03 Tell me


ナマエとの順調な生活が続いていた。ORDERから割り振られる仕事をこなし、バディである大佛の面倒を見て、南雲のイジリをかわす。なんだかんだとセーフハウスに戻ると、ナマエがにこにこと笑顔を浮かべて自分の帰りを待っている。
まるで温泉の如く心地よいこの生活に正直少し気が緩んだ。これは仕事におけるという意味ではなくて、同僚への態度という意味でだ。

「あ、ナマエ、今日ベランダに洗濯もん干そうとしとんのか?」

空き時間、例の監視カメラ、もとい見守りカメラを見ていたとき、自分でも気づかないうちに思わずそう声が漏れてしまった。今日は午後から小雨が降る予報である。

「…ナマエ……?」

反応したのは目の前に座っている大佛だった。この距離感で聞こえてないだろうと言う方が無理があるだろう。神々廻はしまった、と思いつつも、それを顔に出さないようにポーカーフェイスで画面を見続ける。カメラは忙しなく洗濯物をベランダに干すナマエの姿を写している。

「ナマエって、誰?」
「は?どないした?」
「いま神々廻さんナマエって言った。ナマエって誰?」

はぐらかしてみようにも、大佛はこの手のことをしっかり追及してくるタイプだ。力技では誤魔化されてくれない。神々廻はさっそく次の作戦に移行する。

「ウチで飼いはじめた猫の名前や」
「でも洗濯物干そうとしてるって言ってた…猫は洗濯物干さない」

新しいペット作戦も惨敗し、神々廻は薄い唇を閉じる。ここまできたらもう一度誤魔化してみるか、それとも大佛に正直に話をするか。

「あー……最近の猫は賢いからそんくらい出来んねん」
「うそ。神々廻さん、ナマエって誰?」

誤魔化すにしても、もっとそれらしい言い訳もあっただろう。あからさまに選択をミスしているわけだが、そうは言ってもどうすれば切り抜けられたかも神々廻には分からなかった。
神々廻は大きくため息をつき、もう言った後で口止めをするしかないと腹を括る。

「……俺の彼女」
「えっ!」
「あー、大きい声出すなや」

大佛が大きく口を開けたものだから、すかさずそう言って言葉を止める。大佛は両手で口を塞ぎ、そのままコクコクと頷いた。

「神々廻さん、彼女いたの?」
「まぁ最近付き合いはじめてん」
「全然知らなかった……あ、でも神々廻さんこのところ顔色良かったもんね」

同じようなことを南雲にも言われたが、自分はそんなに顔色が悪い方だっただろうか。顔色もそうだが、表情や行動の端々に出ていた可能性もある。それは非常にマズい。

「神々廻さん、私もナマエちゃん会いたい」
「あかん。ていうかなに勝手にちゃん付けで呼んでんねん」
「心が狭い男は嫌われる…」

余計なお世話だ、と言いたいところだが、このまま大佛を野放しにしておいて良いものだろうか。会わせない腹いせにナマエのことを南雲にバラす危険性がある。それだけは最も避けなければならない事態だ。あれより面倒な男は他にいない。

「神々廻さん」
「……わかったわかった。会わせたるけど、ナマエのことは絶対他言すなよ」

神々廻が折れた形でそう言うと、大佛はぱあっと表情を明るくしてぶんぶんと勢いよく首を振った。背に腹は変えられない。大佛は厳重に買収しておくとして、ここは最大のリスクを回避すべきである。

「いつ会わせてくれるの?今日?」
「あー…今日はあかん。ナマエも準備あるやろうし、早くても明日か明後日やな」
「じゃあ明日ね」
「いや、なんでお前が決めんねん」

物申したいことはいろいろあるが、全てに突っ込んでいたら終わらない。こうして話を長引かせる間にも南雲に嗅ぎつけられたらたまったものじゃないし、ここは明日ということで決めてやったほうがトラブルが少ない。


その日、セーフハウスに戻って普段通りに温かい食事と風呂にありついた神々廻は、せっせと後片付けをするナマエへリビングから「なぁ」と声をかける。ナマエは洗い物の手を止めて水分と拭い、話が聞きやすいようにと神々廻のもとへ歩み寄った。まったく出来た女がすぎる。

