09 水蜜桃の告白


待ちに待ったクリスマスイブ。ナマエは五条にコーディネートされたオフショルダーのニットワンピースで、丈は自分では買ったことのないくらい短いものだ。流石にこのまま足を晒すのは恥ずかしくて、丈の長いダッフルコートを羽織る。

「こ、これホントに夏油くんの好みなのかなぁ…」

もう普段着ない系統の服過ぎて似合っているのか似合っていないのか自分でもよくわからない。しかし昔からの付き合いの五条がいうのだから、きっと彼の好みであることは間違いないだろうと信じるしかない。せめてもと髪型も目いっぱいお洒落をしてみたつもりだけど、下手な編み込みはしないほうが良かっただろうか。
今日の待ち合わせ場所は祥楽寺駅ではないから、普段より早く出かけなければとスマホで現在時刻を確認する。丁度メッセージアプリがメッセージの受信を通知して、確認すれば夏油からだった。

『やっぱりナマエちゃんの家まで迎えに行っていい?』

えっ、と驚いてスマホを落としそうになって、ナマエは慌てながら問題ない旨を返信する。15分後くらいに到着するという返信があって、ナマエはやっぱりもう一度、と編み込みをやり直すことにした。
悪戦苦闘しながらも先ほどより多少いい出来でヘアアレンジを終えると、丁度インターホンが鳴った。部屋番号を教えているのだから彼が来たっておかしなことはないが、今まで送ってもらったことはあっても迎えに来てもらったことはない。それに玄関先まで来てくれるのも初めてで、普段にないシチュエーションにドキドキした。

「は、はーい!」

インターホンに出ればいいのにテンパってしまってしまって声を上げることで応答する。恥ずかしい、と思ってももう遅いことで、羞恥で赤くなる顔を何とか誤魔化しながら玄関を開ける。そこには黒いロングコートに身を包んだ夏油が立っていた。

「ナマエちゃん、急いで来てくれるのは嬉しいけど、ちゃんと誰が来たのか見てから開けなきゃダメだよ?」
「あっ、ごめんなさい。つい…」

嬉しくて、という言葉をなんとか飲み込む。先日もモノトーン調のスッキリとしたコーディネートだったけど、今日もそういう系統で、夏油の好みの傾向というものがわかるような気がした。仕切りなおすように「じゃあ、行こうか」と彼が言って、玄関を出ると鍵をかけて彼と一緒にマンションを出発する。

「今日、晴れて良かったね」
「そうだね。年末年始は寒気が流れ込むらしいし、雪降るかもしれないってさ」

雰囲気に飲まれているからか、いつもよりたどたどしく会話が始まった。当たり前のように彼は今日も車道側を歩いていて、こういう気遣いを悟らせないように自然にやってしまうところがすごいと思う。
今日は今までナマエの行ったことのない駅の、少し大人っぽい雰囲気のカフェに行こうと計画していた。なんでも、夜にはバーとして営業している店らしい。友人も多い方ではなかったし、そんなところに行くのは初めてでドキドキした。一緒にいる相手が彼なのだから尚更だ。
ナマエの家の最寄り駅から、祥楽寺駅とは反対向きの電車に乗った。反対向きの電車から見る町並みは新鮮だ。途中のハブ駅でメトロに乗り換えて、目的の駅まで向かう。カフェは駅にほど近い場所に位置しているらしく、改札を潜って夏油のエスコートで南下し、カフェが見えてくるころには同時に店の外まで続く行列が目に入った。

「すごいね。人気のお店なんだ」
「ここまで混んでるのは予想外だったな。普段はもっとゆっくり出来るんだけど…」

夏油は行列を見て「アテが外れたな」という顔をした。いわく、この駅はあまり乗降人数が多いわけでもないし他に遊べるような場所があるわけでもないから、それなりにいつ来てもすんなり入れるのだそうだ。
まぁ、クリスマスイブの土曜日なのだから仕方がないし、彼と待つなら待ってる時間も退屈するわけじゃない。幸い天気も良いし、と思っていると、夏油が少し考えるような素振りをしてから口を開いた。

「このお店、ケーキのテイクアウトできるんだけど、テイクアウトして私の部屋来るかい?」
「えっ?」
「これだけ混んでると落ち着かないだろうし…もちろん、ナマエちゃんが良ければだけど」

ケーキ、テイクアウト、私の家。彼の台詞を分解して頭のなかに浮かべる。その状況を理解するのにフリーズしてしまって、眉を下げる彼が発言を撤回してしまうのを防がなければと慌てて首を縦に振った。

「フフ、じゃあ決まり」

夏油はナマエの手を握って店の方に向かって、店内利用の列とは別の方から店の中に入り、テイクアウト専用のショーケースの前に立つ。色とりどりのケーキがキラキラと輝きながら並んでいて夏油に「どれにしよっか」と言われてもすぐに選ぶのは難しそうだ。

