10 Kiss me


神々廻が蹴破った先の倉庫では、ナマエがパイプ椅子にロープで縛り付けられていた。ナマエの目の前には大陸風の男が銃を携えて立っていて、状況を一瞬で理解した神々廻は反応する隙さえ与えない速さで距離を詰めると、男の方の首を締め上げていく。プロが「動いた」なんて悟らせるわけがない。

「ヴッ…是誰!?」
「あー、すまんけど、俺日本語しか喋れんのやわ」
「等等,听听故事!」
「なんて?」

男が必死に叫ぶが、おそらく中国語だろう言葉の意味はわからない。というか、そもそもわかったとして聞いてやる気もない。
ナマエのほうに視線をやると、口に布を噛まされ、男に殴られただろう顔面が腫れあがっていた。事情聴取をしようと思っていたが、やめだ。神々廻は腕に力を込める。呆気ない音を立てて男の首が折れた。
泡と血を噴き出してピクピク痙攣する男をその場に捨ておくと「当て布取るけど舌噛んだらあかんで」と釘を刺してから彼女の口をふさぐ布を取り去る。そうだ、出会ったときもこうだった。

「けほっ…けほっ……し、神々廻さん…な、なんで……」
「自分の女が捕まっとって助けへん甲斐性なしがおるかいな」

神々廻はなるべく平静を装ってそう言った。顔が腫れあがるほど殴られて、あまつさえ始末されようとしていたのなら彼女は蓮東会との繋がりを持っていたとは考えづらい。じわりとナマエの目元に涙が浮かぶ。神々廻はその涙を親指でぐっと拭ってから、すぐそばに跪くとパイプ椅子に繋がれた縄を解いていった。

「骨とか内臓は?」
「だ、大丈夫…殴られたのと肩撃たれたのと…でも弾は貫通してる」
「見せてみ」

患部を確認すると、確かに銃弾は抜けているようだった。撃たれた場所が幸いだったのかそれとも彼女が止血に長けた訓練を受けていたのかは分からないが、すぐに失血死云々という傷ではないようだ。神々廻はネクタイを外すと、患部をぐっと縛る。

「蓮東会と落とし前つけよう思ってここまで来たんか」
「……うん。この男が死体を始末するときは、原型が分からなくなるようにして処理するから…それなら神々廻さんに迷惑かかることも、ないかと思って…」

ナマエが視線を落としてそう言った。だいたいの彼女の思考は読めた。蓮東会とORDERが抗争を起こした場合、事実はどうであれ神々廻は重要参考人の女を蔵匿したことになる。そうなれば神々廻は殺連の規定違反で抹殺対象だ。それを回避するためにナマエは自ら死にに行ったのだろう。

「アホか。いらん心配せんでええねん」
「でも」
「言うたやろ、お前の今までのこともこれからのことも、俺が何とかしたる」

神々廻は跪いた姿勢のままナマエの身体をそっと包みこむ。その両腕は何もかもから守れってしまうような、堅牢な砦のようだった。ナマエの肩が緊張してびくりと震えるのがわかる。しかしその緊張は次第に解かれ、神々廻のかたちに寄り添うように柔らかくなった。

「惚れた女ひとり守るくらいなんとでもなるわ」

神々廻がそう言ってナマエの髪を梳くように撫でる。ナマエが小さくすり寄り、そっと唇を寄せると、甘い唇から今日ばかりは血の味がした。


──今回の件は、密入国をしていた蓮東会の面々の監視についているところを襲撃され、蓮東会との戦闘に発展し、神々廻によって殲滅するに至った。倉庫内には神々廻の屠った遺体のほかに女の遺体がひとつあり、それはどうやら蓮東会が探していたお抱えの殺し屋であったらしい。ちょうどこの倉庫で捕らえた女殺し屋を始末しているところだったようだ──というのが筋書きだ。
もちろん女の死体はナマエのものではない。国籍不明の女の死体をある筋から用意して「蓮東会の女殺し屋が殺された」ことを演出した。

「やっほー神々廻。なんか最近顔色いいね?」
「なんなん。白々しいで」

ひょっこりと顔を出したのは同僚の南雲である。白々しい。そういえば、そもそも蓮東会の情報を持ってきたのも当日の任務を交代したのもこの男であるし、多少腹立たしいが作戦の立案もこの男であると言って過言ではない。

