ひとりじめ


ショートケーキ、フルーツタルト、ミルフィーユ。さて今度は何のスイーツを出してくるのか。彼女のセーフハウスのキッチンでニコニコと南雲はその手さばきを眺めた。
しゃかしゃかしゃかと泡だて器でメレンゲをつくり、絞り袋に入れて小さな丸を量産する。予熱したオーブンにそれを入れる間、中に挟むクリーム作りに取り掛かる。

「ナマエちゃん、今度はなぁに?」
「マカロン。南雲くんわかる?手のひらサイズのカラフルで甘いやつ」
「あー、女の子が好きなやつ」

ダイニングテーブルに頬杖をつく。ナマエは南雲と視線を合わすことはなく、ボウルの中身を今度はヘラで混ぜ始めた。砂糖の甘い香りが漂ってくる。

「で、今度はなんて?」
「……まさか殺し屋だと思わなかったって」
「ナマエちゃん言ってなかったの?」
「だって……」

つん、と唇を尖らせる。可愛らしいなと思うのに、彼女は中々男運に恵まれない。まぁと言っても、南雲にとってはそんな運には恵まれないほうが有難いと思うけれど。

「何分焼くの?」
「10分」
「じゃあすぐだね」
「でもそのまま冷ますんだからすぐには食べられないよ」

そりゃあ残念だなぁ。思ってもないことを口にしながら、南雲はオレンジ色の光の中で焼き上がっていく甘やかなそれを眺めた。


ナマエとは殺連の同僚だ。正確に言えば同じORDERのメンバーで、付き合いはそのころからだった。ナマエの所属は南雲より少し遅く、確か神々廻と同じか少し後か、それくらいの頃だったと思う。

「南雲さん、甘いものって食べられますか?」

支給品のスーツを纏い、髪をひとまとめにしている。新入社員然としたその様子でタッパーを手にし、南雲にそんなことを聞いてきた。この時はまださん付けだったし敬語だった。

「うん、別に食べられるけど、ひょっとしてソレ?」
「は、はい。クッキー作ったんですけど、作りすぎちゃって」

思い出される手作りといえばJCC時代の毒殺科の女子学生からのバレンタインチョコレートだ。あれはお手製の毒物が混入されていて、さすがに丁重にお断りをしたのだ。市販の毒薬であればある程度耐性はついているけれど、オリジナルとなるとそうはいかないから厄介だ。話がそれた。

「悪いけど、同業者の手作りっていうのはねぇ〜」
「え、あ……す、すみません…」

拒否された理由を悟ったのか、ナマエは気まずそうな顔をしてタッパーを下げた。別に普段から同業者の手作りをすべて警戒しているわけではないから、恐らく中に何の細工もないだろう彼女の手作りを拒否したのはなんとなくだ。そして踵を返そうとするナマエを引き止めたのも、なんとなくだと思う。

「君のクッキーは食べないけど、一緒にお茶はしてあげようか」
「え?」
「君がそのクッキー食べるところ見ててあげる」

一体何の提案なのか意味がわからないといった調子でナマエが首をかしげる。自分でもまぁまぁ訳の分からないことを言っていると思う。南雲は「いいからいいから」とナマエの腕を引いて歩き出す。

「え、あ、あの……?」
「さて、紅茶がいい?コーヒーがいい?それともジュース?」
「こ、紅茶で……」

南雲は道すがらの自動販売機でホットの紅茶を購入すると、自分用にコーヒーを買ってまたナマエの手を引いて歩く。殺連本部にはいくつかの休憩室があるが、その中でも最も閑散とした休憩室にナマエを連れ込んだ。ナマエを窓際に座らせ、自分はその向かいに腰かける。

「はい、どうぞ」
「は、はぁ……」

ジェスチャーでクッキーを食べるように促すと、ナマエは戸惑った様子を見せながらもタッパーを開き、中のクッキーを摘まみ上げる。こちらまで砂糖とバターの甘い香りが漂ってきた。

