鬼の棲家 05


ちょっとそこで、というのは完全に騙し打ちだった。五条は表の通りでタクシーを拾うと、そのまま虎杖を乗せて探偵事務所に戻る。確かにどこで誰に聞かれているのかもわからない状況で物騒な話はできないから、これが最善の選択と言える。

「すんません…俺その、探偵さんたちのことつけたりして…」

応接セットに通された虎杖はしょぼんと小さくなってそう言った。まさか向こう側の差し金でもあるまい。どうして尾行なんて真似をしたのか。五条がずばりと無遠慮に核心を突く。

「コヅナさんの依頼内容、知りたかった?」
「……っす…」

五条は虎杖を前に、サングラスを取って青い瞳でじっと見つめた。反射的に顔を上げた虎杖はこれほど稀有な美しさを持つ瞳に驚いているのか、思わずといった様子で見つめ返し、はからずも睨めっこのような様相を呈している。

「コヅナさんから君たちがどんなことをさせられてるかは聞いてる。彼女の依頼を遂行するためにも、協力してほしい。そうしたら、僕らは君に依頼内容を教える」

虎杖の表情に緊張が走る。彼は迷ったように視線をうろうろと動かし、両手で拳を作った。それからそっと口を開く。

「…コヅナ姉ちゃん、探偵さんのところに行ったときどんな顔してた?」
「沈んでいるように見えたけど、初対面の僕には推し測れないよ。一年前、君には彼女のことがどんなふうに見えてたの?」

虎杖が唇を噛む。子供の虎杖には少し残酷で、しかし尤もな言葉だった。ナマエは子供にあんまりな言い方をしないように止めようとしたが、その必要はなかった。虎杖は二度ゆっくりまばたきをして、深呼吸の後に言葉を続ける。

「コヅナ姉ちゃん、タツカワの連中にひどいことされてたんだ。でもずっと辛い顔なんて見せなかった。いつも大丈夫だよって笑ってた。俺、なんにも知らなくて、知ったの結構最近で…もっと前に知ってたら、助けてあげられたのかなって…」

助けることが出来たのか否かといえばそれは非常に難しい問題だ。虎杖も頼れる大人のいない渦中の子供である。しかし「もしも」とタラレバがぐるぐると頭を回ってしまうのは仕方ないことだろう。後悔というものは文字通り後からしかすることが出来ない。

「コヅナさんが頼んだのは、他でもない君たちのことだよ」
「え…?」
「あおぞら光学園のみんなを助けてほしい。それが、彼女からの依頼」

告げられた依頼の内容に虎杖が息を飲むのがわかる。救えたかもしれないと後悔した仲間の最後の願いが自分たちの事であると、一体だれが想像できただろうか。いや、あるいは長い時間同じ辛酸を舐めた彼なら、想像が出来たのかもしれないが。

「彼女のラストワード、一緒に聞き届けよう」

虎杖は五条の目をまた見つめ返して、躊躇うことなく力強く頷いた。


実際に彼らがどんなガキの遣いをさせられているかということを虎杖から聞き取った。まず雑居ビルの決められた拠点のような場所があり、そこで待つように言われて指示を受ける。内容は様々で、特殊詐欺の受け子や隠れて運ぶ必要のある「そういう」品の運び屋などが主であるらしい。まさに末端にやらせる仕事であり、いつでも切れるトカゲのしっぽというわけである。

「なるほどねぇ。ちなみに、君たちの中にリーダーみたいな役割の子はいるの?」
「決められているわけじゃないけど、最年長の秤先輩ってひとがリーダーみたいな感じかな。みんな何かあったら秤先輩に相談するし…」
「その秤君はコヅナさんの依頼を遂行するのは反対だったわけだ」

総意として依頼を持ってきたのであれば、虎杖ではなく秤という少年が探偵事務所に来ていただろう。虎杖はあの日周囲の目を気にするようにして探偵事務所を訪れた。つまり事務所へ足を運ぶこと自体が虎杖の独断であった可能性が高い。

「依頼に反対って言うか…俺たちあんな生活してるから、基本的に大人は信用しないんだ」
「でも君は来た」
「それは……コヅナ姉ちゃんが俺ら以外に頼ることなんて…よっぽど大事なことだと思ったから…」

虎杖は少し尻すぼみになりながらそう言った。信用に足る大人がいない生活を送る彼にとって、こんなところまで見知らぬ大人を頼りにくるというのはどれほど勇気の要ることだっただろう。

