鬼の棲家 04


伊地知に指定された場所まで車か何かで行くのかと思いきや、五条は徒歩で向かうつもりのようだった。場所を尋ねるとここからそこそこ近い貸会議室らしい。

「子供たちの説得ってどうやってやるつもりです?」
「バックについてる連中のこと洗って特定して…そこからは真っ向勝負かな」
「真っ向勝負…」

あまり五条らしくない言葉のようで思わず言葉尻を復唱する。助けるよ、なんて口先の言葉では埋められないほどの大人への不信感があるに違いない。確かに、五条の掛け値のない言葉には不思議な説得力がある。いままで自分たちを蔑ろにしてきた大人とは違うということを子供たちにわかってもらわなければならない。

「あっ…」

通行人にぶつかりそうになって、避けた拍子で持っていたメモ帳を落としてしまった。それを拾おうと一瞬立ち止まり、すると視界の端でなにか人影のようなものが動いたような気がした。

「ナマエちゃん?」
「すみません、メモ帳落としちゃって」
「大丈夫?」

数歩先の位置で五条が振り返る。視線はナマエの奥に注がれていた。メモ帳を拾い上げて彼の元まで戻る。そこからも何となく、何となくだが、誰かにつけられているような気がした。視界の端にチラチラと人影が映るような気がするのだ。
そこから数分歩き、随分背の高いビルの多いエリアに入ると、五条がそのひとつの前で止まる。

「さて、ここね、貸会議室」
「え……え!?」

彼が指さして平然と中に入っていこうとしているのはナマエでも知っているような高級ホテルだ。貸会議室と言われて連想できる範囲を軽々とこえている。ナマエが呆然としていると、五条が「どうしたの?」と不思議そうな顔で聞いてくる。

「すみません、会議室って言われてもっと雑居ビルみたいなの想像してたので…」
「ああ、ここね。いつでも使えるように一部屋会社で押さえてるんだよ」
「はぁ……」

このクラスのホテルの会議室を通年押さえるなんて一体いくらかかるんだろう。五条に急かされて中に足を踏み入れたが、あまりにも場違い感が凄まじい。高級感漂うエントランスホールを抜けて五階に向かう。「ガーネットルーム」と金属のプレートに書かれたそこが例の通年押さえているという会議室のようで、五条はノックをすることもなく観音開きのドアの片方を開ける。

「お疲れサマンサー」
「お疲れさまです」

中に入ると、既に伊地知が待っていて、二人に向かって「お疲れ様です」と会釈をする。内装は緊張するほど高級感があるというわけではないけれど、それにしても普通の企業で見るような長机ではなく、青いテーブルクロスがきちんと敷かれていて、椅子もパイプ椅子のようなものではない。その上ペットボトルの水までしっかり用意されている。

「お水、よかったらどうぞ」
「ありがとうございます」

伊地知は五条とナマエと向き合うようにして座り、タブレット端末を向ける。そこには彼の調べた情報が記載されていて、これらをすべてこの短時間で調べたのかと思うと眩暈がした。

「タツカワ興業、10年ほど前に登記された企業で、主に通信機器の販売と飲食店経営をしているというのが表向きです。実際はヤクザのフロント企業ですね」

通信機器販売と飲食店の経営は全く関係のない業界の商売だが、フロント企業なのだからまともな経営をしているわけではない。伊地知の補足によれば通信機器販売の顔をして関係者に足のつかないスマホを手配し、そこで資金洗浄を担っている可能性もあるとのことだ。飲食店経営はいわずもがな水商売の類いである。

「お手本みたいなフロント企業だねぇ。で、バックについてるのは?」
「関東仙道会傘下、鬼平組です」
「仙道会って……」

五条の問いに伊地知が冷静に答え、ナマエはひゅっと息をのんだ。仙道会といえば、ナマエもニュースで名前を聞いたことがあるくらいの大きな暴力団の一派だ。そんな連中に繋がる話だというのか。五条は驚くナマエとは対照的で冷静なままだった。

「なるほど…そう来たか。どこまでしょっ引けるかは微妙だねぇ」
「ええ、もういち探偵事務所の領分を超える話です。七海さんにも釘を刺されてますからね」
「まぁまぁ。大丈夫だよ、日下部さん頼るつもりでいるからさ」

