sideU 02 ボードビル


鶴見と約束を取り付け、宇佐美は新潟市内のとあるカフェを訪れていた。海外にいる鶴見が一時帰国をするそうで、その際に里帰りするのだそうだ。DMでやり取りはしていたけれど、面と向かって会うのは札幌以来だった。もっとも、記憶を取り戻したのはつい最近のことだけれど。

「やぁ、時重君」
「鶴見ちゅ……鶴見さん、お久しぶりです」

思わず人前で「中尉殿」と呼びそうになって慌てて訂正をする。それが当然彼に伝わってしまっていて、くすりと美しい相貌を笑わせた。

「久しぶりだね、まさか君から連絡をくれるとは思っていなかった」
「フフ、そんなことを仰って、本当は知っていたんじゃないですか」
「あはは、いやまさか」

DMのやり取りのときと同じことを言うものだから、今度はすかさずそう返してやった。この笑い方は図星というところだろう。美しい相貌は、奉天会戦の前あたりの、つまり額の傷を受ける前の容姿に近似している。流石に現代日本ではあんな怪我を負う機会はそうそうないだろう。

「時重君は、あのころと同じくらいの年の頃かな」
「はい。今年で27歳になりました。鶴見さんは少しお若く見えます」
「そうかい?前と歳の差はそう変わらないさ」

鶴見は店員に紅茶をオーダーし、宇佐美も真似て同じものをオーダーする。カップを持ち上げる所作は美しく、まさにあの頃の敬愛する人物が目の前にいることに興奮した。

「思い出したのは最近かい?」
「はい、恥ずかしながら」
「しかし丁度良かったよ。今度国内で起業をする予定なんだが、良ければ時重君にも力を貸して欲しくてね」

にこり、と鶴見が笑う。この笑みを向けられて断れる人間がこの世のどこにいるだろうか。宇佐美はその会社の概要さえ聞く前にもちろん二つ返事で了承した。時期は来年7月。それまでには今の会社と折り合いをつけて退職してほしいとのことだった。まだ10ヵ月ほど先の話だから、それは全く問題ないだろう。聞けば昔の顔なじみにも声をかけて回っているらしく、鯉登や月島、二階堂あたりも上手くいけば引っ張ってこれるとのことだった。僕の篤四郎さんなのに、と思う気持ちがある反面、会社となれば自分一人では賄えないのは理解しているから、渋々だが受け入れるしかあるまい。

「記憶を思い出したのには、なにかきっかけがあったのかな?」
「……ある日突然、夢を見たんです」

静かな語り口で話し始める宇佐美を鶴見が興味深そうに見つめる。夢だと思っていた。しかしそれは単純に夢と断ずるには不可解なくらい現実めいていて、そのうちにそれがほとんど確信に変わった。

「その夢の中の自分があの頃の経歴を口にして、それで一気に引き戻されました」
「なるほど、そのパターンは初めて聞いたよ。面白い」
「それが……その夢がどうにもただの夢とは思えなくて」

こんな妙な話を打ち明けられるのは、前世の記憶を有するなんて同じ状況にある彼しかいない。宇佐美はなるべく簡潔に言葉を纏めるように努めてから口にする。

「その場所が、現代の東京のようなんです。だけど僕は東京に縁もゆかりもありませんし、夢の中で出会う女の子もあの頃の僕の知り合いの子孫とも思えません」
「女の子?」
「はい。20歳そこそこの娘で、札幌出身だとは言っていました」

共通点といえば、自分の最後の地になった札幌の出身ということだろうか。とはいえ、札幌出身というだけでは他にいくらでも人間はいる。どうしてわざわざ彼女だったのか。鶴見は少し考えるようにしながら「余談だが」とあの頃の話を口にした。

「札幌麦酒工場からお前の遺体を実家に返すことは出来なかった。あのまま我々は暗号の解読に取り掛かり、最終決戦の地となった五稜郭に向かったのだ」
「そうでしたか…」
「正規の火葬場にも運んでやることが出来なかったから簡易的に火葬をして、地元の人間に丁重に弔ってくれるよう頼んだ。その後は私も細かく把握していないが……それを預けた札幌の名士の家がミョウジ家というところだった」

