星呑む子 02


和歌山県某所。人里離れた随分と山深い場所が今回の出張先である。以前勤めていた会社では二回ほど出張を経験したことはある程度のもので、もはやほぼ未経験と言ったほうが正しい。五条から「私服でいいから」と言われたけれど、今日も黒いスカートに白いシャツを着て、足元だけは山の中だからという理由で黒いスニーカーにしてきた。

「ちょ、ごじょさ……こんな山道って!聞いて!ない!です!」
「あっれぇ、言ってなかったっけ?」

およそ人様のお宅にお邪魔するような斜度ではない坂道を歩く。本当にこの先に人の家なんてあるのか。あったとしてもむかし話に出てくるような藁ぶき屋根の家くらいしかないんじゃないだろうか。国道でタクシーを降りて山道に入り、30分は登っている。ちなみに心が折れたのは15分くらい経過したくらいのところだった。

「ほんっ…なんっ…このッ、みちッ!」
「あはは、殆ど言えてないけど」

着替え類を詰め込んだボストンバッグを持ってくれれば良いのに、と思うけれど、流石に上司にそんなことを言えるわけもない。五条からは一泊から三泊くらいと曖昧な期間を指示され、結局足りないよりはマシだろうと三泊分きっちり持って来た。対する五条は随分と身軽で、絶対に三泊分は持っていないと思われる。
そのままどうにか5分ほど登れば、途中で東屋のようなものが見えた。五条が「少し休んでから行こっか」と言って、それに諸手を挙げて賛成する。

「はぁ…こんな山もうむかし話ですって」
「そ?山ってだいたいこんな感じよ。ナマエちゃん登山とかしないタイプ?」
「全く。高尾山も登ったことないです」

東屋の中に丸太でできた椅子のようなものがあって、そこへぽすんと腰を降ろす。ボストンバッグを地面に置いて固まった肩をぐるぐる回した。自分たちの歩いてきた山道を見れば、思った以上に斜度がある。私服でいいよ、じゃなくて動きやすい服装がいいよ、と言って欲しかった。
途中までは人の手で木々の整備をされているだろうと思われていたが、次第に針葉樹と広葉樹も入り乱れてこの先は人の手が入っているかもかなり怪しい。道がそこそこ整備されていることだけが救いだった。

「ナマエちゃん初仕事で緊張してる?」
「まぁ一応…依頼人の方にお会いするの初めてですし」
「正確には依頼人の遺族、ね」
「そうでした」

五条への依頼は依頼人の死後、遺言状をもって遺族に知らされ、遺族からの連絡をもって依頼の遂行に移る。遺言状そのものに「探偵事務所へ予め依頼している案件を遂行してほしい」などと書いたところで法的効力はないため、依頼人の死を知ることが出来るかどうかは遺族の意向にかかっている。まったくギャンブルみたいな話だ。

「おさらいしとくけど、今回の依頼人は禪院直毘人氏。その道では知られた男。連絡をくれた遺族は禪院恵くん。直毘人氏が亡くなったことで16歳で家督を継いでる」
「16歳!?…って、家督継げるものなんですか?」
「正確に言えば家督相続制度自体は現代では廃止されてる。法的なものというよりは形式的な…まぁ、ハウスルールみたいなものに近いかな。ほら、現代でも何代目当主みたなそういうのあるでしょ」

確かに、格式の高い家なんかでは何代目当主なんて数え方をしているところをテレビでも見たことがある。今までそれをあまり深堀りして考えたことはなかったが、当主、つまり戸主という概念はそもそも旧民法の家制度ありきなものであって、慣例的に使っていたとしても法的な効力を持つわけではない。
だから五条の言う通り形式的なもので、つまりその形式的なものを重んじているような家柄というわけだ。

「形式的っていっても16歳には荷が重そうですけど…」
「嫌だろうねぇ。僕なら絶対やりたくない」

あはは、と五条が笑ってみせる。その16歳の少年にしたら笑い事じゃないだろう。遺言状を遺すということは、多くの場合それを遺す必要があるということである。しかも16歳の子供を当主に据えているとは、なにか普通の家ではないということだけは確かだ。

「古くは当主っていうのは単独でその家の全財産を相続していたんだよ。で、もちろんその当主っていうのも大原則で嫡男。現行の民法だと嫡男じゃなくて配偶者が一番で、そのあとは男女の別なく子供たち。そこの価値観が大きく違ってるわけ。家督っていうのはつまり家族を統督するもの。家制度においては絶対の権力者だから、その家督を巡って争いも起きたりする」
「なる、ほど……」
「あー、まあアレだよ。武家社会とかそういうイメージでしょ?」

