鬼の棲家 07


探偵事務所に戻ると、五条は不在にしていた。これはよくあることだ。そもそも五条グループの代表取締役なのだから、こんなところでフラフラしていること自体がおかしなことなのだ。
まぁ今日も今日とて可能な限りの情報収集と情報の整理をしよう。ナマエは綺羅羅から聞き取った聴取書を作成する。ひと通りタイプが終わったところでスマホが着信を告げた。出先の五条から連絡だろうか。ディスプレイを確認すると、表示されていた思わぬ名前にパチパチとまばたきをした。

「…あれ、夏油さん?」

彼が一体なんの用だろう。そう思いながらスマホの通話を開始してぺたりと耳に当てる。

「はい、ミョウジです」
「ナマエちゃん。お疲れ様。いまちょっといいかな?」
「えっと…はい、あの、一応勤務時間なので手短になら…」

いくら暇とは言っても勤務時間中である。しかし五条の友人で、ソメイ家の時も依頼を持ってきた夏油となれば用件くらいは聞いておかなければなるまい。

「今度ね、中小企業もののミステリ書こうと思ってるんだ。ナマエちゃんに取材させてもらえたらと思って」
「えっ、しゅ、取材ですか!?私そんなお話出来るようなことはなにも…」
「いいんだ。ありのままの話が聞きたいんだから」

取材のアポイントというよりも口説かれているような気になるのは、もはや夏油の癖のようなものではないかと思う。ナマエはもごもごと濁したが、夏油の「頼むよ」という声に一押しされて了承することにした。電話を切って息をつき、再度聴取書を眺める。

「だっからぁ、僕じゃなくて清岡の人間に言えって言ってるでしょ?」

少々乱暴に戸が開けられ、前と同じに通話をしたまま五条が探偵事務所に足を踏み入れた。危なかった、タイミングが一歩間違えば五条に聞かれてしまっていた。いや、聞かれたところで夏油からの電話で取材の依頼を受けたことを言って、勤務中にすみませんでしたと言えば済む話だ。なのに何故かどこか、五条には知られたくないと思ってしまった。

「ノブキコお前ね、なんで最近僕にかけてくんの」

また電話の相手は推定「ノブキコ」という女性だ。もやっと胸の内に靄が広がる。伊地知に振っていないところを見るにプライベートの電話じゃないかと思うけれど、ここ最近なにかと通話をしすぎじゃないだろうか。というか、そんなに通話をするような仲ということなのか。五条はナマエよりもずっと親し気にやり取りをして、通話を終了する。

「はぁ、ごめんね、また通話中で」
「い、いえ…全然…今日お出かけだったんですね」
「ちょっと家の用事でね」

珍しい。大体外出しているときは会社関係の会議やらなにやらで出ていることが多いのに、今日は家の用事だったという。天下の五条家の用事なんてどんなものだろうか。想像もつかない。ひょっとして、その「ノブキコ」という女性が関わっているんだろうか。いや、想像で勝手なことを考えるのは下品なことだ。

「どうだった?」
「あ、はい。今日は綺羅羅さんが少し話をしてくれて…少し進展がありました。コヅナさん、キャバクラで働かされていたみたいです」
「なるほどキャバクラか…状況次第だけど、労基法×、風営法△、児童福祉法△ってところかな…」

普通に考えて全部×じゃないのかと思うが、五条が言うのならなにか抜け道や証拠不足の部分があるんだろうか。ナマエがそのまま「全部×じゃないんですか?」と尋ねると「実際問題全部アウトなんだけどさ」の枕詞の後に言葉が続けられる。

「労基法は時間でアウトなのは確実。風営法はコヅナさんが実際キャバでどんな仕事させられていたのか…客の席について接客させられてたって事実が掴めないと言い訳されるかもしんないから△、児童福祉法もあれは曖昧な表現だから念のため△ってところだと思う」
「…子供たちを守る法律なのに…」
「向こうはプロだからねぇ。あの手この手で切り抜けてくると思うよ」

五条に文句を言ったって仕方ないとわかっているけれど、我慢できなくて不満が漏れ出た。ただでさえ実際子供たちを救えていないのに、机上でさえ上手くいかないなんてどうなってるんだ。
そのとき、ナマエのスマホが着信を告げる。まさかまた夏油かと思いながらディスプレイを確認すると、そこには知らない番号が表示されていた。五条が「全然出ていいよ」と言うから、ナマエは間違い電話かなにかと思いながら着信に応じる。

