詛盟の桜 02


今回も息をするように泊まりの出張、かと思いきや、依頼人の住所が茨城ということもあってとりあえずは通いの仕事になるようだ。電車で行くには些か不便そうなところだけれど、と思っていたら、探偵事務所の前にSUVが一台停まっていた。

「え、車?」

これは自分が運転するのだろうか。まさか上司に運転させるわけにもいかないし、現場まで運転するなら自分だろう。免許は持っているけれど、運転するのは久しぶりだ。田舎道のほうが運転するのは得意だし、都内を回れと言われるよりは気が楽かもしれない。

「ああナマエちゃん、おはよう」
「おはようございます…って、え、夏油さん?」
「昨日ぶりだね」

ひらりと手を振って現れたのは五条の悪友、夏油である。どうして彼は今日も一緒にいるのだろうか。彼は勝手知ったる様子でSUVに歩み寄り、鍵を開けて後部座席をあれこれといじりだした。ちょっと待て。

「あの、この車ってひょっとして夏油さんのですか?」
「うん、そうだよ」

五条のものかと思いきや、これは夏油の車らしい。彼に借りて行くのか?いや、それよりも彼も一緒に行くと考えたほうが妥当だろう。

「ひょっとして夏油さんも現場に…?」
「そうそう。あれ、悟から聞いてない?」
「…聞いてないですね…」

まったく悟は。と夏油がため息をつく。予想の通り、彼も一緒に現場に向かうらしい。まさか昨日の流れで彼が探偵事務所の従業員ということはないだろう。外部の人間を連れて行っていいものなのか。いや、そもそもナマエだって最初は従業員でもなんでもないただの協力者だったわけだが。

「あ、ナマエちゃんおはよー」
「五条さん、おはようございます」

時間差で五条が到着し、当然のような顔をして後部座席に乗り込んだ。話は追々で構わないが、それにしてもよくもまぁ、まるで自分の車のように乗り込んだものだ。ナマエは夏油が運転席に乗り込むのを見て、後部座席と助手席とどちらに座るべきか少しだけ逡巡したが、上司が後部座席に乗っているなら助手席一択だろうと助手席のドアを開ける。

「夏油さん、助手席座ってもいいですか?」
「ああ、もちろん。女の子がいてくれる方が嬉しいな」

なんともリアクションに困る言葉がくっついてきたが、ともかくそんなことは気にしていられない。ナマエは「失礼します」と断って助手席に乗り込んだ。エンジンがかかり、カーステレオから早速テンポのいい洋楽が流れ出した。五条が「女の子口説き用のBGMやめて」と後ろから声がかかり「そういうのじゃないんだけどな」と言いながら夏油が音楽を止める。別に音楽の趣味は自由だが、確かに結構それっぽい選曲だった気はする。

「じゃあ、出発しようか」

夏油がウインカーを出しアクセルを踏むと、なめらかに車が発進する。BGMにはとりあえずFMラジオを流していた。誰かの運転する車に乗るのは久しぶりだ。ひとり暮らしで車は持っていなかったし、レンタカーを借りてまでどこかに行こうという機会もなかった。最後に助手席に乗ったのっていつだっけ、と考えて、もう多分新卒くらいの時が最後かもしれないと思って気が遠くなった。
車は首都高に入り、スピードがさらに上がった。そういえばカーナビは設定していないようだけれど、夏油は場所を知っているのだろうか。

「夏油さん、ナビなくて平気ですか?」
「うん。道は何となくわかってるから、サービスエリアで適当に入れるよ」
「何となくっていうかサクラコさんとやらと会ってたんじゃないの?」
「言いがかりだな。昔近くに取材行ったことあるだけ」

取材、という耳慣れているようで身近でない言葉に躓く。記者か研究者か、そういう仕事に従事しているんだろうか。少し気にはなったが、夏油と五条の会話はそのまま全く別の話題に流れていってしまって結局聞くことはできない。
首都高から三郷インターチェンジで常磐自動車道に入る。途中のサービスエリアで軽く休憩をとろうという話になり、五条はナマエと夏油を残して嬉々とソフトクリームを買いに行った。
固まりそうな身体を伸ばそうと車を降りると夏油も同じようにして降りてきて、SUVの鼻先で夏油と二人で並ぶかたちになる。ここで残されても何を話したものだろうか、と思いながら、ちらりと夏油を見上げると、丁度彼もこちらの様子を伺っていた。

