星呑む子 06


作戦というほどの作戦はない。昨日お手洗いに立ったより少し前の時間に西対屋を出て庭に向かう。今度は念のためスマホを持っていくが、点灯はしないように注意する。きっと昨日と同じ「真希」が現れるから、そうしたら昨晩と同じように声をかける。五条がそばで待機しているので、五条が動くまで会話を引き延ばす…。

「うぅ…自分から幽霊に会いに行くとか……」

ナマエは大きくため息をついた。何でわざわざ自分から飛び込みに行かなければいけないんだ、と思いつつも、これが上司から指示された仕事なのだから仕方がない。五条の口ぶりではあの暫定幽霊が依頼に関係しているようだし、いったん引き受けたからにはもう引くに引けない。
暗闇の中できょろきょろと昨日の白っぽい浴衣姿を探す。本当に今日も現れるのか。10分くらい経った時だった。中庭の奥の方から白い人影がぼんやりと見える。きた、あれが「真希」だろう。ナマエは計画の通りに人影に近づく。

「ま、真希ちゃん…」
「……あなた昨日の…」

真希は少し顔を斜めに逸らし、隠れるようにして応答した。声を潜めているからやはり普段とは違うように聞こえる。思わず足があるかを確認して、しっかり地面についていることにホッと胸をなでおろした。

「なに、今日も迷ったの?」
「えっと、そういうわけじゃないんですけど……」

幽霊というわけじゃないが、何かがおかしい。今日も真希は髪を下ろして白いショールのようなものを被っていて、なんだかむかし話の登場人物のようにも見える。話を引き延ばせと言われても一体何を言えばいいのか。ナマエは視線を左右に動かし、すると真希の背後から大きな影がぬるっと出てきた。

「こんばんは、もう一人の真希ちゃん」

五条だ。思いのほか早く登場してくれたことに安堵したが、暗闇から這い出て少女の肩を叩くさまは殆ど悪役である。

「な、なにあなた……!」
「安心して、多分君の敵じゃない。むしろ場合によっては味方だよ」

真希が逃げようと身をよじり、ショールが揺れて地面に落ちる。あれ、と違和感が明確になった。この髪の長さでは、あのポニーテールにならない。五条が言った「もう一人の真希ちゃん」の意味を考え、可能性が脳裏を過ぎる。二人はそのそも別人…姉妹か、いや、まさか双子なのか。

「こっちの方向から来たってことは、君は屋敷の中に住んでないのかな」
「あなたに答えることはないわ」
「いや正しくは、住むことが出来ない、かな」

五条は尋ねるようでいて、もう確信を得ているようだった。もう一人の真希がグッと息をのむ気配がする。

「僕らは直毘人氏から依頼を受けてきた探偵。君に話が聞きたい」
「ふん、何を調べに来たか知らないけれど、この屋敷には面白い話ばかりよ。話していたら朝までかかるけど構わないかしら?」
「そりゃ興味深いね」

もう一人の真希のあからさまな挑発をいなしてみせ、五条は余裕の表情だ。もう一人の真希は下唇を噛む。

「直毘人氏の依頼は君に関することだよ。それでもまだ、興味ない?」

彼女は押し黙り、いくつか考えるようにしたあとで抵抗する姿勢を解いた。五条の思わせぶりな台詞だけで態度を変えるということは、彼女に何か心当たりがあるのだろうか。

「……ここは目立つわ。私の部屋に来て」

彼女は五条の手を肩から叩き落し、くるりと踵を返す。暗闇の中でぼんやりと白く浮かび上がる背中を追っていくと、数分歩いたところで敷地の外へ続く抜け穴のようなものが姿を現す。迷いなく歩く彼女の後を追えば、あの大仰な屋敷とは打って変わって、かなり簡素で粗末な小屋のようなものが見えてきた。

「ここよ」

もう一人の真希はそう言って小屋の中へ入って行き、ナマエと五条は一度顔を見合わせてから後に続いた。どうして彼女は敷地の外のこんな場所に住んでいるのか。小屋の中は板張りで、一畳分だけ畳が敷いてある。その他に台所のような小さなスペースが見えるけれど、例えば雪山の管理所のプレハブのような、そういう簡素な狭さがあった。

