社内恋愛はいかがですか?


私の職場はちょっと特殊。

「いらっしゃせぇ〜」

厨房に立って決められたレシピ通りに料理を作る。それをトレイに乗せてカウンター越しに渡す。業務内容は飲食店と同じそれだが、特殊なのは内容ではなく、職場の所在する場所だ。ここは殺し屋連盟という日本の殺し屋業界を束ねる組織であり、出入りの従業員の殆どが殺し屋という日本で有数の特殊な場所である。

「A定食で〜す」
「どうも」

そこそこ高い給料につられて応募をして、とんとん拍子に採用。初日に出勤して就労場所が殺し屋連盟本部内の社員食堂であると知った。殺し屋という存在とはまったく縁がないというわけではない。叔父が殺連関西支部に所属している連盟員だった。今思えば、その繋がりを調査されて採用されたんじゃないかと思う。素性の知れない人間を易々と入れるほど殺連も馬鹿じゃない。

「日替わり定食ご飯大盛で〜す」
「ありがとー」

最初はあんまりにも特殊な環境に戸惑いを覚えたものだが、ここは様々な規定に基づいて統率された組織である。従業員は概ねスーツを着用していて、規則正しく休憩を取り、トレイの上の食事かき込む。聞こえる単語が物騒なことを除けば案外普通の企業と変わらなかった。
そんなこんなでまあ結局のところわりと普通に働かせてもらっている。そしていままであれこれと危ない目に遭ったことは一度もない。

「お、ミョウジさん今日出勤なんや」
「あっ、神々廻さん、お疲れ様です!」

カウンター越しに食券を受け取る。この人は神々廻さん。殺連所属の殺し屋らしいけど、多分けっこう偉い人っぽくていつも食堂に来てくれるわけではない。今日は来てくれる日なんだ。ラッキー。そう思いながら食券を受け取ると、それは日替わり定食のものだった。今日の日替わりのおかずはカツ煮だ。ちゃんと玉ねぎを抜いておかないと。
私はてきぱきとご飯、お味噌汁、お漬物、きんぴらごぼうをお皿に盛り付けてトレイに乗せ、玉ねぎ抜きのカツ煮を作ってそれに加える。

「お待たせしました、日替わり定食玉ねぎ抜きです!」
「ん、ありがとうな。いつもすまん」
「いえッ…!」

ダメだ、声が裏返っちゃった。カウンターの上にトレイを乗せると、神々廻さんは片手でそれを受け取って近くのウォーターサーバーに寄り、奥の方の席に移動して食事を始めた。ちらりとその様子を横目に盗み見る。けれどすぐに次のお客さんが来てしまって、私は慌てて食券を受け取りに向かった。


神々廻さんに出会ったのはここで働き始めてすぐのことだった。なんとか日々のレシピを覚え、ご飯やお味噌汁をよそう以外の仕事を任され始めた。

「なぁ、ねぇちゃん。今日の日替わりって玉ねぎ入っとんの?」
「え、あ、はい…」

カウンターからぬっと金髪の男性に声をかけられた。その日の日替わり定食のメインは生姜焼きで、彼の言う玉ねぎはふんだんに使われている。私が玉ねぎを使用することを肯定すると、彼はあからさまに顔を歪めた。玉ねぎが嫌いだろうことは一目瞭然だった。

「あの、玉ねぎ抜きでも作れますけど、玉ねぎ抜きで作りましょうか?」

私はおずおずと尋ねると、彼は切れ長の目をグッと見開いて「そんなん出来るん?」と聞いてきた。関西弁の人と久しぶりに喋るなぁとしょうもないことを考えながら「お兄さんが良ければ…」と返す。すると彼が「ほんならそれで頼むわ」と言って、私は早速玉ねぎの代わりにもやしを使った生姜焼きの調理に取り掛かった。

「お待たせしました」
「おん、玉ねぎの代わりにもやし入れてくれとるん?」
「あ、はい。せっかくなので…」
「ありがとうな」

カウンター越しの彼は切れ長の目元をやんわりと緩めた。綺麗なひとだ。なんだろう、モデルとかアイドルとかそういうんじゃないんだけど、なんか惹き付けられるというか、そういう独特の雰囲気を持っているひとだ。
彼は奥の席にトレイを持って移動すると、とても綺麗な所作で食事を始めた。私は後から来るお客さんの注文を受けながら、チラチラと金髪の彼を盗み見ていた。


苦手な食材を残す人はたくさんいるけど、事前に玉ねぎの有無を聞かれたのは彼くらいのもので、なんだか惹き付けられる雰囲気も相まって私は一回きりで彼のことを記憶していた。男性には珍しいロングの金髪っていうのも覚えやすかった一因だと思う。