五条と伊地知の会話に口をはさむことが出来ず、ナマエはじっと事の成り行きを見守った。それから伊地知が調べた内容の中にはタツカワ興業が特殊詐欺をしている疑いがあるということ、その被害報告がここ数年で急増していることが書かれていた。状況から推測するに、子供たちはその特殊詐欺に加担させられている可能性が高い。

「鬼平組か…あそこって仙道会内の勢力争い負けたって話だったよね?」
「ええ。もう4年くらい前だと思いますが、丁度関西勢力と抗争が起こってる最中に仙道会の会長が亡くなったとかで、跡目争いで関東勢が割を食ったっていう話でしたからね」

勢力争い、抗争、跡目争い。まったく非日常の言葉がぽんぽんと飛び出てくる。本当にこの二人は同じ日本の住民かと疑いたくなる。いや、実際ヤクザも抗争も存在するのだから充分に現実ではあるのだが。

「よし、ちょっと七海に連絡する」

五条がポケットから取り出したスマホで通話を始めて、ことのあらましを簡単に説明をしていった。ナマエはタブレット端末の中身を改めて確認する。本当にすごい情報量だ。そもそも暴力団の知識云々がないから理解が難しい部分もあるが、資料としては完璧なんじゃないだろうか。

「伊地知さん、すごいですね…こんなにたくさんの情報…」
「まぁ、昨日すべて集めた情報という訳でありませんから」

伊地知がかりかりと少し恥ずかしそうに頬を掻いた。昨日すべて集めたわけではないということは依頼を受ける前から下準備を進めていたということだろうか。まるで五条が予知していたみたいだ。

「…五条さん…この依頼が来るってわかってたんですか?」

ナマエはおずおずと尋ねた。五条の「勘」というやつか。伊地知は少し目を見開いたあと、少し困ったように眉を下げる。

「五条さん、依頼を受けたときから、実際に依頼の遂行に至るものになるかどうかわかるんですよ。もちろんすべてではありませんが…」

そんなものがわかるのか、いや、今までの彼の「勘」というものは凄まじかった。彼の勘が決定的に外れる瞬間をナマエは未だに見たことがない。
もしも五条が「勘」によってどの依頼の遂行が舞い込むかわかるというのなら、それはかなり残酷なことじゃないか。五条探偵事務所において、依頼の遂行というものはイコールで依頼人の死を意味する。今回のようにコヅナが死ぬだろうことも、彼にはわかってしまうということだ。

「……たいへん、ですね…」
「え?」
「その…わかってしまうってことは、周りに見えないものが見えちゃうってことなのかなと思って…」

伊地知にこんなことを言ってどうするんだ。ナマエは「すみません、忘れて下さい」とすぐに言葉をあやふやにする。知ったふうなくちを聞くのは彼に失礼だろう。伊地知は顔を少しぽかんとさせてから、控えめに口元に手を当ててくすくすと笑った。

「本当に、良い助手の方が来てくださいましたね」
「えっと…ありがとう、ございます…?」

恐らく褒められたのだろうが、どこを褒められたのかわからずに頭の上にはてなマークを浮かべながら礼を言う。五条の通話の方も佳境のようで、鬼平組の名前が聞こえてきた。

「そうそう。で、タツカワの裏についてんのが鬼平なんだよ。念のため日下部さんに連絡しといて。…なんだよ、夏の件、誰のおかげで摘発出来たと思ってんの?」

七海のため息が聞こえてきそうだ。夏の件というのは言わずもがな真海伝道会の件だろう。それにしても、日下部さんとは誰だろうか。五条が七海伝手に連絡をするのだからきっと警察関係者なのだろうが。それからいくつか話をして通話を終えると、五条はスマホをデスクの上に置いた。

「ちょっと伊地知、僕が電話してる間にナマエちゃんと何話してんの」
「ひぃッ!す、すみませんッ!」

じっとり五条が伊地知に視線を向ける。伊地知は恐ろしいものを見るように五条からズザザと距離を取った。五条は気を取り直すようにため息をつき、トントンとひとさし指でスマホの画面を叩く。

