殺連ラーメン恋物語


湯気の立つどんぶり。香ばしい醤油の香り、削り節、煮干し、昆布。複雑な香りがなんともいえないバランスで調和を保っている。

「神々廻さん!今日も試食よろしくお願いします!!」
「おー」

神々廻の前にずざざーっとラーメンどんぶりが差し出される。どうして殺連本部の休憩室でお手製ラーメンを食しているのか。彼女とは恋人同士ということでもないし、もちろん家族などでもあるはずもない。

「いただきます」
「はいっ!召し上がれっ!」

箸を手に取り、レンゲでスープを掬ってくちをつける。まず舌先に乗っかるのは削り節の旨味だ。それから煮干しと昆布が追いかけてきて、それらをまとめあげているのは薄口の醤油だった。
麺は細めの固め。さらりとしたスープによく合う強めの小麦の風味。チャーシューも分厚過ぎず、全体的に統一感のある仕上がりである。

「ど…どうですか」
「おん、美味いで」
「お気に入りラーメン屋ランキングでいくと…?」
「……9位」
「やった!ついにトップ10入りした!!」

彼女が盛大にガッツポーズをして飛び上がる。そもそもこんなことになったのは、8カ月ほど前に遡る。


後輩の女性ことミョウジナマエは 優秀な殺し屋である。殺し屋のくせにビビリなところがあって、日常生活を送っている間はまさか彼女が殺し屋だとは気付く人間はいないだろう。しかしその実力は折り紙つきである。現場での彼女は驚くほど冷徹に仕事をこなしていて、普段の彼女の態度は可愛い子ぶりの演技なのだ、と最初の内は神々廻も思っていたところだったが、一緒に仕事をこなすうちに本当に彼女がオンオフが激しいだけなのだと理解した。

「神々廻さん……あの、よろしくお願いします」
「おん。まぁ気張らんといこうや」

ナマエは普段豹と組むことが多くて任務も数回しか一緒にこなしたことがない。たまたまその日は午前と午後にそれぞれ一緒に回る任務があって、流れで昼食を一緒にとることになった。

「昼、食べに行こか」
「は、はい…」
「あー…この辺あんまり飯屋あれへんなァ……ラーメンでええか?」

ナマエがこくこく頷く。女性の同僚というのが今までほとんどいなかった。男なら気がねなくラーメン屋でも牛丼屋でも入るところだが、女性相手に同じことをしていいのかまったくわからない。まぁそれも考えすぎなのかもしれないが。

「あ、ここブログで見たやつやわ」

スマホで周辺マップを確認していると、先日ラーメンブロガーのブログで見た店が幸いにも近くにあるらしい。これは行かない手はない。予想だにしていない幸運にウキウキと胸を高鳴らせながら、神々廻はマップを見てラーメン屋に向かった。
ここのラーメンはサッパリ系の豚骨。床が適度に油でツルツル光り、店内も小洒落た感じがなくってテーブル席よりカウンター席の方が多い。明らかに女性客を全く狙っていなさそうな感じが好みだった。

「俺豚骨チャーシュー増しにするけど、ミョウジなんにする?」
「えっと…私もとんこつ…あ、でもチャーシューは普通で…」

ナマエの分とまとめて注文をして、スピード勝負で出てきたどんぶりは湯気がほやほやとのぼる。太めの縮れ麺に絡む濃厚なスープがたまらない。豚骨でありながらしつこくなく、油切れがよくて喉に張り付かないところが丁度いい。

「はぁ〜美味ァ…」
「美味しいですね」

女性を殆どカウンター席しかないラーメン屋に連れてくるのはどうなのだろうかと思ったものの、そんな心配は無用だった。ナマエはハフハフと息を吹きかけて麺を適温まで冷ましながらラーメンを啜っている。

「んっ、あちっ…」

スープが跳ねたのか、ナマエが小さく声を上げた。大丈夫か、と声をかけると、お冷のグラスでスープの跳ねたらしき頬の部分を冷やしながら「大丈夫です」と気の抜けた顔で言った。その顔が忘れられなくて、その日の夜は食べたラーメンの味よりもナマエのことばかりを思い出してしまった。


それから数日後、殺連本部の中を歩いてる時だった。

「神々廻さんってラーメン好きなんですか?」

これは神々廻に向かってかけられた言葉ではない。なのに自分の名前が出てきていたから、思わず聞き耳を立ててしまった。ぺっとりと壁に背中を預ける。今自分の名前を出した声はナマエのものだった。相手は誰だ。