「神々廻さん、私B定食がいい…」
「お前自分で払えや。食券機そこにあんで」
「小銭ないもん」
「良かったな。万札対応や」

入口の方から小競り合いが聞こえる。何だろうかと確認すると、先日の金髪のお兄さんと女の子が食券機のところで食券を買い求めているようだった。もだもだと食券機で揉めてから二人がカウンターの方へ足を運んだ。B定食と日替わり定食の食券が渡される。今日の日替わりのメインはサーモンソテーで、レシピには玉ねぎが入っている。

「あの、日替わりってお兄さんですか?」
「ん?ああ、そうやけど」
「日替わりのメイン、サーモンソテーなんですけど、玉ねぎ入ってるんです。抜いときましょうか?」

私がそう言うと、彼はぽかんとした顔になった。この前玉ねぎ抜きを希望したのは彼で間違いがない。だとしたら、ひょっとして差し出がましいことを言ってしまったんだろうか。

「あ、あの…?」
「え、ああすまん。やったら玉ねぎ抜きで頼むわ」
「はい、わかりました」

一時停止した理由は分からなかったが、とにかくやはり玉ねぎ抜きの彼で間違いなく、今日も玉ねぎ抜きの対応でいいらしい。自分が変なことを言ってしまったわけではないと答え合わせが出来てほっと胸を撫でおろしながら、B定食と日替わり定食の準備を進める。

「お待たせしました、B定食と日替わり定食玉ねぎ抜きです」
「おいしそう…」
「ありがとうな。ほれ、大佛行くで」

二人はトレイを持って奥の席に移動する。あの可愛い女の子もここに所属しているということは殺し屋なんだろうか。事務員の子は制服を来ているか、営業の子もスーツを着ているから、そのどちらでもない彼女は恐らく殺し屋なのだろう。
それから次の人から食券を受け取って調理を進める。そうだ、そもそも内勤だったらこんな昼を外れた時間に昼食をとることは稀だろう。
ピークタイムを過ぎているから洗い物が主な仕事になっていて、そんな中でカウンターの方から「ねぇちゃん」と声をかけられた。新しいお客さんかと思って振り返ると、そこにいたのは金髪の彼だった。何かあっただろうか。

「はい、えっと…お食事になにかありましたか?」
「いや、美味かったわ。玉ねぎのこと覚えてくれとったんやなと思て」
「あ、すみません…えっと、お兄さん印象的だったから…」
「謝らんとってや。お礼言いに来てん」

彼はわざわざ私にその礼を言いに来てくれたようだった。申し訳ないな、と思いつつ、惹き付けられる雰囲気のある彼と話せる機会に少し浮足立つ。彼は神々廻、と自分の名前を教えてくれた。私も同じようにして彼に名を名乗る。「ミョウジさん、またよろしく頼むわ」と言って彼は社員食堂をあとにした。それが私と神々廻さんの出会いだった。


それから神々廻さんは食堂に来るたびに日替わり定食を注文して、私は玉ねぎの代わりにもやしやらキャベツやらを使用したレシピにちょっとだけ変えて提供した。毎回対応するならちゃんと上司に許可を取らないととマネージャーに報告したら、神々廻さんの名前を出したとたんに秒速でOKが出た。

「ナマエちゃんお疲れ様、日替わり定食で…」
「大佛さんお疲れ様です。日替わりですね!」

神々廻さんの名前を覚えて接するようになってから、彼とバディを組んで仕事をしているらしい黒のワンピースの女の子、大佛さんともそれなりに話をするようになった。だいたい二人で来るけれど、今日は大佛さんひとりらしい。
大佛さんに日替わり定食を提供して厨房の仕事に従事していると、大佛さんの席の向かいにあまり見たことのない男の人が座っていた。細身の長身の男性で、スーツではないからきっと彼も殺し屋なのだろうと思う。

「でさぁ、神々廻ってば社内恋愛するとか信じられんわって言っててさ、寄りによって社内恋愛寸前の豹がそれ聞いてるんだからもう参っちゃったよ」
「…神々廻さん、社内恋愛しないんだ」
「そーみたいだよ。面倒だから〜って。大佛は?」
「……どうでもいい…ご飯食べていい?」

声が漏れ聞こえてくる。盗み聞きは良くないとわかっていても耳がピーンとそっちにセンサーを張ってしまっていた。そっか、神々廻さん社内恋愛とかしたくないタイプなんだ。まぁ確かに別れた後とか面倒だよね。そう共感する構えを心の中で作りつつも、同時にもやもやと薄い雲が広がっていく。
それからも大佛さんと見知らぬ男性はあれこれと話し、というか男性のほうが一方的に喋り続けた。時間差で来るのかと思ったけれど、どうやら神々廻さんは今日来ない日のようだ。

