尾形百之助の場合

マッチングアプリ。それは出会いの減った現代人が効率よく好みの相手と出会うための魅力的なツールである。


結婚適齢期、という言葉はもはや死語に近いと思っているが、往々にして結婚に至りやすい年齢というものは実際問題存在する。その時期を過ぎて結婚するような事例は結局のところ相対的に少なく、再婚ならまだしも、初婚が45歳を超えて、なんていうのは身の回りであまり聞かない。それは他者に決められた時期を過ぎたからではなく、結婚を望まない人間は出会いを求めないのだから結果的に極端な晩婚には至らず、逆に結婚を望む人間はそれまでに積極的に出会いを求めて活動し、結婚に至るきっかけを掴み取るからだといえる。

「って、まぁ、堅っ苦しく言ったわけですけども」
「ようは結婚したいやつはそれに向けてなんなりやってるってことだろ」
「はい、仰る通りで」

頭の中でさも賢いかのような言い回しで表現してみたが、簡単に言えばこの男の言うとおりである。面倒くさそうに、しかしこんな話に愛想を尽かさず相槌を打つ男の名前は尾形百之助。ナマエの働いていたキャバクラの一本隣の通りにあるバーのバーテンダーである。

「どうして今更そんなこと言い出したんだよ。お前、結婚しないんじゃなかったのか?」
「そうなんですけどぉ…夜職上がって子持ちの友達見てたら羨ましくなったっていうか…」
「はぁ、そらまた短絡的なことだな」

勤務していた当時、同伴の客と揉めたのを店の黒服ではなく開店準備をしていた尾形に助けられた。本人いわく「店の前を汚されたくなかったから」ということだったが、助けられたのは事実だった。その縁で退勤後にバーへ飲みに行ったりすることが増え、キャバクラを辞めた今でも何となくこうして相談を持ちかけている。

「羨ましくないですか?なんかみーんなキラキラして幸せそうで」
「羨ましかねぇな」
「尾形さん結婚願望ないんだ」
「ああ、全く」

この尾形という男は、例えば一目見て分かるような類いの美形ではないけれど、女を惹きつける魅力を持った男だ。夜に、しかも大抵の場合アルコールの入った状態でしか会うことのないこのバーという環境もそれにプラスの作用を及ぼしているように思う。口数は少なく、開いたとしても大体が毒舌ばかりであるが、その裏表のなさそうな感じも一因かもしれない。

「まぁ、とりあえずアプリ初めてみたんですけど、なんっかピンと来なくて」
「見せてみろ」

尾形にそう言われ、見せて困るものがあるわけでなしとマッチングアプリを起動したままスマートフォンを彼に差し出す。尾形はそれを見ながらあからさまに顔を歪めた。

「こりゃひでぇな」
「ですよね。ナイなって感じの人とチャラ男とホストで埋め尽くされてません?」

恐らくナマエへ今までイイネをした人間のリストが見られるところをスクロールしながら尾形が言った。自分でも笑ってしまうくらいだ。年齢、外見、その他条件からナイと思う男からイイネが来るのはいい。しかしその他の明らかに遊んでいそうな男と、メッセージを始めようものなら最終的に営業をかけてきそうなホストがその倍くらいいるのが遺憾だ。

「ていうか、ホストはマジで理解できないんですけど。アプリで営業かけるとか絶対効率悪いでしょ。絶対場内取ったほうが次に繋がりますよ」
「手間でも効率悪くてもこんなところでまで営業かけなきゃやってけねぇんだろ。クラスの高いキャバでそこそこ成績残してたお前とは違うんだ」

半分くらい褒められたような気になったナマエは思わず口を噤む。ナマエの在席していた店はトップとは言わなくともこの歓楽街では上から数えた方が早いような店で、ナマエはその中でも上から数えて5番以内には必ずいるキャストだった。

