王子様は柄じゃないけど


女子会をしよう、と、可愛らしい文言で誘われたのは居酒屋だった。きっと彼女ならさぞお洒落でかっこいい店に連れて行ってくれるのだろう。メッセージの主をディスプレイの向こう側に想像していたけれど、実際連れてこられた彼女の行きつけの居酒屋というのがあまりにイメージと違い過ぎてかなり驚いた。確かに様々な銘柄の日本酒のボトルが並ぶこの店はかっこいい店だけれど、男らしいというかなんというか、とにかくクールで綺麗な女性の行きつけの店というには随分と無骨だ。

「日本酒飲める?」
「あ、はい… でもあまり飲みなれてなくて」
「よぅし、じゃあ飲みやすいおすすめからいっておこうか」

彼女は常連らしく店に通された際、カウンターでいいかいと店の人間に声をかけられていた。家入が今日は個室がいいな、と答えたため、木製の引き戸で奥にある座敷の個室を用意して貰っている。

「家入先生、日本酒がお好きなんですね」
「酒ならなんでもいいんだけどね。ここは種類が多いから気に入ってんの」
「五条さんたちとも飲んだりするんですか?」
「夏油はともかく…五条は下戸でつまらんからあんまり来ないな」

下戸なんだ、と知らなかった情報にパチパチと瞬きをした。そもそも五条とは職場の雇用主と従業員の関係から始まっている。アルコールを含む機会なんていままで一度もなかったから聞いたこともなかった。

「どうかした?」
「いえ、五条さん下戸なんだと思って」

五条のことは知らないことが多い。まぁ最近までただの職場の上司だったんだから当然のことだ。それに対して自分のことはなんでもお見通しと言わんばかりの五条だからそれが悔しい気もするが、知っていく機会はこれからいくらでもあるだろう。

「じゃあ今日はあいつの恥ずかしい思い出話をたくさんしよう」

にやっと家入が悪い笑みを浮かべる。本人不在の状況であれこれ勝手に聞いてしまうのは多少気が引けたけれど、あまり知らない彼のことを聞けることには興味があって、結局好奇心の圧倒的な勝利によってナマエはこくこくと首を縦に振ったのだった。


人の噂話は酒がよく進む。相手が自分の良く知る人物であるなら尚更だ。学生時代の失敗談、取り留めのない当時のやり取り、五条のせいで被ったという迷惑等々、家入はナマエの知らない彼の話をいくらでもしてくれた。女性関係の話がひとつも出てこなかったのは、きっと彼女が自分のことを気遣ってのことだろうと思う。昔の話とはいえ、聞いて笑えるようなものでもないし、ナマエだって進んで五条に自分の過去の恋愛の話をしようとは思わない。

「とまぁ、こんな具合でね。今は昔よりだいぶ丸くなったよ」
「そうなんですね。確かにこの前学生時代の五条さんの状態見ちゃいましたけど…今とは全然雰囲気違いますもんね」

直哉の計略によって催眠状態に陥った際、奇しくも学生時代の彼に会う疑似体験をした。混乱した部分が大きくて冷静には観察することが出来なかったけれど、一目見てその違いが伺える程度には差があったように思う。

「あいつは本当に昔捻くれててね。ナマエちゃんがあの頃のあいつに出会ってたらどう思ってたかな」

後半の言葉は向けられたというよりも自分の内側にこぼしたというように感じられた。学生時代。五条は随分と尖っていたようで、その彼と出会っていたらなんて想像の域を出ない。けれど。

「どうなるか想像出来ないですけど…なんか結局、好きになっちゃいそうな気がします」

ナマエはその自分をどうにか想像しようとしてフフフと小さく笑った。結局のところ、彼の根本にある本質的な部分を好きになったのだ。今の五条を知っているから驚くようなところはあったけれど、突き詰めるといつかは彼のことを好きになってしまっていただろう。

