01 Starry-eyed


一瞬、一秒、一度。それに私は命を救われたことがある。
小学校六年生の時、私はおばあちゃんの家に遊びに行っていた夏の日、山の中の祠で行方不明になった。私はその村の子供だという女の子と遊んでいたつもりだったけれど、その正体は忘れ去られた祠に棲みつく呪霊の一種だったらしい。
行方不明二日目から警察の手を借りて捜索もしてくれたようだがさっぱり姿が掴めず、別件で訪れたあるひとによって、私は四日目にやっと発見された。私を見つけてくれたのは呪術高専の夜蛾先生だった。

「この世には、人間の負の感情から生まれる呪いというものがある。君を襲ったのはその呪いだ。もし君がその能力を活かしたいと思うのなら、呪術高専に来るといい。私たちはいつでも歓迎する」

そう言って頭を撫でてくれた夜蛾先生はもう私にとってスーパーヒーローだった。私もきっと、この人みたいに誰かを助けられる人間になりたい。そう強烈に思うには充分な経験だった。
それから私は訝しむ両親を説き伏せて三年と少し。私は一般の高校ではなく、都立呪術高等専門学校、通称呪術高専に入学を果たしたのだった。


2006年秋。今年の呪術高専の一年の男女比は2対1。というより二人と一人。三人ともがスカウトの入学であり、つまり非術師の家系出身だった。
春の初めの繁忙期を終え、夏を過ごし、秋になるとようやく少しは任務にも慣れてくる。ミョウジナマエは前方に同級生二人を見つけ、勢いよく駆け寄った。

「灰原くーん!七海くーん!」
「ミョウジ、そんなに走ると転びますよ」
「大丈夫だって、子供じゃないんだか…らッ!?」

バランスを崩しながらも何とか踏みとどまり、とん、とん、とん、と何度か足踏みをしながら踏みとどまった。
顔を上げれば、案の定七海が「言わんこっちゃない」とでもいった顔をしていた。

「ミョウジ、大丈夫?」
「うん、へーき」

先月、二年生と三年生が京都の姉妹校と交流会をしていた。交流会という穏便な呼び名は辞めた方がいいのではないかと思うほどの激しい内容で、団体戦と個人戦はいずれも殺す以外何でもあり呪術合戦である。

「来年は私たちが交流会でしょ?もう絶対個人戦負ける…」
「今からその調子でどうするんですか」
「だってぇ」

団体戦も個人戦も今年は圧勝だった。ひとつ年上の五条と夏油の才能は凄まじい。五条は御三家の純粋培養だが、夏油に関しては高専に入るまで呪術の教育は一切受けていない非術師の家系だ。自分も非術師の家系であるが、一年後にあれほど強くなれる自信も展望ももちろんなかった。

「かっこいいよねぇ、五条先輩!」
「またその話ですか?」
「だってもうビジュアルだけで最強にかっこいいのにしかもあんなに強いんだよ?」

ナマエが両手を組んでキラキラ目を輝かせる。それとは対照的に七海は顔を歪め、灰原はというと「五条さんかっこいいよね!」と同意した。
ナマエは高専の先輩の中でも特に五条に憧れていた。五条の容姿というのは他に類を見ないほど端正で、モデルや俳優も顔負けな程だった。最初はそのあまりの顔面偏差値に惹きつけられたところもあるが、その後知った呪術師としての強さも今では上乗せされている。

「五条先輩がカレシだったらチョー楽しいんだろうなぁ」
「僕は断然夏油さん派だけどね」
「灰原は夏油先輩教だもんなー。ねぇ、七海は?」
「なんで贔屓がいる前提になってるんですか。いませんよ誰も」

特にそれほど本気で思っているわけではないけれど、憧れの先輩がもしも自分の恋人になったら、というのは「宝くじが当たったら」と同じようなテンションで交わされる雑談のひとつだった。

