にしたからか、少し何か、居住まいの悪さのようなものを感じる。月島の胸中に反し、ナマエの表情はいつもと変わらないように見える。

「どのくらいの期間になるかとか…わからないんですもんね」
「ああ。正直相手の出方がまだ明確じゃないからな。そのための先遣隊だ」
「その、私も鶴見中尉たちが行くときには同行できるって、聞いていて…それがいつになるかっていうのは、聞いて、ないんですけど…」

本隊の動きの話も聞いたのだろう。網走での片づけを終え、その後道内での他の情報収集をしてからとなれば鶴見が動くのは数か月はあとになるに違いない。鶴見から指示されているわけではないが、本隊の手を煩わせることなくアシリパを確保することが理想だろう。

「…ミョウジさんの……」

交換条件を聞いた、と口にしそうになって押しとどめる。彼女に対して明確に言葉にしないほうがいいんだろうか。言葉を止めてしまった月島にナマエは首を傾げた。口にしてしまえば、彼女を死神にすると、月島自身も認めてしまうことになる気がする。いや、口にしなくても同じことなのかもしれないが。

「ミョウジさんも、鶴見中尉が一緒だとはいえ危険が伴うことも多いだろう。無理はしてくれるなよ」

月島は結局言葉を変えた。ナマエは止めた言葉の内容に言及することなく、はい、と、いつもの小さな声で返事をした。何か言わなければ。何か言いたい。でも彼女になんて言えばいいんだろう。自分にかけられる言葉なんてあるのか。
気が付くと、月島の手はナマエの方へと伸びていた。ナマエの薄い肩をとらえ、自分の腕の中に引き込む。もう数回目になってしまうからか、ナマエは何を言うこともなく月島を受け入れた。

「ミョウジさん」
「……はい」
「……生きて帰る」

ナマエの腕がおずおずと伸び、月島の背に回される。自分の背に触れるそれは頼りなくか細く、この指に何千、何万人の命がかかっていると思うと恐ろしくなった。


樺太までの航行は、連絡船ではなく鯉登少将の船によって送り届けられることになった。駆逐艦の甲板で海を眺めていると、鶴見の写真に向かってべそをかいていた鯉登がようやくとばかりに立ち上がって月島の隣に立つ。

「月島ァ、お前、ナマエ嬢と睦まじい仲なのか?」
「は?」

突然変なところから言葉を投げられ、思わず変な声が出た。どこからそんな話を聞いてきたのか。いやそもそも彼女とはそういう仲ではない。根も葉もない、と言うほど事実がないというわけではないが。

「いや、別に私とミョウジさんはそういう仲では…」
「隠さんでもいいだろう。まさか私が鶴見中尉に告げ口をするとでも思っているのか?」

ふふん、となにか得意げに鯉登が言った。事実がどうのこうのという前に鯉登はうっかり鶴見に言ってしまいそうだが。いずれにせよ、ナマエと月島のことは鶴見が仕組んだことであるし、多少何かを言われたところで大勢に影響はないのだけれど。

「見たぞ。昨日ナマエ嬢と抱き合っていただろう」
「えっ…見て、おられたんですか…?」
「戸が開けっ放しだったからな。声をかけるなんて無粋な真似はせん」

見られていた。あの時戸が開いていたことも、鯉登がそばに来ていたことにも気が付いていなかった。そんなに視野が狭くなっていたということか。月島はため息をつき、額に手を当てた。

「……彼女と私は決してそういう仲ではありませんが…昨日のことは他言無用でお願いします……」
「ふふ、もちろんだ。お前と二人の秘密が出来るとは…なんだが妙な気分だな!」

他人事だと思って鯉登が女学生のように嬉々として言った。くそ、何だか握られてはいけない人に弱みを握られてしまったような気がする。北海道から約40キロ。樺太はもうすぐそこだ。







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