「迷う…」
「ホールじゃなくてもいいよ?」
「でもせっかくクリスマスなんだもん。ホールケーキ一緒に食べたいな」

大人数でパーティーをするわけでもないし、カットケーキを二人分買っていくのがセオリーだろうとはわかっているけれど、テイクアウトということとホールケーキの並ぶショーケースを見ると欲が出てきてしまった。

「夏油くんはどれがいい?」
「うーん、そうだな。これとか可愛いし、どう?」

夏油がそう言って指をさしたのはピンク色のクリームで彩られた小さなホールケーキだった。確かに、あんまり見たことのない凝ったデザインで可愛らしい。ナマエはその提案に頷き、彼はショーケースの奥に立っていた店員にそのケーキを注文した。


来た道を同じように戻る。行きと違うのは、彼の右手にケーキの箱があることと、左手でナマエの手を握っていることだ。カフェに入ったときに離れてしまってそのまんまだと思ったのに、店を出たら当然のように彼はまたナマエの手を握った。思わず視線が落ちてしまって、ドキドキするせいで、家を出たとき以上に何を言っていいかわからなくなる。その気配に気が付いた夏油が小首を傾げた。

「ん?」
「え、えっと…げ、夏油くんの家ってどこなの…?」
「祥楽寺だよ。まぁ、私の家っていうか、隠れ家みたいに使ってるアパートなんだけどね」
「隠れ家?」
「そう。ちょっと私の家って特殊でさ。同じ家に何人も住み込んでるみたいな感じなんだよ。で、息詰まったりするときに使ってるんだ」

そこでハッと彼の家のことを思い出した。「親が極道っていうのは本当」ということは、彼の家がそういう家だということだ。舎弟みたいなひとが何人も住み込んでいるんだろうか。深堀りしても上手く話を広げられる自信がなくてそれ以上は聞かなかった。


夏油の隠れ家というアパートは、祥楽寺駅の西口から北上したところにあった。歓楽街の横を通るようなルートは少し物珍しかった。ヘルス、マッサージ、優良店。あまり目にしたことのない、というか目にすることを避けていたような文言ばかりを掲げる店が並び、それが途切れるあたりで小ぢんまりした二階建てのアパートに辿り着く。夏油は慣れた様子で金属製の外階段を上り、二階の角部屋で足を止めた。鍵をあけ、扉を開く。

「お、お邪魔、します…」
「いらっしゃい」

緊張しながら足を踏み入れた。異性の部屋に入るのは初めてだけれど、こうして彼のテリトリーに入ることでどんなことが起こるかというのを想像出来ないわけじゃない。むしろ、想像しすぎているから緊張しているのだ。
玄関のすぐ隣に台所があり、その板張りの部屋ともうひとつ畳の部屋があるだけのコンパクトな空間だった。やはり彼はモノトーンが好きなのか、家具の類いは黒いものばかりに見える。

「適当に座って。今用意するから」
「手伝うよ」
「お客さんに手伝いなんてさせられないよ」

手伝いを申し出てもやんわりと断られ、ナマエは仕方なく畳の部屋のローテーブルの前にちょこんと座った。押し入れの襖は取り払われてクローゼットのように使われていて、彼の洋服がかかっていた。部屋中にそこはかとなく香水のような匂いが漂っていて、陶器のトレイにはスペアのピアスが転がっている。どこもかしこも彼の存在をありありと知らしめる要素に所在をなくす。

「お待たせ。紅茶で良かった?」
「う、うん…ありがとう…」

どぎまぎしているうちに夏油がケーキと二人分の紅茶をローテーブルに運んでくる。「コート、掛けようか?」と言われて初めて自分がコートも脱がずに小さくなっていたことに気が付いた。ダッフルコートを脱いでハンガーを持って待ち構える彼に預けると、切れ長の目が少しだけ開かれてからまた細められる。

「その服、可愛いね」
「ほ、ほんと…?」
「うん。ナマエちゃんの普段のイメージとは違うけど…そういう服、好きだな」

良かった。五条にそそのかされるまま服を選んだが、こういう服が好きだというのは本当のことらしい。夏油も当然コートを脱いでいて、その下には白いタートルネックのセーターを着ていた。この間は黒づくめだったから、なんだか明るい色の服を着ているのは新鮮に見えた。

「ねぇ、せっかくだし切り分けずに食べようよ」

夏油が少し悪戯っぽく言った。ホールケーキをそのまま食べるなんて贅沢だ。ナマエはそれに同意をして、二人でフォークを手にホールケーキにそれを突き立てる。気持ち控えめの量を掬い取って口に運べば、上品なクリームの甘さと苺のほどよい酸っぱさが口に広がった。

