三級術師である三人は、午後からの実践や任務においてよく揃って行動していた。近距離を得意とする七海と灰原、中長距離を得意とするナマエの組み合わせは相性が良かった。
未熟な学生時代は生存率を上げるためになるべく一定の相手と組ませ、任務にあたることが多い。そのため同級生で任務に向かうことはよくあることだが、それにしても三人の息は出会って半年も経っていないと思わせないほどぴったりと合っていた。

「そういえば、高専って遠足ないのかな」
「はぁ?」

任務を終えて三人で戻る途中、出し抜けに灰原がそんな事を言い出した。呆れた声は七海のものである。一応のところ教育機関のていであり、且つ表向きには私立の宗教系の専門学校ということになっているが、中身は全くもって通常のそれとは異なる。午前は座学、午後は実技。実技には有給の任務も含まれる。
そんなところに「遠足」なんていうのんきな行事があるとは考えづらかった。

「いや、あるわけないでしょう」
「えぇぇ、じゃあ修学旅行は?」
「修学旅行も同じです」

目の前で繰り広げられるやり取りにナマエはくすくす笑った。この二人は正反対で合わないように見えて、その実とても仲が良い。同性ということもあるだろうが、言いたいことを忌憚なく言い合える仲であると思う。

「じゃあーー」
「文化祭も体育祭もありませんからね」
「七海エスパー?なんで僕が言いたいことわかったの?」

灰原が目を丸くして驚いている。残念ながら、今の流れはナマエにも予想できた。行事か、と考え、そう言えば高専の学生じゃないくせにやたらと高専に詳しい男から、ある行事について聞いたことがあったと思い出した。

「体育祭じゃないけど、京都の学校と姉妹校交流会はするでしょう。あれって数少ない高専の行事だよね」
「姉妹校交流会?」
「そんなのあるんですか?」
「あれ、灰原くんも七海くんも知らない?」

ナマエの言葉に二人はこくりと頷く。確かに一年生には関係のない行事だし、こんな学校だから追々の説明にされているのかもしれない。
ナマエが「あのね」とその概要を説明する。二日間に渡って行われるそれは、一日目が団体戦、二日目が個人戦の流れが定番になっている。参加するのは二年生と三年生が殆どで、人数が少ない年には一年生が駆り出されることもある。

「いつやるの?」
「毎年9月なんだって」

前年の勝利校で行われるため、今年は東京校が会場になる。でもどっちにしろ悟くんがいるんだから来年も再来年も東京校でやるんだろうな、とナマエはぼんやり考えた。
これは学生同士の力量を計り合い切磋琢磨できる良い機会であるが、人間相手に呪術を使う初めての機会になるという学生も少なくない。

「じゃあ僕らはあと一年少しお預けだね」
「そうですね。見学とかさせてもらえないんですかね」

思いのほか七海も交流会の話には興味を持ったようである。ナマエも人づてに大まかな話を聞いただけだから、そのあたりのことは知らない。後で先生に聞いてみよう、という結論に落ちつき、話題は次へと移っていった。


高専の寮の風呂は広い。というか、一般的な寮に取り付けられるようなサイズなのだろうが、利用者が少ないために必然的に占有面積が増える。
共同と言いつつ風呂場の中のほぼ定位置のような場所にシャンプーやボディーソープの類は置いてあったし、脱衣所ではそれぞれスキンケア用品などを置く場所が暗黙の了解のように設けられていた。

「ナマエじゃん。風呂の時間被るって珍しいね」
「さっきまで灰原くんと七海くんとゲームしてたんです」
「ああ、それで遅いんだ」

風呂場で浴槽に浸かっていると、少し遅れて入ってきたのは家入だった。ただでさえ生徒数の少ない高専の、しかも女性となればこの風呂を使っているのは主に家入とナマエの二人といっても過言ではなかった。先輩にも利用者はいるはずだが寮室に備え付けられているシャワー室を使うものも少なくない。
いつもならナマエの方が家入より早くに風呂に入るのだけれど、今日は灰原や七海と一緒にゲームをしていて少し遅くなったために入浴の時間が被ったようだった。

「ナマエ、どっこも怪我ないねぇ」
「まだ一年なので…ほとんど危ない任務も出てないからですかね」
「いや、それもそうだけどさ、子供の頃の擦り傷とか切り傷とか、そういう普通の怪我もあんまなかったのかなと思って」

指摘されて、水面から右腕を取り出してみた。確かに呪術師には相応しくない、頼りなくなまっ白い腕だ。家入の言う通り、幼少期はそれこそ怪我のないよう家族も使用人も目を光らせていたように思う。大きな怪我はしたことがない。

「あんまり小さい頃は外で遊ぶってこともしたことないんです」
「出た、箱入り娘」
「ほんとそうですよ。高専に入ってるのが奇跡だなっていうくらい」

自分で少し呆れて笑った。世界が広いということを、ここに来るまで本当の意味で知らなかったのではないかと思う。今でも深くは理解していない点も多いが、当たり前のように良家に嫁いで立派な妻に、母になる、ということだけを目的地にしていたあの頃より随分と景色が広がった。

