星呑む子 05


五条が屋敷の中をもう一度イチから調べると言い出して、勝手口まで戻って端から構造をメモに取っていく。現代で言うとことの勝手口に相当するここは、侍廊と正式名称がついているらしい。東にあった四脚門に一番近い出入口は中門廊と呼ばれ、ここから家の人間や客人が出入りをする機会が多い。客人が勝手口である侍廊から通されることはどう考えても礼を失することだから、五条たちがいかに歓迎されていなかったかということが窺い知れる対応である。

「いやぁ、もう完璧に招かれざる客だよね」
「五条さん最初から分かってたんですよね?私はもうまさかこんなお屋敷とは思ってなかったんでそこまで気が回りませんでしたよ」
「はは、こんな時代錯誤の家によく住んでるよねぇ」

依頼人の一族に対して随分な物言いであるが、その意見には概ね同意だ。電気が引いてあるとはいえ昨晩のことを思うとかなり心もとなかったし、夏は熱そうな上、冬は隙間風も酷そうだ。昔の人は寒くなかったんだろうか。エアコンが完備された環境でぬくぬくと育った自分には想像もできない。

「主人の出入りは寝殿の中央にあるあの階段。そのほかの家の人間は中門廊、で、使用人がここを使っているって具合かな」
「なるほど…この家ってどれくらいの人が住んでるんですかね?広いし、招かれざる客すぎて集まるようなタイミングもないし、結局何人いるのか全然分からないですけど…これくらい立派なお屋敷だと相当住んでるんじゃ…」
「それはどうかな。平安時代の寝殿造には20人とかそのくらいしか住んでなかったらしいけど。それを踏襲してるならかなり少ないんじゃない?」
「えっ、こんなに広いのにですか!?」

思わず大きな声が出た。一般的な家に20人と言われればそれはそれで非現実的だが、おとぎ話めいたこの広大な敷地にそれだけしか住んでいないというのも恐ろしい話だ。庭の端まではまだ行っていないけれど、パッと見る限り野球場でもひとつ作れてしまいそうに見える。

「なんか…すごく贅沢ですね?」
「まぁ、もとは平安貴族のための屋敷の造りだからねぇ」
「なるほど……」

寝殿造の平均的な居住人数など気にもしたことがなかった。探偵ともなるとそんなことまで知っていなければいけないのか、あるいは五条が特別そういうことに詳しいだけなのか。二人は昨日見て回った釣殿にもう一度向かい、それとは寝殿を挟んで反対に位置する建物にも向かう。こちらも透渡殿で行き来できるようになっていて、泉殿という名がついているらしい。中門廊、寝殿、西対屋。行けるところは全て足でまわり、すれ違う住人は全員二人の姿を見るなり隠れてしまった。

「さて……まぁ、流石に屋敷の中を調べるだけじゃ何も出てこない、か」

五条がふむ、と顎に手を当てる。ようやく屋敷をぐるりと回ることができて、手元のメモ帳には全体図がすっかり出来上がっている。南側の庭に向かってコの字型になった典型的な寝殿造といえる。調査の際に妙な人物に出くわすこともなかったし、しかもどこかおかしな構造があったとしてもナマエにはさっぱりわかりようもない。五条は一体何を調べたくて屋敷の中を回っていたのだろうか。

「五条さん、一体何を調べるつもりだったんです?」
「ハラの隠し場所」
「えっ!」

あまりにさらりと言われて思わず固まった。肝心のハラが何かを探っていたはずだったのに、これではまるで五条がハラが何なのかをもう解き明かしているように聞こえる。いやそんなのわかっているなら教えてくれてもいいじゃないか。

「わかったんですか?ハラっていうのがなんなのか」
「なんとなくね」
「なんなんです?」
「まだ内緒」

むっと眉間に皺を寄せる。ニシカワの事件のときならまだしも、いまはれっきとした従業員である。しかもこうして現場まで出張に出てきているんだ。情報というものは共有すべきものなんじゃないのか。

「大丈夫大丈夫、今晩わかるから」

なんだそれ。と思っても、どうせこれ以上の抗議など意味がなさそうだ。ナマエは抗議するのを諦め、手元の見取り図を見つめる。隠そうと思えばどこにだって隠せる。そもそも二人は東対屋と北対屋には入らないようにと言われているし、隠し部屋なんてあればこんな短時間で部外者の二人が見つけられるわけもない。
じっと考え込んでいると、五条の指が伸びてきてナマエの鼻先をツンと摘まんだ。驚いて見上げれば、彼がくすくすと笑っている。

