04 オール・フォー・ハー

平日の昼前、渾身のファストファッションコーディネートに身を包んだナマエは、目の前の恐ろしく非日常の光景を他人事のように眺めていた。
突如言い渡された休日。五条に連れられてまず訪れたのは、彼が普段利用しているという青山のセレクトショップだった。

「この辺のブランドとか僕オススメ」

そう言って、勝手知ったる様子でひょいひょいとナマエの腕に洋服をかけていく。
実際勝手知ったるところではあるらしく、入店時の店員さんは「お待ちしておりました、五条様」と声をかけていた。
彼は常連で、おそらく上客で、しかも今日来店するということを事前に知らせていたのだという三つの情報得るに余りある言葉だった。

「五条さん、私のこと着せ替え人形にして遊ぶ気ですか?」
「そんなことないって。ハイハイ試着して」

そう言い、五条はナマエをフィッティングルームに押し込む。
ナマエの手にはカットソーが二着とスカートが一着、それから幅広のパンツが握られている。

「どうみても多い…」

押し込まれて試着を余儀なくされたが、実際購入できないだろうということは正直なところ袖を通す前から分かりきっている。なにせ高い。
そもそもこんな高価なセレクトショップには無縁の人生なのだ。奮発して同じくらいの価格帯の洋服を購入したこともあるが、それはあくまで自分へのご褒美とかそういうもので、こうぽんぽんと買うものじゃない。
そっとカットソーに袖を通し、スカートを履く。肌触りが心地よくて気後れしてしまう。

「…あの、着ました、けど…」

フィッティングルームから顔を出すと、五条が大きなコンパスでナマエに近づく。
五条はナマエを頭のてっぺんから爪先までしげしげと確認し、満足そうに笑う。

「イイじゃん」
「あ、りがとうございます…?」

着たところで申し訳ないけど買えないよなぁ、と思いながら珍しくストレートな五条の褒め言葉に礼を返す。

「じゃあ今度はこっちね」
「え!?」

驚くナマエに今度はワンピースを押し付け、五条は肩を掴んで回れ右をさせてまたナマエをフィッティングルームに押し込んだ。

「やっぱり着せ替え人形なのでは…」

そうひとりごち、来ていたカットソーとスカートを慎重に脱ぐと、手渡されたワンビースを広げる。
首元がボウタイになったワンピースで、全体は淡いラベンダーカラーの軽い生地で作られている。ウエストの高い位置に切り返しがあり、そこからフレアに裾が広がって、女性らしさをさりげなく演出する上品な一着だった。

「生地が触ったことないくらい気持ちいい…」

するりと表面を撫で、そのきめ細かさを確かめた。
背中のジッパーを下げ、そっと体をすべり込ませる。そろそろとワンピースを持ち上げて背中のジッパーを上げると、くるりと鏡の前で一回転した。

「可愛いけど…身の丈に合ってないというか…」

先ほどと同じようにフィッティングルームから顔を出すと、今度は呼び寄せる必要のない距離に五条がいた。

「うんうん、こっちもイイね」

五条はそう言い、軽く手を上げる動作で店員を呼び寄せる。

「この辺全部貰ってくから、今着てるやつはタグ切ってやって」
「え!五条さん!?」

何を、と抗議する間もなく五条はクレジットカードを店員に渡し、もう一人の店員がフィッティングルームに残された他の商品やナマエが元々着ていた洋服をまとめていく。

「五条さん、ちょっと、あの、流石に私のお給料じゃ…」

店員がいる手前大声では言えず、五条に近寄り努めて小さな声で抗議をする。
五条はナマエの様子など意に介さず、口元に笑みを浮かべるばかりだ。

「あー、いいのいいの。僕の支払いだから」
「何にも良くないですよ…五条さんにこんな高価なもの買ってもらう理由がありません」
「理由が欲しいの?じゃあ考えといてあげる」
「そういうことじゃなくって…」

論点をずらされ、五条は取り合うつもりがないようだった。
店内でこれ以上ごねることもできず、ナマエは仕方なく口を噤む。
結局支払いがいくらになったか聞こうとしたが、一番初めに試着したカットソーの値札の金額を思い出して辞めた。合計金額なんて恐ろしくて聞けない。


