優しすぎて困るの


優しいところが大好きよ。それはべつに嘘じゃないけれど、優しすぎるのだって問題だと思う。努力家なところは尊敬するし、硬派なところはかっこいい。だけど。

「付き合って三ケ月でチューもしないとかありえなくない!?」
「あ〜、豹らしいね〜」
「らしいね〜、じゃなくって!」

私はヘラヘラと笑う南雲を前に、個室居酒屋の一室でドンッとビールのジョッキをテーブルに置いた。たぷんと残り少ないビールがジョッキの中で波打つ。テーブルの上には枝豆と揚げだし豆腐、だし巻き卵にたこわさが並んでいる。
この男にこんな話をするのは少しイヤな気もしたけど、残念ながら交友関係のごく狭い私にはこんな話を出来る相手がこいつくらいしか思いつかない。

「私だってね?あまーい時間を過ごしたりしたいわけ。豹が優しくて硬派なのは知ってるよ?でもさぁ、いい大人なわけじゃん?もうさぁ、もうちょっとさぁ…」

ぐちぐちと管を巻く。アルコールのせいで多少ろれつが回らなくなってきた。何も高校生の純情なオツキアイというわけじゃないんだ。私だって豹だって初めての恋人というわけでもないし、普通ならそれなりに進んだ関係になっていくものなんじゃないのか。なんでそうならないんだろう。今どき高校生の方が進んでると思う。

「ナマエの魅力が足りないんじゃない?」

南雲がけらりと、それでいて私が最も気にしていることを言ってのけてくれた。お洒落なバルで赤ワインなんて柄じゃないし、おつまみ系好きだし、ビール好きだし、オッサンみたいって言いたいんでしょ。じろりとヤツを睨む。いーっと歯を見せてまるで威嚇するように南雲に言い放つ。

「ホントのこと言わないで馬鹿!」
「あはは〜ごめんね正直者で〜」

私の威嚇など当然意にも介さない様子で南雲はそう返してきて、手にしていたファジーネーブルのグラスを傾ける。なんで私より可愛いもん飲んでんのよ。気に入らない。

「豹はね、女なら誰でも同じだと思ってるあんたとは違うの!私のこと大事にしてくれてるの!」
「僕だって別に女の子なら誰でも一緒とは思ってないよ?」
「あんたみたいにあからさまじゃないだけで豹って結構人気なんだからっ!しかもワーキャー勢じゃなくてマジの本命ですっ子!」
「僕に対するチクチク言葉良くないと思いま〜す」

南雲の言葉は一切取り合ってやらずにぐつぐつと煮え立っているものを吐き出す。豹は表立って人気がないってだけで、本当は彼の見た目から想像に難しい優しさとか気遣いとか、そういうのに触れた子が豹のことを想っているケースをいくつも知っている。彼の人間的な魅力に触れればそうなるのは当然のことだと思うし、結局私もきっかけは同じだ。

「豹はさぁ…かっこいいんだよ…コワいかんじに見えるけど全然そんなことないし、いっつも優しくて私とデートするとき遅刻なんか絶対したことないし、ワガママ言っても嫌な顔せずに仕方ねぇなとか言いながら聞いてくれるの」
「え、これ愚痴?惚気?」

南雲の相槌とツッコミのハイブリッドみたいなそれを聞き流し、店員さんを呼んで新しいビールを注文する。ビールは私が項垂れている間にすぐに運ばれてきて、早速泡の乗ったそれをごくごくと喉に流し込んだ。南雲はカシスオレンジとかいう私より可愛いものを頼みやがって、頬杖をつきながら運ばれてきた新しいグラスを手にした。

