番外編 バースデー


遡ること三か月。デートの定番と言えば二人でごろごろとくつろぐということが多く、上京してきた宇佐美の家にお菓子類を持ち込んで動画配信サイトで適当に数年前の映画を眺めていた時だった。

「あ、そういえば宇佐美くんって誕生日いつ?」
「2月25日」
「へぇ、冬生まれなんだ」

テーブルに広げたチョコレートを一粒つまむ。宇佐美に対してどの季節に生まれたかなんて明確なイメージを持っていたわけではないが、知り合いに2月生まれがいないからなんとなく新鮮な気がした。
2月ということは早生まれだ。ひょっとして同い年なんじゃないか、と思っていたけれど、これじゃ年が同じでも学年は違うかもしれない。

「宇佐美くん、次の誕生日でいくつになるの?」
「29歳」
「えっ…!?」

うそだ、と思って絶句した。そんなに年上だなんて聞いていない。出会ってからほとんどずっとため口だった。そもそも彼は同じくらいの年のはずじゃないのか。

「うそうそ、宇佐美くん私と同じくらいっていってたじゃん!」
「言ってないけど」
「そんなわけな──い…ことないね…」

ため口で話すようになった当時のことを頭の中で再生する。家でまで敬語を使うのが嫌で、自分と同じくらいの年に見える宇佐美に「宇佐美さんも20歳とかそのくらいですよね?」と言って、宇佐美は「まぁいいや。そういうことにしてあげるから、畏まった喋り方しなくていいよ」と答えた。つまるところ、彼から明確に年齢の答えは聞いていない。

「え、でも明治時代の享年が20歳前後ってことは…」
「ないね。満年齢でいうと…死んだのは27じゃないかな」

どっちにしろ大誤算だ。男性の実年齢と見た目についてさほど詳しいわけではないが、どこからどう見ても宇佐美は若く見えるほうだと思う。幽霊で見ていた時も実体で見ているときもその感想は変わらない。

「私ずっと同い年くらいかと思ってたのに…教えてくれてもいいじゃん」
「でも、教えたら敬語使ってたでしょ?」
「それはそうだけどさぁ」

反論ごもっともだ。あの時は突然現れた幽霊に堅苦しい態度をとるのが嫌であんなことを言ったわけだが、宇佐美がそんなに年上だと言われたらきっとどうしても敬語になってしまっていたと思う。

「なんだよ、僕と年が離れてたら問題あるの?」
「問題はないけどさぁ……」

宇佐美がナマエをぐっと覗き込む。きゅるりと大きな目を細めて見つめられるとどうにも弱い。そりゃあ確かに面と向かって真正面から嘘をつかれたというわけではないけれど、二十そこそこだと思っていた恋人が実は三十手前なんて結構な話ではないのか。結局そのままくるりと丸めこまれてしまった。


宇佐美の部屋は単身者にしては多少広い2DK。もちろんナマエのボロアパートと比べれば天と地ほどの差がある。きらびやかな繁華街に近いということはないが、駅もそこそこ近いしスーパーもコンビニもある。何より風呂があるのは流石だと思う。
今日は彼の誕生日だから、アムールの近くに新しくできたパティスリーに寄ってからここへ来た。ケーキを手にナマエは宇佐美の部屋の前に立ち、ピンポーンと間抜けな音をさせてインターホンを鳴らす。

「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
「合鍵使えばいいのに」
「え、でも部屋に宇佐美くんいるんだからいいじゃん」

予想外に年上だと知ったところで、今更態度を変えることもない。宇佐美自身にも「何か変えた方がいい?」と一応聞いてみたが、もちろん彼の返事は否だ。ただの同居人ならまだしも、今は恋人同士という立場なのだからある意味自然な流れではあった。

「ケーキ買ってきたんだよ。いちごのとフルーツいろいろのやつ」
「ん。ありがと」

宇佐美は多少ぶっきらぼうにそう言って、ナマエの手からパティスリーの箱を受け取る。もはや勝手知ったる顔で宇佐美の部屋へ上がり、洗面台を借りて手洗いうがいを済ませていつも通りにソファのところへ収まる。
宇佐美がマグカップを持ってソファのところに合流し、彼の定位置であるナマエの隣に腰を下ろした。砂糖とミルクの入った甘いカフェオレを受け取って、ちびりと口をつける。そして言うなら早い方がいいだろうと早速今日の本題を口にした。

