16 Salt of the earth


恒例のように夏油先輩の寮室に上がりこみ、冷たい麦茶を片手にまったりと話をしていた。

「明日、三人で任務なんです」
「ああ、灰原から聞いたよ。久しぶりなんだって?」
「はい。楽しみって言っちゃ駄目ですけど…やっぱり同期で一緒に行けるのは嬉しいです」

繁忙期で猫の手も借りたい状態だったから、単独で動ける七海くんだけが別行動になることが多かった。一年の時は三人で任務に出ることが多かったから、コンビネーションとかにもけっこう自信がある。

「福井だって聞いたけど、どんな内容の任務なんだい?」
「大島半島の二級呪霊です。カエルみたいな見た目だって報告らしくて」
「二級か。まぁ七海がいれば大丈夫だとは思うけど…無茶も油断もしないようにね」

そう優しく言って夏油先輩が私の頭を撫でた。髪を解きほぐしてくれる感覚が心地いい。


翌日、補助監督の運転する車でナマエたちは福井県大島半島の某所に向かった。

「三人で揃って任務って久しぶりだね」

窓の外では次々と景色が流れていく。車内はエアコンがかかっているからいいけれど、外はうだるような暑さだろう。任務地は福井。三人とも初めてくる場所だった。

「甘いもののお土産って何が良いと思う?」
「羽二重餅は?」
「確かに定番って感じですね」

灰原の問いに対しナマエが答え、七海が同調する。甘いものというリクエストは夏油からで、なんでも「悟も食べるかもしれないから」ということらしい。相変わらず仲が良いなと思ったし、そうであってくれて良かったとも思う。

「夏油さん食べられるかなぁ」
「大丈夫だと思うよ、夏油先輩和菓子好きだし…」

心配そうに言う灰原にナマエがそう返すと、二人が揃ってジッと見つめてきた。変なことを言ってしまっただろうかと首をかしげれば、灰原の快活な声で「やっぱり夏油さんとミョウジ付き合ってるんだね!」と言った。

「えっ、あっ、その…えっと…」
「何今更恥ずかしがってるんですか。ずっとバレバレですよ」

あたふたと慌てていると、七海のトドメの一撃が突き刺さった。そんなに分かりやすかっただろうか。いや、確かにこの少人数で隠し通すのは無理があるし、どちらかと言わずとも自分は分かりやすい方なのだから分かってしまうに決まっていた。

「じ、実は……」
「すっごくお似合いだよね!」
「見ていてやきもきしました。やっと納まるところに納まったんですね」

七海の方は一見突き放したような物言いだが、その実何かと気にかけてくれていたことはよく分かっている。臆面もなく自分のくちで夏油を恋人だと言えるのは、もうしばらく先になりそうだ。


福井県大島半島某所山間部。
呪力の妙な気配がする。今日の祓除対象の呪霊の推定等級は二級。七海は準一級、灰原とナマエは準二級。もちろん油断は出来ないが、三人でかかればさほど危険な任務ではなかった。

「えっと、ここだよね、現場」

夏だというのに森はどこかひんやりと冷たい。そこまで標高が高いというわけでもないから、これは恐らく漏出している呪力が作用しているのだろう。ナマエは自分の獲物である打刀の柄に手をかけた。

「私が先に行きます。灰原とミョウジはサポートを」

七海が鉈を手に一歩前に出た。なんだ、この妙な気配は。
じりじりと警戒を強めながら進んでいく。その瞬間、目の前の地面が盛り上がり、中からカエルに似た呪霊が姿を現した。ナマエはすかさず刀を抜き、そのカエルめがけて振り下ろす。それを辛くも避けられ、代わりとばかりに舌のようなものがべぇっと伸びてきた。

「ミョウジ!!」
「大丈夫…!」

灰原がナマエの名前を呼ぶ。ナマエは呪霊の舌をどうにか避け、次の攻撃に備えて素早くその場から駆けだした。恐らく二級。大丈夫だ、冷静に対処すれば、この人数で負けるわけがない。

「灰原はミョウジを」

七海がそう言って地面を強く蹴ると、鉈を使って伸びてきた呪霊の舌をスパンと切り取る。切り取られた部分が霧散し、続けざまに立ち向かって鉈を呪霊の頭上に振り上げる。灰原はナマエのカバーに入るべくそばまで走って、呪霊とナマエの間に立った。
七海が降り降ろした鉈は見事に呪霊を一刀両断し、それもまた端から順にざわざわと黒い靄になって消えて行った。

