詛盟の桜 03


サクラコの案内で家に上がり、通された居間で四人顔をつき合わせる。比較的新しい、といっても建物は築40年以上は経っているように見えた。古いこと以外は特別変わったところもないようで、禪院家のことがあったからナマエはあんな特殊過ぎる家ではないことに内心胸をなでおろす。

「どうぞ……」

サクラコは家の中に入ってもまだ挙動不審のままで、茶を振る舞う手も少し震えているように見える。自宅と言えば多くの人間にとって一番安心できるテリトリーのはずであるが、彼女にとってはそうでもないのだろうか。

「あ、あの……祖母の遺書に、探偵事務所に依頼をしたと書いてあって…そめいの桜を、こ、殺してほしいって……」
「はい。確かにその通りです。で、そのそめいの桜っていうのが何なのか、教えていただけますか?」
「えっと……」

五条はサクラコに受け答えをしながらタブレット端末に表示させた依頼内容を見せる。サクラコはその画面を見て頷き、自分のポケットから小さく折りたたんだ紙を取り出した。かさりと開かれたそれは故人・ソメイハナの遺書だった。遺書の保管方法は個人の自由ではあるが、これは少し、いやかなりぞんざいに見えてしまう。

「そ、そめいの桜っていうのは、うちの裏にある大きい桜の木のことです。吉野様って呼ばれてて、ソメイ家のご神木みたいな、そういう木で…」
「案内してもらえますか?」
「……はい」

それぞれ湯呑みほとんど満杯の茶を残したまま立ち上がる。辿ってきた道を玄関まで戻り、敷地の南側の塀の扉から外に出る。そしてここに着いたときに一番印象的だった桜のもとまで案内された。日の光を存分に浴びるそれはご神木たる威風堂々な様子でそこに聳え立っている。

「なるほど、これがそめいの桜。どれくらい長いことここに?」
「樹齢は150年くらいだって聞いてます。五代くらい前の当主だった人が植えたって…」

風に揺れて花びらが落ちる。樹齢150年。枝ぶりは見事で、花の勢いも衰えていない。桜の寿命って短いんじゃなかったか、と曖昧な知識が頭の片隅に過る。五条がさらに質問を重ねようとしたとき、サクラコのポケットでスマホが鳴った。サクラコはディスプレイを確認すると「すみません、ちょっと」と断り、少し離れたところでスマホを耳に当てる。残されたナマエたち三人は目の前の桜を見上げた。

「吉野様ねぇ」

ソメイ家の吉野様、なんて、掛け言葉か何かのつもりだろうか。じっと薄ピンク色に目を凝らしていると、少しの違和感を覚えた。同時に五条が「あれ」と声を上げる。

「あれ、でもこれソメイヨシノじゃないね」
「本当だ。確かに、よく見るのとはちょっと違う気がします…」

五条の指摘で自分の違和感の正体を知ることが出来た。なるほど、ソメイ家の吉野様なんて言われるから勝手にバイアスがかかっていたが、この桜はソメイヨシノではないのだ。日常生活でよく見かけるものと少しだけ違うから、そこに違和感を覚えたのだろう。

「これはエドヒガンだね。日本の桜の中でもとびきり長寿な品種だ」

夏油がそう言った。いわく、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラとの雑種であるらしい。エドヒガンはソメイヨシノよりも大きく育ち、成木は樹皮が縦に裂ける特徴がある。葉の先端もエドヒガンのほうが尾状に長く伸び、厚みもソメイヨシノより些か薄い。

「エドヒガンは野生種の中でもかなり長寿なはずだよ。山梨には樹齢2000年のエドヒガンだってある。150年くらい元気で咲いてるっていっても老木でもないし、ご神木っていうのは少し違和感があるなぁ」

エドヒガンの補足説明の最後に夏油がそう付け加えた。人間の感覚で言えば150年はひとりの人生の長さをゆうに超える長い時間だが、木々にとってはそうというわけでもない。150年ばかりでご神木なんて呼ばれるのはさすがに言い過ぎのような気もする。

「エドヒガンなのに、なんで吉野様なんですかね?彼岸様とかだと縁起が悪いとか?」
「そうだとしてもわざわざ他の品種の名前つける?」

ナマエの発言に五条がそう打ち返してきた。仮に彼岸様が縁起が悪いなんて理由で不採用だったとしても、名前なんてほかにいくらでもつけようがあるだろう。どうしてわざわざややこしくなるような付け方をしたんだろうか。