「五条先輩めっちゃいいじゃん。絶対好きな子には優しくしてくれるタイプだって!」
「そうですか?好きな女子にわざと悪戯しそうなタイプに見えますけど」

大した中身もなく結論も求めないような話が続く。この話も高専に入学して何度もしているものであり、なんだかんだと毎度付き合う七海と灰原は本当に人が良いと思う。
この高専で一緒になったと言うだけで出身地も出身校も違う三人の共通の話題はやはり高専の中のことがほとんどだ。だから共通の知人ともいえる先輩の話題と言うのは非常に都合がよかった。

「あれ、向こうに二年生いるよ」
「えっ、ほんとだ!」

灰原が指さす先に、二年生が三人で連れ立って歩いていた。ナマエはぴょんぴょんと飛び跳ねながら両手を大きく振る。

「しょーこせんぱーい!五条せんぱーい!夏油せんぱーい!」

家入が手をあげ、五条はひょいっと丸いサングラスをずらしてこちらを確認し、夏油がひらひらと手を振った。突出した容姿の良さからナマエが話題に出すのはもっぱら五条の事ではあるが、家入や夏油のことも尊敬しているし、頼りにしている。
入学前の呪術高専のイメージでは過酷で孤独なのだろうと覚悟していたが、蓋を開けてみれば普通の学校と変わりない瞬間というものも大いにあった。

「先輩たち任務かな?」
「そうじゃない?実習多いって言ってたし」

灰原にひょいっと顔を向けると、きっとそうだとばかりに言葉が返ってくる。一年生も実習としての任務はもちろんあるが、二年三年と年を追うごとに多くなるのが定例らしい。
二年生はそのまま門の方へと歩いていき、灰原、七海、ナマエの三人は自主練をするべく中庭へと足を運んだ。


呪術高専は寮生活である。とても通学に適さないような辺鄙なところにあるというもの要因の一つだし、学生ではあり得ない時間に任務へと赴くことも多い。それに学生は地方出身者が多く、実家からでは到底通うことが不可能だという側面もある。
寮には寮母がいて、希望者は食堂で食事をすることが出来た。希望者と言いつつも、ほとんどの学生が出張でもない限りは食堂で食事をしている。

「うーん、どうしよっかなぁ」

ナマエは掲げられた食堂のメニューの前で腕を組み、今日の夕食について考えあぐねる。から揚げ定食と焼き魚定食。普段ならから揚げを選ぶところだけど、この間うっかり体重計に乗ってしまって増えた自分の体重をまざまざと数値化されてしまった。
しかも今日は夜蛾の呼び出しがあって普段より少し遅い時間の食事だ。このから揚げたちが脂肪に変わってしまうのではないかと思うと、ここは焼き魚定食を選んだ方がベターな気がしてくる。

「なに悩んでるんだい?」
「あっ、夏油先輩おつかれさまです。今から晩ごはんですか?」
「まぁね。ちょっと一件近隣の任務に行っててさ」

背後からぬっと声をかけたのは夏油だった。まだ彼も制服姿で、これから食事をするらしい。「で、何を悩んでたの?」ともう一度尋ねられ、ナマエはから揚げ定食と焼き魚定食で迷っているという話をした。

「なるほど、から揚げが本命だけどカロリーが気になると…」
「そうなんです。うーんでもから揚げ…」

恨みがましくメニューの「から揚げ定食」の字を見つめる。すると、頭上から「ふふふふ」と笑い声が降ってきた。見上げると、夏油が堪えきれないとばかりに口元を押さえて笑っている。

「ははっ、ごめんごめん。あまりに可愛らしいこと言うからさ」
「馬鹿にしてません?」
「してないよ。フフ、じゃあお詫びと言ってはなんだけど、私がから揚げ定食にするよ。一個分けてあげる」
「えっ!いいんですか!?」

文字通り飛び上がるようにして喜び、その申し出を一も二もなく快諾する。六個全部は太るかと思うけど、一個だけならきっと大丈夫だろう。
そのままナマエじは焼き魚定食を、夏油はから揚げ定食をお願いして、二人そろってトレイを持つと一番端の席に向かい合わせで座った。