「そーそー。神々廻ってば出張先とかでもラーメン屋めぐりとかしてるよー」
「そうなんですね……ラーメン…」

最悪だ。相手はまさかの南雲だった。今のところ差し障りのない会話をしているが、この男ならいつ変なことを吹き込むかわからない。割り込むか、いや、聞き耳を立てていたことを知られるのもそれはそれで格好悪い。

「なになにナマエちゃん。神々廻に興味あるの〜?」
「えっ!あっ!べ…べつにそういうわけでは……」
「ないって顔には見えないけどね〜?」

南雲が揶揄うような声音で返す。興味を持たれるほど関わりがある覚えもないが、何か聞きたいことでもあるのならせめて自分に聞いてほしい。豹ならまだしも、南雲なんて悪手中の悪手だ。

「悩みあるなら聞くよ?」
「え…そ、そんな…」

やめておけ、南雲に悩み相談なんてロクなことにならない。喉元までそれが出かかって、やはり出ていくことも出来ずに壁越しにギリギリと歯を食いしばる。それからいくつか小声のやりとりを聞き逃し「やっぱり男は胃袋掴まれちゃうと弱いよね〜」なんていう、思ってもいなさそうな南雲の声が聞こえてくる。

「胃袋…」
「そうそう。やっぱり美味い料理とか出されちゃうと男はコロッと──」
「つまり、驚く位ほど美味しいラーメンを作れるようになれ…ってことですよね」
「え?」
「神々廻さんに気に入ってもらえるようなラーメン作れるようになったら…私告白します!」

ぴしりと固まったのは神々廻も南雲も同じタイミングだった。話の流れからして男をオトすなら胃袋を掴めという話だろうと推測できるが、ラーメンはおかしくないか。「南雲さんありがとうございました!頑張ります!」とナマエは意気込み、こちらに向かって歩いてくる気配がしたので慌てて物陰に隠れた。彼女の足音が完全に去ったところでようやく物陰から這い出ると、南雲がひょっこりと顔を出している。聞き耳を立てていたのを気付かれた。

「神々廻お疲れ〜」
「お前、なんかめちゃくちゃ余計なことしとったやろ」
「いやぁ、恋する乙女の背中押したら想像以上に面白いことになっちゃって…」

へらっと南雲が笑う。ナマエの許可なしで「恋する乙女」をバラしてくるのが相当嫌な奴だと思う。自分に向けた好意を知ったからと言って、まさか告白もされていないのに業務上関りのある彼女をあしらうなんて出来ない。まったく本当に余計なことをしてくれた。


ナマエはあからさまに態度に出す、ということは一切してこなくて、特に関係の変化のようなものはなかった。彼女は相変わらず豹と組む機会が多く、何なら神々廻よりも豹に気があると言われた方が納得できると思う。
そんなこんなで日々が過ぎ「俺のこと好きやないんかい」という気持ちが「面倒ごとにならなくてよかった」という気持ちを追い越し始めたころ、ようやく変化が訪れた。

「あの、神々廻さん。私最近ラーメン作りに凝ってて…」
「…そうなん?」

きた。遂に例の話に進捗ありだ。面倒なことに云々と考えていたが、正直あの話を立ち聞きした時から気になってしまって、むしろ意識しているのは神々廻の方だといっても過言ではなかった。

「自分だけだとよくわかんなくなってきちゃうので…神々廻さんちょっと試食してもらえませんか?」
「ええけど」

了承しながら、一体どこで振る舞うつもりだろうと考える。タッパーに詰めて持ってこられるようなものでもないし、どこか調理できるスペースが必ず必要になるはずだ。ナマエは「明日用意しますね」と言ってぺこりと頭を下げ、神々廻は翌日のラーメンに思いを馳せた。


どうするかとは思ったが、まさか殺連本部に寸胴鍋を持ってくるとは思わなかった。流石にラーメン屋の厨房にあるようなものよりは小さいが、明らかに職場に持ってくるようなサイズ感ではない。

「今日のスープはさっぱりの鶏ガラ系なんですけど、三日煮込んでダシとったやつで…あ、でもチャーシューは分厚めのしっかり系で」

ナマエは殺連の休憩室の端っこにある給湯室で鍋を火にかけながら神々廻にそう説明をした。美味そうな本格鶏ガラスープの香りが漂っていて、なんだかこの空間を余計に気の抜けたものに変えている気がする。
あれよあれよという間にラーメンどんぶりに一杯のラーメンが盛り付けられていき、一番近くの椅子に腰かける神々廻の前に振る舞われる。

