詛盟の桜 05


サクラコの仕事の都合で翌週の火曜日にサクラコが五条探偵事務所へ来ることになった。ナマエは普段より少し早めに出勤し、いつもより入念に事務所の掃除をする。夏油は生憎出版社との打ち合わせのために来ることが出来ないらしく、あの怯えたサクラコと五条との緩衝材にはナマエがならざるを得ないようだった。
午後二時の約束の時間よりも5分ほど早く事務所の扉がノックされる。ナマエが出迎えに行くと、扉の前にはやはりどこか挙動不審なサクラコがショルダーバッグの肩ひもをぎゅっと握って立っていた。

「遠いところありがとうございます。どうぞ中へお入りください」
「し、失礼します……」

デスクチェアからすでに応接セットのソファに移動している五条はひらっと手を振ってサクラコを迎えた。ナマエはサクラコをソファまで案内したあと、給湯室でコーヒーを入れると、それを持って応接セットのほうまで戻る。まだ佳境というわけではないが、話は徐々に始まっているようだった。

「で、僕らとしては、もう少しご神木のことを教えてほしいんだよ」
「お、教えるも何も…その、代々そう言われてるってだけで…」

サクラコが先日と同じように口ごもる。理由はわからないが今日もガードが固い。夏油ならどうやって口説き落とすんだろうなぁと想像しながらその様子を眺めていると、五条が「あー、もう」と口からこぼして髪をがしがしと掻く。緩衝材の出番か、と身構えた。

「もうまどろっこしい言い方はやめよう。僕はあの桜を切ることが桜を殺すということに値するのかどうかを疑っている」
「そ、れは……」
「僕は、故人の遺志を、故人の思う形で成し遂げたい。そのために協力してほしい」

五条が掛け値なしの真っ直ぐな言葉でサクラコに言った。こうしてあまりに真っ直ぐ来られると人間というものは不思議と言葉を引き出されてしまうものだ。サクラコも例外ではないようで、数十秒ほど躊躇ったあとに、観念したようにそっと口を開いた。

「あ、あれはご神木なんかじゃないんです…吉野様はソメイ家の呪いの桜です…」
「呪いの桜?」
「……吉野様は、あの桜には昔ソメイ家を恨んで死んだ女のひとの呪いが籠っていて……そ、その怒りを鎮めるために…生贄を捧げてるんです…!!」

呪い、生贄。想像もしていなかった言葉にナマエは目を見開く。隣の五条を見ると小さく口の動きだけで「そう来たか」と言っていた。少なくともナマエのように驚いている素振りはない。

「君もその呪いを恐れていた。それでもソメイハナさんの遺志を尊重しようとしている。その理由は?」
「それは…」
「自分が生贄にされそうだから?」
「違います…兄が、兄が一昨年結婚して、来年実家に帰ってくるんです…生贄はいつもお嫁さんが選ばれるらしくて…だから…たぶんお義姉さんが選ばれてしまうと思って……」

サクラコの話によれば、吉野様の恨みはソメイ家の女よりも「ソメイ家に嫁いできた女」に強く向けられるという。そのためソメイ家では何を避けるために嫁を生贄として捧げ、一族の繁栄を守ってきたらしい。そしてその次の標的は、サクラコの兄嫁になるに違いないとのことだった。

「なるほど。で、その風習に君のご両親は未だ迎合していると」
「はい…両親がというか、母が……でも祖母は違いました。ずっと吉野様の呪いのことを調べていて、謂れの始まりが分かればなにか解決できるかもって探っていたみたいで…」
「それはハナさんも嫁入りした身だから?」
「はい。仰る通り祖母もソメイ家に嫁に入った身です。でも祖父にも兄がいましたから、そのお嫁さんが生贄にされたらしくって……それがきっかけに」

サクラコの母親はソメイ家の女であり、父が婿養子であるらしい。だから母親は風習に迎合しているのに、その母親である祖母が反しているなんていう捻じれた状況が出来上がっているのだ。

「亡くなったその生贄のお嫁さんの名前は?」
「えっと…確か、カスミさん…だったと思います。三つ先の村のオオシマっていう家から嫁いできた人で、祖母と年も近くて良くしてもらっていたとか…」

ナマエはぐっと眉を寄せた。故人にとって、年も近く同じ立場に置かれた女性の死は大きな衝撃だっただろう。しかも、嫁入り先の異常な風習によって殺されたとなれば、尚更。五条の質問は続いた。