「祓えた…んだよね…?」

ナマエがぽつりと口にする。呪霊はたったいま霧散した。間違いない。カエルのようなそれの呪力はもう感知することが出来ない。けれど妙な違和感がある。鬱蒼とした森のせいか、いや、果たしてそれだけだろうか。瞬間、右側から何かが高速で迫り、ナマエの顔面付近に衝突した。
かろうじて防御姿勢をとることは出来たが、それが何なのかまで視認できない。しかし呪力を感じることが出来るのだから間違いなく呪霊だろう。
ナマエは10メートルほど吹っ飛ばされ、元居た地点で灰原と七海が何ごとだとナマエの名前を呼んだ。

「なに、いまの…!」

速い。ビュンビュンとサッカーボール程度の大きさのものが飛び交っている。一体、二体…いや少なくとも三体はいる。報告にない呪霊だろう。二級に誘発されて発生したのだ。こういうことは珍しくない。
三人の中で最もスピード型の灰原が即座に対応しあっという間に二体を消し去った。等級はそう高くないらしい。

「よっ…と!これめっちゃ速いね!」
「報告にない呪霊だよね?」

灰原が樹の幹をトントンと渡りながらナマエのそばへと移動した。強くはないがこれほど速い呪霊というのも珍しい。残りの一体を祓うべく七海の方に駆け寄ろうとすると、足を何ものかにグッと掴まれた。

「え……?」

ナマエは足元を見る。何もない。そこにはただ枯れ葉の積もった地面が広がるだけだ。丁度そのとき残りの一体を七海が祓った気配がして、ナマエはもう一度合流しようと顔を上げる。しかし足が動かない。

「ミョウジ?大丈夫?」
「えっと…足が…」

三歩ほど進んだところで灰原が動く気配のないナマエを振り返る。おかしいのは動かない足だけじゃない。先ほどの高速の呪霊も報告書にあったカエルのような呪いも祓った。なのに呪力の渦が納まる気配がない。むしろ増長して大きくなっていく気さえする。
もう一度その場を離れようと足に力をこめる。すると今度は地面の中に引きずり込まれる感覚に変わった。

「なに…これ…!」

足元を見ると、何も見えなかったはずのそこに半透明のものがうっすらと浮かび上がって来た。人の手に似ているが、そうと呼ぶには大きすぎる。半透明だったそれが徐々に色を帯び、白樺の樹皮のような見た目に変わっていく。まだここには呪霊が残っているのだ。そう理解するに余りある。
ナマエは咄嗟に実体を帯びたその腕の部分を打ち刀で切り落とし、前方に駆け出した。

「灰原くん!七海くん!まだ呪霊が残ってる…!」

ナマエの言葉に二人もすぐ戦闘態勢をとった。背後からごごごごごと呪力が立ちのぼる。その呪力量は凄まじく、今まで対峙してきたどの呪いよりも強力であるということは明白であった。

「何ですか…これ…」
「普通の呪霊には見えないけど…」

三人は呪霊から距離を取り、地面から這いずり出るように姿を現した大型の呪霊を見つめた。白樺のようにがさがさした表面を持つ生白い身体、ぎょろりとした目が24個。一体何をかたどっている呪いなのか。これほど強力でなおかつ窓に観測されていなかったということは何か謂れを持つようなものと考える方が自然だ。事前にそんな話はなかったし、見た目からも何であるかはよくわからない。

「なんで急に……カエル祓ったので起こしちゃったのかな」
「そうかもしれなないですね…少なくとも一級以上です。私でも祓えるかどうか…」

灰原と七海が口々に言った。この状況下で呪霊がこちらを逃がしてくれればいいが、そうでないなら戦うほかない。三人は一級呪霊と相まみえる経験も祓った実績も一度もなかった。

「もしかして…あの社?」

それに気が付いたのはナマエだった。高速の呪霊に吹っ飛ばされた先、つまりこの呪霊に足を掴まれた地点のすぐそばに古く小さい社がある。供物のようなものの痕跡があるが、それもいつ供えられたのか分からないほどで、人の手が頻繁に入って管理されているようには見えない。

「産土神………」

七海の冷えた声が可能性を唱えた。三人の背に冷たいものが走る。産土神のような土地神の類は、日本古来の民間信仰である。特別珍しいことではない。ゆえに日本全国のありとあらゆるところでそれを確認することはできる。
その産土神信仰がこうして人間に牙をむいているのだとしたら、それは自分たちの手に負えるものでは到底ないだろう。

「退くしかありません。我々が三人でかかって勝てる相手じゃない」
「わかった。どうやって隙作る?」
「産土神であればテリトリーのようなものがあるかもしれない。ここから離れることができれば攻撃される可能性は減るはずです」

土地神の類というものは自分の領分がきっちりと決まっている。その土地の人間に信仰されている存在であるという性質がそうさせるのかもしれない。ということは、この産土神も侵略者を追い出すことが出来ればそれ以上追ってくる可能性が低いということだ。