「美味しい?」
「ふ、普通ですね…」
「なんだ。上手いから作ってきたのかと思ったのに」
「そういうわけでは…」

自分のお菓子作りの腕を自慢したくて持ってきたのかと思ったのに、そう言うわけでもないらしい。南雲の知るパターンにはあまりない女だった。それにしても、大して腕に覚えがあるわけでもないのにどうしてクッキーなんて作ってきたんだろう。

「ねぇ、なんでクッキーなんか作ってきたの?」

そこを咎めたてるほどのこともないが、単純に疑問だった。余るほど作るなんて不思議な趣味だ。南雲の疑問にナマエは気まずそうな顔をして、それから口をもごもごと濁らせる。じっと黒い瞳で見つめてやれば、参りましたとばかりに口を開く。

「……私、お菓子作りでストレス解消する癖があるんです」
「ストレス解消?」
「はい。お菓子作りって分量通りに材料混ぜてレシピ通りの工程でちゃんと成功するじゃないですか」

それがストレスの解消になる仕組みはわからないが、そんなものは人それぞれである。いずれにしても、つまるところ彼女は何かストレスを感じてこの大量のクッキーを焼き上げたらしいことだけは確かだ。

「じゃあこれは君のストレスの塊ってわけだ」
「そう…ですかね?」
「こんなになるまで何のストレス抱えてたの?ORDER嫌になっちゃった?あ、ひょっとして豹にイジメられた?」
「え、いや、そういうわけでは…」
「豹ってばいいやつなんだけどさぁ。ちょっと素直じゃないっていうか、そこが可愛いだけど」
「あ、だからちが……」

ポンポンと返答の隙も与えずに話を詰めていく。ナマエは思った通りあたふたと慌て、どうにか南雲の言葉を切ろうとしているが、どうにも上手くいっていない。内心それをくすくすと笑っていたら、痺れを切らしたナマエが「違いますって!」と強く南雲の言葉を切った。

「失恋です」
「え?失恋?」
「……そうです。半年前から付き合ってた彼氏に振られたんです。そのストレスで、仕事云々とかは関係ないですから。支障はきたしません」

なるほど、それは途轍もなくプラベートな事情らしい。誰が誰を好きだろうが自由だし、クッキーを山のように作るくらい別に誰に迷惑をかけているということでもない。まぁ、南雲からしてみれば振られて傷つくなんて気持ちは逆立ちしてもわかりそうにないが。
泣きそう、というほどあからさまなものではないが、ナマエの目の奥にはしっかりと悲しみが滲んでいる。惚れた腫れたにはあんまり興味がないはずなのに、その色にはなんだか興味をひかれるようなものがある気がした。

「面白いストレス解消法だね」
「はぁ…」

ナマエは手持無沙汰になったのか、タッパーの中に手を突っ込んで摘まんだ一枚を口に放り込んだ。砂糖とバターの香りがふんわりと香る。そんな優しい匂いとはかけ離れたものを叩き込んだ結晶だと思うと、ただのクッキーも面白いものに思えるから不思議だ。
ナマエまたもう一枚を摘まんで、気が付くと南雲はテーブルに乗り出してその手首を掴んでいた。ナマエに驚く間さえ与えず指先のクッキーに噛り付き、もぐもぐと咀嚼する。

「ほんとだ。普通だね」

南雲はタッパーの中から今度は自分で一枚のクッキーを摘まみ上げ、ぱくりと口に運んだ。バターも砂糖も小麦粉もレシピ通りの、特段どうということもない味のクッキーだった。


ナマエはあまり仕事でストレスを感じるタイプではないのか、お菓子作りの原因は殆どプライベートなことだったし、その大半が恋愛関係だった。ナマエは男運がない。付き合う男が軒並み嘘つき野郎だったし、ナマエはその嘘つきの口車に乗せられる馬鹿な女だった。