「フフ、気持ちがいいくらいの惚気だな」
「えっ…!あっ…!ごめんなさい…」
「いいんだ。あいつを強請るネタにもなる」

冗談めかして家入がそう言って、ナマエは自分が自然とそんなことを言ってしまっていたのだと恥ずかしくなる。家入が頬杖をついてナマエを見つめた。気まずくて目を逸らせば、また軽く笑われてしまった。
そこからも二人で他愛もない話を続けた。家入は随分な酒豪のようで、何合も日本酒を飲み干してもちっとも酔った様子はなかった。そのペースに釣られてしまったのか、いつもよりも早いペースで酒を飲んでしまった。その上家入が紹介してくれた日本酒が美味しくて、しかもアルコール度数のわりに飲みやすかったため、ついつい調子に乗って飲んでしまった。

「ナマエちゃん、随分勢いよく飲んでるけど、大丈夫?」
「うふ、ふふふ、だいじょーぶですよ」

だからいつの間にか呂律が回らなくなっていて、顔に思い切り熱が集まってくる。頭の中がふわふわして気持ちいい。家入は「何本に見える?」と指を三本立てていたので「三本れす!」と勢いよく答えると「二本だよ…」と少し呆れまじりの答え合わせが聞こえてきた。

「あー、まぁこの調子じゃ一人では帰せないなぁ」

うーん、と家入は数秒悩むような素振りをして、その実迷いない指先でスマホを操作すると通話ボタンをタップして耳元にあてる。いつの間にかナマエは家入の隣でくったりと寝落ちてしまっているようだった。

「五条?いまさ、ナマエちゃんと飲んでるんだけど…」
『はぁ!?ちょっと!なんで僕の許可なく飲んでんの!』
「ナマエちゃんは成人女性だろ。なんでお前の許可が要るんだ」

キーンと鼓膜をつんざくような大音量で思わずスマホを耳から離す。わぁわぁと同じような文句を並べ立てて、もう後半は聞いてもいなかった。

「ナマエちゃんちょっと酔っぱらっちゃったんだよね。迎えに来てよ。どうせ暇でしょ?」
『どうせってひどい言い草だなぁ。これでも大企業の経営者なんだけど?』
「二足のわらじで探偵なんかやってるんだから大したことないよ」

軽口を叩きあって、それも数回繰り返していると面倒になってきて、話半分で受け流しながらお猪口を傾け「はいはい」「へぇ」「ほぉー」と適当な相槌を繰り返した。五条も途中で恨みごとを言うのに飽きたのか、途中でハァァと大きくため息をついて「今から行くよ」と言って通話を切った。

「んんぅ…家入せんせぇ?」
「ああ、起きた?五条に迎えに来てくれるように頼んだからね」
「ごじょーさん?」
「そう。君の大事な五条さん」

ナマエは一回寝落ちたことで余計に酔いが回ったのか、顔もくにゃりと締まりがなくなって呂律もより甘くなる。五条さん、と口元だけでそう言って、ナマエはまたへらりと笑った。

「ごじょーさんはねぇ、おーじさまなんですよぉ」
「王子様?」
「そうなんれすー。かっこよくて、優しくて…いつも守ってくれるんれすー」

王子様という名詞と五条悟という男が繋がるような気は一向にしなかったけれど、恋は盲目というものだ。彼女にとってはこの上ない王子様なのだろう。彼女の柔らかい髪を梳くようにそっと撫でる。守ってやりたくなるというのはよく使う表現だけれども、確かに彼女はそう思わせる才能があるように思う。
そうこうしているうちに個室の扉が無遠慮に開かれ、白髪の大男がずんずんと踏み行ってきた。王子様のご登場である。

「ちょっと硝子ォ。ナマエちゃんは僕のものなんだけど」
「ナマエちゃんはお前のモノじゃないだろ。というか、そもそもひとをモノ扱いするな」
「でもナマエちゃんは僕の彼女だもん」
「モンって…はぁ、いくつだよ、気持ち悪いな」

