04 毛布、しいたけ、エコロジー


押し切られるようにして始まった尾形との同居生活の決めごとは取り急ぎみっつ。
ひとつめ、食事代は折半すること。ふたつめ、尾形はソファで寝泊りをして、寝室には立ち入らないこと。みっつめ、必要なものがあれば自分で買いに行くこと。ただし大きなものはナマエの了承を得てから買うこと。

「あとなんか思いつきます?」
「いや、俺は眠れりゃなんでもいい」

ナマエはじっと尾形を見た。じっと口数の少ない瞬間も多いし神経質なように見えるが、昨日といい今日といい「眠れるところがあればいい」なんて随分粗雑なことを言うものだ。まぁ細かな要求をされても聞くことが出来るかは怪しいし、それなら要望も何も言われないほうがマシかもしれないけど。

「えーっと、じゃあそういうことで…昨日の毛布持ってきます」

この男がどうしてこの部屋にこだわるのか、理由がさっぱり分からないが、しかし乗ってしまった船から今更降りられるはずもない。なんとなく、彼はそこまで悪い人でもない気がする。根拠のないただの勘だけれど。
取り急ぎ、脱衣所に置いている下着やらリビングに飾っている写真やら、あまり触られたりとか見られたりしたくないものを寝室に移動させる。

「まあ、言ってもそんなにないんだけど……」

そんな独り言を言いながら緊急避難をさせたものたちをベッドの上に転がし、代わりに毛布を持ってリビングに戻る。すると、尾形が手元で何かをきゅっきゅと磨くような仕草をしていた。

「尾形さん、毛布持ってきましたけど…何してるんです?」
「コレだ」

尾形は磨いていたそれをナマエに向かって差し出す。彼の手で掴めるほどの大きさの円筒状の部品の真ん中にはきゅるりとしたガラスが光っている。見慣れない部品だ。ナマエがじっと見たままでいると、これが何なのか分からなかったと彼は察したのかナマエの言葉を待つことなく続きを話した。

「レンズだ。カメラのレンズ」
「ああ、なるほど」

そう言えば、路地裏で会った日も高級そうなカメラを持っていたような気がする。写真を趣味にしている男性はナマエの知り合いにも結構多い。

「写真、お好きなんですか?」
「……さあ、どうだろうな」

どこか含みのあるような相槌を打ちながら、尾形は磨き終えたカメラのレンズをバッグにしまっていった。一か月滞在させろと押しかけて来た割にはコンパクトな荷物で、その中にこのカメラ類が含まれているのならば他の荷物はもっと少ないのではないだろうか。

「あ、そうだ。ビール飲みます?」
「おう」

尾形の乱入によりペースが乱れてしまったが、そういえば今日は金曜日だ。一週間のご褒美を自分に与える日である。流石に自分だけ飲もうというわけにはいかないし、尾形にも振舞うことにしよう。
買い置きの冷凍ピラフとプロセスチーズ、ウインナーにえだまめと卵を取り出す。キッチンに立ったまま尾形に「食べられないものありますか?」と尋ねたら「しいたけ」と返ってきた。今日のラインナップにしいたけはない。

「私の料理だいぶ雑ですけど、大丈夫ですか?」
「別に」

それならいい。口に合わないと言われようものなら食事は毎食外に食べに行ってもらうほかなくなるだろう。昨晩振舞った有り合わせの夕食も残さず食べていたし、食にはそこまでこだわりはないのかもしれない。
ボウルに卵を割ってとき、その間にウインナーを炒めて火を通していく。枝豆はそのまま洗って皿に移し、炒め終わったウインナーを一口大に切ってプロセスチーズと一緒に爪楊枝に刺した。といた卵に出汁を加え、フライパンに半量を入れてだし巻き卵を作っていく。
だし巻き卵をまな板に取り出すと、最後は冷凍ピラフだ。手早くフライパンに広げる。

「はい、お待ちどうさまです」

てきぱきと料理を並べながらそう言えば、尾形はじっとテーブルに並べられていく料理を見つめた。まるで猫が目の前におもちゃをぶら下げられているかのような目の動きだ。
普段ならもっと適当に済ましてしまうけれど、流石に晩酌とはいえ成人男性がいるんだから多少はボリュームがあったほうがいいだろう。

