19 stick with you




※2007年9月の任務を大いに捏造しています。ご注意ください。



がたんごとん。電車が揺れる。現場があまりにも遠くなる場合、最寄りまで電車を使って駅から先を地方に駐在している補助監督に頼ることが多い。今日もそのパターンで、私は夏油先輩と二人、電車に揺られていた。

「初めてだね、ナマエと任務に出るの」
「そうですね、学年も違うし…」

ここまで夏油先輩はそう危なげな雰囲気を醸し出してはいなかった。疲れは見えるけれど、概ねいつも通りの穏やかな様子だ。けれどそれがいつ崩れてしまうか、抱きしめられて眠った夜のことを思い出すと気が気じゃなかった。

「今は灰原くんも入院してるし、私単独で任務出来ないし、宙ぶらりんなんです」

私がなんとかそう言い訳をすると、夏油先輩は厳しい顔になって「灰原…」と呟いた。灰原くんの名前を出したのは失敗だったかもしれない。
もうすぐ電車は、任務地の最寄り駅に到着しようとしていた。


───2007年9月、■■県■■市(旧■■村)
任務内容は村落内での神隠し、変死、その原因と思われる呪霊の祓除。担当術師は特級術師夏油傑。研修の名目で準二級術師のミョウジナマエが同行することになった。

「ナマエ、一級案件だから、現場に着いたら私から離れないで」
「はい、わかりました」

補助監督は山裾までの送迎のため、二人での現着になった。駐在補助監督は他の任務のピックアップに向かうそうだ。帳の必要ない山奥であるということも補助監督を同行させる優先順位が下がった一因だった。しばらく歩くと村落が見えてきて、出入り口でぎょろりとした目の女に出迎えられた。

「お待ちしていました」

夏油とナマエは初めに村の中を案内された。人口110余名の小さな村である。話によると、子どもが怪我をさせられたり村人が突如姿を消し、変死体で見つかったりすることがあるらしい。報告に上がっているだけでも八人は死んでいる。一級案件になって然るべきだ。

「呪われた子がいます。呪われた子がこの村に災いをもたらしているのです」
「呪われた子ですか……」

報告では呪いの見た目までは把握できていないようだった。それが子どものかたちをしているのか、それとも子どもに憑依して危害を加えているのか。今はまだ判断が出来ない。
村は典型的な古い村落で、例えば昔話に出てくるような古い家屋が立ち並ぶ、そんな風体だった。小さな畑がいくつもあり、一見すると変死事件など起きていないかのような長閑さである。

「村の外れのあの石です。あの石の近くを通った人間が神隠しに遭うのです」

女はそう言いながら高台にある大きな岩を指さした。何の変哲もない岩に見えるが、濃い呪力が靄のようにかかっている。あれが呪霊の本体か、それともなにか媒介のようなものか。

「では私が様子を見に行きますので、村の方は近寄らないようにお願いしますね」

夏油はにこやかに笑顔を貼り付ける。女はぎょろりとした目を左右に動かす。直線距離ではもっと近く見えたが、思いのほか道が曲がりくねっていて歩かされることになった。日の落ち始めた村のなかはうら寂しく、自分たちのほかの足音は聞こえてこない。
目的の岩まで辿り着くと、足元に何か白いものがコロコロと転がっていることに気が付いた。ナマエが屈んでそれを確認する。

「───え、ほ…骨…?」
「……これは、人骨じゃないか?」

夏油が続ける。まさかこれが墓石というわけではないだろう。ではこれがもしも本当に人骨なら、なぜこんなところに散らばっているのか。贄、という文字がナマエの脳裏を過ぎる。それは夏油も同じだった。

「…ナマエ、来る」

夏油は短くそう言った。突如として岩から漏れていた呪力がごうごうと蠢き、収束して形を変えていく。紛れもなくそれは人間のような形をしていて、黒い影の中で無数の目がパチパチとまばたきをする。

『たすケて』

ノイズみたいにざらついた音がそう言った。呪霊の言葉だ。どうやらこの一級呪霊は人語を体得しているらしい。「助けて」というのは、呪霊の発する単語の中で珍しいものではない。元は人間の負の感情の澱なのだから、当然と言えば当然のことだった。

『あのコたちヲ…たスけて』

不自然に思ったのは、それがただ独り言のように吐き出されたものというよりは、こちらに向かって語りかけているようなものに聞こえたことである。
呪霊の言葉に耳を貸すことはもちろん推奨されない。いくら人語を話すとしてもそれは呪いでしかなく、意思の疎通など取れるわけがない。