「なにするんですかっ!」
「そんな顔しないでよ。内緒なのにもちゃんとワケがあるんだから」

心の中を見透かしたようにそう言われると、とうとう言葉もなくなってしまう。ほんとに彼には何が見えているのか。時々、ひょっとして彼には自分と違うものが見えているのではないかとさえ思う。もっとも、ごく最近知り合ったばかりなのだから的外れも良いところなのだろうが。

「庭か…ひょっとしたら敷地の外かもしれないな」

五条がひゅっと顔を上げて広大な中庭を見渡す。彼の目には何が見えているんだろう。青く美しい瞳は、ただ光を受けてきらめくだけだった。


聞き込みをしようにも誰もかれもに逃げられてあてがない。これ以上どうするつもりなのかなと思いながら五条について行けば、最終的に辿り着いたのは寝殿の恵のもとだった。ハラがなにかは分かっているような口ぶりだったが、まさか場所を直接尋ねる気だろうか。

「恵くーん、ちょっとお話いい?」
「……ええ、どうぞ」

他人の屋敷の癖にどこか勝手知ったるような図々しさで間仕切りである几帳をぺらりとめくる。恵は文机に向かってなにか書き物をしている様子だった。狩衣姿で筆を持ち、そのさまはまるで過去の人間だ。いや、彼の美貌も相まって何かの撮影だと言われた方がまだ納得ができるか。

「依頼の内容話してくれる気にでもなったんスか」
「さぁ、それはどうだろう」

五条が恵の前に無遠慮に座り、恵は眉を少しだけきゅっと寄せる。ナマエはこそこそと五条の斜め後ろに正座した。

「何かを探してるみたいですけど、見つかったんですか?」
「ぜーんぜん。直毘人氏にはここに来れば分かるって言われてたんだけど、皆目見当も付かないよ」

五条が両方の手のひらをぱっと恵に向かって見せる。恵も依頼内容を探ってくるつもりなのだろうか。

「それにしても、この家超古くない?めちゃくちゃ不便だし…君も真希ちゃんも学校とか行ってる?」
「いえ。勉強なら家の中でします。それに、この家にいても一般社会で必要な教養はほとんど役に立ちませんから」

確かに、と五条が頷く。驚いた。恵も真希も学校に通わせてもらっていないのか。この国において中学までは義務教育だ。恵の口ぶりからすれば、この家の子供は高校はおろか、小学校も中学校も通わせてもらっていないんじゃないのか。各家庭の事情に口を突っ込むというのはいかがかと思うが、これは考え方によっては虐待に近いものがあるのではないのか。

「でも、星読みの家だからって勉強は大事だよ?」
「五条さんのようなひとでもそんなこと言うんですね」
「僕は学校の成績はトップクラスだったからね」

不遜に話し続ける五条に向かって恵は少しも怖気づく様子はない。態度のあからさまに悪い成人男性を前にしてこんなにも貫禄のある態度を取れる16歳というのも珍しいものだ。昨日会ったばかりとは思えない二人のやり取りに少し違和感を覚えた。

「旧体質然としていて…ここは時間が止まってる。辛気臭くて嫌にならない?」
「はい、毎日最悪です」
「あはは、そんなにはっきり言うとは思わなかったなぁ」

五条が声を上げて笑う。それを見て恵がまた眉間にしわを寄せた。五条はあぐらをかいたまま両手を後ろについて天井を仰ぎ見るような姿勢でしばらく笑い「あー、ウケる」とまた失礼なことを言いながら体勢を戻して恵をじっと見つめた。

「君さぁ、あんまりこの家の人間っぽくないよね」
「……どういう意味ですか」
「だってみんな僕と話すことを避けるのに、君と真希ちゃんだけはそんなのお構いなしで向かってくるからさ」

そもそも、故人の死を知らせて依頼を遂行させることは反対多数だった。ほとんど独断だったとは恵自身が言ったことだ。独断でも依頼を出せたことはきっと彼が当主だからなのだろうけれど、そもそも依頼をしようと思ったあたりからも五条の言う「この家の人間っぽくない」というところは伺える。

「アンタどこまで───」

恵はそう言いかけ、しかし最後までは言葉を続けなかった。二人の間で言葉のない攻防が続いているような気がする。少しだけ沈黙がもたらされ、部屋の中を風が流れていった。恵は躊躇うように何度か唇を動かし、そしてため息をついてから小さく口を開いた。