「あのぉ…ちょっと言いづらいことがありまして…」
「……なに?」

宇佐美が訝し気に眉を動かす。実体を持った彼との付き合いも八か月くらいになる気がするが、半透明より不透明のほうがなんとなく迫力がある気がする。いや、半透明な彼ってなんなんだと思うけれど。

「ごめんなさい!誕生日プレゼント、用意できてないの!」

マグカップをテーブルに置いてぺこりと頭を下げた。勢いが良すぎて身体がブレたせいでごんっとローテーブルの足に膝がぶつかる。

「いろいろ考えたんだけどね!?私貧乏だし、何か買おうにもどうしても安っぽいのになっちゃう気がして…アラサーの男の人に持たせていいものは中々浮かばなくってさぁ」

しゅんと肩を落とした。あれこれ考えてみたものの、あんなボロアパートに住まう汲々とした生活を送るナマエに金銭的な余裕はない。成人男性にプレゼントとなればそれなりにしっかりしたものをあげたと思うけれど、その資金を捻出するのに三か月は短かった。
せっかくの初めての誕生日なのに申し訳なくて、だけど正直に言ってしまったほうがまだマシだろうと吐き出してしまって、最後にまた「ごめんね」と付け加えた。

「別にナマエからプレゼントとか期待してないよ。生活大変なことも知ってるんだし」
「う、宇佐美くん……」

理解のある優しい恋人に感動したものの、大きな目が半分閉じられて、いやこれはどっちなんだと背中に汗が流れた。なんだか優しく全肯定みたいな空気でないことだけは確かだ。宇佐美はローテーブルに片方の肘を乗せて頬杖をついてナマエを見つめる。恋人に見つめられているというよりは蛇に睨まれた蛙というほうが正しい気がする。

「えっとぉ……なんかその…宇佐美くんのリクエストあったら聞いたりとか、したりとかぁ…」

苦し紛れにそう言って、すると宇佐美が「墓穴掘るの上手いよね」と笑った。いや、とんでもない無理難題を突きつけられたらどうしよう。流石に滅多なことは言わないと信じたいところだけれど、いたずら心に火が付いた宇佐美が何を言い出すかなんて予想が出来るはずがない。

「今日のケーキ、あれナマエが僕に食べさせて」
「えっ!」

思いもよらない方向から飛んできた暴投にごつんと頭を殴られたような気持ちになった。宇佐美は冷蔵庫を指さして、さぁ今すぐ持って来いとばかりの態度である。確かにこれは全く金のかからないリクエストであり、すかんぴんのナマエの懐には非常に優しいと言える。
ナマエはしぶしぶ立ち上がり、冷蔵庫の中のパティスリーの箱を取り出すと、ケーキをそれぞれ皿に移してフォークと一緒にテーブルまで運ぶ。

「…宇佐美くん、どっちがいい?」
「ナマエどっち食べたいの?」
「うーん、フルーツのほうかなぁ」
「じゃあ僕苺」

ナマエの食べたいと言った方をさらりと優先して、宇佐美はさっそく「あ」と口を開けてケーキを待ち構える。「あーん」なんて死ぬほど恥ずかしいが、別にここでは誰に見られているというわけでもない。ええい、と半ば自棄くそになってケーキを一口分に切り分け、宇佐美の口元に運ぶ。
待ち構えていた宇佐美は自分の口元に運ばれてきたケーキをぱくりと口に入れると、もぐもぐとそれを咀嚼した。彼の両頬の均等な位置にあるほくろがリズミカルに動く。

「ん、結構美味しいね」

宇佐美はそう感想を言いながらまた「あ」と口を開け、次のひとくちを待っていた。まさかこのまま最後まで食べさせろ言うことだろうか。しかしまぁナマエに抵抗できるわけもなく、次のひとくちをフォークの上に用意をした。
次も、その次もと宇佐美は口を開け、ナマエも彼の口にケーキを運び続ける。ケーキ一個を平らげるあたりでようやく羞恥心がなくなっていった。

「さて、じゃあ次はどうしようかな」
「えっ、うそ、一個だけじゃないの!?」
「当たり前でしょ。ナマエ別にひとつだけとは言ってなかったじゃん」

揚げ足を取るように宇佐美はそう言い、ローテーブルに頬杖をついて笑みを深める。今度は何が飛び出してくるんだろう。身構えるナマエを宇佐美は楽しそうに眺めている。もうこの瞬間のナマエの態度を楽しんでいるんじゃないだろうか。宇佐美はたっぷりと間をとったあと「じゃあ次は」と二つ目のリクエストを口にした。

