19 運命と死神


夏が終わり、秋が始まった。知らせと選択の時は唐突に訪れた。春から潜入任務に出ているという宇佐美から連絡が届いたのだという。しかも良い知らせではない。彼が潜入先で身分を見破られたという話だった。

「我々はここから本格的に動くことになる」

鶴見の私室に呼び出され、座布団に正座をしたナマエは神妙な面持ちでその話を聞いていた。彼らの目的であるアイヌの金塊、そしてその隠し場所を示す刺青人皮の捜索に、大きく動きがあったのだ。

「宇佐美の潜入先は網走監獄。のっぺらぼうの収監されている日本一警備の厳しい監獄だ」
「の、のっぺらぼう…?」
「ああ。アイヌの金塊を隠した張本人だよ」

二月ごろから、周囲が騒がしくなってきていると思っていた。二階堂洋平の死、尾形の脱走、夕張での任務、そして市街地での銃を伴う戦闘。そしてついにその金塊を隠したというアイヌの男に繋がった。

「君には選択をしてもらうことになる。ここに残るか、それとも我々についてくるか……」

これは単純な行き先の選択ではない、ということは明確だった。ここでついていくということは、彼らに情報を渡すということだ。そもそもそれがありきでここで預かって貰ているのだ。先延ばしにしていた問題の答えを出すタイミングが訪れただけのことである。

「……あ、あの…の、残るっていうことは…ここで今まで通りの生活をするということですか?」

どくどくと心臓が激しく鳴り始める。鶴見は威圧的な雰囲気などひとつも醸すことはなく、至極冷静な声で答えた。

「例えばの話だが、君のことを軍とは関係の薄い信頼のおける人間に任せることもできる。この騒動とは何ら関係のない、この時代の町娘として不自由のない生活は保証する」
「……そ、そしたら、月島さんとは…」
「残念ながら、部外者に我々の情報を教えることは出来ないな」

当たり前だ。ここで彼らを選ばないということは、完全にすべての関係を断ち切ることを意味する。嘘か本当かわからないけれど、ついてこないなら殺す、と言わないだけ鶴見は温情をかけてくれているのではないか。ナマエはぐっと唾を飲みこんだ。

「……私も連れて行ってください」
「ほう」

ナマエの言葉は震えることがなかった。迷いはない。今日ここで尋ねられただけで、本当は随分前から心は決まっていた。月島が鶴見のそばにいる限り、自分の居場所はここだ。自分の振る舞いが何を起こすかは未知数だけれども、どんなものを天秤にかけたとしても、きっとこの道を選ぶ。

「私の知っている歴史を……お話しします」

決意は明確だった。それは聞いていた鶴見にもきっと伝わったことだろうと思う。鶴見が平坦な声のままナマエに向けて言った。

「その行いで、この先の何百、何千、何万人の人生が狂うとしてもかね」
「……はい。他のどんなものを掛けてでも、私は月島さんを取ります」
「その言葉が聞きたかった」

鶴見の口角が上がった。彼の当初の思惑通りというわけだ。しかし後悔はない。なんの未練もないと思って身を投げた現代からこんなところに飛ばされて、生きる喜びを知る機会を与えてくれたのは鶴見その人である。もしも一番初めに出会ったのが彼らでなければ、今頃どんな恐ろしいことになっているのか想像もしたくない。ナマエにもナマエで、思惑があった。

「…ただ、ひとつ条件をつけさせて、ください」
「言ってみなさい」
「…未来の、こと…簡単なことは今からでも、お伝えします…けど……重大なことは、金塊が見つかったあと…月島さんが無事でいてくれたら、お伝えします」

ずっと考えていた。月島は屈強な兵士であるが、それでも人間だ。戦場に出る以上危険は伴うし、それをナマエの力ではどうすることもできない。だからひとつ、自分の最強のカードを切るしかない。この条件を鶴見が飲まないとは思えなかったし、こうすることで少しだけでも月島から困難を避けることが出来るのでないかと考えていた。

「いいだろう。我々としても君の情報が最も有効に使われる機会というのは金塊争奪戦の後のことだと考えている。月島は私にとってもかけがえのない戦友だ。無事にこの争奪戦を生き残れるよう尽力しよう」