「…いただきます」

尾形はやはり行儀よく手を合わせてそう口にして、それから割り箸を持ち上げた。見た目は堅気じゃないけれど、こういう仕草はしっかりとした教育を受けている人間だと思った。昨日のように「塩辛くないですか?」と尋ねてみると、やはり頷くだけの返事が戻ってくる。どこか見た目とのアンバランスさが浮き彫りになって、何となくそのあとも彼の仕草から目が離せないようになった。


いくら一か月だとはいえ、どう考えてもこれからの時期毛布一枚では何ともならないだろう。そんなわけで、彼を連れて日用品店を訪れていた。食器類もどうせだし来客用も兼ねて買い足したいし、ちょうど都合もいいだろう。

「とりあえずあいがけの羽毛布団にしましょう」
「別に何でも」
「そうは言っても風邪ひくのは尾形さんですからね」

フロアの天井から吊り下げられる案内板を見ながら店内を歩く。寝具の類は奥の方にあるらしい。真冬にあいがけの羽毛布団では寒いだろうが、一か月間程度ならそのくらいが丁度いいだろうという読みだった。
本当はベッドで寝なければ身体が悪くなりそうで気になるところだけども、単身者向けの部屋に二つ目のベッドは置けない。尾形が予想通り布団や枕カバーの柄についても何でもいいと言ったので、彼が出て行った暁には自分の家の来客用になるのだからと好きな柄を選ぶことにした。

「お皿とかは来客用に買うつもりなんですけど、お箸も要りますよね?」
「割り箸で構わんが」
「ダメですよ、エコじゃないし」
「なら初めから聞くな」

普段から特別エコロジーに関心があるわけではないが、流石に一か月間割り箸のゴミを排出し続けるのは憚られる。高いものでもないんだし、適当に一膳買って帰ろう。それからいくつか日用品の類を買って、ついでに布団乾燥機まで買った。これは完全にナマエの買い物だ。

「すみません、なんか色々持って貰っちゃって」
「すまないって思ってるやつの買い方かよ」

尾形はちくりとそう言いながらも布団乾燥機と羽毛布団を両手に持つ。ひとりで買い物に来ていたらきっと布団乾燥機は持って帰るのが嫌で買わなかっただろうと思う。
このまま食料品の買い物に行くのは流石になんだし一度荷物を置いてから近くのスーパーに行こう。結局尾形には有りもので適当に食事を作っているだけだし、好きな食べ物でも聞いておこうか。

「尾形さん、好きな食べ物とかあります?」

ちらりと隣に向けて視線を投げると尾形がじっとこちらを見つめていていた。まさかそうとは思わずに咄嗟に視線を逸らした。ドッと心臓が鳴る。尾形がその素振りをどう思ったのかは分からないが、彼は少し黙ったあとに口を開いた。

「……あんこう鍋」
「えっ!あんこう鍋ですか!?」

まったく予想だにしていなかった方向から飛んできた答えに思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。別に誰がどんな食の好みを持っていようが文句をつけるようなことではないが、夕飯の食卓にあんこう鍋を並べるのは流石に難しい。あれはそこそこに高級食材である。尾形は自分の食の好みにケチをつけられたとでも思ったのか、何とも不満げな顔をしていた。

「あ、いや、今日の夕飯、尾形さんの好きなもの作ろうかなって思って聞いたんですよ。だからあんこう鍋はちょっと厳しいかなーと…」
「だったら先にそう言え」

それに関しては仰る通りだが、なんとも上から目線の言い方だ。どうせ今だけの付き合いだし構いやしないけれども。

「別になんでも。お前の味付けは好みだ」
「え、味付けって言ったって殆ど冷凍商品とかですよ?」
「粥、卵スープ、出汁巻き」

尾形から単語だけが帰ってくる。おかゆに卵スープに出汁巻きと言えば、彼に出したラインナップの中でナマエが味付けをした料理たちである。なるほど、致命的に言葉が足りないような気がしてならないが、彼的にはそれらの味付けが好みだったと言いたいのだろう。

「えっと、じゃあしいたけ以外に嫌いなものはありますか?」
「特にない」
「なら、適当にいろいろ作ってみますね」

和食洋食中華くらいは言ってほしかったところだが、まぁその希望もないのならいっそ好きに作ろう。手のかかるものを上手に作れる自信はないし、手ごろな炒め物系から攻めるのがいいかもしれない。そんなことを考えながら歩いていれば、隣から視線を感じてパッと顔を上げる。尾形がまた黒々とした瞳でナマエを見つめていた。何か言いたげな様子の彼の言葉を待っていると、たっぷり間をとった後にようやく口を開いた。