ぴくり、宇佐美の耳が反応する。ミョウジ。ナマエと同じ名字だ。じっと考える宇佐美を鶴見が見つめ、そっとティーカップを傾ける。

「偶然だと思うようなことも、一見意味などないように思えることも、案外悩みを解決する手がかりになったりするものだ」

ナマエの部屋に化けて出るようになったのは偶然か、それとも何かの因果があるのか。鶴見は目をそっと細めた。

「よくよく観察したり…例えば今までのことをもう一度見つめなおしてみたりというのも、解決の糸口になるかもしれない」
「そういうものでしょうか…」

彼女と自分の共通点。今まで宇佐美の死んだ地で生まれたという薄い繋がりしかなかったが、自分の遺骨がナマエの家系に預けられたという可能性が浮上した今、その薄い繋がりが濃くなる可能性は大いにある。何故一年半前から眠りが浅くなったのか、なぜ彼女の部屋だったのか、なぜあのアパートから離れられないのか。解決の糸口は、きっとあの部屋にある。


ナマエは相変わらずのん気だった。劇団の花形女優の怪我により急遽代役を務めることになったらしく、その公演に訪れた男性客に褒められたのだと嬉々と報告してきた。いや、普通に考えておかしいだろう。聞くところによれば、研究生とはパンフレットにも名前が載らない見習いの身分である。今回急遽だったこともあって、フライヤーの類は訂正したものを配布出来ていないし、劇団のSNSの告知くらいでしかナマエの名前は載っていない。それを狙い打ちで、しかも新人のナマエだけをただの客が誉めそやすというには違和感がある。

「まだド新人のナマエに狙い撃って褒めちぎるなんて、下心があるに決まってる」

そう釘を刺してしまうのはどうしてか。能天気な彼女が面倒なことに巻き込まれるせいでその割を食いたくない。とは、違う。自分の中で認めなければならない感情を、宇佐美はすぐそばに感じた。

「まぁ、何にせよ気を付けときなよ。ひとり暮らしなんだし」
「宇佐美くんはいるじゃん…」
「僕はアパートから離れられないでしょ」

自分をまるで信頼するような言葉に、嬉しさとか恥ずかしさとかの気持ちが混ざってため息になってこぼれ落ちる。正体不明の幽霊に対してよくもまあこんなにも簡単に信頼を寄せられるものだ。とはいえそういう素直なところが可愛らしく見えたし、目が離せないところでもあった。

「まぁ…とにかく千秋楽おめでとう。お疲れさま」

千秋楽の日にわざわざこれ以上詰めることもない。頭を撫でてやろうとしたけれど、自分は生き物に触ることが出来ないのだとはたと気が付き、部屋の隅に転がっているハンドタオルを手に見立てて彼女の頭を撫でるように動かす。ナマエがへにゃりと笑う。


事態が悪化したのはすぐの事だった。稽古場の最寄り駅で男が不審な動きを見せ、その後劇団の稽古場を含むひとりの時間に視線を感じるようになったという。もちろんこんなタイミングなのだから、原因はその男に決まっている。

「外ではあんまりひとりにならないようにね」
「…うん、気を付ける…」

宇佐美はこのアパートから離れることが出来ない。だからアパートの敷地内やなんかで面倒が起きれば対処ができるが、別の場所だとなんの手助けもしてやれない。ナマエは生活スタイルが極端な夜型だから、アルバイト先だというカフェバーからの帰り道も当然夜中になることが多い。幸いこのセキュリティがザルなボロアパートの中では自分が守ってやれるけど、それ以外は本人の意識に任せるほかない。ナマエは相当気がかりなようで、不安そうにぎゅっと眉間に皺を寄せている。心配はしているけれど、そんな顔をさせたいわけじゃない。

「あー、もう、そんな顔しないでよ」
「だってぇ…」
「この家の中では、僕が守ってあげるから」

宇佐美は思わず手を伸ばそうとしてそれを引っ込める。触れられないのにどうしようっていうんだろう。

「……ありがと」

宇佐美の言葉でナマエが笑った。いままでそんなことはなかったのに、宇佐美も彼女につられて目尻を緩めたのだった。


数日後のことだった。いつもの通りに眠り、アパートで目を覚ましてナマエを待っていると、がちゃがちゃと普段ではあり得ない粗暴さで焦って部屋へ上がってくる。だらりと汗をかき、青ざめ、なにかが起こっているということは明白だった。