「ん?どうかしたかい?」
「えっと……運転ありがとうございます」
「あはは、悟の足はよくやることだから。私運転好きだし」

言葉に迷って無難な話題を振ると、夏油は穏やかな声を返してきた。昨日のまるで口説いてくるような軟派な態度に身構えていたけれど、なんだか彼は物腰も柔らかいし、スタイルもいいし、おまけに顔も涼し気で確かにまぁこれはモテるだろうなと変に納得する。

「あの…夏油さんも現場に行くこと結構あるんですか?」
「そんなに頻繁ではないけど、そこそこ一緒に行ってるかな。今回はたまたま私が持ってきたような話だけど、普段は悟から連絡がくることが多くてね」

そうなんですね。と相槌を打った。それにしても、彼の仕事は大丈夫なのか。探偵事務所の依頼はべつに土日と決まっているわけじゃないし、そもそもいつ舞い込んでくるかわからない。会社員ではスケジュールをあけるのも難しそうだし、ならば記者か研究者かというのもある程度フリーランスでやっているような仕事なのだろうか。

「ナマエちゃんは慣れたかい?あの事務所」
「正直まだよくわかってないです。あの、一件しか現場に行ったことなくて」
「まぁ、依頼なんて毎日あるようなことじゃないからね」
「この間の依頼のことを思うと、毎日あっても困るんですが…」
「それはそうか」

くすくすと夏油が笑う。そこそこ一緒に現場に行くという彼なら、きっと妙ちくりんな依頼に巻き込まれたこともあるはずだ。真希と真依のためにはなれたのではないかと思うところはあるが、あのレベルの依頼が連続と言われると流石に及び腰になってしまう。

「ちょっと驚いたんだよね」
「え?」
「悟があの事務所で誰かを雇う気があったなんて思わなくてさ」

何に驚いたのだろうと思えばそんなことを言われた。いつからの付き合いかは分からないが五条とは随分親しい友人のようだし、五条のことはよっぽどよく知ってるはずだ。

「なんとなくって言ってました」
「ああ、言いそう」
「五条さんってずっとひとりで探偵事務所やってるんですか?」
「そうだね。少なくとも私の知る限りではずっと一人でやってるよ。税金関係の面倒なことは秘書みたいなひとにやらせてるけど」
「伊地知さんですか?」
「そうそう。ああ、もう伊地知にも会ってるんだ」

何を話したもんだろうか、という気まずさはすぐになくなった。大した話はしていないのに不思議だ。夏油の相槌の間合いが上手いのかもしれない。そうこうしている間に 五条がソフトクリームを両手に持って戻ってくる。

「なになに、二人そろって僕のうわさ?」
「おかえり、悟」
「ナマエちゃんも気になることあれば直接聞いてくれていいのに。はい、これナマエちゃんの分ね」
「えっ、ありがとうございます…」

何故二つ、と思ったが、ナマエのためだったらしい。ナマエは五条の手からコーンを受け取り「いただきます」と言ってから表面が少し溶けたソフトクリームをぺろりと舐めた。

「悟、私の分は?」
「傑のはないけど」
「なんだよ、ひどいな。じゃあナマエちゃんからひとくち貰おうかな」
「はぁ?ダメに決まってんだろ」

頭一個分以上はゆうに上で二人がわちゃわちゃと揉める。流石に家族でも恋人でもない人とソフトクリームのシェアはしたくないので、夏油がそんなにも食べたいのなら新しいものを一個買ってもらうしかない。

「ていうか、傑甘いの嫌いだろ」
「まぁ、そうなんだけどね」

夏油が肩をすくめる。じゃあ一体何のための論争だったのか。ほんの戯れだろうけれども、冗談か本気か分からない言い回しはどこか五条に似ている。伊地知といい夏油といい、五条の周りには五条に似ている人種が多い気がする。

「さて、じゃあ行こうか」

コーンについている紙をサービスエリアのゴミ箱に捨て、そろそろ目的地に向けて再出発だ。ここまでと同じように助手席に乗ろうとすると、五条にぐっと肩を引かれた。

「ナマエちゃん、後ろね」
「え?」
「はいはい乗ってー」

勢いに流されるまま後部座席に押し込まれる。代わりに五条が助手席に乗るのかと思えばそういうわけでもなく、五条はナマエのあとから後部座席に乗り込んだ。運転してもらっているのに助手席に誰もいないなんて申し訳ないんじゃないか、と思って五条を見ると、五条が頭の中を見透かしたように「別に気にしなくていいから」と先に言われてしまった。夏油も後部座席の会話に気が付いて「そうそう」と相槌を打ち、車はするりと発進していく。