「それにお前のこのプロフ写真が玄人臭消せてねぇのも問題だろ」
「えっ、そうですか?」
「プンプンしてんぞ。業者だと思われてマトモな奴には敬遠されてんじゃないか?」
「ええぇ、そんなにぃ?」

なるべくそういう雰囲気を消した写真を登録したつもりだけれど、一般人にはそう見えるのか。ということはやっぱり元キャバ嬢、ないしキャバ嬢と真面目な恋愛しようなんて人間はいないということか。それはそれで腹が立つ。べつに夜職してたって真面目な恋愛をしないわけではないのに。
そこまで考えて、先ほど自分も推定ホストたちに対して同じようなことを思ったのだから盛大なブーメランだと気がついてその理論は口から出てくる前に飲み込んだ。

「私、真面目で優しそうな人が良いんです。はぁ、なんか出会いないかなぁ」

返ってきたスマホをバッグにしまってバーカウンターに頬杖をついた。水商売をしているからなんだかんだで色んな所に知り合いはいるけれど、総じてキャバクラで知り合うような人間だから業界人か、そうでなくてもそういうところで遊んでいる男だと相場は決まっている。自分の夢見るような相手には残念ながら辿り着かずに、ナマエは大きくため息をついた。


見た目がチャラいだけで意外と真面目かもしれない。とありもしない幻想を抱いて数人と会ってみたが、やっぱり見た目の通りのチャラ男だった。メッセージのやり取りは営業で慣れているけれど、おだてたり甘えたりするのが通常運転すぎてそれが裏目に出ている気もしなくない。良いかんじの真面目そうな男からは途中でメッセージが返ってこなくなった。
上手くいかないな、というのが重なったとき、追い打ちのように地元の同級生が結婚したという話を聞き及んだ。もう飲むしかない、と思い立ち、尾形の店に当然のように向かい、バーカウンターでじめじめと愚痴をこぼす。

「もうやだぁ、もう終わりだぁ」
「なんだよ、また出会いがねえとかいうアレか?」

面倒くさそうな尾形に対してナマエは無言でこくりと頷く。濃い目のスクリュードライバーが入ったグラスをぎゅっと包むようにして握り、半分ほどを一気に飲む。喉を甘いアルコールが通り抜けていく。

「別にどこぞの社長様と結婚して水揚げしてもらおうって腹じゃねぇのに、元キャバ嬢でそこまで結婚願望強いのも珍しいもんだな」

尾形がいっそ感心したふうに言った。確かに、学生の腰かけでもなく専業でキャバクラのキャストをしていた同僚のその後といえば、太客に水揚げされていくか業界内で転職して今は小さいスナックのチーママをしてるとかがプラスのパターンで、ホストに入れ上げて泡嬢に沈められたとか指名が減って食うに困ってもっと過酷な夜職に変わったとかがマイナスのパターンだ。しっかり勤め上げてそのあと一般人と結婚しますというのはあまり聞かない。もっとも、店をやめたあとのことなんて相当センセーショナルな場合を除いて聞くことも少ないから、自分が知らないだけかもしれないけれど。

「なんかもっと素人っぽい写真撮ればどうにかなります?」
「そんなもん演じたところでボロが出るに決まってるぞ」
「デスヨネー」

早い時間だったからか店内には客がナマエのほかにおらず、それを良いことに行儀悪くバーカウンターにぺったりと頬をつける。「化粧がカウンターにつくだろ」という尾形の小言は無視した。

「アプリどんだけやってんだ?」
「うーん、もうすぐ四ヵ月くらい…」
「絶望的だな」

尾形がマッチングアプリの何を知っているのかはわからないが、今はマイナスな方向にバイアスがかかってるから、特にソースのわからない彼の言葉でさえ真実のように思えてきてしまう。