「ナマエちゃん、ご馳走様」
「お粗末様です。午後も頑張ってくださいね!」

大佛さんが食器を返却しがてらそう言ってくれて、余計なお世話と思いつつも一言添えて見送る。すると見知らぬ男性がジッと私の方を見て「大佛、社食の子と仲いいんだ?」と言った。

「ナマエちゃんは神々廻さんの定食いつも玉ねぎ抜きにしてくれるの。いい子」
「へぇ…君が噂のナマエちゃんか〜」

男性がしみじみ感心するかのようにそう言った。遠くに座ってるとよくわからなかったけど、随分な長身のようだ。私の噂なんてどこでどう出回っているんだろう。そう思いながらなんて相槌を打てばいいのか分からずに視線を泳がせる。190センチ近い男性にしげしげ観察されるのには慣れていない。
結局男性は名乗ることもなく私にニコニコ笑いかけて「神々廻をよろしくね」とこれまたどう返したらいいか分からない言葉を残して大佛さんと社員食堂を出て行ってしまった。


神々廻さん、社内恋愛ダメなタイプなんだ、というのを私は絶賛引きずっていた。いや、神々廻さんが社内恋愛OKなタイプだとして私がその席に座れるわけではないんだけど。つまるところ、私は神々廻さんのことが好きで、ひょっとして彼と特別な仲になれたら、なんて淡すぎる希望を抱いていた。
そもそも私と神々廻さんは月に何度か社員食堂で顔を合わせる「出入りの社食の業者のスタッフ」と「その顧客」に過ぎない。認知されていることが奇跡的なレベルなんだから、淡すぎる希望はほぼ透明と言っても過言ではない。
もやもやしていても殆ど透明な希望を抱いていても朝は来るわけで、早番だった私は出勤して昼に備えた準備をもくもくと進めていた。ランチタイムにはちゃんとスタッフが複数名で従事するけれど、その前の準備はシフトによる当番制でワンオペだ。
がちゃ、と食堂の扉が慌ただしく開く音が聞こえる。まだ提供時間外だから「CLOSE」の札がかかっているはずだけど、見えてない人が入ってきたんだろうか。

「すみません、まだ時間外で──って、神々廻さん?」
「ミョウジさんッ!南雲がいらんこと言うたって大佛に聞いて──!」

慌ただしく食堂に入ってきたのは神々廻さんだった。南雲って誰だろう。あ、ひょっとして昨日の男性のことだろうか。いらんことというのは何かなと思いながら、ずいぶん息を切らせた様子の神々廻さんに冷蔵庫から取り出した水を差し出す。彼はそれを一気に飲み干した。

「えっと、南雲さんって昨日大佛さんと一緒にみえた男性のことですか?いらんことっていうのは…?」
「社内恋愛がどうとかこうとか言うとったやろ!?」
「えっ、あの…聞こえてしまっては、いましたけど……」

盗み聞きしていたことがバレて、それを怒っているのかと思って言い訳めいた申し開きをする。神々廻さんはハァァァァと大きくため息をついて、それからカウンターの上に乗り出して私の手をぎゅっと握った。私は訳が分からなくて「えっ」とか「へっ」とか、どっちともつかない情けない声を上げる。神々廻さんの切れ長の目が私を見つめた。

「社食の従業員と殺し屋は、社内恋愛とちゃうやんか」
「へっ!?」
「せやから、誤解せんとって欲しいねん」

何を言われているのかを徐々に理解して、顔に熱が集まっていく。私が関係ないのなら、こんなことをわざわざ言いに来る必要はない。それをこんな時間外に慌てて言いに来てくれて、誤解しないでってことは「社内恋愛」に「社食のスタッフと殺し屋」が含まれないと思ってほしいってことで。

「ミョウジさん、今日シフト何時に上がるん?」
「あ、えっと、5時には上がります、けど……」
「ほんなら、5時半までには終わらせてくるから、今日飯行こ」

神々廻さんにそう言われ、私はとにかくコクコクと頷いた。神々廻さんは自分のスマホの番号をその辺の紙に書いて私に握らせ「ほんなら後でな」と言ってそそくさと社員食堂を後にする。磨き上げられたシンクには私のりんごより赤くなった顔がしっかりと反射していた。

「ど、どうしよう…」

殆ど透明だった希望が急激に蛍光色ばりの主張を始める。元々食堂に足を運ばなかった神々廻さんが足繁く食堂に通うようになったのは私が入社してからのことなのだと、私は随分あとになってから大佛さんに聞くことになるのだった。





戻る




- ナノ -