「五条さん、協力って俺何すればいいの?」
「あおぞら光学園の子供たちを解放するのにあたって、証拠を集める必要がある。その証拠集めに協力してほしい。具体的には仕事の指示とかが残ってるといいんだけど…」
「指示は決められた場所で口頭で受けるんだ。仕事覚えるまでは二人一組でやったりして…だからメールとかは残ってないんだよね」
「なるほど、まぁそんな簡単には残しちゃくれないよねぇ」

虎杖の回答を聞いて五条がまたフムと考え始めた。流石に向こうも生半可な組織ではない。あからさまに証拠になるようなメールの類いはないようだし、もしもあったとしても中身の指示を隠語などに置き換えたものを用意しているだろう。幸いなのは、そういう隠語ではなく、指示が「口頭」というところだ。

「あの、録音したりとかは…難しいですかね?」

ナマエがおずおずとそう口を開くと、五条とばっちり目が合って、彼の口角が二ッと上げられる。まるで「よくわかったね」と褒められでもしているような気分になった。決められた場所で口頭の指示となると、恐らくそれなりに警戒が緩まるはずだ。より直接的な言葉での指示をしているだろう。

「よし、ちょっと待ってて」

五条はそう言うと、デスクの引き出しの中からあれやこれやと取り出す。出てくるものはペンやネクタイピンやら様々取り留めのないもので、いったいこれは何を探しているんだろうと首を傾げた。

「さて、どれがいい?」
「えっ…あっ、これ全部ボイスレコーダーですか?」
「ご名答。出来れば君が持ってて不自然じゃないかたちが一番いいね」

この様々な品はどれもこれもボイスレコーダーであるらしい。虎杖はそれを吟味して、ライターのかたちのものを選んだ。それが一番不自然じゃないというのもかなり問題だと思うが、今はそんなことは言っていられない。

「連中に会うときは極力これで録音をするようにして。バレそうなら無理はしなくてもいい」
「うす」

五条はライター型のボイスレコーダーの操作方法をあれこれと教えていく。ここから一度秤という彼らのリーダー的存在の子供に接触して説得を試みる算段だ。実行犯だとて事情が事情なのだから情状酌量の余地はあるだろうが、証拠を隠されるくらいなら子供たちをみんな巻き込んでより有利になるように進めたい。

「よし、じゃあ──……って、誰だよこんなときに…」

さて出発しようか、というときに五条のスマホが鳴った。ディスプレイを確認して、普段ならそのまま「いいからいいから」と言って後回しにするのに、今日はしかめっ面のまま通話を開始した。

「なに、僕仕事中なんだけど。知らないよ、そんなことで連絡してくるなって言ったよね」

不機嫌なのは声音でも充分にアピールされていた。五条がこんな状況で電話に出るなんて誰だろう。仕事中、と言っているということは仕事関係じゃないのか。ふとソファの向かいに座る虎杖と目が合って、二人して曖昧な苦笑いを交わし合う。

「清岡の家のことには僕は関知しない。…はぁ?お前ね…今からって…」

電話の向こうの声が大きいのか、五条が耳から少し離し、そのせいで声が漏れ聞こえてきた。電話の相手は若い女のようだ。聞き耳を立てるわけではないが、かすかに聞こえる。「悟さま」「お待ちしてますのに」と、随分五条とは親しい間柄のように思われた。
そこからしばらく五条がその若い女と攻防を繰り返し、ようやくといった様子で通話を終えた。

「はぁ、ごめんね途中で」
「いえ。あれだったら私と虎杖くんで一度子供たちのところに行ってきましょうか」

何の呼び出しなのかはわからないが、ここで通話に応じるような相手に呼ばれているようだし、それに。

「大人の男性がいたら子供たちの警戒心強くなっちゃいそうな気がして。本格的な話をするときはともかくとして、最初は私一人の方が逆にいいんじゃないかなと…思ったり」
「なるほど…それも一理あるね…」

五条がふむと考える。彼らに対してあれこれと指示を出しているのは男である可能性が高い。だったら素性の分からない、しかも長身で迫力のある五条を連れていくのは悪手な気がする。それなら見るからに非力そうなナマエが自分たちの仲間である虎杖と一緒に出てきた方が警戒心が薄れるのではないか。