「…別に俺は、なりたくて当主になったわけじゃない」
「というと?」
「俺は禪院家の血が流れてますけど、他の人間と違ってここで生まれたわけじゃありません。クソ親父がトんで、交換条件をつけられてここに引き取られただけです」
「なるほど」

いわく、恵の父親というのが禪院家の人間で、続柄で言えば直毘人氏の甥にあたるらしい。その父親は家出同然で禪院家を出て、とある女性と恵をもうけ、その後母親は他界。父親は再婚したもののギャンブル三昧でしまいには行方をくらまし、再婚相手の女性もある日突然家に帰らなくなった。子供二人で途方に暮れていたところに声をかけてきた。それが禪院直毘人だった。

「津美紀は……姉はこんなクソみたいな家とは関係のない普通の人間だ。俺が禪院家に入る条件として金を出させて、姉を巻き込まないように契約したんです」
「そんな……」

ナマエは思わず口を挟んでしまいそうになって、慌てて押し黙る。星読みの一族だか伝統だかなんだか知らないが、彼はまだ子供じゃないのか。大人の都合に合わせて物みたいに扱われて、そんなの許していいのか。
五条は恵の話を黙って聞いていた。少しも驚いた様子がなく、話の内容は予想がついていたのか、あるいは元々知っていたのか。

「さっき、どうして反対多数だったのに依頼をしたんだろうって顔してましたけど」

恵の視線と言葉がナマエに向けられて心臓が跳ねる。彼の鋭利な瞳は刃物のようで、それはきっと他人を害するためのものではなく自分を守るための物ではないかと思われた。

「反対多数だから、依頼したんです。こんな家、さっさとなくなればいい」

恵が吐き捨てるように言う。16歳の少年が──いや、16歳の少年だからこそ、そこに付けられた傷は大きく深いのだろう。

「直毘人氏には息子もいたよね。なのにどうして君が当主に?」
「五条さんなら知ってますよね。あの人は何年も前に行方をくらましてるんです。それでこの家は俺を探しに来たんですよ」

あら、バレてたか。と五条が悪びれもせずに言った。二人とも何かを知っている前提でずっと話すせいで、ナマエには核心のような何かがずっと隠されているような収まりの悪さがある。
そこから五条はこの屋敷のことであれこれと質問を投げかけ、恵はそれにひとつずつ答えた。手元のメモはもう何ページにも渡りこの家のことについて書かれているのに、なにひとつ理解できないようなそんな気持ちになった。


寝殿を後にすると、二人は一度貸し与えられている西対屋に向かった。五条が荷物の中からタブレット端末を取り出していくつか操作をする。ナマエはその作業が終わるまで今日まで書き留めたメモを眺めた。
古くは陰陽寮にまで繋がる星読みの一族。今でもありとあらゆる業界の権力者や政治家を客にして、こんな山奥の時代錯誤の屋敷で暮らす。この暮らしぶりからも自分たちへの態度からも恵への仕打ちからも、伝統を重んじる排他的な家柄だと窺い知ることが出来る。ひと様の家にどうこうと言うのはどうかと思うけれども、こんな窮屈な家には生まれたくない、というのが率直な感想だった。

「さて、と。下準備完了。じゃあ夜まで待機かな」
「えっ、夜までですか?」
「そ。見えちゃいけないものっていうのは大体夜にしか現れないものなんだから」

朝の話を忘れていなかったのか。ニコニコとこの上ない笑顔を見せる五条に嫌な予感がする。こんな予感ハズレてくれ、と思いながら「ひょっとして私に行けとか言ったりしないですよね…?」とナマエが言えば、五条は更にニコニコニコと笑みを深めた。
いやいや勘弁してほしい。真希が寝ぼけていたと自分であったことを肯定したのに、五条の言いっぷりじゃそれを含めて嘘みたいじゃないか。

「い、いやですよ!あれ真希ちゃんだったって本人が言ってたじゃないですか!」
「でも、ハラの在り処がこれでわかるんだけどなぁ」

五条にそう言われて「うっ」と言葉に詰まる。ハラの正体については彼は分かっているようだが、在り処までは分からずにどうしようかと足踏みしていたところなのだ。ここでやりたくないなんて言えばいつまで経っても仕事が終わらない。ナマエは一度大きくため息をついてぎゅっと唇を引き結んだ。

「…もぉ……わかりましたよ!やります、囮でもなんでもっ!」
「そう来なくっちゃ!」

やっぱり五条はナマエがそう言うことを予め知っていたように笑みを深める。彼のペースから逃れようなんていうのは、どうにも無理な話のようである。



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