「男引っ掛けるくらいアプリじゃなくても簡単だろ」
「だからぁ…そういうのじゃないのがいいんですよぉ」

男のひとが気持ちよく話す技術は持っている。話を聞くのもおだてて相手を立てるのも、磨いてきた自分の武器だ。だけどそういう武器もなにも取っ払った自分を見てほしいと思うし、取っ払った自分を好きになってくれる相手に出会いたいとおもう。結婚願望と言うよりは、久しぶりにまともな恋愛がしたいと思っているというのが本当のところかもしれない。

「もーアプリで出会おうっていうのが私には無理だったんですかねぇ。なんだろ、合コンとか?でも地元の子は結婚しちゃってるし、私が夜職やってたの知らない知り合い探すの無理すぎるんですよね…」

キラキラ幸せそうな友人に触発されてついつい何も考えずに行動してしまったが、もっと考えて行動した方が良かったのかもしれない。料理教室やらジムやら、今まで行ったことのない場所に行って見聞を広めるのもなにかのきっかけになるかもしれないし、そういうものはたとえ出会いに繋がらなかったとしても自分のためになることは間違いないのだ。

「料理教室とかどう思います?あ、あと英会話教室とか?」
「何の話だよ」
「出会える場所ですよ。身になる勉強して、ついでに出会いとかに繋がったらラッキーかなって」
「お前…今どきそんな場所で出会えるかよ」
「ええぇぇ…」

一蹴されて肩を落とした。まぁ流石に古典的すぎただろうか。残りのスクリュードライバーを飲み干し、尾形におかわりを頼む。尾形が慣れた手つきでタンブラーグラスに氷を入れ、そこにウォッカとオレンジジュースを注いでステアした。ウォッカを多めにして貰うのは常連が故の特別サービスだ。そういえば。

「今日お客さん全然来ないですね。なんかありましたっけ」

店内は未だがらんとしている。木曜日ではあるが、時計を見れば20時を回っていた。食事をメインにするような店ではないけれど、こんな時間ならもう客足がいくつかあってもいはずなのに。疑問に思って尋ねれば、グラスのふちにオレンジを飾ったスクリュードライバーをナマエの方に差し出す尾形と目が合う。

「来ないってそりゃお前、表の札CLOSEにしてあるからな」
「えっ、うそ、今日休業日ですか!?」

月曜定休だった記憶があるけれど、まさか臨時休業かなにかだったのか。それならなぜバーテンダーが出勤しているのかという話だし、何か用事があるならとっとと言って欲しかった。尾形があまりに普通に接客するものだから疑いもしなかった。

「いや、お前が来たからCLOSEに変えたんだよ」
「うそ、貸し切り料金とか払えませんよ私」
「ンなもんいらねぇよ」

尾形が身を乗り出し、カウンターに両手をつく。何を考えているかさっぱりわからない瞳は今日も健在で、CLOSEの札にどんな意味があるのかと考えてみたがいまいち正解がわからない。

「ようは、お前が元キャバ嬢だって知ってても、そういう色眼鏡なしに見る男ならいいんだろ?」

尾形の言葉を「まぁ、そうですけど…」と肯定した。そうは言っても結構な偏見に晒されるものだ。そう上手くいくものか。というか、尾形はアテでもあるのか。顎の傷が持ちあがり、彼の唇が弧を描く。

「じゃあ、俺にしておけばいい」
「は…?はぁ…!?」
「結婚願望は特にねぇが、これ以上放っておいてお前が他の男に釣りあげられるのも癪だからな」

シレっとそんなことを言われて、気が付くとカウンター越しに指先を握られていた。グラスに触れて冷えた自分の体温が、彼によって中和されていく。どうやって話せばいいんだっけ。磨いていたはずの話術が上手く引き出せなくなって、唇をはくはく動かすことしかできない。

「なぁ、俺ではだめか」
「だ……め、じゃ…ない…と思う、ます」
「はは、思うますってなんだよ」

らしからぬ顔で彼が笑う。付き合っちゃいけない3B男のBのひとつがバーテンダーだったな、と思いながらも、何だか今日は、彼から逃げられる気が少しもしなかった。
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