「生贄にされたのはいつ頃?」
「ちゃんと聞いたことはないです…でも、かなり若いころだったような口ぶりでした」
「なるほどね。生贄の風習が始まったのは吉野様を植えたのと同時期?」
「それはわかりません…私も小さい頃は呪いの桜だとだけ教えられていて…生贄なんてとんでもないことしてるって知ったのはついこのあいだ…20歳になった時なんです」

吐き出してしまったのが効いたのか、サクラコはどもることなく話すようになっていた。五条はそれを組んだ足の上に肘を付きながら聞いている。途中からナマエも隣でメモを取って、しかし走り書きだからメモ帳の上にはナマエしか読むことのできないミミズのような文字が這っていた。

「探偵さんお願いします…!もうこれ以上生贄なんて馬鹿なこと…させたくないんです!」

最後にサクラコが絞り出すような声音でそう言った。五条が組んでいた足をとき、右の膝に自分の肘をおいてびしっとサクラコに指をさす。

「僕は遺言探偵。君のお祖母さんのラストワード、必ず聞き届けるよ」

五条の自信満々な声が真っ直ぐにサクラコに届いた。不遜にさえ見える彼の真っ直ぐなそれがどれほど心強いものであるかを、ナマエはもうよく心得ていた。


サクラコを一度家に帰し、五条は聞き出した情報をテーブルの上に並べて腕を組んだ。ミミズのような字ではあまりに憚られ、申し訳程度にそれぞれ清書した。サクラコによれば、あの桜の樹齢が150年ということは恐らく間違いないが、吉野様と呼ばれ出した経緯と時期はわからないようだった。

「恨みのこもってるって仰ってましたけど…ソメイ家に恨みのある女性ってどういう方ですかね?」
「そうだねぇ。150年前というと明治初期か……ソメイ家の中でも嫁に恨みを持つっていうのが本当なら、考えられるのは使用人とか妾とかかな」
「お妾さんって…そうか、150年前ならおかしなことでもないんですね…」

五条が「そ」と肯定する。禪院家の一件のあと、気になって旧民法について少しだけ勉強をした。日本の一夫一妻制が制度化されたのは近代のことである。明治31年に民法で確立されるまでは妾の存在というものは公然のものに近く、武家や裕福な商家では当たり前のものだった。明治初期といえば、妻と妾が同じ二親等として扱われていたほどだった。

「家の存続のために子供を産んでくれるなら、正妻でも妾でも構わなかったのさ。でも、それがあたり前だったとして、人間の感情の中で割り切れたかどうかは別問題だと思うよ」「そりゃあ…そうですよねぇ…」

現代と価値観も違うのだから感じ方も違うだろうけれども、だからと言って寵愛を分け合うことで生まれる憎しみというものが生まれないわけではないだろう。そんなのは想像に難くない。

「それにしても…あの家でお妾さんってまぁ無理じゃないだろうけど、ちょっと背伸びしてる感じしなくもないんだよね」
「昔は立派な商売人の家だった…とか?」
「なくないだろうけどなぁ…」

ナマエの言葉に五条はどこか懐疑的なようだった。見たところそういう特別な家のようではなかったが、150年も経てば様子も変わって然るべきだ。「なにが引っかかるんですか?」と尋ねてみたら「僕の勘」と返ってきた。全く根拠のない言葉だけれど、五条の勘というのは馬鹿にならない。

「ソメイハナさんが晩年入所していた介護施設で話を聞いてみようか」
「ハナさん、介護施設に入所されてたんですね…」
「うん。10年以上は。病気で足を悪くして入所したんだって」

10年とは中々の期間だ。ソメイ家は立派な家ではあったけれど、築年数も古いし、自宅で介護というのは厳しいのかもしれない。

「僕のところに依頼に来たのも入院してる最中でね。体調がいい時に眼鏡の介護士さん連れてきてもいらって駅前のカフェで話を聞いたんだ。車いすで来てたから、階段上れなくてさ」

確かにこの事務所に続く階段は足の不自由な人間には厳しいものがあるだろう。しかも介護士が連れてきたとなれば、家の人間に依頼のことは知られたくなかったと考えるのが自然だ。だから五条はサクラコの母に話を繋がないようにしていたのだろう。それにしても眼鏡の介護士とは随分アバウトな覚え方だ。他に特徴はないのか。

「介護施設って、無関係の人間が行ったらかなり不審じゃありません?」
「そりゃあもちろん。うっかり通報なんかされたら大変だよねぇ」
「じゃあどうするんです?」

自分たち二人の組み合わせはかなり不審だ。ナマエはまだしも、五条はセールスの類いといってもかなり怪しい。もっと華やかな業界ならこういう見た目の営業マンもいるのかもしれないが、少なくともナマエはこんな派手な見た目の営業を見たことがない。