「150年前って言うと明治初期か…名前もそうだけど、ご神木なんて言うならもっと古くから受け継がれてるようなものじゃないかと思うけどねぇ」

夏油が顎に手を当てて「うーん」と考えるような素振りでそう言った。それもご尤もだ。信仰の深度に時間は関係ないとはいえ、宗教じゃあるまいし、ご神木であると一般の家庭で崇めるのならそれこそもっと古くから受け継がれているような木のことを言っていた方が自然である。

「例えば、この木の前にもっと樹齢の長い桜が植わってたとか…?」
「あり得そうだね。それとかこの桜をご神木と崇めるきっかけになるような出来事があったとか」

ナマエの推理に夏油が推理を重ねる。しかしヒントが少なすぎるせいで全て推論に過ぎず、結局この桜がご神木とされている理由もエドヒガンでありながら吉野様と呼ばれている理由もわかりっこない。あまり身にならない議論を重ねていると、通話を終えたらしいサクラコが青ざめた様子で戻ってきた。何か会ったのだろうかと三人は顔を見合わせる。

「サクラコさん、この桜のことなんだけど、いくつか質問してもいいかい?」

夏油がおだやかにそう尋ねても、サクラコの怯えの色が消えることはない。ナマエたちが到着した時からずっとそうだ。夏油は少し逡巡したように黙り、聞かなければら埒が明かないだろうと口を開いた。

「えっと…この桜はご神木なんだよね?殺すって言うならこのご神木を触らなければいけないことになるし、ある程度はこの木のことを教えて欲しいんだけど…」

どうかな。眉を下げる。サクラコはぎゅっと唇を噛んだ。そしてわなわなと震える口を開く。そして溜まったものを吐き出すかのようにきんっと甲高い声で叫ぶ。

「と、とにかくその桜を切ってください!祖母の依頼もそういうものなんですから…!」

サクラコが桜の木を指さした。何をそんなに怖がっているのか。怯えるにしても様子が尋常じゃない。今度は五条がサクラコに尋ねた。

「ここの土地は、ソメイ家のものだよね?ハナさんが亡くなって相続したのは君のご両親?」
「は、はい…たぶん、そうですけど……」
「じゃあ、今ここで切るわけにはいかないな」
「な、なんでですか…!祖母が依頼してるのに──」

食ってかかる勢いのサクラコに向かって五条はぐいんと上体を折り曲げ、距離を詰める。サクラコがギョッと目を見開いた。怯えを増長させるような行動を無遠慮に続け、五条はびしりとサクラコに人差し指をむける。

「僕たちは故人の依頼を遂行するのが仕事だけど、違法行為はもちろん出来ない。この木の持ち主が君の両親なら、本人に許可を取る必要がある」
「そ、そんなの……」

それはそうだ。彼女の家のものとはいえ、相続しているのが彼女の親なのならば本人に許可を取る必要があるだろう。そうでなければ器物損壊罪だ。遺言探偵なんていう妙な探偵業をしているとはいえ、非合法な手段をとるわけにはいかない。マトモなことを言っている五条というのは少し違和感があるが。

「お父さんは?夜まで待てば帰ってくる?」
「父は…帰ってこない、です…。単身赴任なので…」

依頼をする前に両親に相談するのが普通じゃないのか。そもそも故人の依頼を同居の両親が知らないというのもおかしくないか。訝しんでいると、サクラコはぎゅっと唇を噛んだ。そして五条に睨むような視線を向ける。

「私が許可貰いますから、とにかくこの木を切ってください!」
「……まぁ、いずれにせよこんな立派な木は道具がなきゃ切れないからね。そめいの桜が本当に桜なのかどうかも確認できたし、今日のところは帰って道具を持って出直すよ」

サクラコの勢いに押されたのか五条が上体をぐっと戻してそう言った。いや、五条に限って気圧されるなんてことはないだろう。気の立っているようなサクラコを残し、一行はそのまま一度東京に帰ることになった。
夏油のSUVに乗り込み、遠ざかる桜を窓から見つめる。桜は家屋に隠れて半分ほどしか見えない。数分走ればすぐに家屋ごと見えなくなってしまい、ナマエはシートに深く腰かける。

