01 スーパーアンラッキーガール

ビビりと持ち前のアンラッキーが祟って、ミョウジナマエは万年二級術師だった。

「反転術式でどうこうなるものじゃないな」
「うそ…ですよね…?」
「いや、本当だ」

家入を前に、ナマエは顔を引き攣らせ、自分の手をじっと見る。
昨日と少しも変わらない、保湿の足りないかさついた手だ。しかしぐっと呪力を込めようとしても、少しも呪力は集まらない。

「マジですか?」
「残念ながらマジだ」


昨日の夜から本日の朝にかけて、ナマエは熊野の山間部での呪霊祓除任務についていた。
特別難しい任務というわけでもなく、廃村についた低級呪霊を祓うだけの簡単なもののはずだった。

「あれも呪いか…」

廃村の家のひとつに、人影が見えた。
こんな場所に人間がいるわけがない。気配を消して近づくと、その背丈の高さにすこし驚く。2メートル近い躯体は男性のかたちをとっており、不自然なほど白い。そして何より。

「五条さん…?」

見知った男に酷く似ている。

『火を、貸してくれませんか』

振り返った相貌までそっくりでナマエは思わず顔を歪める。呪いの中にもこうして人の姿かたちを真似るものはそこそこいる。
よりによって五条さん真似ないでよ、とため息をつき、呪霊の前に仁王立ちになる。

「趣味悪いなぁ。っていうか、対峙してる人間の記憶から誰を真似るか決めてるの?…だとしたら余計趣味悪い…」

ナマエは炎を纏わせた抜き身の刀を構え、剣先を少し揺らす。
呪霊は刀身の炎に向かいゆらゆらと足を進めた。その緩慢な動きをじっと観察し、刀身に呪霊が手を伸ばす刹那、ナマエはぐっと溜めた左足を踏み切り、呪霊の腹を真っ二つに切る。

「ま、考えてもしょうがないか」

呪霊に整合性を求めすぎるのは危険だ。そもそも人間に理解できるわけがない。
刀身の炎がスピードに乗り、暗闇の中を線になって駆ける。通り過ぎたその暗がりから呪霊の腕のような部分がぐんと伸びる気配がした。
ナマエが振り返りざまにそれを突き刺すと、首元にひんやりしたものが触れる。
くそ、真っ二つでも動くやつか、と突き刺した刀をそのまま振り上げ、首元の影を祓う。
その瞬間に炎に浮かび上がった呪霊の顔は未だ五条にそっくりなままで、ナマエの首元に歯を立てようとしていた。
炎に焼かれた呪霊はざふっ、と砂埃が立つような音とともに立ち消える。消える直前、にたりと五条そっくりな顔のまま口を歪め、それが尚のこと気味が悪い。

「げぇ…なんか五条さん斬ったみたいで後味悪い…」

まああの人を斬るなんてことは一生ないだろうけど。ナマエはそう独りごちて刀を鞘に納めた。
呪いの気配ももうないし、さぁ帰ろう、と補助監督の待つ帳の外へ足を進める。首にちりっとした熱を感じ振り返るが、そこには何もなかった。
補助監督の運転する車で駅へ向かい、始発の新幹線で高専を目指す。その道中で感じていた違和感は、段々と鮮明になっていった。
筵山につくと、ナマエは補助監督への挨拶もそこそこに高専に続く階段を駆けあがる。おかしい。やばい。早く診てもらわなければ。焦れば焦るほど思考は煩雑になっていく。
飛び込むようにして家入の仕事部屋に入ると、開口一番こう言った。

「い、家入さん…私呪力がなくなってるみたいなんですけど…」

そして冒頭に戻るというわけだった。

「呪霊は祓ったんだろ?普通ならその残穢によるものだとしても弱まっていくものだが、時間が経つにつれて殊更呪力を削がれているっていうなら、それは少し厄介かもしれないな」