鶴見は読み通り、ナマエの条件を快諾した。もちろんこんな口約束だけで彼のことを守れるとは思っていないが、気休め程度のお守りでもないよりはマシだ。翌日ナマエは、一行とともに小樽の街を離れ、根室へと向かうことになった。


根室に到着すると、鶴見たちはしばらく打ち合わせやらなにやらの込み入った話があるそうで、ナマエは港の見渡せる一画にある木箱に座ってぼうっと波打つ海面を眺めていた。今も昔も海は変わらないんだな、と思うと、なんだか妙な気分になる。
鶴見に自分の立場をしっかりと表明することができて、どことなく心と頭の中が整理できたような気がしていた。あの問いがどれだけ後回しになっていたとしても、最終的には同じことを言っていただろう。

「あ、ミョウジさん」
「え、あ…う、宇佐美さん…お久しぶり、です」
「お久しぶりでーす。半年くらいですかね?」

ひょっこりと声をかけてきたのは宇佐美だった。彼とは春に長期の任務に出ると言って兵営を出て以降顔を合わせていなかった。潜入先である網走監獄で身分を見破られたと聞いたが、とりあえず大きな怪我はなさそうな様子にホッと胸をなでおろす。

「聞きましたよ、さっき。ついに僕らに協力してくれるそうじゃないですか」
「え、えっと…はい……一応…」

全面的にという話ではなく条件付きであるが、宇佐美にそれを話していいのかがわからずに曖昧に相槌を打った。すると「鶴見中尉殿相手に条件つけようなんて、生意気ですけどなかなかやりますね」と続けられる。どうやら彼にも内容は伝わっているらしい。

「え、と…その話、月島さんには…」
「さぁ。そのうち伝わるんじゃないですか?絶対死ぬなって、本人に言わなきゃ意味ないでしょ」
「そ、そうですか…」

宇佐美があっけらかんとそう言った。月島にそのまま伝わるなんて、変な風に思われないだろうか。いや、しかし今更そんなことを言っても仕方がないことだ。じっと隣から見られる気配がして、顔を向けると案の定宇佐美がこちらを見ていた。

「あ…あの…?」
「名指しするなんて、随分大胆なことしましたね」

出した条件の内容の話だ。確かに宇佐美の言う通り、月島を名指ししている以上ナマエにとって月島が大切な人間であると言ってしまっているも同然だった。にゅっと尖った彼の唇が動く。

「ただの興味本位で聞きますけど、月島軍曹のどこが良かったんです?あのひと、堅物だし、女性からみて面白いひとじゃないでしょ」
「え、と…その…」
「顔ならほら、もちろんこの小隊で鶴見中尉に並ぶ人はいませんけど、例えば鯉登少尉とか。女性が好きそうな顔してますよね。あ、ひょっとして未来人だと美醜の感覚とかも違うのかな…」

ナマエが返答に困っている間に宇佐美がどんどん話を広げていってしまう。鶴見の相貌は美醜という概念よりも先に傷に目が行ってしまって正直判定のしようがない。あれは日露戦争で負ったものだと聞いたから、それより前から小隊に所属しているだろう宇佐美は彼の本来の顔を知っているのだろうが。

「……つ、月島さんは…いつもその、優しく、してくれるから…」
「……へぇ」

宇佐美の受け答えが含みを持っているのはもちろん解った。そして、何が言いたいのかも。ナマエに優しくしてくれている理由なんて知っている。それだけじゃなかったら、なんて夢も見たが、そうでないことくらいわきまえている。月島は、ナマエの持つ情報のために親切にしてくれているだけなのだけだ。

「わ、わかってます……あの、月島さんが優しくしてくれるのは、情報のため、だって…欲深いことは、望んで、ません」
「はは、いいですね。わきまえてるひとは嫌いじゃないですよ」

何が宇佐美の琴線に触れたのかわからないが、彼は上機嫌でそう返してきた。理由はわからなくても、嫌いと言われるよりはマシだろう。それに、出会った頃に比べれば彼ともそれなりに話せるようになった気がする。ひょいっと宇佐美を盗み見て、ナマエは先ほどからずっと気になっていたことを尋ねた。