「彼女元気?」
「おかげさまでピンピンしとるわ」
「今度会わせてよ」
「あかん」
「男の嫉妬は醜いよ?」

へらりといつも通りの調子で攻防を繰り返す。醜くて上等だ。いくら南雲が今回の件にやたら協力的だったとしても、そもそも面倒な手合いであるというのに変わりはない。それにしても、いま思えばどうしてあれほど協力的だったのか。

「…お前、なんで今回協力的やってん」
「え?べつに?恋する神々廻のキューピッドになりたかっただけだよぉ?」
「ハァ…ようわからん奴やな」

神々廻はデスクに頬杖をつき、じろりと南雲を見るも、南雲はいつも通りの締まらない顔を浮かべるばかりだ。ギュっと口角をあげた。

「まぁ強いて言うなら…神々廻が恋してるのが面白かったからかな」
「ア?」
「だって神々廻ってそういうタイプじゃないでしょ?いつも身軽でいたいって、そう思ってるタイプだ」

南雲の言うことは尤もだった。神々廻は殺し屋という職業についてから今まで一度だってマトモな恋人をつくったことがない。殺し屋というものは死を覚悟した仕事だ。師である四ツ村が幸せな家庭を築いているのも理解できなかったし、自分以外の存在をそばに置くような生活なんて想像できなかった。

「…持ち物は少ないほうがええ。物事はシンプルな方がわかりやすい。やけどそんなんナマエ前にしたら、説得力がなくなってまうねん」

無意識のうちに目尻が緩む。今までの自分の考えを塗り替えられるほど、彼女の存在はまるでパズルのピースのようにぴったりとはまったし、はまればそれが当たり前のように感じられた。いつになく優しげな顔を浮かべる神々廻に南雲はパチパチとまばたきを繰り返した。

「そんなに神々廻が夢中になる女の子なんて僕も興味津々だなぁ」
「お前…手ェ出したら殺すで」
「冗談冗談」

まったくこの男は油断ならない。じろりと視線を向けたが、そんなものが効くはずもなかった。


通いなれた帰路を行く。今日もこのドアをあけるとナマエが待っている。そう思うと、疲労困憊の身体でも足取りは軽くなった。鍵をあけてドアを開くと、中からはいい出汁の匂いが漂ってきた。

「ただいま」
「神々廻さん、おかえり!」

トタトタと足音をさせながらナマエが玄関まで駆け寄る。まだ全快とはいかないが、傷もそれなりに回復してきている。頬に貼られた湿布をそっと指の背で撫でて、するとナマエは上目遣いできょとんと神々廻を見上げた。

「お風呂入る?先ご飯する?」

ナマエにそう言われ、今日は事務仕事が中心だったから風呂より先に飯だな、と思いながら、同時にむくむくと少しのいたずら心が頭をもたげた。頬の湿布を撫でていた手をそのまま顎に持っていって、くいっと指で持ち上げる。

「それとも私?って聞いてくれへんの?」
「えッ…!?」
「ほら定番やん」

顔が赤くなっていくのが面白くて追撃すると、ナマエの視線はきょろきょろ左右に忙しなく泳いだ。もうお互いの身体だって知ってる仲だというのに、こんなことで顔を真っ赤にするのがいじらしくて仕方がない。
じっと視線を注ぎ続けているとナマエが「うー」と唸りだし、それがおかしくて思わず吹き出す。もちろんナマエはそんな神々廻の反応にご立腹だ。

「もうっ!からかわないでよっ!」
「すまんて。飯先にするわ」

これ以上機嫌を損ねてしまわないようにそう言って、靴を脱いで中に上がると洗面所で手洗いうがいを済ませる。随分いい出汁の匂いだが、今日のメニューはなんだろうか。いつもなら玄関先でメニューの読み上げがあるのだけれど、今日はからかったからタイミングを逸して聞くことが出来ていない。
タオルで手を拭いてダイニングに向かうと、ナマエがキッチンでちょこまかと動いて食事の準備をしている。