「君は昨日も今日もわざわざ屋敷でなにしてたのかな」
「べつに。夜なら人目がないから少し出歩けるだけよ。それよりあなたたち何者?探偵って言ってたけど、あの人が何を頼ったのかしら」
「その前に君に聞きたいことがある。君はハラ?」

五条の問いに彼女は訝し気な顔をした。身に覚えがないといったふうな様子で、五条の読みは外れたのかもしれない。小屋の中につり下がっている電球の光で彼女を見ると、確かによく似ているが、真希本人とは少しだけ違うように見える。話し方も声も、別人だったのなら違うのも道理だろう。

「ハラってなに?聞いたこともないけれど…」
「ああそう。あのおっさん適当だなぁ」

五条がやれやれといったふうに首を左右に振った。幽霊、もといもう一人の真希に会えばハラのことがわかると思ったのに、これじゃ謎が深まっただけじゃないか。

「探偵さん、あなた名前は?」

彼女がそう尋ねる。五条はどこからともなく名刺を取り出すと、もう一人の真希に向かって差し出した。彼女はそれを受け取り、明朝体で書かれた「五条悟」の文字を読み上げる。それからハッと顔を上げた。

「あなたまさか……!」
「僕は遺言探偵。生前依頼人から受けた依頼を依頼人の死後、遺言をもって遂行する」

彼女の言葉を遮るように五条が言った。彼女は顔をしかめ、ナマエもなぜわざわざ遮ったのだろうと五条に疑問の視線を向ける。その時だった。

「真依……!」

大きな声とともに小屋の戸が開かれる。驚いて肩をびくつかせながら振り返ると、そこには随分と焦った様子の真希が立っていて、あろうことか手には薙刀を持っていた。五条はそれさえもお見通しと言った様子で「おや、本物の真希ちゃん登場だね」と笑っている。

「おい探偵さんよ。お前ら真依に何の用だ」
「あはは、とりあえず薙刀降ろして。僕らは君たちの敵じゃない。君たちの考え方次第ではむしろ味方」
「はぁ?」

五条が両手を上げて敵意はありませんといったポーズを取り、視線をナマエにくれるものだからナマエも隣で真似をした。

「君たち、双子だったんだね」
「……だったらなんだ」
「でも、真希ちゃんは屋敷に住んでいて、もう一人の真希ちゃんは敷地の外のこんな粗末な小屋に住んでる」

真希は五条に対して探るような視線を送る。それからもう一人の真希と目を合わせ、二人で頷きあった。双子の知り合いがいないわけではないが、同じ顔が同じ動作をするというのは何とも妙な気分になる。

「もう一人の私じゃない。こいつは真依。私の妹」

真希がもう一人の真希──真依を指さした。五条も言ったことだが、どうして彼女だけ屋敷の外にいるのか。昨日も今日も暗闇に紛れて、まるで何かから隠れているみたいだ。真希は薙刀を壁に立てかけると、真依の隣に腰を下ろした。

「でも、真依ってのは私らが自分たちでつけた名前だ」
「えっと…じゃあ本当の名前は…」
「そんなもんねぇよ。それどころか、真依は本来生きていることさえ許されない」

言葉を飲み込む。どういう意味だ、生きていてはいけないなんて。隣の五条を盗み見ても、驚いた様子はなかった。彼には予想の範疇だったのか。虐待の可能性が脳裏をかすめたけれど、こんな時代錯誤の家なら何かもっと別のしきたりでもあるのだろか。ナマエはそっと五条に向かって口を開いた。

「どうしてその、真依ちゃんだけ…」
「そりゃもちろん、真希ちゃんは禪院家の人間であって、真依ちゃんは禪院家の人間ではないから」
「え、双子なのにどうして…」
「双子だからだよ」

迷いのない五条の言葉に困惑した。双子なのに、姉の真希は禪院家の人間で妹の真依は禪院家の人間ではない。話の文脈から察するに養子縁組というわけでもないだろう。上手く状況を飲み込めないナマエのために五条が教師然とした様子で説明を始める。