「そのままテキトーに脱いで豹に抱いて〜とか言えば抱いてくれるんじゃないの」
「馬ッ鹿!豹の前でそんな痴女みたいなこと出来るわけないじゃんっ!」

豹は硬派でかっこいいのだ。私は豹の優しさに漬け込んでそういうことがしたいんじゃなくて、豹にとって必要な存在になりたいんだ。それがなにもキスとかセックスとか肉体的な接触だけじゃないのは分かるけど、私はやっぱり豹のことが好きだから触れたいし、触れられたい。豹にも同じように思ってほしい。

「…好きだったら、フツー触れたくなったりするもんなんじゃないかなぁ」
「だろうね」
「……豹、本当に私のこと好きでいてくれるのかな…」

ぽつりと思わず本音が漏れた。結局思考がそこに収束していく。豹は優しいから、私があんまりにも好きだって言うから付き合ってくれてるだけなのかな。彼が不誠実なことをする人ではないとわかっているつもりだけど、積み重なった不安が大きくなるにつれてそんなふうに考えてしまうようになった。半分ほどになったビールを見つめても納得のいく答えは湧き上がってこない。

「ていうか、そういう素のところ豹にも見せればいいと思うんだけど」

南雲がこちらを見もせずにそんなことを言った。なに適当言ってくれちゃってんだ、と思ってイラっとして南雲をねめつけるけど、そもそもコッチを見てすらいないんだから効くはずもない。

「豹の前ではいかにもいい女ですぅ〜みたいな態度しかしてないでしょ?弱ったり悩みぶちまけたり、そういうのそのまま見せれば?」
「見せれるわけないでしょぉ〜!?嫌われたらどうすんのよぉ〜!!」

ただでさえ私の片思いから始まったのに、そんなことをしたら本格的に面倒な女に成り下がってしまう。豹の前では可愛くて理解があって、そばに置いておきたいようないい女でありたい。なんかもういろいろ考えすぎて終いには泣きそうになって、それを見ていた南雲が「あはは〜、ナマエ酔いすぎ〜」とへらへら笑った。

「酔ってなわよ」
「酔っ払いはそう言うんだよ」
「飲まなきゃやってらんないっつーのっ」

残り半分のビールを胃に流し込む。今日は酔えるように睡眠薬を飲んできているのだ。殺し屋なんてしてたらアルコールなんて耐性付きまくりなわけで、こうでもしないと効いてこない。良い子は絶対マネしないでほしい。
ぐちぐちと腐っているうちに頭まで酔いが回ってきて、ついに南雲が二人に見え始めた。あ、ヤバい。


ゆらゆらゆらと揺られるような感覚で目を覚ます。何してたんだっけ。あ、そうだ、南雲を自棄酒に付き合わせたんだ。なんだかんだと二回に一回は付き合うあいつはわりと良い奴だと思う。そのたび飲み代は私の財布から出ているわけだけど、まぁ私の愚痴大会なんだからそれは仕方がない。
今日も結局どうしたらいいかなんて結論出せなかったな。いや、そもそもこの問題に結論なんてないのかも知れないけど。あー、どうしたらもっと豹に必要だって思って貰えるだろう。好きなのに、大好きなのになんだか私ばっかりワガママで呆れてしまう。

「…ひょう…」
「なんだ」
「いつも、ワガママばっかで、ごめんね」

どうしようもない情けない独り言が漏れ──ちょっと待て、いま返事あったよね。ていうか私何にゆらゆら揺られ──。

「えっ!?豹!?」
「目ぇ覚めたか」

ばっと起き上がると、豹の後頭部が見えた。私がいまぺったりと身体をぺったりとくっつけているのは豹の背中で、つまり豹におんぶされてゆらゆら揺られていたのだ。南雲を愚痴大会に付き合わせていたはずなのになんで彼が…いや、南雲が迎えに来いとでも言って呼び出したに違いない。

「ご、ごめん、重かったよねっ!今降りるからっ!」

私は大慌てでそう言って身じろぎをして、すると豹は「足元気をつけろよ」と言いながら私を地面に下ろした。衝撃で頭は冴えたけど足はまだ追いつかなくて、フラッとよろけたところを豹に支えられる。