「なぁ、今日めっちゃいい匂いしてるやん。メニューなんなん?」
「おうどんだよ」

ダイニングチェアに座って彼女を待ちながらそう尋ねると、出汁の匂いの正体がわかった。うどんか。今まで一度もなかったわけではなかったと思うが、何となく珍しいメニューである。

「うどんって珍しいな」
「いやだった?」
「いや、普通に好きやけど」

ナマエが二人分のどんぶりを運んでくる。油揚げの乗った定番の見た目で「七味いる?」と聞かれたから「おん」と返事をして持ってきてもらった。向かい合って座り、手を合わせてえ「いただきます」の合図で食事をはじめる。
うどんはかなりコシがあって、噛むともちっとした触感だ。間近で香るこのいい出汁は何の出汁だろうか。鰹や昆布ではない。

「なぁ、これ何の出汁なん?」
「いりこ出汁なんだって。瀬戸内で獲れたやつだけを使うらしいよ」

瀬戸内、という単語と伝聞系の彼女の言い方にピクリと反応する。うどんが名物の都道府県に行った男に心当たりがある。神々廻は答え合わせをするために恐る恐ると口を開いた。

「ナマエ、これいつものスーパー?」
「え?違うよ?南雲さんが神々廻さんに言われて持ってきたって…」

ナマエのきょとんとした顔に大きくため息をつく。ナマエは訳がわからないといった様子で「え?え?」と狼狽えた。くそ、家に上げるなとは言っているからあげてはいないんだろうが、神々廻の名前を出して訪問されれば当然対応するに決まっている。

「え、だ、ダメだった?」
「いや、うどんに罪はないねん…」

そうだ、当たり前のようにナマエに接触されて腹が立つが、一連の件に関して功労者であるのは間違いないし、そもそも土産のうどんに罪はない。ずるずるずるとうどんをすする。厳選されたいりこ出汁は格別に美味い。


風呂に入ってリビングに戻ると、ナマエがソファで寛いでいた。手には連絡用にと用意したスマホが握られている。アドレス帳には神々廻の連絡先しか入っていないが、そのうち大佛のものは増えることになるだろう。南雲のを増やすのはなんとか阻止したい。

「あ、神々廻さん」
「使い方わかるか?」
「機種違うからちょっと練習中」

太ももが触れ合うような距離でナマエの横にぴったりと座る。ナマエの肩を抱くと、ナマエがスマホをテーブルに置いて神々廻を「ん?」と見上げて小首をかしげた。

「それとも私、の番やろ」
「え…?えッ…!?あ、あれ本気だったの!?」
「ええやん。恋人なんやし」

食事と風呂が終わったのだから、という神々廻の言いたいことを理解してナマエが狼狽えた。恋人という言葉を使うのを彼女はとても喜ぶから、隙あらばそう口にしてやっている。ナマエ唇を尖らせてから少し迷うような間のあと、神々廻の太ももに跨るようにして向かい合う体勢になった。それから神々廻の寝巻の裾をギュッと握る。

「か、肩治ってないから、座ったまんまでいい?」
「はは、冗談やって。治るまで待つわ」
「くちとかだったら平気だよ?」
「怪我した彼女に無理させるやつがあるかい」

怪我をしている彼女に無理を強いるほど獣ではない。神々廻はナマエの腰を引いて顔を近づけさせ、額をこつんと合わせる。アーモンド形の目の中にどうしようもなく締まりのない顔をした自分が映っていた。

「夜もお付き合いするって約束だもん」
「…それまだ覚えとったんか」
「ふふ、神々廻さんに初めて会ったときのことだからね。ぜんぶ覚えてるよ」

神々廻もあの日のことはしっかり覚えている。口実と少しの興味から始まって、まさか本当にこんな関係になるとは思っていなかったけれど、今となってはこうなることが当然のことだったように思えるから仕方がない。

「ね、神々廻さん。キスして?」

吐息がかかってしまいそうなほどの近さで彼女がキスをねだる。顔にかかる髪を耳にかけ、そっと唇をあわせた。甘くて柔らかくて、もう重ねているだけで心地いい。ようは疑似恋愛をさせてみせればいいわけだ、なんて思っていた約半年前の自分に言ってやりたい。先に恋に落ちるのは、自分だ。






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