「古来から双子っていうのは忌み子とされている。畜生腹って言ってね、一度に複数の子供が生まれるのは動物と同じだって、そんなくっだらない理由を付けてたわけ」

双子が忌み子とされていたのにはいくつか理由があるが、多胎児というのはまるで動物のようであると蔑まれた。それに同じ顔がこの世に二つあるっていうのが、医学の発達してない時代には不吉なもののように感じられたのかもしれない。双子は不吉なもの、穢れとして排除されていた歴史がある。

「双子の片方を殺してしまって、初めからいなかったことにするなんてのは、昔じゃそこそこよく聞く話だ。真依ちゃんは生まれたときに殺されていてもおかしくなかった」
「そんなこと……」
「あったんだよ、実際」

五条にすっぱりと切られてナマエが黙る。確かにここでその事実に憤っていても仕方がない。自分たちの理解を超えるものを恐れるというのが人間ではあるが、今ではだたのそんな確率の問題だけで殺された子供がいたなんてなんともやりきれない。

「じゃあ、真依ちゃんがその…ハラ、なんですか?」
「そ」
「ちょっと、だから私はハラなんて知らないってば」

ナマエと五条が二人で話を進めて行ってしまう様をぽかんと見てた真依が割って入る。そうだ、本人が知らないというのに、なぜ五条は確信を持って肯定するのだろう。何か根拠があるのか。

「ハリハラって知ってる?インドの神様」
「はりはら…?」
「これは合体神で、右半身がシヴァ、左半身がヴィシュヌという神なんだけど、ハリがヴィシュヌを意味して、ハラがシヴァを意味してる。双子は元々一人の人間だって考えがあるけど…それに二人で一人のハリハラをなそらえたんだろうね」

真希と真依が顔を見合わせ、それから真希は五条に視線をやった。

「おたくらずっとハラを探してたよな。それが依頼内容なんだろ?ハラをどうしろって?まさかあのクソジジイ、殺せとでも言ってきたのかよ」

空気がピリつく。真依もこちらを睨みつけているが、その手はぎゅっと真希の袴を握っていて、怯えていることがよくわかる。虐げられてきた彼女たちからすれば前当主がわざわざ名指しで遺している遺言が良いものなんかじゃないと警戒して当然だ。

「いや、むしろ逆。禪院家のハラを出して欲しい。それが僕の受けた依頼」
「……は?」
「基本的に依頼内容は他言無用なんだけどさ、この状況で言わずに連れてくのは流石に無理だから。もちろん君には拒否する権利もある。僕はべつに何か公的な権力を持っているわけじゃないし、遺言にそこまでの強制力はない」

真希と真依の目が見開かれ、大きな瞳に五条がうっすらと映っている。外からかさかさと草の葉の擦れる音が聞こえて、風が通り抜けたせいで小屋が少しだけ揺れる。チカチカと電球が明滅した。

「……だけど君が、君たちがここを出たいというのなら、僕は全力でそのサポートをする」

五条の言葉は不思議だ。何か強い引力のようなものがある。彼の確定的な言い方は「本当にそんなことが出来るの?」と疑問を浮かべる隙を与えなかったし、どんなことでもやってのけるような説得力を感じる。大丈夫、と、内部告発をするときに言われた言葉が思い出された。
真依が「わ、わたし……」と震えた声を上げ、真希が彼女の手を握った。真依は一度口を閉じてから、桜色の唇をまた開く。

「私、外に出たい。こんな家にいるなんてもうイヤ…!」

小さくても鋭い声だった。名状しがたい感情を孕んだ声は小屋の中に反響し、真希が真依の肩を抱く。真依は真希を見上げ、そのまま縋るように襟元を掴む。少しだけ真希がよろけ、座り込むところに真依が寄りかかるような体勢になった。

「真希も一緒に来て。約束したでしょ、ずっと一緒にいるって!」
「真依……」
「ねぇ探偵さん、私だけを外に連れ出せって話じゃないんでしょう?だったら真希も来たっていいわよね?」

真依の矛先が五条に変わる。五条はやはり驚くような様子もなく「もちろん」と答えた。禪院家のハラを外に出してほしい。まったく意味が分からず無機質だった言葉が途端に体温を得る。あれはこの家に縛り付けられて生きるしかできない少女を救うための言葉だ。



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