難しい話が始まってしまって、なんとかフル回転で頭を回す。家督だとか当主だとかという話は決して身近ではないが、言われてみれば歴史の授業ではそんな話がよく争いの火種になっていた。いわゆる跡目争いというものだ。

「で、ここからもうひとつ複雑なんだけど」
「え、まだ複雑になるんですか?」
「まだまだ序の口だよ。なんとその恵君ね、直毘人氏の子供でも孫でもないんだよね」

回っていたはずの脳みそが急停止し、くるくると巻き戻す。「当主っていうのも大原則で嫡男」五条は自らそう言ったはずだ。形式として当主を設けるような家で、嫡男ではない少年がどうしてわざわざその座に納まっているのか。

「跡継ぎがいなかったんですかね…?」
「そういうことでもない。直毘人氏にはちゃあんと息子がいる」
「じゃあなんでその子が当主に──」
「おたくらが探偵か?」

ナマエの質問を遮るようなタイミングで声がかけられた。声の方を見れば、ポニーテールに眼鏡をかけた少女が二人の方を見下ろしていた。白い着物に緋色の袴というなんとも古風な格好で、言うなれば巫女のような格好をしている。

「君、禪院家の子?」
「ああ、誠に不本意ながらな」

彼女はハッと鼻で笑うように答える。なんとも不躾な態度に見えるけれど、敵意のようなものは感じられなかった。こんな山道を迎えに来てくれたのか。それにしても、巫女のような服装なんてこの先どんなところに連れていかれるのだろうか。

「禪院真希。おたくらを母屋まで連れてくるようご当主様から仰せつかった」
「そりゃありがたいね」

五条がそう言って丸太から腰を上げれば、真希は半身を翻してついてくるように態度で示す。ナマエも慌てて立ち上がると、仰々しいボストンバッグを手に小走りで近づいた。真希がこちらを一瞥して、自分のことを見られているのかと思いきや視線はもっと奥の、ナマエたちが辿ってきた道のほうに向けられていた。

「ていうか、なんでこんな変なトコから登ってきてんだよ」
「え?」
「ここ抜けたとこ車道通ってんだからタクシーで来りゃいいのに」
「ええ!?」

数メートルをびゅんと駆け上がり、がさがさ草木を分けるとコンクリートの道が見えた。流石に整備したての4車線道路とは言わないが、しっかり舗装された道が目の前に広がっている。どう考えても登山ルートは間違っていたじゃないか。

「ちょ!五条さん!!立派な道ありますけど!?」
「あはは、いい運動になったでしょ?」

ぐるんっととんでもない勢いで振り返ってそう責めても、五条は驚きもせずににこにこ笑っている。絶対車道が近くまで通っていることを知っていたに違いない。「ほらほら行くよ」と促され、もう怒る気も失せて彼の後ろに続いた。少し歩いたところで真希が振り返り、ナマエの持っているボストンバッグを指さした。

「それ、重そうだな。私が持つぞ」
「えっ!いいですよそんな!」
「これでも鍛えてるんだ。あんたよりは力も体力もあるぜ」

真希はボストンバッグを軽々持ち去り、そのまますたすたと歩いていってしまった。彼女も確実に十代の子供であることは間違いなく、しかしあまりの颯爽とした様子に女子校のプリンスを見るような気分になった。もっとも、ナマエの出身校は共学だったが。


真希に連れられて残りの道のりを進み、車道の突き当りから少しだけ歩いたところにその屋敷は現れた。見渡す限りに土壁が伸びており、その果ては見えない。四脚門を潜って足を踏み入れると、左右に細長く建物が現れた。その先にもうひとつ門があり、それを潜ればようやく内側が見えてくる。向かって左手に池や木々の植えられた中庭が大きく広がっていて、右手には建物が建ち並んでいるけれど、どこからどう見ても現代日本で見るような日本家屋ではなかった。
屋根は瓦ではなく檜皮が葺かれ、窓ガラスのようなものも見えない。どこかでこんな建物を見たな、と思考を巡らせているうち、一等大きな建物に辿り着いた。御殿の中央から中庭に向かって木でできた階段が伸びていて、その前に跪くように真希から指示をされる。そこで気が付いた。こんな建物を見たのは大河ドラマの帝と対峙するシーンだ。階段の上には御簾が降ろされていて、その向こうに真希が声をかける。

「ご当主様、ご要望の探偵を連れて来たぞ」
「ありがとうございます、真希さん」

少年の声だ。彼が「禪院恵」だろう。もうそのまんま大河ドラマで見た感じだぞ、と非日常感に目が白黒する。御簾のそばに女性が控えていて当主の合図でそれが上げられる。そこに立っていたのは狩衣姿の美少年で、黒髪がつんと跳ねている。少し鋭く見える目元は涼し気で、唇は柔らかな桜色だった。化粧を施した状態の女性芸能人でも顔負けの美貌だ。

