ノットリップサービス


好きな人には可愛いって思って欲しい。そんな普通のことを思うくらい殺し屋でも許されると思う。

「ねー、ルーちゃん。どっちの色が良いと思う?」
「んー、ナマエは色白だからこっちの赤っぽいのが似合うヨ」
「そう?派手じゃないかな?」

この頃はもっぱら坂本商店に入り浸っている。仲の良い同年代の女の子なんていたことなかったし、ルーちゃんと話すのは楽しい。今日は新作コスメのたくさん紹介されている美容雑誌を持ち込んでそれを囲んでいた。

「ナマエ、これはどう?」
「あんまり使ったことない色だなぁ」

リップひとつでそんなに変わる?と男のひとは言いそうだけど、大いに変わると思う。そりゃあ、ローズベージュとアプリコットベージュじゃ気持ちの問題と言われればそうだろうけど、深い色のリップをつけていればどことなく強気に慣れると思うし、ベビーピンクならフェミニンな気分になれる。表情というものは気分に大きく左右されるものだから、結果的に顔の印象さえ変えてしまうわけだ。まぁ、それは大袈裟かもしれないけれど。

「よし、決めた。今度このリップ買ってくる!」
「あたしも一緒に行くヨ」
「うん。ルーちゃんも新しいコスメ買いに行こ」

心強い同行者だ。ルーちゃんって顔だちはっきりしてるし、結構どんな色でも似合うんじゃないかなぁ。勝手に脳内で彼女へメイクを施してうんうんと頷く。そんな私をいつの間にかルーちゃんがもの言いたげに見つめてきていて、どうかしたかという意味を込めて首をかしげる。

「ねぇ、何でナマエはあのニヤケ男が好きなの?」
「えっ」

思いもよらない言葉が飛んで来たものだから、思わず口ごもった。理由なんて言葉にできるようなものではなかったし、彼の良いところと悪いところを並べてみれば圧倒的に悪いところの方が多く挙げられると思う。それでも好きになってしまったものはどうしようもなくて、たとえ良いところより悪いところが浮かんでしまっても手の施しようがないのだ。


南雲という男は、飄々としていていつも何を考えているかわからない。オーダーの同僚で、何度も任務には一緒に出ている。同じオーダーの人間ではあるけれども、実力の差はかなりあるのではないかとナマエは思っていた。もちろん、ナマエが下だ。

「あれ、神々廻さん、今日こっち出てくる日だっけ?」
「あー、ちょいと野暮用でな」

関東支部でちょっとした雑事を片づけていた時のことだ。その日は出張の予定だったはずの神々廻さんが顔を見せて、自動販売機のあるホールで鉢合わせた。歩み寄って声をかければ、ひらっと彼が手を挙げる。もう片手に缶コーヒーが握られている。

「珍しいね、そのコーヒー買ってるの」

いつも神々廻さんはブラックだった気がするけど、今日は甘いカフェオレだ。甘いものが飲みたい気分だったんだろうか。

「ナマエ、なんか飲むか?」
「え、いいの?」
「おん。好きなん言いや」

ラッキー。神々廻さんが奢ってくれるらしい。私はウキウキと自動販売機の前に立ち、神々廻さんに向かって「オレンジジュースにします」と言えば、隣で神々廻さんがコインをちゃりんちゃりんと投入していく。ぽちりとボタンを押し、取り出し口に落ちてきた缶を回収した。

「神々廻さんありがと」

立ち上がってお礼を言うと、神々廻さんの手がにゅっと伸びてきて私の頭をナデナデと撫でる。あれ、違う。大きくて温かくて、ごつごつと節くれだっていて、神々廻さんの手と同じだけどこれは神々廻さんじゃない。これは。

「──南雲?」
「あれ、バレちゃった?」

私が見上げると、神々廻さんの顔のままで南雲が笑う。そもそもコーヒーが普段と違う時点でもっと疑うべきだった。あの銘柄は南雲が三回に一回くらい飲むメーカーのものだ。別に危害を加えられたとか言うわけではないけれど何とも言えない脱力感を感じ、オレンジジュースのプルタブを開けることもなく肩を落とした。

「……はぁ、またお得意の変装?」
「結構良かったでしょ?」
「まったく勝手に人の見た目使って……あとで神々廻さんに怒られても知らないからね」

南雲は変装が上手い。手練れじゃなきゃ見抜けないし、一般人なら一生気付かないと思う。だから南雲は単なる殺し以外にもあれこれと変わり種の仕事を言いつけられて、それをまた器用にこなす。だけど神々廻さんに化けなければならない仕事など早々ないだろうから、これは完全に悪ふざけと見た。