「灰原が先頭を、ミョウジが真ん中を、私がしんがりを務めます」

七海の指示に頷き、一行は同時に走り出した。産土神は悲鳴ともうめき声ともつかぬ声を上げ、三人を追う。問題はそのテリトリーがどの程度の広さで、どこまで広がっているのかということだった。こちらも体力は無限じゃない。しかし今は逃げの一手に賭けるしかない。
そのまま駆け抜け山の中腹に辿り着いたとき、背後から迫っていたはずの呪霊の気配が一度消え、気が付くと正面に呪力が集まっていた。まずい、回り込まれた、と理解したのは恐らく三人同時だ。

「ヒッ……」

ぬるりと地面から産土神が這い出る。生白く不気味な手が左右に動き、まるで身体を伸ばしているかのようだ。一番初めに狙われるのは間違いなく自分だろう。先程も真っ先に足首を掴まれた。三人の中で一番弱いのは紛れもない事実である。

「ぁしヲ……ふみィれル…べか、ラず……」

人間の言葉のようなものを話す。充分伸びを終えた白い腕がナマエに向かって一直線に迫った。間に合わない。そう覚悟した時だった。
どんっと左側に押し倒される。一体何が、と驚いて右を見ると、自分が今まで立っていた場所に灰原が立っていた。呪霊の白く不気味な手はそのまま迫って灰原の身体を掴み、凶暴な力で引き寄せて持ち上げた。

「灰原くん……!」

灰原が自分を庇った。そのことを頭で理解する頃には、潰さんばかりの力で握りしめられた灰原が呻きとも悲鳴ともわからない声を漏らしていた。
助けなければ。そう思うのに一瞬頭が真っ白になって反応が遅れた。

「あ、とは任せた!」

くぐもった灰原の声に弾かれたように踏み込んだ。目の前の彼はさらに圧力をかけられ、言葉とともに血を吐き出す。ナマエより先に七海が隣から飛び掛かり、呪霊に一太刀を浴びせた。固い。刃が弾かれ、その衝撃で七海が吹っ飛ばされる。

「クソ……!」

ナマエは飛び上がると、ありったけの呪力を打刀に込めて柄を強く握って七海の打ち込んだ場所に同じように刀を振り降ろした。呪力に対して呪具がもたないのは承知だった。しかしこの一撃が決まらなければ灰原は死ぬ。そして恐らく自分と七海もだ。

「あああぁぁぁぁ!!」

通れ。今この一瞬だけでいい。力が欲しい。もう二度と刀が握れなくなっても、呪術が使えなくなっても良いとさえ思った。刃が呪霊にぶつかる大きな衝撃が手のひらを伝って腕、肩、背中と響いていく、通れ、通れ、通れ。そう念じ、先に限界が来たのはナマエの打刀の方だった。
根元からヒビが入り、瞬く間にそれはぽきりと折れてしまった。視界がスローモーションになる。ぎょろりとした呪霊の目玉がナマエを見る。背中を冷たい汗が流れていく。
万事休すかと思われたが、呪霊の手がナマエに伸びることはなかった。灰原を捕まえているそれにもう一度七海が一撃を加えたのだ。

「灰原!生きてますか!!」
「い、ちおう……」

白い腕が霧散し、拘束されていた灰原が解放された。地面に突っ伏す灰原を七海が背負う。そしてナマエを強い瞳で見て言った。

「ミョウジ、走れ!!」

頷くことさえせずにナマエは駆け出した。先程かけた一撃で呪力は殆ど残っていない。攻撃はおろか、防御のために使うことさえ厳しいだろう。
背後で産土神の叫び声が聞こえる。またなにか人間の言葉のようなものを発している気もするが、それも今は構っていられない。
麓に辿り着く頃、ようやく産土神のテリトリーを抜けたようだった。ぜぇぜぇと肩で息をする。七海が背負っていた灰原をその場に横たえた。

「は…灰原くん……!」

灰原はナマエの声に少しも反応を示さない。かろうじて息はしているけれど、意識は混濁しているようだった。自分のせいだ。自分を庇ったせいで灰原は。

「灰原くん!しっかりして!灰原くん!!」
「ミョウジ、落ち着いてください。灰原は必ず助かる」
「な、ななみ…く…」

七海は声音こそ落ち着いているが、指先はガタガタと震えていた。そうだ、ここでまごついている場合じゃない。ここには反転術式を施せる術師がいないのだ。一刻も早く病院に搬送しなければ灰原の命が助からない。
ナマエはポケットからケータイを取り出し、近くに待機している補助監督に連絡をとった。






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