「…あの、五条さん、今回も依頼ってどれくらいかかるかわからないんですよね?」
「うん。現場で調べなきゃ何とも言えないね。どうかした?」
「明日は私が運転するのかなと思って。連日だったら夏油さんもご都合悪いでしょうし…その、お仕事とか」

今日は流れで夏油が運転してくれているが、明日以降もそうとは限らない。明日もしも自分が運転するという話になるなら自分がもはやペーパードライバーと化しているだろうことを五条に知らせておいた方がいいだろう。

「私の仕事なら問題ないから気にしないで。しばらく締め切りもないから」

五条ではなく答えたのは夏油で、五条は最後に「だって」とだけ付け加えた。五条が後部座席から夏油を指さす。

「傑は小説家なんだよ。ミステリ作家。だから取材対象をだいたいいつも探してて、車出す代わりに僕の依頼の同行して取材してんの」

なるほど、職業を聞けばここまでの不思議に思っていたことが一本の線に繋がっていった。小説家だったのか。ナマエの人生において小説家という職業の人間は身近におらず、なんだか動物園でとても貴重な鳥を見ているような気分になった。

「小説家って…すごいですね」
「はは、別に凄くも何ともないさ。食えない職業だよ」

夏油が笑う。ちょっと待て、ミステリ作家が取材を兼ねているということはひょっとして多少難のある現場であるとなんとなく分かっているんじゃないか。ナマエは小さく口元をひくつかせて隣の五条と運転席の夏油のどちらともなく言葉を投げる。

「……もしかして、今回の依頼も取材たり得る内容になるだろうってことです…?」
「まぁ、大抵取材たり得る内容ばっかりだよ、依頼なんて」
「そうだね、私が今まで同行させてもらった現場でまったくの無駄ってことは一度もなかったかな」

気が遠くなる。毎日あっても困ると言ったばかりだったのに、毎日ではないがこれじゃ毎回ということじゃないか。
いわく、単純にミステリの題材というだけでなく、依頼人と遺族の人間関係なんかも結果的にはよい人間観察になるそうだ。とはいえ穏便に済んでくれと願ったところで、なんだかそうは問屋が卸さない気しかしない。


事務所からおよそ二時間弱で目的地に辿り着いた。禪院家のあった和歌山の山奥というほどではないが、今回の依頼もどうやら随分とのんびりした場所のようだ。ぽつりぽつりと民家が建っていて、錆びたバス停はどこか観光地に向かうためのものではなく、町の周回バスのためのもののようである。ビニールハウスと平屋の民家、それから町の水道工事屋と小さな郵便局、あとはひたすら田園というありさまで、芸能人が田舎で飲食店を探してバス路線を歩く番組で見るような、日本の典型的な田園風景が広がっていた。

「よし、ここだね、ソメイさんの家」

SUVが停まったのはそんな風景の中でも見渡す限りで一番大きな敷地を有しているように見える。しかし豪邸というわけではなく、ごく古い民家とそれよりは少し新しい民家がひっそりと建っているだけの、ありふれた家だ。唯一の特徴は、敷地の裏側らしき場所に大きな桜が咲いていることだった。

「……あの桜がそめいの桜…ですかね…?」
「さぁどうだろう。普通の桜に見えるけど…」

五条とナマエが並んで桜を見ていると、夏油がスマホで電話をかけだした。一言二言ですぐに通話を切り、そのすぐあとに比較的新しいほうの家から若い女性が姿を現す。若い女性によくあるほっそりとした見た目で、しかし顔は痩せているというよりもこけているといった方が正しいように思われる。目元も隈でくすんでいて、体調が良くないだろうことは明らかだった。

「げ、夏油さん…」
「サクラコさんこんにちは。例の件、五条探偵を連れてきましたのでご安心ください」
「……はい…」

夏油が努めて優しく声をかけ、それでもサクラコの不安そうな色は晴れない。ちらちらと周囲を気にして何かを怖がっているように見える。

「どうも、ソメイハナさんから依頼を受けていた探偵事務所の五条悟です。こっちは助手のミョウジナマエ。今回は故人・ソメイハナさんの生前の依頼をご希望通り遂行します」

草の香りを乗せた瑞々しい風が吹く。このどんよりとした空気に微塵も似合わないその風に乗って、桜の花びらがひらりと一枚舞い降りてきた。



- ナノ -