家入の言葉に、ナマエは途方に暮れた。
呪いの影響で一時的に目が見えなくなったり、口がきけなくなったりしたことは過去にもある。しかしそれらはすべて元凶となる呪いを祓い、あるいは祓ったあとに時間の経過とともに解呪されていた。
呪いを祓っても解呪されるどころか効果は強まり、また反転術式でどうこう出来るものでもないのなら、事実上打てる手はないも同然だ。

「ど、どうしよう家入さん…私どうなっちゃうんですか…」
「まぁなんだ、任務明けで疲れてるんだろ。一度家に帰って休め。時間の経過で状況が好転するかもしれないし、そうでなくても対策はそれから練ればいいだろう」

ナマエと対照的に家入は落ち着いた様子で、煙草にじゅっと火をつける。広くはない室内に煙がもくもくとあがった。
その落ち着き払ったさまがこれ以上ここでできるとはないということを物語っており、ナマエは深く溜め息をついた。

「…そうですよね。一度帰ります」

ありがとうございました。と礼を言ってナマエは家入の部屋を出る。補助監督の事務室に行って取り急ぎ簡単な報告をしなければいけない。
ナマエの呪力が刻一刻と漏出していようとも、朝の高専は静かだ。授業が始まるか否かの時間で、グラウンドにも人影はない。
中庭の桜を眺めていると、向かいから見知った顔が近づいてくる。

「あれ、ナマエじゃん」

うわ、と内心思うのは、何も昨晩同じ顔の呪いを斬ったからというわけではない。ナマエはこの五条悟という男が高専の時分から得意でなかった。

「…ご、五条さん…おはようございます」
「…おまえ」

探るような様子でナマエを観察する。いつもの目隠しをしているのでその視線までは窺えないが、どうせそんなものがあってもこの男にはあらゆるものが視えているのだ。
何ですか、と控えめに抗議をすると、五条はじっと顎に手をあてて更にナマエを観察した。

「ふーん。めちゃくちゃ面白いことになってんじゃん」

ああ、バレた。ということが一瞬にしてわかった。そもそもこの男相手に隠し事をしようというのが間違いなのだ。ナマエは諦めて諸手を挙げると正直に昨晩のことを話した。

「熊野の廃村で呪霊の祓除任務に当たったんです。呪いは祓ったし攻撃は受けてないんですけど、祓った直後から呪力が漏出しだして、ろくに流せなくなりました。さっき家入さんに診てもらったんですが原因不明です」
「ダッサ、ウケるね」

ウケるんじゃない。と心の中で突っ込み、はぁ、とため息をつく。
今は生意気な口をきけるほど元気はないし、何より下手なことを言って五条に報復されたらたまったもんじゃない。

「呪力ナシじゃろくに任務も出来ませんよ…はぁ、このまま呪力戻らなかったらどうしよう」

天与呪縛でもあるまいし呪力が全くないというわけではないが、その呪力量は殆ど一般人と変わらないほどに落ちていた。
この状況だと呪いを視認できるかさえ怪しい。到底術師の任務には赴けないだろう。

「補助監督の仕事とかならやらせて貰えますかね」
「いや、補助監督は帳降ろせなきゃいけないから一般人並みの呪力じゃ無理じゃない?」

ああ、そうか、と指摘されて気づき、ナマエは更に落胆した。

「私ずっと術師一本ですよ?今更一般企業になんて就職出来なくないですか?」

ナマエは自分がスーツ姿でブリーフケースを持って通勤する姿やデスクで様々なグラフとにらめっこする姿を想像してみたが、ひとつもしっくりこなかった。

「まーまー、もしもの時は僕が良い就職先探してあげるよ」
「…死ぬほど恐ろしいんですけど…」
「なんか言った?」
「いえ何でもないです」

不穏な空気にナマエはぴしゃりとそう言い切ると、五条の横を速足ですり抜ける。そのまま補助監督の事務室に向かって行っても、五条が追いかけてくることはなかった。
ほっと胸を撫でおろし、そこまで五条さんもヒマじゃなかったか、と勝手に結論付ける。
結局補助監督に原因不明の呪力漏出について口頭で報告をすると、夜蛾を交えた協議の結果、一旦休んで翌日詳しい報告をすることになった。