「なんか変でしたよね?」
「はは、変でしかなかったね」

ナマエの言葉を五条がそのまま笑いながら肯定する。肯定の仕方は随分と軽々しいが、変でしかないことは同意だ。何かに怯えていたような様子も気になるし、吉野様という桜もなんだかよくわからないことだらけだった。

「流石にご両親の許可ないと切れないですもんね」
「さすがに犯罪者集団にはなりたくないしねぇ」

禪院家で起こしたことには少なからず違法行為が含まれていたような気がしなくもないが、今回は頑なに法律を盾にして五条は突っぱねた。五条が何か他のことを考えているように思えて仕方がない。

「このあとどうするんです?まさかチェーンソー持ってもう一回来るんですか?」
「そうだねぇ。もうパァっと切っちゃっていいんじゃないと思うけどさぁ…そういうわけにもいかないよね」
「ご両親には知れてないんですかね…あの遺書も依頼のことも…」
「その可能性がだいぶあるね」

ふむ、と顎に手をかける。成人している同居の娘とはいえ、許可なく親の持ち物になっている木を切り倒すのは問題だろう。その時こちらまで巻き添えを食うわけにはいかない。両親にも遺書の存在を秘密にしているのなら、ああして多少ぞんざいに見えるほど小さく折りたたんで遺書を保管しているのにも納得がいく。

「もう少し調べてみようか。吉野様ってご神木」

五条の一声でこの先が決まった。許可なく切り倒したと言われて訴えられても問題であるし、サクラコがあれほど怯える理由がわからないままでも困る。どの方向から調べるのか尋ねてみると、五条が「考え中」と語尾にハートマークが入りそうな勢いで曖昧なことをのたまった。


二時間弱のドライブを終えて事務所へ戻ると、夏油とはそこで別れることになった。また明日も同じ時間に迎えに来てくれるらしい。五条とナマエは事務所に戻り、ソメイハナの依頼時の資料をもう一度洗いなおすことを始めた。

「一般家庭でご神木って、そんなの据えてることって結構あるんですか?」
「まぁ無いとは言えないけど、かなりのレアケースで、往々にしていわく付きってところかな」

いわく付き。という言葉を明朝体で頭の中に思い浮かべてピクリと目元が痙攣する。普通の民家のように見えたけれど、これから禪院家で体験したような面倒ごとに発展したらどうしようか。いや、仕事なのだからどうこう言っても仕方がないのだが。

「由緒ある大きな名家とか、それこそ神仏に仕えるような家ならわかるけどさ、その場合なら樹齢150年くらいの桜を崇めるっていうのも違和感だよねぇ」
「ご両親に言ってないっぽいのもなんか不自然ですよね」
「サクラコさんの独断であの吉野様とやらを切ろうとしてるってところかな」

五条が顎に指を当ててそう言った。そうであればその理由がなにかというところだ。ご神木というほど大切にしている桜なら、切り倒してしまうことを両親が反対するのはわかる。しかしどうしてサクラコはあんなに怯えながら桜の木を排除しようとするのか。そもそもハナはどうして遺言で探偵に託してまでご神木を切ろうとしたのか。

「桜を殺すって、なんでそんな言い方したんでしょうね…禪院家の時みたいに言っちゃいけない言葉だったとか?」

桜を殺す、なんて表現をしなくたって、あのご神木を切りたいだけなら「裏庭の桜を切ってほしい」とでも言えば済む話だ。婉曲表現は禪院家の時にもあったことだけれど、あの時は真依の存在そのものを口にすることが出来ないこと、他所の人間に目論見が露見してしまうことを防ぐことの目的があった。今回も同じような話か。

「……そめいの桜を殺す。このそめいってさ、ソメイ家のことだと思う?」
「えっ…てっきりそうだと思ってましたけど…」
「とんでもない事実が出てきそうだし…桜を切れば終わりっていう単純な話じゃないらしい」
「…じゃあ、まずはサクラコさんから切り崩すんですね?」
「そうそう。サクラコさん、すんごいこと隠してるよ」

五条が口元にゆるやかな弧を浮かべる。何か言葉にしている以上の可能性を考えていることは明らかだが、不思議と禪院家で見た時ほど訳知り顔には見えない。

「…それって、五条さんの勘ですか?」
「あはは。ナマエちゃんわかるようになってきたねぇ」

あの美しい桜には何が隠されているのか。美しさというものは、ときどき酷く恐ろしいものである。



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