五条に全身をコーディネートされたナマエが、次に連れてこられたのは、百貨店のコスメフロアだった。
化粧品類と香水の匂いが混ざった独特の匂いが充満しており、また煌びや店内装飾の数々に眩暈がしそうだった。

「ナマエはいつもどこの使ってんの?」
「…なんで私がデパコス使ってる前提なんですか…」

プレゼントで貰った口紅の一本がデパートコスメブランドだが、それ以外は基本的にプチプラと分類されるようなドラッグストアで購入可能なものばかりを使っている。
過去に購入をしたこともあるが、フルセットを揃えるなんてとてもじゃないができない。

「もったいなくてデパコスなんか自分用に買えませんよ」

憧れもそこそこあるけれど、自分を着飾ることにそこまでの余裕はなかったし、おまけに任務が忙しくておしゃれに気合を入れて出掛ける機会もなかった。

「いいじゃん。ここも僕払うし」
「はい?」

間抜けな声をあげて五条を見上げると、何か問題が?とでも言いたげな表情で、ブティックで言ったばかりじゃないかと思わず舌打ちしそうになった。
借りを作るみたいで本当に気が乗らない。

「今日は僕金使いたい気分なの」
「えぇぇ…」
「でもおととい一番欲しいモンは買っちゃったし、ナマエは丁度色々と入り用な訳だし、ウィンウィンでしょ」

何もウィンウィンじゃないです。と言おうとしたところで、五条がナマエの手を引いて店舗の方へ歩いて行ってしまう。

「こことか良くない?」
「いや、良いも悪いも私には…!」

店員に五条は「この子に似合うの見繕ってもらえる?」と声をかけ、あれよあれよという間にタッチアップブースに座らされてしまった。

「今日は何かお探しですか?」
「あ、あの」
「基礎化粧品一式とメイクアップ用にも全部お願いね」

気後れして口籠るナマエの斜め後ろから五条がそういい「承知しました」と店員が応えてナマエを取り残して話が進んでいく。
五条は少し下がって、店員があれやこれやと接客していく様を観察し始めた。

「普段はどういったスキンケアをお使いですか?」
「えっと、あの、あんまりこういうのに詳しくなくて…」
「左様でございますか。何かお肌のお悩み等はございますか?」
「そ、そうですね…ちょっと最近乾燥が気になる、かも…しれないです」

店員はナマエの言葉を聞き、いくつかの製品を用意する。
磨き上げられたテーブルには、こん、こんと控えめな音を立てて瓶に入った化粧水やら乳液やらが並べられていた。普段使う化粧品はプラスチックの容器に入っているものばかりなので、こんな些細な違いに高級感を感じて少しソワソワする。

「失礼しますね」

店員はそう声をかけ、ダッカールで前髪を留めるとコットンに化粧水を浸してナマエの顔をパタパタとはたく。続いて美容液、乳液。プロの手によって整えられた顔に、今度は化粧下地が広げられる。

「今は紫外線の強い季節ですから、紫外線対策の効果のある下地をお勧めいたします」
「えっ、紫外線って夏じゃないんですか?」
「夏ももちろん強いのですが、この時期からもう紫外線どんどん強くなっていますし、対策をするなら春からがおすすめですよ」

し、知らなかった。と驚きながら、ナマエは店員の手捌きの鮮やかさに見入った。

「シャドウとリップのお色はいかがしますか?」
「えぇっと…」

そうは言われても。特別普段から化粧にこだわっているわけでなし、パッと言葉が出てこない。なんて言おう、と思っていたら、また後ろから声がかけられた。

「春らしい色にしといて。この子、コーラル系よりパープルピンクっぽい方が合うから、それ系で」
「承知いたしました」

五条がそう店員に言って、ナマエの意思はまたもや無視されたまま話が進んでいく。
ファンデーションとプレストパウダーで仕上げたベースメイクの上に、今度はペンシルアイブロウで眉の形を整えられた。
アイホールにラズベリーカラーを仕込み、目頭にラベンダーを、目尻にはウォームブラウンを乗せる。
ボルドーのシャドウライナーで下目尻に輪郭をつけ、チークはヌードベージュ。
リップには春の新作だという落ち着いた印象のピンクが乗せられた。