ナマエははてさてどうしたものかと首を捻りながら帰路につく。
繁忙期も間近で、たとえ二級術師とはいえ頭数を減らすことになってしまうのは申し訳なかったし、先ほど五条に話した通り家入に「原因不明」と言われている以上このまま呪術界に戻れないことが不安だった。
特別由緒正しいわけではないが、呪術師の家系に生まれたナマエは呪術界以外に生きていける場所を知らない。
高専時代もどうせ自分は術師になるのだからと、俗世のことには関心を持たずに生きてきた。

「呪術師って履歴書に書けるのかな」

ナマエは頭の中で一般企業への転職手順を思い浮かべていた。
今年で27歳になる。履歴書の職歴に呪術師を書けないとなると、高専卒業からフリーターをしてきたと言わざるを得ない。
果たしてそんな人間がまともな職に就けるのかどうか、ナマエには想像もつかなかった。

「あー、こんなことなら伊地知くんの言うこと聞いてもっとちゃんといろんな勉強しておくんだったー」

今日は丸一日他の術師のサポートに回っているという同期の「将来役に立つかもしれませんから」の言葉を思い出しながら、住宅地に相応しくない音量で恨み言を言う。
もうすぐで自宅のアパートが見えてくる、という曲がり門、どうにも進行方向が騒がしい。
角を曲がると、数台の消防車と野次馬でアパートの前がごった返していた。

「うっそでしょ!?」

アパートが燃えている。特に火の手が激しいのはナマエの隣の部屋で、とはいってもナマエの部屋にも充分炎が回っている。
こんな映画みたいなことがあってたまるか、と思ったが、消防車のサイレンは鳴り止むわけでないし、放水が止まることもない。

「危ないですから下がってください!」
「あの!すみません!ここの住人なんですけど!」

思わず駆け寄ったが警察に止められ近づくことは叶わない。
ごうごうと炎が立ち上がる。黒い煙がのびのびと空に広がる。春の晴れた空にあんまりにも不似合いなそれを、ナマエはただ見送ることしか出来なかった。


結論から言うとアパートは全焼。軽傷者は出たものの、人的被害が殆どなかったのが不幸中の幸いだった。とはいえ、それは不幸中の幸いという消極的な結果でしかない。
家財道具の一切をなくし、焼け落ちたアパートの前でナマエは呆然としていた。
住む場所もない、術師の仕事も出来ない。一体どうしたらいいというのか。深くため息をついたとき、タイミングを見計らったようにスマートフォンが着信を告げる。液晶画面を確認すると、電話の主は五条だった。

「はい、ミョウジです」
『あ、ナマエ、仕事の話だけど、一応当てを見繕ってあげたよ』
「いや、あの私今それどころじゃなくて…」
『主な業務は家事手伝い。勤務地は都内のマンションで月給はとりあえず今と同じ、週休二日、慶弔休暇ありのオマケに住み込み。どう?』
「やります」

住み込みという言葉にナマエは即決した。家事には少し自信がある。料理はそこそこ趣味にしているし、ひとり暮らしだから掃除も洗濯もプロ級ではないが全般こなせる。
明日の宿もないこの状況で他に選択肢などない。と、疲れた頭でナマエは考えていた。

『ナマエのそういう短慮なとこ、僕嫌いじゃないよ』

スマホの向こうで五条が笑う気配がした。もうこの際馬鹿にされたって構わない。ナマエは昨晩の任務の疲れと呪力がなくなったなんていう異常事態とアパートの焼失ですっかりまいっていた。

『じゃあ早速高専に来て。可能なら明日からでも働いてほしいから』

わかりました、と返事をしてナマエは通話を切る。
高専までの道中どこかファストファッションの店でいいから服屋に寄りたい。洗い替えは何セットあれば足りるだろうか。
ナマエはため息をつき、財布の中身を確認した。
しかし五条のおかげでなんとか一文無しは避けられそうだ、不幸中の幸いだな、と五条の顔を思い浮かべて考えるけれど、これが不幸中の幸いなどではないことを彼女はまだ知る由もないのだった。

back

- ナノ -