「あ、あの…宇佐美さん…そのほっぺの棒人間…って、なんですか?」

宇佐美の両頬には棒人間がひとりずつ、唇に向かって走っている。頭部は宇佐美の頬に元々あったほくろを活かしているんだろうが、身体は完全に書き足されたものだろう。宇佐美は「ああ、これですか?」と素気ない台詞には見合わない嬉々とした声でそう言って、ムフッと鼻息を荒くした。

「僕、任務でトチッちゃって、さっき鶴見中尉にお仕置きされたんです。それで両頬にほくろくん描かれちゃって」
「は、はぁ……」

女子高生が休み時間にきゃっきゃとはしゃぐようなテンションでそう言われ、それを描いている鶴見というのがどういう状況だったか想像してみたがイマイチ具体的に想像できなかった。

「フフ、これ刺青にしようと思ってるんですよ」
「いっ…!?」
「せっかく鶴見中尉殿が僕の頬に描いて下さったんだから、洗って落とすわけにはいかないですよね」

落書きには触らない位置で両手を頬に添える。仕草はまるで恋する乙女のようだが、言っていることは少しも可愛らしくない。というか、そんな奇天烈な刺青を顔面に入れようと思いつくなんて、流石の信者というところだ。

「おい宇佐美、そんなところで何油売ってるんだ」
「あ、月島軍曹来ちゃいましたね。じゃあ僕はこれで」

漁師小屋のような建物のほうから月島の声がかかって、さて退散とばかりに木箱を降りて宇佐美はすたこらさっさと月島のもとに行ってしまう。そして月島と一言二言と少し会話すると、そのまま拠点にしている建物のほうへと歩いて行ってしまった。それから今度は月島がナマエのほうに歩み寄る。

「ミョウジさん、大丈夫だったか?」
「え…?」
「その、君は宇佐美が苦手だろう。妙なことを言われたりは、していないかと…」
「大丈夫です…その、前まではちょっと怖かったですけど、今はそんなことないので…」
「そうか、それなら良かったが…」

何を気遣ってくれたかと思えば宇佐美のことらしい。問題ないことを伝えると、月島は少し複雑な表情を浮かべた。彼はもうナマエの出した交換条件のことを知っているのだろうか。宇佐美も言っていた通り知られるのは仕方がないが、それによってマイナスな印象を持たれたくはない。

「あの、打ち合わせ、終わったんですか…?」
「ああ。宇佐美からの聴取も終わったし、準備を整えたらまた移動だ」
「えっと、今度はどこに…?」
「もう少し網走監獄に近づく。予定では知床半島の斜里という町だ」

交換条件が知れているのかどうかは聞きたかったが、上手く聞き出せる言葉も見当たらずに今後についての当たり障りない話題が続いた。知床半島と言えば、現代では世界自然遺産にも指定されている自然の豊かな人気の観光地のひとつである。もちろんこの時代で観光産業が発達しているわけではないけれど、そんな場所に自分が行くことになるとは思っていなかったから、少しだけ妙な気分だ。

「ウニが、有名なところ、ですよね。私のいた時代も、海のものが美味しいって有名で…あ、北海道全体がそうといえばそうなんですけど…」
「ウニ、好きなのか?」
「あんまり食べたことなかったので、好きか嫌いか、わかんないかも、です」

ろくにまともな食事もしていなかった人生だったし、まともなものを食べたとしても味わえるようなこともなかったから、しっかりとした印象がない。食べ物の味の印象はむしろ、この時代に来てからのほうが豊かになったような気がする。妙な話だ。

「じゃあ、食べれるように鶴見中尉へ頼んでみよう」
「えっ、そんな…悪いです…!」
「それくらい融通してくれるだろう。まぁ、旬じゃないからアルコール漬けにはなるだろうが…」

月島はナマエの恐縮する様子を置き去りにあれこれと考えを巡らせているようだ。粒ウニというのはこの時代にも既にあるらしい。もっとも、現代のものと同じかどうかは分からないが。
結局、月島が交換条件の内容を聞いたかどうかは分からなかった。けれどとりあえず彼の様子が変わったようなところはないようだから、今はこれ以上追及しなくてもいいだろうと結論づけた。秋が深まる。事態を大きく変えることになる網走監獄までのカウントダウンが始まっていた。







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