「はい、もしもし」
『探偵の姉ちゃんか。秤だ』
「えっ!あっ!はい…!!」

電話の相手は秤だった。そういえば彼にも以前紙の切れ端に自分の番号を渡したのだった。ナマエが五条に目配せをすると、五条もただ事ではないと察したようだ。

『虎杖から聞いた話じゃ、あんたのほかにもう一人探偵がいるんだろ。そいつと一緒に明日の16時、ビルまで来れるか』
「明日、16時にビルにですね」

ナマエは電話の内容を復唱して、五条を見るとこくりと頷いた。ナマエはそれを確認してから「行きます」とすぐに返答をする。秤の電話はそれ以上の用件を語ることなく切られたが、これは大きな一歩だろうと言える。

「ご、五条さん!明日秤くんが話を聞いてくれるみたいです…!」
「やったね。よし、何としてでも口説き落とそうか」

今日綺羅羅と話したから、きっと後押しをしてくれたんだろうとも思う。子供たちとの対話に一筋の光が見えた。


翌日、ナマエと五条は例の雑居ビルを訪れた。今日が初訪問になる五条は「わぁ、子供がたむろする場所じゃないねぇ」と真っ当な感想を漏らしている。彼を連れて四階まで階段をのぼると、毎日のように見た鉄の扉を軽くノックする。

「こんにちは、ミョウジです」
「待ってたよ、ナマエちゃん」

ナマエが声をかけると、ひょっこり中から顔を出したのは綺羅羅だった。おいでおいでと手招き、秤の座って待つソファの向かいに座るように促す。中には秤のほかに綺羅羅と虎杖もいるようだった。

「オレンジジュースとコーラどっちがいい?」
「えっと、じゃあオレンジジュースで…」
「あ、僕コーラ」

綺羅羅の言葉に五条が当然のようにそう言って、子供とはいえ初対面の相手によくもまぁそんな態度を取れるものだともはや感心した。いや、五条の年齢は知らないが、まるでここの子供たちと同じような振る舞いにため息を禁じ得ない。

「お前が探偵事務所の探偵とやらか」
「どうも、私立探偵の五条悟。聞いてると思うけど生前受けたコヅナさんの依頼を遂行するにあたり、君たちとの対話を望んでいる」
「…嫌というほど聞いたぜ。そこの姉ちゃんが毎日のように頭を下げに来やがるからよ」

秤がそう言った。迷惑千万とでも言いたげな言葉選びではあったが、それに反して声音は柔らかい。丁度顔をあげたところに綺羅羅がいて、パチンととびきりのウインクをされる。

「コヅナの最後の願いってのは、なんだ」

秤が真っ直ぐに五条を見て、そのまま綺羅羅と虎杖の視線も五条に集まった。五条がその視線を浴びながら「あおぞら光学園の皆を助けてください」とコヅナの依頼内容を代読するようにそのまま口にすると、三人がぐっと息を飲むのがわかった。

「コヅナさんから依頼を受けたのは一年前。君たちがタツカワ興業の人間の指示で犯罪に加担させられていること、施設そのものが連中の管理下にあること、それから実行している君たち以外の証拠が掴めていないから、仮に公権力に訴えたところで自分たちの身が危うくなるかもと皆が考えていることを聞いた」

秤が小さく「コヅナのやつ…」と声を漏らす。攻撃的な声ではなくて、なにか後悔の念のようなものが混ざったような声に聞こえる。秤はそれから綺羅羅と虎杖に目配せをして、二人がそれぞれ頷くのを見て口を開いた。

「今学園で汚れ仕事をさせられてンのは俺と綺羅羅と虎杖の三人だ。一年前はもう何人かいたが…全員行方知れずになってる。逃げようにも施設は監視カメラがびっしりだし、逃げたところで金もねぇガキに出来ることなんて高が知れてる」

頼れる先のない子供に出来ることは限られているし、そもそも事情があって施設に来て、その上反社会組織が一枚噛んでいるような施設で管理されるような生活を送っていれば逃げる気だって失せてしまうだろう。正しい道なんてものは簡単に見失ってしまうものだ。