「ナマエは鈍いし騙せると思ったんだけどなぁ」
「悪かったわね、鈍くて」
「ねぇ、参考までにどこでわかったのか教えてよ」
「そりゃ……」

と、そこまで言い淀んで口を噤んだ。南雲に撫でられた時のことを覚えていたからその手でわかった、なんて、そんな恥ずかしいこと死んでも言いたくない。


ルーちゃんに言われた通り、なんで南雲なんだろうと思わないわけではない。南雲はめちゃくちゃかっこいけど、変人だし、何考えているのかわからないし、クセ強だし、恋をする相手にしてはかなりトリッキーな自覚がある。
やめれるならやめたい。だって何より、南雲は私のことを何とも思っていないからだ。

「ナマエおはよー。久しぶりの呼び出しだね」
「お、おはよ…」

南雲と二人で呼び出されて本部のビルに向かった。また面倒な仕事を仰せつかるに違いないということは確かだったけれど、そんなことは正直どうでもよかった。面倒くさくても仕事は仕事で、内容はどうあれ殺しだ。
それより私が今日妙に緊張しているのは、こないだルーちゃんと買いに行った新しいリップをつけているからだった。

「な、南雲と会うの久しぶりだね?」
「先週会ったじゃん、支部で」
「あ、そか……えっと、仕事で一緒になるのはしばらくぶりじゃない?」
「まぁ、先月一緒だったけど」
「えと、そうだね…」

ああ駄目だ。何か話題をと思っても空回りばっかり。南雲、私のリップ違うって気付いてくれたかな。いや、リップの色の違いになんて気付いてくれなくてもいい。ほんのちょっとでも「今日なんか可愛いな」とか、そういうこと思われたい。
私は願望を抑え込もうとするあまりに挙動不審になって、訝しんだ南雲が覗き込んだ。距離がぐっと近くなる。

「ナマエ、どっか調子悪い?」
「え?な、なんで…?」
「だってさっきから挙動不審だし。無理やり元気出してるみたいな感じするから」
「そ、そんなことないよ?」
「いや、あるね」

耐えきれなくて視線を左右に泳がせる。その間も南雲の視線は真っ直ぐに私に注がれていた。南雲は綺麗だから黙ってると迫力がある。ああヤバい、化粧崩れてないかな。ニキビが出来てるとこ上手く隠せてるかな。リップ落ちてないかな。悶々とそんなことばかりが頭の中に浮かぶ。
南雲はひゅっと上体を戻し、普段の軽い調子の声に戻して口を開く。

「体調悪いなら休みなよ。僕一人でも平気だし。足手まといになられても困るし」
「え、あ……うん…」

そっか、そうだよね、化粧の違いなんか気付いてくれるわけないよね。こんなの他人からしてみれば些細な違いだし、なにより南雲は私に興味なんかないんだから。目頭が熱くなる。勝手に一人でから回って、馬鹿みたいだ。


私はその足で坂本商店に駆け込み、店内の駄菓子とジュースを買って自棄酒ならぬ自棄ジュースをした。坂本商店に足を踏み入れた瞬間に堰を切って泣き出してしまい、シンくんが何ごとだとひどく焦っていた。

「わかってるよ?わかってるけどさぁ!足手まといってそんな言い方しなくてもいいじゃん!」
「ヨシヨシナマエ、いくらでも泣くといいネ」
「ルーちゃぁん!!」

最初から脈がなかっただけ。特別ひどいことなんてされたことない。ただ南雲は私に興味がなくて、私が一人でから回った。ただそれだけ。わかってるけど、わかってるけどつらいものはつらい。グレープソーダの缶をぐびっと煽る。

(…うちは居酒屋じゃない)
「坂本さん、うちは居酒屋じゃないって顔しないでください!」
(よくわかったな)
「自分でもみっともないことしてるって自覚ありますから!!」

一言も発しない坂本さんとあたかも言葉を交わしているかのように会話をする。自分の行動を省みれば坂本さんが何を言いたいかなんて丸わかりだ。それでも出て行けと言わないのは坂本さんの優しさだと思う。南雲にこの優しさがほんのミジンコ程度でもあったらな。いや、こんなの八つ当たりだ。

「ナマエは充分可愛いネ、あのにやけ男が見る目ないのヨ」
「ルーちゃんありがとう、嘘でも嬉しい…」

卑屈はマックスになり、もうだらだら泣いたせいでとっておきのメイクも崩れに崩れている。特に買ったばかりのリップなんてかけらも残ってないだろう。でもいいんだ。どうせもう南雲に見せることもないし、南雲は私のことなんて興味ないんだから化粧がどうこうなんてことも気がつかないに決まっている。ああ、自分で言ってて悲しくなってきた。

「ナマエ、失恋には新しい恋ヨ、あたしがいい男紹介するヨ」

ルーちゃんが私の肩をポンポンポンと叩く。もうどっちが年上だかわかったもんじゃない。今すぐ諦めて次の恋に、なんて気持ちにはなれないけれど、そんなことをわざわざ言ってくれるルーちゃんの優しさに癒される。もう一本飲もう、とオレンジソーダの缶に手を伸ばしたところで坂本さんが珍しく割って入ってきた。