ネチネチと絡んでくる五条を鬱陶しいなと手でペシペシと払うようにして、それからもひとことふたことと恨み言を続けていたが、途中でピタリと止まった。どうかしたのかと思って視線を向けると、酔いつぶれているナマエの手が五条の服の裾を掴んでいた。彼女を起こしてしまわないように慎重になっているらしい。

「ははっ、あんだけ学生時代に女を泣かせてたお前が一人の女の子にここまでタジタジになるなんてな」

指摘してやれば、五条がむぅっと唇を尖らせた。全く可愛らしくはないが、意外な姿を見せられて面食らってしまった。知らなかった。こんな顔ができるような男だったのか。

「…硝子、その話、まさかナマエちゃんにしてないよね?」
「するわけないだろ」

当時、五条は若いというのと彼自身が荒れていたというのもあって、相当女癖が悪かった。それは家入も知るところであるが、べつに自分の口から彼女に言うべきことではない。常識的に考えてわざわざ言わないのは当然のことだけれど、五条が自らそんなことを気にするというのは意外だった。

「…ナマエちゃんは特別なんだ」

五条の口からぽつんといつもより頼りない声がこぼれた。どこからどう見ても正真正銘、素のままの言葉で、飾ることのないただひとりの男のそれなのだと知ることができる。こんな顔もするのか。長い付き合いではあるが、初めて見る彼の顔に驚いて思わずまじまじと注視してしまった。

「…ハァ、とりあえずナマエちゃん連れて帰るよ」
「ああ、よろしく伝えといて」
「ん。じゃあこれで会計しといて」

五条がナマエの名前を呼びながら彼女の腕を引いたり腰を抱いたりしておんぶをすると、手を伸ばしてきたからナマエの鞄を差し出して手首にひょいっと通してやる。背中に乗っかったナマエに声をかけながらゆっくりと足を進めた。

「じゃあね、王子様」

家入はひらっと手を挙げる。多めに出された会計の万札で高い酒を飲んでやろう。胸やけするほどの惚気を聞かされて見せられて、そのお代としては安いくらいだ。


背中に感じるナマエの体の温かさが心地いい。鼻歌交じりに夜道を歩いていると、ナマエがもぞもぞと動く気配がした。背中で揺られてるうちに起きてしまったのかもしれない。

「んぅ……ごじょ、さん?」
「ん?」
「ふふ…へへ、背中、あったかいです…」
「そりゃあ良かった」

途中までは近くでタクシーを拾おうと思っていたけれど、彼女を背負っているのが心地よくてもう少し夜風にあたりながら歩くことにした。途中で#nam#が目を覚ましたようで、ふわふわとした声を出しながら五条の背中に額を擦りつける。

「今日、楽しかった?」
「うん…家入せんせぇにね…ごじょーさんの昔のお話、いろいろ聞いたんですよぉ」
「えー、ちょっと。ヤな噂話ばっかりしてないよね?」
「うふふ、すっごく楽しかったです」
「はぁ、ま、ナマエちゃんが楽しかったんならいいんだけど」

話が成立しているような、していないような微妙なテンポで会話が続いていく。ぷらぷらと足を前後に揺らして反動をつけて、その拍子にぽこんぽこんと太ももにつま先がぶつかった。

「僕外にあんまり可愛い顔見せちゃだめだよ?」
「んぅ……ごじょ……さ…」
「アレ、寝ちゃった?」

返事の代わりに穏やかな寝息だけが聞こえてくる。起きたかと思ったのに、もうさっそく眠気に襲われてしまったらしい。どうにもペースを彼女に持っていかれてしまう。彼女自身がどう思っているのかはわからないけれど。

「はぁ、まったくナマエちゃんには振り回されっぱなしだよ」

やっぱりまだタクシーで帰ってしまうのはやめておこう。体重のすべてを惜しげもなく自分に預けてくれる彼女を、もう少しだけ堪能していたい。



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