「本日は遠路はるばるありがとうございます。禪院家当主、禪院恵です」
「どーも。この度は連絡ありがとう。僕は五条探偵事務所所長の五条悟。こっちは助手のミョウジナマエ。今回は故人・直毘人氏の生前の依頼をご希望通り遂行します」

五条が簡潔にまとめて名乗り、ナマエも合わせて会釈をした。恵は真希と視線を合わせ、それから小声で御簾を上げた使用人らしき女性に対して小声で何ごとか指示をする。女性は静かに頭を下げて立ち去り、恵と真希が視線だけで言葉を交わす。

「その件で伺いたいことがあります。屋敷の中へお上がりください」

お上がり、といってもどこから入るんだろう。まさかこの正面の階段だろうか。こんな時代錯誤の家の作法なんてひとつも知らない。はてさて、と思っている間に恵が奥へ下がっていく。

「こっちに勝手口がある。この家は面倒な造りしてるから、おたくらのことは私が案内するようにご当主様が仰せだ」

真希の一声でとりあえず迷子にならずに済むことが確定して胸を撫で下ろした。だってどこからどう見ても普通の間取りじゃない。中庭も広大で、推察するに屋敷もかなり大きなものだろう。道すがら受けた五条のレクチャーから古風で特殊な家なのだろうとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。藁葺き屋根の家ではなかったけれど、当たらずとも遠からずというところだろう。ここまでの導線とは反対側の北西の門のほうへと向かい、そのそばにある建物から中へ入った。ナマエの想像している勝手口とは随分と様子が違うが、時代錯誤のこの建物に現代的な玄関が備わっているほうが驚くだろう。

「わー、まさに寝殿造だねぇ」

細長い廊下のようなものを歩き始めたあたりで五条がそう言った。そうだ、寝殿造だ。学生時代に日本史で習ったはずの言葉である。その特徴をしっかり覚えているわけではないけれど、平安貴族の屋敷の造りだったはずだ。

「だろ。まったく古臭くて嫌になるぜ」

真希が苦々しい声音でそう言った。山中の東屋で出くわした時からそうだけれど、真希の言葉遣いは多少粗暴で、この家に対しての反抗心のようなものが見て取れる。何か思うところでもあるのか。まぁこんな特殊な家なら嫌になる気持ちもわからなくはないが。
真希の案内で建物の中を進むあいだ、人には殆ど出くわさなかったが、どうにもずっと視線を感じた。不気味な家だ。いくつかの廊下のようなものを渡り、部屋のひとつの前で真希が立ち止まる。ここで恵が待っているのだろう。

「ご当主様、客人のご到着だ」

そう声をかけ、真希が襖を開く。文机、桐の箪笥、几帳、脇息。内装もまさに時代劇のセットで見るような古風なものばかりだ。現代人がこんなところで生活できるものだろうか。中では恵が待ち構えており、五条とナマエはその向かいに座るように促される。

「人払いはしてあります」

恵が開口一番そう言った。つまり人払いをしなければならない話をするということか。ここまで来てナマエに口出しできることはなく、黙って五条の右隣に座った。

「今回の件、殆ど俺の独断です。あなたに先代の死去を知らせて生前の依頼を遂行させることを反対する声も大きかった」
「それでも君は知らせた」
「……はい。先代の依頼が、恐らく今の俺たちに必要なことではないかと思ったからです」

恵の瞳がじっと五条に向けられる。俺たち、というのは禪院家全体を指しているのか、それとも恵と特定の誰かのことを指しているのか。そこまでは推し量ることが出来なかった。恵の言葉が続く。

「…先代の依頼内容を教えていただけませんか」
「残念だけど、それは出来ない」

五条が間髪入れずに拒否をした。依頼人を待つだけの三週間の間に五条探偵事務所の基本的な規則を頭に入れていたが、確かにその中にも依頼内容は例え遺族であっても漏らしてはならないと記載されていた。恵は少し眉間に皺をよせ、それから「どうしてですか」と責めるような口調で尋ねる。

「探偵は依頼人と依頼内容に関する守秘義務がある。遺族である君にも、教えるわけにはいかないね」
「じゃあ内容もわからないまま依頼しろと?」
「依頼したのは君じゃない。故人だ。僕らは生前交わした契約で依頼を遂行するのみだよ」

16歳の子供相手に多少、というか随分きっぱりとした物言いをする。ひやひやしながら五条を横目に見ると、いつも通りにゅっと愉快そうに口角を上げるばかりだった。



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