「…しいたけ、覚えてたのか」
「え?そりゃまぁ、昨日聞きましたから」

流石に昨日「食べられないものはありますか?」と聞いて「しいたけ」と返ってきたのだから、その原因が単純な好みかアレルギーかは分からなくとも食卓に出してほしくないことは分かる。尾形は感情の読み取れない表情のまま黙ってしまったので、結局なにを言いたかったのかはよくわからないままになってしまった。


マンションまで戻ると、早速尾形の羽毛布団をベランダで天日に干した。併せて買ってきた枕カバーやら掛け布団カバーやらを洗濯機に押し込めて普通コースで洗い、食器類も一度洗っておこうとシンクの中に積んでいく。それが済んだら食料品の買いだした。来週の総菜類を作り置きしておきたいし、計画的に買い物をしなければ。

「尾形さん、今から買い物行くんで」

リビングのソファにちょこんと座っている尾形にそう声をかけると、ナマエを振り返ってからいそいそとコートを着て出かける準備を始めた。留守番をしていてくれという意味で言ったのだが、訂正するより前にもう準備は万端だった。

「えっと…留守番しててもらってもいいんですけど…」
「俺も行く」

まぁそれならそれでいいか、と突っ込むのをやめ、ナマエ自身も一度脱いだコートに袖を通していく。財布を持って玄関に向かうと、尾形は既に靴まで履いてナマエを待っていた。まるで散歩を待つ犬だな、と脳裏を掠めたが、この男は犬というよりも猫と言った方が似合うような気がする。


買い物や掃除洗濯、食事に風呂を滞りなく終えた午後9時。ナマエが風呂から上がると、尾形はソファに腰かけてカメラのレンズを磨いていた。撮影どころか、カメラ本体を今日一日バッグから取り出してさえいなかったのにそんなにも頻繁に手入れをするものなのだろうか。
思わずその手つきをじっと見つめてしまって、すると視線に気が付いた尾形が顔をのっそり上げた。

「…なんだ」
「えっ、いや……使ってないのに手入れするんだなと思って…」

正直に答えると、尾形はすぐに視線をレンズへと戻し、きゅっきゅと磨く手を再開する。聞かれるのも嫌なのだろうか。まぁ特別知りたいと思って尋ねたわけでもあるまいし、キッチンに戻ってカフェインレスのコーヒーを準備すると、トポトポとマグカップに注いでいく。

「尾形さん、コーヒーどうぞ。カフェインレスなんで」
「……おう」
「……ブラックですけど、飲めます?」
「飲める」

それを聞き、尾形の目の前に今日購入したばかりのマグカップを置いた。猫のイラスト付きなのは、決して彼をイメージして選んだわけではない。尾形はレンズをバッグにきっちり戻すと、マグカップを手に取った。ふうふうと表面に向かって息をかける。それから注意深くマグカップのふちに口をつける。熱かったのか、すぐにぱっと口を離した。

「熱いの苦手ですか?」
「……別に」
「…苦手なんですね?」

明らかに熱かったという反応をしたくせに強がるようなことをいうものだから、思わず笑ってしまった。笑われたことが不服なようで、尾形はじろりとナマエを見上げる。出会った日なら恐ろしいと思った睨みつけるような視線もこの状況では怖くもなかった。

「じゃあ、おやすみなさい」

ナマエはそう声をかけ、寝室とリビングを隔てるドアを閉めた。この向こうに人がいるというのはまだ慣れないが、不思議と嫌な気分ではなかった。
醸し出す雰囲気は間違いなく大人の男で、危うげな発言は堅気ではないのだろうかと思わせる。けれど猫舌なところだったり無言で頷く姿はどこか子供っぽく見えたし、行儀のいいところは育ちの良さを感じた。

「……なんか、気になっちゃうんだよな」

彼を構成するもののすべてが別々の形をしていて、それらが絶妙にバランスを取っているようだった。それにどうにも引き付けられてなんだか目が離せなくなってしまう。出会って間もない相手にこんなことを思うのは、自分でも変なことだと分かっているけれど。






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