「んっ、美味しいっ」
「ホントだ。甘さ控えめなんだね。あのお店のケーキ、評判はいいけど食べたことなかったんだ」

自然に感想を言い合ってふっと笑い合う。夏油に「ケーキ食べたことなかったんだ?」と何気なく言うと「うん。美味しいから食べるべきだって行くたびに言われるんだけどね」と想像していなかった答えが返ってきた。いつも誰かと一緒に行っているということだろうか。今日もカップルがたくさんいたし、そういう客層も御用達だろう。ひょっとして夏油も、誰か女性と一緒に行ったんだろうか。

「ナマエちゃん?」
「え、あ…その、よく、あのカフェ行くのかな…と思って…」

ナマエはもごもごと誤魔化した。なにかを見透かすように夏油は笑い「悟と一緒にね」と答えを差し出す。そうか、彼と一緒に行くってことか、とあからさまに安堵してしまって、自分が気にしていたことを彼に悟られまいと慌ててフォークをホールケーキに向かわせる。

「一緒に行った女の子は、ナマエちゃんだけ」
「え、えっと……」
「あれ、そういうこと聞きたいのかなって思ったんだけど…違った?」

見抜かれてしまって、顔に熱が集まってしまう。明るいから彼にもわかってしまっているだろうし、ここは彼のテリトリーだから逃げられる場所もなければ当意即妙な言い訳も思いつかない。
フォークはホールケーキに辿り着く前で動きを止めてしまって、夏油はそのフォークをナマエの手から引き抜いて皿の脇にちょこんと乗せ、指先を絡めるようにして手を取った。

「ナマエちゃん、好き。私と、付き合って欲しい」

ぐっと心臓が鷲掴みにされた。身体中を血液が巡って、顔のあたりで滞留しているような感覚に陥る。好き。エコーがかかった夏油の声が頭の中で繰り返される。喉が締まって声が上手く出てこなくて、上擦った声でなんとか「わ、たしも…すき」と辛うじて返した。

「良かった。両想いだね」

彼はホッとしたように笑うけど、ナマエがこう答えることなんてお見通しだったのではないか。だって思わせぶりな言動にも行動にもあからさまに振り回されていたし、彼はそれがわからないようなひとではないと思う。
ぎこちない動きでケーキを食べ進めたけれど、結局半分以上彼に食べてもらった。ソファがわりに使っているだろう大きなビーズクッションに身をゆだねれば、夏油が改めてナマエの服装をジッと見つめる。そんなに見られると恥ずかしい。あまり意味がないと思いながらも短い丈のワンピースの裾をなおす。

「それにしても…ホントに今日の服可愛いね。私以外の男が見てたんだと思うと…妬けるな」
「こ、こういう系の服買ったの初めてなの!えっと、夏油くんがこういう服好きだって教えてもらって…」

ナマエの言葉に夏油がピクリと反応する。一瞬彼の顔から表情が消えたような気がして、でも口元はにっこり笑ったままだ。「ちなみに誰に聞いたんだい?」と聞かれたから、別に隠すのもおかしなことだと思って「このまえ五条くんにばったり会って教えてもらって…」と言えば、夏油は「悟か…」と大きくため息をつく。

「あの、夏油くんが好きそうな服…選んでもらった、んだけど……」
「…悟に見せたの?」
「え、うん。お店で試着したから…」

ビーズクッションから身を起こしたナマエに夏油は距離を詰め、晒された肩をついっとなぞる。ぞくっと背中にくすぐったさが走って、思わず身を縮めた。

「これからは、一番に見せてほしいな」
「ぁ……ぅ…うん…」

このあともっと触れられるのか、と思ったけれど、彼はそれ以上はしてこなくて、髪をそっと梳くように撫でたあと、詰める前の距離に当然のような顔をして戻った。どくどくどくと心臓が脈打つ。一日中ドキドキしているのに、まだ鼓動が早くなりそうで怖かった。


緊張のせいで普段よりぎくしゃくした時間を過ごし、外が暗くなってきたのを見て夏油が時計を確認する。短い針が7を指している。夏油は「もう結構良い時間だね。送るよ」と言って立ち上がり、しかしナマエはそれに続かずにはくはくと唇を開いた。

「今日、お父さん、出張なんだ…」

何とか声を絞り出す。言外に何を言いたいかなんて明白で、夏油はナマエの額にちょんと軽く唇を落とした。じっと彼を見上げる。夏油はふっと笑ってナマエの髪を撫でて「だーめ」と柔らかい声で言った。

「ナマエちゃんのこと、大事にしたいから」

それから夏油は真っ暗な中をいつも通りにマンションまで送ってくれた。エントランスで「おやすみ」と言い合って、何度か名残り惜しくて振り返る。彼はナマエの乗るエレベーターが閉まるまで、ずっと見送ってくれていた。



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