「……ナマエ、迎えだ」
「え、坂本さん久しぶりに喋りましたね……って」

迎え?と思って振り返る。するといつの間にか私の真後ろに人が立っていて、顔を確認するために見上げれば南雲がニコニコと笑っていた。

「な、ぐも…?」
「や。ここだと思ったよ」

なんでこんなとこにいるの。坂本さんに用事?いやでもいま迎えって。と思考がばらばら頭の中を流れていく。そうだ、私化粧がぐちゃぐちゃなんだ。いくら南雲が気にしないからって私が気にする。咄嗟に腕で顔を覆って、すると椅子に座っていたはずの身体がひょいっと持ちあがる感覚があった。

「えっ!ちょ、南雲!?」
「じゃあ坂本くん、ナマエ回収していくね〜」
「次回からは保護者同伴推奨だ」
「りょ〜か〜い」
「ちょっと!なぐも!ねぇ!」

私の言葉を丸無視で坂本さんと南雲がそう話し、私は南雲に抱え上げられる形のまま坂本商店を後にすることになった。じたばた暴れると「落ちるよ〜」とのん気に言われ、そんなの上等だとばかりに強行すればそのままバランスを崩した。このタイミングで飛び降りてやろうとしたけれど、南雲に肩を掴まれて身体を反転させられ、あろうことかお姫様抱っこの体勢に納まってしまう。やばい、恥ずかしい、死ぬ。そうだ、お化粧ぐちゃぐちゃなんだった、と気が付いて、両手で顔を覆う。

「ほら、ナマエが無茶するから」
「降ろしてよッ!自分で歩くから!」
「だってナマエ絶対逃げるもん」
「逃げるに決まってるじゃん!」

顔を覆っているから南雲がどんな顔をしているのか全く分からない。というか、逃げたっていいじゃないか。別に今は南雲と仕事中というわけじゃないし、私がどこで何をしていたって南雲には関係ないはずだ。

「ねぇ、さっきからなんで顔隠してるの?」
「べつに」
「気になるな〜、教えてよ」
「やだ」

私が可愛げもなく突っぱねると、南雲が「しょうがないなぁ」と言って歩き出した。お姫様抱っこのまま往来を歩くなんて御免だ。でも顔は見せたくないし。とあれこれ考えている間に、私を抱えたまま南雲がどこかへ座るような気配がした。一体何処に連れてこられたんだろう。ちらり、と指の隙間から確認する。公園かな?

「隙あり」
「あっ…!」

南雲の手が伸びてきて、開けた隙間から私の指を引っ掴むとぺりぺり剥がしていく。ここまで来ると抵抗しても無駄で、いや、というかそもそも初めから南雲が本気ならどんな抵抗も無駄なんだけど、とにかく彼の思う通りに私の顔を覆っていた手は取り去れられてしまった。

「あれ、何か酷い怪我でもしたのかと思ったけど、普通だね?」

このメイクが崩れに崩れた顔の何処が普通なんだ。どんだけ崩れるんだよって引いてもおかしくないくらいなのに。いやむしろ引け。あ、でも傷つくからやっぱ引かないで。頭の中で独り相撲をして、もうなんだかそのまま言わないとこの男には伝わりっこないんだろうと思い知る。

「……化粧崩れたから、南雲に見られたくなかったの!悪い!?」
「え、それだけ?」
「それだけ!もういいでしょ!降ろして!」
「え〜、やだ〜」

南雲は私の手を拘束したままで、これがまたすごい力でびくともしない。見られたくなくて瞼を閉じたって、南雲からは丸見えなんだから意味がない。南雲は何が楽しいのか私を見下ろしたままだ。

「僕さ、顔とか興味ないんだよね。だっていくらでも変えられるじゃん」
「……それは南雲の特殊能力でしょ」
「まあまあ。しかも特殊メイクじゃあるまいし、そういう女の子のするメイクって高が知れてるじゃん」

あまりの言いように「いま世界中の女の子敵に回してるよ」と嫌味言えば「こわーい」と思ってもいないだろう気の抜けた声が返ってくる。もういい加減見るのをやめて欲しいのに、それでも南雲の視線は私に痛いくらい注がれていた。

「あと面倒なことも好きじゃないから、用もないのになんでもない女の子迎えに行くとかもしないタイプなんだよね」

この意味わかる?と南雲が尋ねてにっこりと笑う。何それ、そんなのこんな状況で都合良く考えるなって方が無理だよ。私はアイラインもマスカラも無残に崩れ去ったなけなしの眼力で南雲を睨みつける。

「……あとからリップサービスでしたとか言ったら、ただじゃおかない」
「あはは、安心してよ、全部ホントのことだから」

南雲がちょんっと私の額にキスをする。食えないこの男のいうことなんだから真偽のほどはわかりっこない、と思うのに、信じたくなってしまうのは惚れた弱みというやつだろう。





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