「──あの子たちというのは、どこにいる」
「夏油さん?」

対話を選択したのは夏油だった。呪霊は少しも襲い掛かる様子はない。夏油が片手でいつでも呪霊を顕現させることが出来ると牽制しているせいもあるが、それ以上にこの呪霊にその気がないのだろうと思うほうが自然だ。

「ムらの…ハずレの……古ぃ、いエ…囚わレて、る」

呪霊はどうにか聞き取れるというレベルの言葉を発するので精一杯のようだった。聞き洩らさないように夏油が注意深く耳を傾ける。

「たすケてくレる…なら、ワた、ちタち、消エてもいイ」

呪霊の無数の目から涙のようなものがだらだらと流れる。呪力の塊でしかないそれは地面を濡らすこともなく、夕陽の落ちる地面の家で霧散していく。夏油はこの呪霊を前にどうするつもりなのか。ちらりと彼を盗み見ると、厳しい顔のまま唇を引き結び、そして構えていた右手を呪霊に向かってかざす。
呪霊はみるみるうちに小さくなり、手のひらに乗る程度の黒い塊に変わった。夏油がそれを大きな口でごくんと飲み込む。これはこの呪霊が降伏し、夏油がこの呪霊の主人になったということだ。そしてそれは同時に、出された条件を飲んだも同じだった。

「夏油先輩……もしかして呪霊の要求を…」
「ああ。縛りになってるだろうね。今からその村の外れの古い家とやらを見に行こうか」

夏油は平然とした顔をしていた。縛りというものは絶対だ。呪霊の言う「あの子たち」を助けることが出来なければ、一体何が起こるかわからない。
夏油ほどの呪術師であればそんなものも恐ろしくはないのか。いや、というよりも、今は彼が何を考えているのかが少しも見えてこなかった。
来た道を戻って行けば、同じ場所に村の女が立っていた。周りにも十人弱の村人がじっと二人を見つめている。

「原因は取り除きました。ご相談の事件は具体的にいつ頃から始まりましたか」
「えぇと…人が変な形になって死ぬようになったのは一年くらい前からです」
「なるほど。それまでは死ぬようなことはなかったと…」
「はい。不作や病気はありましたが、あんなことはありませんでした」

夏油の問いに対して村人たちが口々に答えていく。呪霊は一年前に唐突に発生したものなのか。一級呪霊がこんな人口の少ない村落で唐突に。そんなことあるものなのか。ナマエは村人の様子を窺った。誰も嘘をついていたり隠しごとをしているような挙動不審さはない。
夏油は冷静な口調でさらに続ける。

「石のそばに骨のようなものが沢山ありましたが…あれは?」
「あれは生贄です。祟りが起こった時には贄を捧げるしかありません」

当然とばかりに村の男が答える。ナマエはひゅっと息をのんだ。生贄の伝統や風習があるのは理解している。それこそ古代、様々な国で神への捧げものとして生贄を差し出すというのは良くある話である。しかしそれはこの国ではあくまでも「昔」の話でしかない。岩のそばにあった骨はどれもそれほど古いものではなかった。

「それは今も?」
「ええ、もちろん。幼子の贄を与えて祟りを治めるほかないのです」

夏油の声は変わらないように聞こえるが、何か胸の奥が冷やされていくように感じる。ドクドクと心臓が鳴った。

「不思議な力を使う夫婦がいました。彼らが死んでから神隠しは起こり始めたのです。きっとあの夫婦が悪いものを呼び込んだに違いありません」

どうやらその不思議な力を使う夫婦というものがあの一級呪霊に影響していることは間違いがないようだ。呪術師も、本人が死後呪いに転ずることを望めば呪霊になることは可能である。そんな姿になってまでこの村に残り続けるのは怨念か、あるいは──。

「村の外れの古い家というのに、何か心当たりは?」

夏油がそう尋ねると、村人たちはそれぞれ顔を見合わせて「やっぱり」だとか「あの娘たちが」だとかと言葉を交わし合った。数ある村の家屋の中で「村の外れの古い家」とだけの言葉で思い当たる場所があるようだ。
夏油がざわめく村人に「心当たりがあるなら案内してください」と言えば、村人たちは頷きあって夏油をその家まで案内した。その家は言葉の通り古く、普段人が住んでいるような場所とは思えなかった。
言われるまま土足で中に上がると、村人の女と男が代表して建物の中に同行し、他の五人は外で待つことになった。ナマエも後を追う。ナマエは案内された先で言葉を失った。

「これはなんですか?」

夏油の声がしんとした建物の中に響く。部屋の一部が座敷牢にされていて、中では幼い少女が震えていた。身体中傷だらけで、瞼も大きく腫れ上がっている。ここで監禁されて虐待を受けているだろうことは明白だった。村の男が口を開く。