「明日、同僚連れてきたいんけど」
「えっ、あっ、私どこか別の場所に移ったほうがいい?」
「いや、ちゃうちゃう。お前に会わせたいねん」

神々廻の言葉を処理するのに時間がかかっているのか、ナマエはそのまま押し黙った。中々続きを話さないので、神々廻は「どないした?」と様子を窺うように言葉をかける。

「えっと、びっくりしちゃって。まさか神々廻さんそんなこと言ってくれると思わなかったから」

ナマエがほんのり頬を染める。そもそも神々廻だって紹介するつもりなんて毛ほどもなかったが、これは緊急事態だった。「ちゃうねん」と言おうとしたけれど、嬉しそうに頬を緩めるナマエを見ていたらそんな気にもなれない。

「まー、なんや、俺の仕事のバディみたいなやつ。で、仕事帰りに連れてくるから適当にメシ用意したってくれへん?」
「もちろん。何がいいかな?」
「なんでも食うで、あいつ。何でもええねんけど、結構大食いやから量は用意したって欲しい」
「うん。分かった」

話すほどにやはりナマエはまるで良くできた恋人だった。もはやあの出会いの方が夢か何かだったと思うほうが自然である。もっとも、ではどうやって出逢ったのだという話になるのだから、夢だというのはあり得ないのだが。


翌日、大佛はわくわくという様子を少しも隠すことなく業務に勤しんでいた。彼女は現場特化型で、だから細かな任務は神々廻がカバーしている。そのためなんだかんだと雑用が増えるわけだが、そこは文句を言っていても仕方がない。

「大佛、誰にも言うてへんやろな」
「言ってない」

しつこいくらいにそう確認しながら、細心の注意を払って大佛をセーフハウスに招き入れる。何重にもなっているセキュリティを抜け、部屋のあるフロアまでエレベーターで上った。該当のフロアに辿り着くと、奥から二番目の部屋へ向かってカードキーをかざす。

「ただいま」

扉を開き、中に向かって声をかける。彼女のことだからトタトタと飛び出てくるかと思えばそんなことはなく、普段よりもむしろ落ち着いた様子で顔を出した。しかもちゃんとエプロンまで外している。

「神々廻さん、お帰りなさい。それから同僚の方も、お仕事お疲れ様です」
「…こんばんは」
「あー、ナマエ、こいつが話しとった同僚の大佛。大佛、こっちがナマエな」

神々廻が二人の間に立つようにしてそう二人にそれぞれ紹介をする。ナマエが「夕飯出来てますからどうぞ」と中へ誘導し、一足先に彼女はキッチンに引っ込んだ。料理の仕上げをするつもりだろう。ナマエがいなくなるのを待って大佛が口を開く。

「ナマエちゃん、可愛い」
「あー、せやな」
「神々廻さん、面食い?」
「失礼なこと言いなや」

大佛にはやく部屋へ上がるよう手招きをしてダイニングに向かうと、ダイニングテーブルの上には豪勢な食事達が並んでいる。チキンのトマト煮込み、シーザーサラダ、ローストビーフ、ウインナーとオリーブのピンチョス。その他にも肉料理が多く並んでいる。よく食べると言っておいただけだったから、食べ盛りの男子を想像したのかもしれない。

「これくらいで足りるかな?一応目一杯作ってみたんだけど…」
「充分やわ」

キッチンから顔を出してナマエが尋ねたので、神々廻はそう言ってやる。放っておくと大佛はこれ以上に食べる気がしてならないが、なにも満腹にさせてやることはないだろう。ちらりと大佛を見ると、目の前のごちそうにキラキラ目を輝かせていた。

「すごいごちそう…」
「ふふ、お口に合うといいんですけど」

いただきますと手を合わせて、そこからは怒涛だ。ぱくぱく大きな口にナマエの手料理が飲み込まれていく。大佛の勢いにナマエは少し気圧されているようだ。大佛がはぐはぐと食いつくす勢いで、神々廻は大皿の料理を取り皿に分けるとナマエの前に差し出した。

「ほっといたら全部大佛にいかれんで」
「ありがと」

ナマエもいただきますと手を合わせ、取り分けられた料理を少しずつ口に運んだ。大佛が「神々廻さん…なんか優しいね」とじっと見つめ、神々廻はそれを片手でシッシと払う。
あれだけ沢山の料理も、見る間になくなっていって、粗方片付いた大皿をキッチンに移動すると、ナマエが洗おうとするから神々廻がそれを代わった。