「よしっ、じゃあナマエちゃんに任せちゃおっかな。悠仁もとりあえずそれでいい?」
「うす。多分秤先輩もその方が警戒しないと思う」
「決まりだね」

ナマエの提案に五条が賛同し、虎杖も了承する。五条の不在は緊張するけれど、今は精一杯、子供たちを説得することを考えなければ。


虎杖に連れてこられたのは繁華街の一角にある雑居ビルだった。地下に入りづらそうな雰囲気のバーがあって、二階にはパブ、三階に雀荘、四階と五階は空きテナントになっているようだった。いずれもかなり玄人向けというか、有り体に言えば古臭くて汚い感じがアングラな雰囲気を助長させていた。いずれにせよ、十代の子供が近寄るような場所でないことは確かだ。

「ここ?」
「うん。ここで待ってるとタツカワさんが来るから、その日の仕事貰うんだ」
「タツカワ興業の人は誰が来るとか決まってるの?」
「いつも同じ人じゃないけど、大体見たことある顔のひとばっかり。3、4人くらいいると思う」

こんなところに子供を集めて非合法な仕事をさせているなんて、ヤクザの中でもかなりタチが悪いんじゃないだろうか。もっとも、反社会組織なのだから押しなべて悪い組織であることは間違いないことなのだが。

「俺たちが集まるのは四階の部屋。秤先輩、今日来てるはずだから」

虎杖に説明をされながら階段をのぼる。この古い雑居ビルにエレベーターはないらしい。コンコンコンと二人分の足音をささやかにさせながら進めば、四階に鉄の扉が見えてきた。どこからどう見ても危ない場所であることは明白で、こんな仕事じゃなければ絶対に開けようなんて思いもしないだろう。虎杖が慣れた様子でドアノブに手をかけて開く。

「ちっす」
「おつかれ悠ちゃん」

扉の中は蛍光灯の光でそれなりに明るく、しかし窓はすべて段ボールや板で閉じられていた。外から中の様子がわからなくするためだろう。中には十代後半だろう子供が二人いて、ひとりは顔に雑誌をかけてソファで横になっている。もうひとりの口元にみっつピアスのあいたかなりのハスキーボイスの少女が虎杖にを出迎えた。

「……悠ちゃん、なにそのひと」
「綺羅羅先輩…えっと、その、この人は──」

綺羅羅と呼ばれた少女はナマエにじろりと視線を向けた。明らかに好戦的だ。そもそもコヅナによれば警察に頼ることもよしとしていないようだったし、囚われの子供たちが簡単に「助けてください」というわけはない。

「俺が連れてきたんだ。コヅナ姉ちゃんが……」

虎杖がコヅナの名前を出したことによって場にピリッと緊張が走った。ソファに寝ていた方が雑誌を顔の上からぱさりと外し、緩慢な動きで横たわった体勢から座る体勢に変わる。少年、というにはいささか年のいっているように見える彼は眉を剃り込んで口元にうっすら髭を生やしていた。鋭い視線がナマエを刺す。

「おい虎杖…てめぇなに勝手してンだよ」
「秤先輩!聞いて!この人は──」
「うるせぇ!」

秤はぐんと距離を詰めて虎杖の胸ぐらを掴み上げる。もう完全に警戒されていて手の出しようがない。あまりの迫力に思わず黙ってしまったが、このままでは虎杖が殴り飛ばされかねない。

「あの、私、探偵事務所の者です!コヅナさんの依頼を受けていて、虎杖くんには私が頼み込んで連れてきてもらいました!」

ナマエは虎杖に非がないとアピールするように頭を下げる。すると、秤は訝し気な視線を向けながらも虎杖を掴んでいた手を放した。それに多少胸を撫でおろしつつ、ここからどう説得するべきか頭を回転させる。五条ならどうやって説得しただろう。ナマエは一度深く呼吸をする。

「五条探偵事務所のミョウジといいます。私はコヅナさんの最後の願いを叶えに来ました」

ナマエが真っ直ぐ秤を見つめると、彼はぐっと眉間にしわを寄せる。しんっと空気が冷えていくのを感じる。重い沈黙のあと、秤が小さく息をついてから口を開いた。

「帰ってくれ。綺麗な姉ちゃんに手荒な真似はしたくねぇ」
「ま、待ってください!話を───」
「俺たちはお互いの事しか信用しねぇ」

ばたん、と鉄の扉が閉じられる。重いこの扉を開くのにはどんな力を尽くしたらいいだろう。差し伸べて振り払われてしまった手を、もう一度取ってもらうには。



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