「いかがでしょう」
「わ、すごい…」

鏡の中にいるのは、まるで別人のような自分だった。
肌の色も見違えるほど明るく、プロの手によって施されたアイメイクは目元をきらきらと輝かせて見えた。

「じゃあこの辺全部貰っていくよ」

五条は店員に言って、ブティックで出したものと同じクレジットカードを手渡す。
先ほどの会話とブティックでのこともあるので、ナマエはもう抗議をすることはなかった。

「素敵な彼氏さんですね」
「えっ、いや、その…」

五条が会計の対応をしている間、こっそり、といった様子で店員がナマエに言った。
違うんです。会社の先輩で。雇われ家政婦で。学生時代の後輩で。いくつか否定のための的確な言葉を探したけれど、どうしてだかそのどれも口にすることができなかった。

「ナマエ、行くよ」
「あっ、はい!」

会計を終えた五条に呼ばれ、そばまで寄る。なんだかんだと詰め込んだ大きめの紙袋を受け取ろうとしても、五条が渡すことはなかった。
ありがとうございました、という店員の言葉を背に聞きながら、五条の大きいコンパスに置いて行かれまいと早歩きで隣を歩く。


それから五条の行きつけだという雑貨店や日用品店を数件まわり、疲れたから甘いものが飲みたい、と言い出した五条のリクエストにより立ち寄ったカフェで、五条は期間限定のピーチのドリンクを、ナマエはソイラテを飲みながら往来を眺めていた。
店内には雰囲気の良いジャズテイストの曲が流れており、平日のためか席も程よく空いている。

「他に行きたいところある?」
「いえ、日用品は揃えられましたし…洋服も化粧品も勿体無いくらい買ってもらいましたから」

車に都度詰め込まれた紙袋の数を数える。ブティックで二袋、コスメが一袋、食器類が一袋、キッチン用品が一袋…。そこまで数えて続きを思い出すのは辞めた。
ほとんど全てがナマエのためのものばかりだった。

「五条さんこそ、せっかくの休みなのに何か買い物しておかなくていいんですか」
「いいんだよ、僕はおととい欲しいモン買ったって言ったろ。今日はナマエの買い出しなんだって」

春の晴天の、どうしようもなく麗かな日である。
買い物日和だとは思うが、五条がナマエをこうして連れ回す理由は未だよくわからない。

「五条さん、今日なんか変ですよ」

それは今日一日中、ナマエがずっと思っていたことだった。
何かと学生時代から無理難題を押し付けてくるこの男が、自分をこんなにも甘やかすみたいなことをしたことが、今まであっただろうか。

「別に変じゃないでしょ」

ストローを咥え、五条はそう言った。
五条が勢いよくズズズと吸い込むものだから、ドリンクのかさが容赦なく減っていく。

「こんなに良くしてもらう理由がありません」
「理由理由って、おまえら本当に理由好きだね」

はは、と笑いをこぼす五条に少し違和感を感じ、ナマエはハッとその顔を見上げる。
サングラスの向こうの瞳は、いつもと同じで凪いでいるように見える。凪いでいると感じたのか、凪いでいると思いたかっただけなのかはわからなかった。
おまえら、って、一体私と誰を指しているんだろう。

「そんなに気になるなら、出世払いってことにする?なんならリボ払いでもいいよ」
「…いえ、リボ払いは後が怖いんでしない主義なんです」

そんなこと言いながら、きっとこれは返済なんてさせてもらえないんだろうということは、聞かなくてもわかった。
買い物の最中、五条がどこか満足げな顔をしていたように見えて、真意まではわからなかったけれど少しでもこうして満たされればいいと思った。

「ほんとに、良く似合ってる」

ほんのささやかな声で紡ぎ出された言葉は、悶々と考えるナマエの耳に届くことはなかった。

「五条さん、晩ご飯何食べたいですか?」
「んー、昨日グラタンだったから今日は和食かな」

了解です。と返事をして頭の中で献立を考える。
カレイの美味しい季節だ。煮付けを中心に、春野菜の味噌汁や山菜の和え物を作るものいいだろう。
今日は一応の休日だけれど、流石にここまで良くされたら晩ご飯ぐらいは作りたくなってしまう。

「ナマエの料理楽しみだよ」

やっぱり私、今日休みになってなくないですか。とセリフを用意していたのに、まるで打算のない先手を打たれ、思わず押し黙った。
良く知っていると思っていたこの男のことを、実際自分は少しもわかっていないのかもしれない。
少なくとも、こんなに優しい顔をする男だということは、今日まで知らなかったのだから。

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