「元入所者の孫と友達なんてどう?」
「え、それって……」
「ナマエちゃんとサクラコさんで一緒に聞き込み行ってみようか」

語尾にハートでもつきそうな勢いでそう言われ、薄々予感していた白羽の矢にがっくりと肩を落とす。こう言っちゃなんだが男性よりも女性の方が警戒されづらいという事実もあるし、ここは自分が行くしかないだろう。


介護施設は水戸市内にあるらしく、サクラコの都合で一週間ほど調査の時間があくことになった。ナマエは三階の自宅で風呂を済ませ、ベッドの上にごろんと転がる。未経験でも良いと言われて入所したが、実際自分は役に立っているだろうか。
そもそもこの仕事が特殊過ぎて自分の成果を感じることが出来ない。例えば受注を取ってくるとか、何か資格を取得するとか、そういうものが何もない。五条に言われたことは精一杯やっているつもりだけれど、この事務所の役に立っているのかは甚だ疑問である。

「はぁ……なんか、これでいいのかな」

ぼーっと天井を見上げた。特別スキルアップとかキャリアアップを目指して生きている方ではないけれど、自分の存在意義というものを考えてしまうと負のスパイラルだ。そのときピロン、とスマホが鳴ってメッセージの着信を通知する。寝ころんだまま確認すれば、大学時代の友人の結婚報告だった。

「あ、結局結婚したんだ…」

ディスプレイを見ながら少し眉間にしわを寄せる。というのも、その相手というのが少し変わったスピリチュアルセミナーで出会ったと聞いたからだった。ナマエも数回「一緒にやらないか」と勧誘されたことがある。出会い方もその後の交際も怪しげな相手のような気がしてならないけれど、そもそも彼女は友人の友人のような存在で、連絡先は知っているけれど一対一での交友はほぼなかった。そのために特に強く口を挟むことも憚られていまに至る。

「なに伝道会だっけ。しん…こう…しん、かい……。あ、ていうかセミナーというよりあれは宗教か」

名前も聞いたことがなかったが、世の中というのは思いのほか様々な宗教があるものだ。新興宗教どころかそもそも神様仏様の類いにあまり縁のない生活を送っているナマエが名前を知っているはずもなかった。やばそう、とは思うけれど、ここまで来ると触らぬ神に祟りなしというやつだろう。
ピロン、とまた通知音が鳴って、結婚報告の続報か、それとも共通の知人のリアクションか、と思って画面を確認してぎょっとする。

「えっ、ご、五条さん!?」

ピンポーン。今度はインターホンが鳴った。ディスプレイには「今から行くね」と五条のメッセージが表示されていて、つまりこのインターホンは五条の来訪だということだ。風呂に入ってしまってノーメイクで、今は当然のように寝巻きである。着替え、メイク、と頭の中に単語が浮かび、それを打ち消すように「ナマエちゃーん」と玄関から五条の声がした。これは諦めるしかないようだ。
せめてもと思ってカーディガンを羽織って玄関に向かい、渋々扉を開ける。数時間前に顔を合わせたばかりの五条がにこにこと立っていた。

「ご、五条さん…あの、なにかありました?」
「え?ううん、別に。これ食べるかなぁと思って」

ひょいっと掲げたのはパティスリーの箱らしきもので、ナマエが聞く前に「広尾のパティスリーのプリンだよ」と追加説明がされた。いや、なんでこんな時間にとも思うし、どうして自宅まで来たんだ、とも思う。

「なんかいつもより幼いね?」
「け、化粧してないので……」
「ああ、なるほど」

ナマエが箱をじっと見ている間に五条もこちらをじっと見ていたのだと気付き、思わず顔を手のひらで覆った。何が悲しくてノーメイクの状態を彼に見られなければいけないんだ。もう片手でなんとか箱を受け取る。

「ナマエちゃん元が可愛いし、化粧変えてもいいかもね」
「え」

さらりと何だかとんでもないことを言われ、しかし五条は何でもない顔で「じゃあ僕ちょっと野暮用だから」とスマホを確認しながら踵を返す。そしてスマホを耳にあてた。

「伊地知ィ?いや、だからジジイどもは待たせとけってー。どうせ予算のことでしょ?」

タンタンタンと階段を下っていく音がする。これを渡すために戻ってきたのか。野暮用とは何だろう。それにしても、ジジイとはまた口の悪いことだ。



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