「なにとは?この二人が一連の事件の原因でしょう?」
「違います」
「この二人は頭がおかしい。不思議な力で度々村人を襲うのです」

夏油は続けられたその言葉をまた「事件の原因はもう私が取り除きました」と冷静な言葉で否定した。冷静なのは上辺だけだった。それはナマエも同じだ。

「私の孫もこの二人に殺されかけたことがあります」

隣の女がそう言うと、座敷牢の中の双子が「それはあっちが───」と反論した。女はそれを「黙りなさい化物め!」と遮る。

「あなた達の親もそうだった!やはり赤子のうちに殺しておくべきだった!!」
「そんな言い方───!」

あまりの言いようにナマエが割って入ろうとすると、夏油が指先からズズズと呪霊を出現させ、それに「大丈夫…」と喋らせて座敷牢の二人に見せる。彼女たちにはそれが見えるようで、夏油の指先を注視した。やはりだ。この子たちは「視える」のだ。しかもそれだけでなく、ある程度能力を扱うことさえ出来るとみえる。

「皆さん、一旦外に出ましょうか」

にこやかに夏油が笑う。ゾッと冷や汗が背中を伝った。いまこのひとは、一本の境界線の上に立っているのだ。行かせてはいけない。そちら側に行かせては、もう二度と戻れなくなる。何か確信めいたものを感じながら、ぞろぞろと連れ立って出て行く夏油と村人の背中を見る。

「大丈夫だからね、私たちが絶対、あなたたちのことここから出してみせるから」

ナマエは座敷牢の二人にそう言い残して踵を返した。その時、ポケットの中でケータイが震え、メールの受信を知らせた。何の緊急連絡か、とそれを取り出し、差出人を確認する。差出人は七海だった。

『灰原が目を覚ましました。容体も安定してきています。任務が終わったら連絡をください』

ナマエは画面に表示されたメールの内容にケータイを取り落としそうになった。灰原が目を覚ました。早く、早くこのことを夏油に伝えなければ。境界線を踏み越えてしまうその前に、どうにかこちら側に引き止めなければ。

「夏油先輩…!」

急いで後を追うと、夏油は室内にいた二人と外で待機していた五人の計七人を前にしていた。村人は皆何事かと首を傾げていて、その後ろには大きな呪霊がぐわりと口を開けている。あれは何度も見たことがある。夏油の手持ちの呪霊の一体だ。
何をしようとしているかすぐにわかった。呪霊が村の男の一人を掴み上げ、突如自分の身に起こった怪奇現象に大声を上げる。

「うわぁぁぁぁッ!!」
「夏油先輩…!やめてください…!!」

夏油は少しもナマエを振り返らない。その呪霊を解かせるためにどうしたらいいのか。ナマエは半ば掴みかかるようにして夏油の背中を抱きしめた。ワイシャツ越しにごうごうと夏油の身体の奥の音が聞こえてくる。このひとに温かい血が流れていることを知っている。

「灰原くん目が覚めたって…!容体も安定してきてるって…!さっき七海くんから連絡がありました!」

ぴくり、と少しだけ夏油の背中の筋肉が緊張するのがわかる。村の男を締め上げている呪霊の動きが少しだけ鈍る。男も他の村人も恐れおののいて叫喚した。

「ここで誰かを殺したら…もう二度と戻れないです……!!」

ナマエは夏油を抱きしめる力を強くする。ここから行ってしまわないで。立ち止まって。そばにいて。
あまりの声で叫んだから、喉が焼き切れるかと思った。必死だった。一瞬、一秒、一度だけ。自分に何かできるのなら、きっと今この瞬間だ。

「行かないで…!!」

夏油がふっと一歩踏み出す。抱きしめる腕の中からするりと出て行ってしまう。ナマエはどくどくと早まっていく鼓動をどうにか抑えようと下唇を噛んだ。
夏油は村人を呪霊に拘束させたまま、拳を振り上げて男の頬を思いっきり殴りつけた。本気の拳はひどく鈍い音がして、男が情けない声を上げる。そのあと、男を拘束していた呪霊がふっと消える。夏油がその顕現を解いたのだと分かった。

「あなた…なんてことを……!!」
「何の罪もない女の子たちを寄ってたかって傷つけて……私はあなた方を殺してやるつもりだった。いま死んでないことを感謝してください」

夏油が腰を抜かしていた村の女の胸倉を掴み上げてそう言い放つ。それからその手を乱暴に離し、ゆっくりと振り返った。

「帰ろうか、ナマエ」

山の西に夕陽が沈んでいく。もうすぐここは夜になる。夏油は何とか唇を笑わせていた。握った拳は何かを押さえつけるように震えたままだった。






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