「南雲からお前を回収しに来いって連絡があってな」
「ご、ごめん…こんな時間に呼び出して……えっと、タクシーとか拾うから──」
「送る」

言い終える前に豹が遮り、これ以上遠慮も出来なくて彼の申し出に甘えるかたちになった。二人で同じ方向につま先を向ける。私の覚束ない足取りに豹が合わせてくれて、スピードはごくゆっくりだ。

「ナマエ、そんなに酔うほど飲んだのか?酒弱くはないだろ」
「えっと、酔っぱらいたくてわざと薬飲んでたから…」
「お前なぁ…はぁ、無茶すんのヤメろ」

豹の正論に「ごめん…」としか出てこなかった。はぁ、ホントに恥ずかしい。いままで頑張って取り繕って来たのに、積み上げたものが音を立ててガラガラと崩れていく。南雲のやつなんで豹呼んだのよ。送ってくれとまでは言わないが、適当にタクシーにでも突っ込んでくれりゃ良かったのに。

「…甘い時間とか、そういうのは得意じゃないが…ナマエを不安にさせてたなら悪い」

じっと豹がこちらを見下ろす気配がした。そんな、豹が謝ることじゃないじゃん。私が勝手に悶々と考えてるだけで、私がもっと魅力的になるとか、現状を飲み込むとか、そういう対処をすればいいだけの話。あれ、ちょっと待った。そんな話豹にしたことなくない?

「な、んで豹が知ってるの…?」

ジッと豹を見上げる。豹は少し気まずそうに視線を逸らし、ぽりぽりと後頭部を掻いた。それから歯切れ悪く言葉が続く。

「あー…南雲の野郎がナマエと飲む度に盗聴した音声データ送ってきやがって…」

嘘だろおい、マジかあの野郎。さぁっと血の気と酩酊感が引いていく。豹の口から出てくる事実に卒倒しそうだった。おい南雲、一瞬でも良い奴だなんて思った私の気持ちを返せ。いや、今はまずとにかく豹に言い訳をしなくては。格好悪くて面倒な女だと思われたくない。そう思うのに、口からは「えっと、あの、そのっ……」と、取り留めもない言葉しか飛び出して来なかった。

「女心とか…そういうのを読むのは苦手でな。でも、あいつに話すくらいなら、俺に直接言ってくれ」

狼狽える私を今度は豹が見つめる番だった。豹の手がそっと伸びて、まるで壊れものでも扱うみたいな慎重さで私の肩に触れる。指先の熱が服を通り越して伝わってきそうな気分になった。

「……南雲の方がナマエの素を見てるって思ったら…妬ける」

街灯に照らされる豹の顔が少しだけ赤くなっているのが見えた。妬ける。妬けるってほんとに?豹がそんなふうに思ってくれてるのなんて考えてもみなかった。ホントに?え、夢じゃなくて?

「わ、私…ほんとは全然いい女じゃないの…豹に好きになってもらいたくて必死で、かっこ悪いところ見せたくなくって、必死で…」
「…ンなのとっくに気付いてるよ。そういうの込みでオマエに惚れてんだ」

なんでそうやってまたかっこいいこと言うの。私はもうたまらなくなって、豹の胸元に飛び込んだ。豹の匂いが目の前一杯に広がって、彼の手のひらが私の背中にそっと回される。

「…豹、ちゅーしてほしい…」

顔を挙げた私がそうねだると、豹はキョロキョロと左右に人がいないことを確認してから私に向かって上半身を折り曲げる。私は豹の首に腕を回して、ゆっくりと近づく唇が触れ合った。過去の傷をカバーするためにつけている金属製の顎あてが夜風の中で、少しだけ冷たくて気持ちよかった。

「豹…だいすき」

優しすぎるのが、ちょっと困っちゃうくらいだけれど。





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