「七海に言って日下部さんに根回ししてくれるよう言っといた。ここからは子供たち説得して証拠が出たら一番、出なきゃ僕らでリストでもなんでも掴んで警察行きかな」
「でも…そしたら子供たちは…」
「施設の話が明るみになれば情状酌量の余地はあるよ。ベストなのは子供たちの自発的な協力だね。そっちの方がこっちも対処出来ることは多くなる」

コヅナの依頼内容としてはどっちでも遂行にあたるだろうが、より子供たちの状況を改善出来るのなら絶対にそっちの方がいいに決まっている。

「説得って、真っ向勝負って言ってもどこからかかりましょう」
「足がかりはある。僕らに依頼に来てくれた子がいるってことは、まだ助けてって信号を送ってくれる子がいるってことだ」
「あ!虎杖悠仁くん…!」

そ。と五条が肯定する。コヅナの依頼を持ってきてくれた彼なら他の子供に比べて話も通じやすいかもしれない。そうとなれば善は急げだが、彼に連絡を取るためにあおぞら光学園を訪問するのは危険すぎる。

「どうやって虎杖くんに接触しましょうか」
「大丈夫大丈夫。探さなくても向こうから来てくれるから」

五条は余裕の表情で、そのまま伊地知にいくつかの指示を出した。なにか虎杖がこちらに接触してくるアテでもあるのか、それとも虎杖と接触出来る場所にアテでもあるのか。途中から伊地知への指示は五条グループの業務内容に変わって、部外者の自分が聞くのはあまり良くないだろうとタブレット端末の資料をもう一度読み込むことに注力した。


思いのほか長引いた伊地知との打ち合わせを終えると、伊地知を残してホテルの会議室を後にすることになった。ここからまた徒歩で移動するつもりなのか、エントランスホールを抜けた五条はどこかに向かってすたすたと歩いている。

「あの、これからどこに向かうんです?」
「虎杖悠仁くんのところ」
「え?でも虎杖くんは向こうから来てくれるって──」

話が早速違う。向こうから来てくれるからって、これじゃこっちから向かってるじゃないか。五条の取り留めもない話に相槌を打ちながら一駅分歩けば、高層ビルが減って人通りもだいぶ少なくなる。
まただ。背後から視線を感じるような気がするし、民家の塀に使われているトタンに人影のようなものが見え隠れするような気がする。

「あ、あの…五条さん、さっきから誰かに後をつけられてるような気がするんですけど…」
「うん、つけられてるね」
「えッ、気付いてたんですかッ」
「ホテルに向かう前からずっとだよ」
「そんなに前から!?」

大きな声を出してしまいそうになって慌ててボリュームを絞る。気付いていたなら言ってくれたって良いじゃないか。というか不審者に尾行されているのなら絶対に人通りの多いところにいた方がいいに決まっている。

「そろそろいいかな」
「なにがです?」
「そこの角、曲がったら止まって、僕の後ろに隠れて」

何をしようとしているかなんて聞かなくても分かる。尾行をしている犯人を迎え打とうという腹だろうが、相手もわからないのにそんなの危なすぎないか。

「五条さん、危ないですって」
「大丈夫大丈夫、通信教育で空手をマスターしてるって言ったでしょ?」
「その設定もう良いですからっ」

まだその冗談のような設定を生かしていたのか。指定された交差点はもう目の前で、これ以上ごねる時間も残されていない。
どうにかなってくれ、と思いながらその角を曲がり、ナマエは五条の後ろに隠れる。五条の腕が角を曲がってきた人物に伸ばされ、重力をまるで感じさせない動きで一回転させると、そのまま地面に拘束した。

「いってて……」
「どうも、昨日ぶりだね。虎杖悠仁くん」

地面に伏されて拘束されていたのは昨日依頼を持ち込んできた虎杖だった。そうか、五条の「アテ」はこれだったのだ。虎杖が自分たちを尾行しているとわかっていて、人目の少ないところに誘いこんで待ち構えたのだ。

「ちょっとそこで僕らとお茶しよっか」

ナンパ師か取り立て屋か、むしろそのハイブリットのような軽薄で不審な文句で虎杖を誘って彼がこくりと頷くのを確認すると、すぐに拘束を解いて手を差し伸べた。虎杖がその手を取って立ち上がる。
根拠はないけれど何となく、彼になら救われる準備をさせられるのではないかと淡く期待した。



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