「ナマエちゃん……なんで神々廻さんと付き合ってるの?」

ざぁざぁという水の流れる音の隙間でそんな言葉が聞こえる。ナマエは思いもよらない質問だったのか、目をぱちぱちと瞬かせた。付き合った経緯は彼女の申し出と神々廻の好奇心だが、ナマエがそう言いだした理由を聞いたことはなかった。流水にまぎれてこっそりと耳を傾ける。

「……神々廻さんは、私の夢を叶えてくれる人だから…ですかね」

ナマエは小さな声でそう答えた。夢を叶えてない。恋してみたかったの。これはいずれも出会ったその日に彼女から聞いた言葉だ。偶発的に神々廻と出会ったからこんな事態になっているだけで、あの日出会ったのが別の人間だったなら状況はこんなふうにはなっていないだろう。神々廻があの日ビルに向かっていなかったら、そもそも彼女の飼い主のターゲットが神々廻ではなかったら、彼女の隣には別の殺し屋が立っていたかもしれない。

「……腹立つな」

想像したら思ったよりも腹立たしい。彼女の笑顔が、他の誰かに向けられているなんて。


どうにか居座ろうとする大佛を追い出し、残りの皿を二人で並んで片づけていく。ナマエは引き続いて調味料の量を確認したり洗剤の補充をしたりとあくせく動いていた。この隣が別の男だったら、と振り払ったはずのタラレバがもう一度頭の中に思い浮かびムッと口元を歪めた。

「……ナマエ」
「ん?」

ナマエが神々廻を見上げてこてんと首をかしげる。あれ、こんなに可愛かったか。柄にもなく心臓がぎゅっと押しつぶされるような感覚になった。なんて言えばいいのか。どんな言葉ならこの感情を的確に吐き出すことが出来るだろう。

「お茶、いれよか」
「あ。あったかいの飲みたかった?淹れよっか」
「いや、俺がやるわ。ソファ座っとき」

ティーポットの手を伸ばそうとしたナマエをそう制し、神々廻はティーポットを手に取る。ナマエは少し不思議そうな顔をして、神々廻にいわれるままソファに向かった。どの茶葉にしようか。そうもレパートリーがあるわけじゃないけれど、なんだか今日は特別なものを使いたい気分になった。
結局開封もしていなかった台湾土産のお茶を淹れることにして、ポットにティーバックをいれて湯を注ぐ。普段はしないような華やかな香りが漂った。数分待ってからカップにそれを移し、二人分を手にソファへ移動する。

「ん。あついから気ぃつけ」
「ありがとう」

カップを手渡せば、両手で掴んでふぅふぅと息を吹きかけた。さくら色の唇が規則よく動き、思わずそれに釘付けになる。ひらいて、とじて、ひらいて、とじて。ごくりと生唾を飲み込んだ。

「…神々廻さん?」
「……あ?」

ナマエが視線に気が付き、きょとんと神々廻を見上げる。自分が無意識のうちに彼女を見つめていたことに気が付き、カッと首から頭のてっぺんにかけて熱が集まっていく。なんだ、こんなの、まるで自分が──。

「どうかした?」

ナマエは神々廻の思考など勿論知らずに、カップをテーブルに置くと様子のおかしい彼にを気遣ってぐっと身を寄せる。今までは何とも思っていなかったはずの彼女の香りに当てられそうになって、思わず同じだけ身を引いた。

「な、なんでもない…茶、冷めるで」
「え、うん。いただきます」

あからさまに下手な誤魔化しはどこからどう見ても不審だったけれど、ナマエはそれ以上追及することなくカップをもう一度手に取って口をつける。横目でその様子を盗み見ていると、彼女はほんの一瞬だけ動きを止め、それからゆっくりとお茶を飲んでいく。

「神々廻さん、お茶淹れるの上手なんだね」

カップからまた視線を神々廻に向け、ナマエはいつもとは少し違う、眉を下げるような笑い方で神々廻に笑いかけた。その顔に心臓の奥のあたりを捕まれたような気分になる。
これでもしも彼女がハニートラップを仕掛けてきているなら、まんまとやられてしまっている。






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