「ナマエ?」
「うさ、宇佐美く……」

宇佐美は素早くナマエのそばに寄り、もう震えて動けないとばかりのナマエに代わって鍵を閉めると「どうしたの」と短く尋ねた。

「ドアノブにコンビニの袋がかけてあって、中のヨーグルトとかまだ冷えてて、あの、それでお疲れさまって書いた紙が見えて…」

事態は不幸中の幸いといったところだろうか。コンビニ袋の中身が冷えているということは、犯人がナマエの部屋どころか生活リズム、ないし帰宅時間を把握しているということである。最悪なのは、まだ犯人が近くで様子を伺っているかもしれないと言うことだ。外のドアノブにかけているのならそれが取り去られているのを確認することでナマエが部屋にいるタイミングを特定し、部屋まで押しかけようとしている可能性さえある。無意識のうちに唇がぐっと歪む。

「ごめんなさい……」

ナマエが謝る必要もないのに震える声でそう言って、それに被せるようにピンポーンという間の抜けたインターホンの音が響く。丁度いい。ナマエには悪いが、こそこそ隠れてこれ以上付き纏われるより、自分がいる今この瞬間にケリがつけられるのなら最善かもしれない。

「ナマエ、部屋の奥に行って目瞑ってな」
「え?」
「コイツは僕がどうにかしてくる。だから戸を開けても見えないところ…そうだな、隅で掛け布団でも被ってて」

こくこくと彼女が頷き、這うように部屋の中を移動する。鳴り続けるインターホンの音を鬱陶しいと思いながらも、宇佐美は内心昂るものを感じていた。ナマエが布団に包まったのを見届けてから、玄関の隅に転がる金槌をひょいっと持ち上げる。鍵を開ければ、それに合わせて男がナマエを呼ぶ。

「ミョウジさん!」

すかさず金槌を振り被れば、宇佐美の姿が見えていないだろう男は突然現れた宙に浮く金槌に驚いて腰を抜かした。中肉中背の非力そうな男だ。こんな男なんかがナマエに付き纏っていたのか、と思うと、怒りがふつふつと沸き上がる。

「うわッ!なんだこれッ!」

宇佐美が金槌を男目掛けて振り降ろすと、それが男の肩にそれがめり込む。致命傷にならないような場所を選んで二回、三回。続けざまに右左と払えば、男はみっともなく這いつくば利ながら外階段のそばまで移動した。少し懐かしい。こうして他人を害する感触。

「殺さないのはなんでかわかる?」

自分の声が聞こえる訳はないとわかっていて、宇佐美はそう声をかけた。男はじりじりと外階段を下がっていく。武器になるようなものがあれば、敵を殺すためにはなんだって利用する。金槌を使って人を殺したこともあった。潜入先の網走監獄でのことだ。冷静なのに思考は沸騰した。
本当は彼らのように一発で仕留めてやっても良かった。しかしそうしないのは、ナマエの自宅周辺で死人を出して面倒ごとを避けるためだ。宇佐美は無表情のまま金槌を男の膝に打ち下ろす。

「いぎぃ…ッ!」

男が蛙の潰れたような声を上げ、ごろんごろんと外階段を転がっていく。あと一発打ち込むか、と構えるが、一階に住む住人がドアを開き「うるせえぞ!!」と怒号を飛ばした。ストーカーの男は片足を引きずりながら、悲鳴を上げ、命からがらとでもいう様子で闇の中に逃げて行った。

「フゥ、こんなもんか」

もう一発くらいお見舞いしてやりたかったが、まぁ仕方がない。少なくともこれでナマエに絡んでくることはなくなるだろう。とりあえず片方の膝は砕いた。警察などに訴え出ようとしたところで、後ろ暗いことがあるのだから出来るはずもない。宇佐美は金槌を手にナマエの部屋へと戻る。
鍵を施錠して中を覗くと、ナマエは言いつけ通りに掛け布団に包まってじっとしていた。

「ナマエ、もう大丈夫だから」

出来得る限りの優しい声でそう言えば、布団からナマエがそろりと顔を出した。唇がすこし震えている。頭を撫でてやりたいけれど、今の宇佐美にはそれが出来ない。外から差し込む街灯のささやかな光がナマエの濡れる瞳を照らす。

「僕の助けられないところで変な奴に絡まれないでよ、馬鹿」

宇佐美がそう言うと、ナマエは緊張していた顔をようやく少しだけ緩ませた。ナマエはまだ肩ほどまで掛け布団に包まったまま宇佐美に笑いかける。

「ありがとう。宇佐美くんがいてくれてよかった」

追い払ったと言っても、眠るのはまだ少し怖いだろう。目を覚ますまでそばにいて安心させてやりたいけれど、それは出来ないことだった。何故なら宇佐美は実体が寝ている時にしかここへ来ることが出来ないのだから。







- ナノ -