「そろそろ僕のこと名前で呼んで」
「え、恥ずかしいから無理」
「ハァ?」

条件反射で拒否すると宇佐美の低い声が飛んでくる。もう宇佐美くんと呼びなれてしまって、今更下の名前で呼ぶなんてこっぱずかしい。宇佐美の迫力のある目がナマエを問い詰めるように見つめて、これは頷くまで開放されることはないだろうと思われる。

「まさか僕の名前知らないとかじゃないよね?」
「違う違う!流石に違う!」
「じゃあ言ってみせて」

ナマエは「あー」だか「うー」だかわからないうめき声を上げ、それから意を決してちろりと宇佐美を見上げる。

「……と、時重、さん…?」
「なんでさん付け?」
「だ、だって年上だし……」
「散々タメ口だったくせに」
「それはそうだけどさぁ」

なんなら今もタメ口だ。わざわざさん付けにしたのはただの苦し紛れの照れ隠しで、もちろんそれをわかっている宇佐美が容赦してくれるはずもない。じろっと見つめるより睨むに近い視線を浴び、ナマエは降参してもう一度口を開く。

「時重…くん…」
「……まぁしょうがないからそれで及第点ってことにしてあげる」

多少不満そうではあるがそうして宇佐美が引き下がり、ホッと胸をなでおろした。男のひとを呼び捨てにするなんて経験は今までないから、呼び捨てはまだしばらく待っていてほしいところだ。

「じゃあ次は──」
「うっそでしょ!まだ!?」
「なんだよ、こっちは誕生日様なんだけど?」

一体いくつ注文をつけて来るつもりか。こんな横暴な誕生日様どこにいるっていうんだ。ていうか誕生日様ってなんだ。頭の中立て続けにツッコミをいれるが、もちろん口には出さない。口に出したらどうなることかわかったものじゃない。
ナマエがあれこれと勝手に思考を巡らせ、宇佐美は頬杖をついた状態からナマエにぐっと近寄る。大きな目に自分の顔が写っているような気がする。

「ナマエ、この部屋に一緒に住んで」
「え?」

宇佐美はナマエとの距離を詰め、投げ出されたままになっている指先を攫った。宇佐美の熱を感じ、そこでようやく指先を絡め取られているということに気がついた。

「ナマエ、あの安アパートの更新そろそろでしょ」
「う、うん…」
「この部屋ボロいし、狭いし、セキュリティ甘いし。あそこよりここのほうが快適だと思うんだよね」

確かにそれは間違いなくそうだろう。つまりこれは同棲のお誘いということだ。考えてもみなかった提案に思考回路が一瞬止まって、それからまたカタカタと動き始める。宇佐美がいなくなってから、安アパートの部屋はいやに広く感じられた。あんなに狭い部屋が広く感じるなんて自分でも変だと思う。それにあの頃は、朝になると宇佐美は消えてしまっていた。朝起きて、それでもそれでも彼がそばにいてくれる生活なんて夢みたいだと思う。

「で、でも……」
「なに、不満?」
「そうじゃなくって…私、宇佐美くんと違ってめちゃくちゃ不規則な生活だから、宇佐美くんの迷惑になっちゃうんじゃないかと思って…」
「不規則な生活してるのは見てたんだから知ってるよ。それに、不規則だからこそ一緒に住んでた方が顔合わせる時間も長くなるでしょ?」

あと呼び方戻ってる。と最後に付け加えた。甘えてしまってもいいんだろうか。確かに今の生活でも宇佐美はマメに連絡を取ってくれているけれど、もっと一緒にいられるのならその方が嬉しいに決まっている。ナマエは絡め取られた指を握り返した。

「よ、よろしくお願いします」
「そうと決まれば引っ越しだね。業者頼まなくてもいいように僕が助っ人呼ぶから、自分で荷物は詰めといてよ」
「話が早すぎる…」
「善は急げって言うでしょ?」

宇佐美がにゅっと唇で弧を描く。これが善かどうかはわからないが、彼も喜んでくれているようで嬉しい。家に帰って、朝起きて、毎日大好きなひとと一緒にいられるなんて夢のような生活に期待に胸を膨らませる。
引っ越し当日、宇佐美の呼んだ助っ人というのがどうにも見覚えのある面子のような気がしてならなかったのは、また別のお話。







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