「俺ひとりなら何とでもなる…けど、俺が抜けりゃ今度は学園に残ったガキが汚れ仕事をさせられる。それじゃ堂々巡りだ」

秤が拳を握った。綺羅羅が「金ちゃん……」と彼に寄り添うように肩に手を乗せる。自分より幼い子供がどんなことをさせられるかわかっていて、自分ひとり逃げおおせることなんて出来ないだろう。いわば自分より小さな学園の子供は人質のようなものなのだ。初めこそ彼には攻撃的な印象を受けてしまったが、彼は情に厚い人柄であるらしい。

「こいつらも、学園のガキも全員救えんのかよ」
「もちろん」
「オマエらは、俺を熱く出来んのか」
「うん。とびっきりね」

五条は即答した。彼の自信満々な様子というものは不思議と他の人間の同じそれよりも説得力があるように感じる。やっぱり五条の言葉は違う。秤は五条の迷いのない返答を聞き、ばちん、と自分の両膝を叩く。

「──乗った。俺はお前らに賭ける」
「そうこなくっちゃ」

交渉成立だ。汚れ仕事をしているのが三人だというのなら、抱き込むのは三人で事足りる。尻尾を掴んだ時点で学園に残っている幼い子供を保護し、タツカワ興業とその後ろについている組織を叩く。反社会組織を叩くってどうするつもりなんだろう、という疑問は消えないが、それは今のところ五条の頭の中にしかないようだ。

「でもさぁ、なんで悠ちゃんはコヅナちゃんがそんな依頼してたって知ってたの?」
「そ、れは…コヅナ姉ちゃんの手紙見つけて…」

綺羅羅が不思議そうにそう言って、虎杖がおずおずと打ち明ける。二人のそばまで寄ると彼はポケットから例の手紙を取り出し、秤と綺羅羅がそれを覗き込んで内容を確かめてから顔を上げる。

「虎杖、お前なんでこの手紙のこと俺に言わなかったんだ」
「だって秤先輩は絶対反対するだろ!ていうかやっぱ反対したし!だけど俺、コヅナ姉ちゃんが何調べてもらってたのか聞きに行かないとと思って…」
「俺に先に言えよ!」
「だから先輩反対するじゃんっ!」

秤が大きく舌打ちをする。「まぁまぁ金ちゃん落ち着きなって」と綺羅羅が獰猛な犬をなだめるように秤に言い聞かせた。

「コヅナさんも、多分君たちが反対することを予想していただろうね。話を聞いて、僕も最初は警察を勧めたんだけど、それはしたくないし出来ないって言われた。その時に君たちが何をさせられているのかも、コヅナさんに聞いたよ」
「ポリなんか頼れるわけねえだろ、俺たちは使い捨ての駒なんだ。どうせ尻尾切りされるに決まってる」
「末端を使い潰すのはそういう連中の常套手段だ。君たちの読みは間違ってない。だからこっちからその尻尾を切ってしまえばいいと僕は考えている」

普段あれほど言葉を省略する五条がほとんど言葉を省略せずに説明をしていた。少し新鮮なものを見るような心持ちになりながら成り行きを観察する。

「具体的には、タツカワ興業の人間から指示を受けるところをボイスレコーダーで録音してほしい。タツカワ興業とその裏についてる暴力団の繋がりはこっちで調べるから、君たちはあくまで自分たちが奴らに脅迫まがいの指示をされていたことを音声データで記録して、それをその後主張してくれれば問題ない」
「……それ、マジでそのあとなんとかなるんだろうな…?」
「だぁいじょうぶ。段取りはつけられるし、まぁそっちのセンがダメになっても暴力団よりこわぁい鬼がいるってこと僕が連中に教えてあげるよ」

五条がいっそ清々しいまでの悪い顔でそう言った。確かに日本経済の一翼を担うような家柄の人間はどこにどんなコネクションを持っているかわからないのだから、冗談じゃないところが笑えない。

「さて、鬼退治といこうか」

兎にも角にも、これで無事に準備が整った。あとは秤たちに音声データを記録してもらって、いや、その後どうするのかという話は、ナマエもまだ具体的には聞いていないのだけれど。



- ナノ -