「はい、から揚げ」
「えへへ、ありがとうございます。お礼に小鉢の肉じゃがどうぞ」

夏油の皿から約束通りから揚げをひとつ貰い、お礼にと肉じゃがの小鉢を返す。二人で手を合わせ、いだきますと言ってから早速メインの焼き魚に箸を沈めた。今日の焼き魚は秋鮭の塩焼きである。

「そういえば、ミョウジと二人で食事するのって初めてだね」
「あ、そうかもしれないですね。夏油先輩、いつも五条先輩と一緒だもん」
「ミョウジこそ、いつも灰原や七海と一緒だろ?」

特別仲良くないというわけでもないけれど、だからといって親しいというわけでもない。しかも大体学年か性別で固まることが多いから、ナマエと夏油はいままで二人きりになる瞬間と言うものがあまりなかった。

「今日は五条先輩と一緒じゃないんですか?」
「悟は実家から呼び出しだって」

御三家と言うものは中々に大変らしい。呪術界に生きてきたわけではないから肌で感じることは少ないが、なんだかんだと一般社会では聞かないような、まるで旧時代の公家のような話を聞いたこともある。

「灰原と七海は?」
「もう先にご飯食べてお風呂行ってると思います。私だけちょっと夜蛾先生に呼び出されてたので」
「何かやらかした?」
「違います!」

そうからかってくるものだから、ナマエはすかさず言い返した。夏油も本気ではないから、笑いながら「ごめんごめん」と口先だけでなだめるように言う。

「はは、まぁミョウジに限って何かやらかすってことはないだろうなぁ。一年は皆真面目で優秀だし」
「夏油先輩たちの学年は呼び出されたりとかしたんですか?」
「しょっちゅうだよ、主に悟がね」

五条の普段の様子を思い浮かべる。確かに素行不良が無いとは口が裂けても言えないだろう。悪戯好き、と言えば可愛らしいが、五条は七海を気に入っているのかよく七海にあれこれと仕掛けて面白がっているところを見かける。

「五条先輩やんちゃですもんね」
「やんちゃで済めば良いけどね」

フフフ、と夏油が笑った。あまりそこまで笑うイメージはなかったけれど、五条の話をしているときはよく笑うようだ。とても仲が良く見えるけれど、二人は高専からの付き合いだと聞いたことがある。

「五条先輩と夏油先輩って、高専で出会ったと思えないくらい仲良しですよね」
「そうかい?でも第一印象は最悪だったよ」
「そうなんですか?」
「うん。出会った初日に殴り合いの喧嘩したしね」

思わぬ情報にナマエは「えっ!!」と声を上げ、箸で摘まんでいた鮭の身をころんと皿の上に落とした。夏油も品行方正で生真面目というようなイメージはないけれど、まさか出会って初日の人間と殴り合うようなイメージはもっとない。「変な前髪って煽ってきたからさ」と続けて、そのしょうもなさに思わず笑ってしまった。

「ふふふ、あはは、それで殴り合いの喧嘩までしたんですか?」
「最初はさすがに口論だったよ?だけどうっかりヒートアップしちゃって」

子供っぽくお道化てみせる夏油がおかしくて笑いが止まらない。目の前で眉を下げ「そんなに笑う?」と困ったふりをしてみせた。

「ふふ、ごめんなさい。だってなんか夏油先輩ってそこまで子供っぽく言い争うイメージなかったから」
「そうかい?」
「はい。だって大人って感じなんだもん」

夏油は年相応よりも大人びて見える。何度か稽古を付けてもらったときもまるで先生のようにわかりやすくて、ひとつしか年が変わらないとは思えなかった。隣に悪戯好きで我が儘な五条がいて、その世話を焼いているというのもイメージに拍車をかけるのかもしれない。
ナマエがうんうんとひとりで納得していると、夏油はそれを眺めながらまたフフフと小さく笑った。

「私って案外子供っぽいんだよ」

そう言いながら大きな口でから揚げを一口で食べてしまって、こんなに大きな口を開けて食べるんだ、と初めて知った。出会って半年以上も経つのにナマエは彼のこと少しも知らないようだった。






- ナノ -