「今日の仕事絶対大佛ちゃんの方が向いてたと思わない?」
「確かに〜。派手に汚すから後処理面倒だって神々廻が漏らしてるけどさ、それならこういう仕事こそ向きだよね〜」
「ほんとほんと」

今日の仕事はナマエと南雲の二人組で現場に入った。廃棄予定の工場なんていう大暴れしても誰にも迷惑のかからないような現場で、一切他の事に気を遣わなくていいからそれが楽だった。楽過ぎて多少気が抜けたのか、いつもよりも服を汚してしまったが。

「あ、ごめん、私用なんだけど出発前に一本電話かけていい?」
「いーよ」

そんなの別に勝手にかければいいのに、全くまじめなことだ。ナマエは南雲から少し離れてスマートフォンを取り出すと、嬉々とした様子で電話をかけ始めた。ああ、これはいつものパターンだな、と予測しながらその姿を眺める。

「えっ、うそうそうそ!待ってよ!ちょっと!電話でそんなのっ!」

数分も経たないうちに暗雲が立ち込め、ナマエの嬉々とした様子は成りを潜めて焦った様子でそう言った。思った通りだ。

「ちょっ!ねぇ!待ってよ、一回会お?ね?」

必死の説得といったところだが、この先の展開は読めてるし、むしろお約束の領域である。あの電話の相手はナマエが先月から付き合い始めたという新しい男だろう。確か年下のバンドマンと言っていたか。バンドマンといえば付き合ってはいけない3Bとさえ言われる職種である。

「タッくん!まっ……!」

途中まで言いかけた言葉を止めてスマホを耳から離す。話の途中で通話を切られたらしい。恨みがましく画面を見ているが、もう一度かける様子がないところを見るに本当は彼女もわかっているのだ。

「ナマエちゃーん」
「あ、ご、ごめん……」

ひらりと南雲が手を振ると、ナマエは気まずそうな顔でそう言って車の近くまで戻ってきた。ナマエが運転席に乗り込み、南雲は助手席に乗り込む。さて今日は報告さえ済ませば仕事は終わりなわけだけれど、ナマエはこのあとどうするのか。そんなの手に取るようにわかる。

「今度は何作るの?」
「……何が?」
「お菓子」

南雲が何食わぬ顔でそんなことを尋ねると、ナマエはわかりやすくムッと口を歪めた。なんでそんなことをお前に聞かれなければいけないんだ、とでも言うような顔をしているけど、普段から作ったスイーツ類を処理する手伝いをしているのだからそれくらい聞かせて欲しい。

「…プリン」
「柔らかいやつ?固いやつ?」
「南雲はどっちがいいの?」
「え〜僕は固いほうがいいかなぁ」

基本的に何を作るかはナマエ次第だけれど、こうしてちょっとしたところを選ばせてくれるようになった。さん付けでもなければ敬語でもない。昔と違って忖度するような発言も遠慮するような物言いもなくなった。ナマエがエンジンをかける。車は殺連に向かってなめらかに滑りだした。

「そうだ。固いプリンにして生クリームとフルーツ乗せてパフェみたいなのにしようよ」
「プリン・アラモード?」
「そうそうそれ〜」

交差点に差し掛かり、ナマエはウインカーを出して減速しながら左折をする。せっかく彼女がプリン・アラモードを作ってくれるというのに、このまま殺連に寄るのは何だか今日が削がれる。ああそうだ。

「よし、じゃあこのままスーパー行こ」
「は?報告は?」
「いいじゃんどうせタブレットでカチカチ入力するだけなんだから。ナマエちゃんがプリン作ってくれてる間に僕が書いてあげる」
「信用ならないなぁ」

ナマエが笑ってそう言った。彼女のストレスの塊を一緒に美味しくいただくのは、あのクッキーからずっと南雲の役目だ。
彼女のスイーツはこれからもずっと独り占めしてしまおう。この楽しみがなくなってしまうから告白が出来ない。それだけが南雲の悩みの種だ。





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