「お待たせしました。まだまだ研究中なので、辛口の感想聞かせてください」
「お、おん……」

ほかほか湯気を立てるラーメンを前に箸とレンゲを手に取り、いただきます、とまずスープから口をつける。さっぱりしていて口当たりがいい。臭みや雑味は少ないが、その分味わいのようなものも淡泊に感じる。これはスープに使っている食材の種類が少ないのだろう。麺も悪くはないけれど、このスープと合わせるには太くてスープとの絡みがイマイチで、それぞれが別になってしまっているような気がする。

「ど…どうですか…?」
「あー…家で食うには本格派って感じするけどなぁ」
「あの、お気遣い無用なので忌憚のない感じで聞かせてください」

ナマエがジッと神々廻を見つめる。忌憚のない、と言われれば前述の通りだ。ありのまま言ってしまうかどうか少し迷ったが、本人が望むなら、と神々廻はありのまま口に出した。ナマエがどう反応するのか気になったけれど、心配とは裏腹にどこからともなく取り出したメモに言われたことを熱心に書き込んでいる。

「しかしまぁ、ようこんなとこでラーメン作ろ思うたなぁ」
「あ、許可はとってますよ。このフロアの休憩室ほとんど使ってないから、調理器具持ち込んでもいいって言ってもらって」

一通り話し終えたところで神々廻が感心したように言うと、ナマエはきょとんとした顔で少しズレた話が返ってきた。
殺連に寸胴鍋なとの調理器具一式を持ち込む許可をとった殺し屋なんて前代未聞じゃないだろうか。というか南雲あたりなら勝手に持ち込みそうなものだが、しっかり許可を取るあたりが真面目なのか抜けているのかよくわからない。

「ミョウジ、おもろすぎるやろ」
「え?ぁえ?そ、そうですか?」

ナマエは一体何のことを言っているんだとばかりにはてなマークを頭の上に飛ばしている。この日のラーメンの採点は神々廻のお気に入りの店ランキングでは23位と、なんとも言えない順位からスタートした。


そんなこんなの経緯で、ナマエが熱心にラーメンの研究をするようになった。随分と立派な寸胴鍋を持ち込み、ときに豚骨を煮込み、鶏ガラを煮込み、ときにいりこや昆布を煮込んだ。麺も初めはスーパーで買えるようなものだったが、ラーメン専門店の卸業者の御用達のものを使うようになり、現在はまさかの手打ち麺にまで進化している。

「あのっ!採点の理由を教えてくださいっ!」

ナマエが無事お気に入りの店ランキング9位を獲得した本日のラーメンを食した神々廻に向き直り、手帳とペンをかまえた。これは毎回のことで、神々廻の意見を聞きながら日々研鑽を積んでいるのだ。

「あー…まとまっとるんはエエんやけど、意外性がないねん」
「意外性…」
「せや。意外性ってのは何も変わり種のラーメンだけに必要なもんとちゃうねん。見た目で想像した味と口を感じることで美味さに相乗効果が生まれるもんや」

なるほど…とナマエは手元のメモにあれこれと書き込んでいく。それをもとにまた次回の新作のレシピを練る予定なのだろう。

「今回の場合はどうですか?」
「あっさりしてお上品なんは見た感じでようわかる。それとはギャップのある刺激があったら忘れられへん味になるやろな」
「……山椒とか?」
「おん、悪ないんちゃう?山椒もええけど…まぁもう一工夫すんねんやったら花椒でもええな」

ほあじゃお…?と耳慣れない言葉を口にして聞き返す。神々廻は熟す前の果皮を使うのに対し、熟した実を乾燥させて果皮のみを使用するものだということ、山椒はのほうがさわやかな香りが特徴で花椒のほうがより辛味が強いのだということを説明した。

「なるほど……花椒だともっとギャップがあるかも…。神々廻さん、ありがとうございます!」

随分と感心した様子のナマエに神々廻は「おー」と「あー」の間くらいの曖昧な相槌を返した。ナマエはこのラーメン試食会を口実に神々廻と距離を詰めようという感じは一切なくて、実際ラーメンを通じて距離は縮まっているものの、本気で味の研鑽に勤しんでいる。

「私、絶対神々廻さんのお気に入りのお店ランキング1位とりますからねっ!」

とはいえその目指す先が自分だというのだから、やっぱりこれは彼女なりのアピールかなにかなんだろうか。そうだとしたら随分不器用すぎやしないか。

「それ、もう実質告白やんなぁ」

神々廻のぼやきは聞こえることもなく、熱心にスープを煮込むナマエの背中は今日もいきいきとしていた。





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