「私の反転でも傷跡は残るんだから、無茶して大怪我すんなよ」
「反転術式って痕残るんですか?」

初めて聞いた、と目を丸くする。反転術式にはさほど詳しくないし、ナマエ自身まだ任務でそれを必要とするようなレベルの怪我を負ったことがない。

「残るよ。軽傷の軽傷だと傷跡まで治せるけど、大怪我だったり時間が経ったりすると表皮までは治せないんだ」
「そうなんですね。知りませんでした」

勝手に新品同然に治るものだと思っていた。大怪我、と聞いて、春先に起きた護衛任務のことを思い出す。
星漿体の護衛任務。那覇空港の警備を担当していた一年生の三人はさほど仔細を知らない。星漿体のことは重要な機密であるから当然だった。
ただ五条と夏油が星漿体の少女を護衛する任務の一環で空港の警備を任されたのみである。
しかも、あの日は星漿体を乗せた飛行機が去ってから東京に戻り、高専に着く頃には任務が失敗に終わったのだと、結果のみを知らされるばかりだった。

「あの…じゃあ、悟くんも傷が…あるんですか」

いつの間にかそう口にしていた。仔細を知らされていなくても、あの日五条が瀕死に近い重傷を負ったのだとは知っていたし、そのときの咄嗟の出来事で反転術式を会得したことも知っていた。

「…さぁ。五条のは聞いてないな。夏油は、残ってると思うけど」

家入の言葉に「そうですか」と相槌を打つ。夏油の治療は状況的に考えて家入がしたのだろうから、どの程度の具合だったかは知る所だろう。
ちゃぷん。水面に髪からしたたり落ちた滴が波紋を生み出す。

「本人に聞いてみれば」
「いや…そこまでは…」
「部屋にでも行って傷跡見せてって言ったら案外見せてくれるんじゃない?」

にやにやと家入が笑う。五条の傷は上半身を袈裟懸けに渡ったと聞いたことがある。傷を見せるということは上半身の全てを曝け出すということだ。ナマエは家入の言葉の意味を時間差で理解してポンっと顔を赤くした。

「べ、別にそういうつもりじゃ…!」
「言いにくいなら私が言ってあげよっか」
「や、やめてください!絶対!悟くんに変態って言われるに決まってます!」

ナマエの必死の抵抗を聞き、家入は一瞬ポカンとした顔になったあと「そう?」と笑みを深める。数少ない同性の、姉のようにしたっている彼女に限って滅多なことはしないと思いたいが、あの五条と夏油と渡り合う同級生というだけあって、家入もなかなかの曲者である。

「ま、とにかくナマエは怪我すんなよ。スタイルいいし、せっかく綺麗な身体してるんだもん」

スタイルがいい、という言葉を受けてナマエは自分の身体を見下ろした。強烈なコンプレックスとまでは言わないが、あまり自分のプロポーションには自信がない。家入はアイドルのように整ったバランスで胸も大きいし、京都にいる先輩の術師の庵はスレンダーで足が長い。それに比べて自分は随分と子供っぽい体つきのように思える。

「なに、ナマエ、もしかしてなんか気にしてんの?」
「えっ、べ、別にそういうことは…」

不自然に黙ったナマエへ家入が言葉を投げた。図星を突かれてわたわた慌てると「気にしてるんだ」と見抜かれてしまって視線を泳がせる。体つきなんて他人と比べても仕方がないとは思っているけれど、身近に家入のような女性がいると比べてしまうのも必然のことだった。

「む…胸が…ちっちゃくて、その…」
「どうしたらおっきくなるかって?」
「……はい」

観念して認めると、家入が「うーん」と何かを思案し出した。これは断じて、五条が先日良いと言っていた雑誌のグラビアアイドルの胸が大きかったからとか、五条のケータイの待ち受けになっているワカという女性の胸が大きかったからとか、そういうわけで気にしているのではない。ただ思春期の、そういうありふれた悩みであって、ないよりはある方が良いだろうというだけであって、良いって誰に向けてだって話なんだけど。と、ナマエはあれこれ頭の中で言い訳を並べ立てる。

「まぁそうだなぁー、よく言うのはあれじゃん?揉まれたらおっきくなるってやつ」
「こ、こうですか?」

ナマエは自分の控えめな胸をむにむにと揉んでみせる。これは揉むというより撫でるに近い気がする。家入が「そうじゃなくって」と遮り、ナマエは大人しく手を止めた。湯の中で家入の胸はちょっと浮いている気さえした。対して自分はそういう浮力は残念ながら感じない。

「揉んでもらうんだよ、男に」
「も…えっ…男のひとっ!?」

にやにやと笑った家入の言葉にナマエが大きく声を上げる。風呂場の壁に反響して何倍かに聞こえ、家入は耳をぱっと塞ぐ。その反応に自分の声の大きさを自覚して、ナマエは手で口を覆った。

「ははっ、良い反応すんね」
「け、結構真剣なんですよ…」

からかわれたことにつんっと拗ねながら、でもそれって本当なんだろうかと頭の中であれこれ考える。男のひとにって言ってもそんなの誰にも言えないじゃないか、ともんもんとするナマエを眺めながら、家入は「別に男じゃなくてもいいんだけどね」ということは面白いから黙っておいた。

「ナマエ、良いお尻してんだしそっち重視で育てれば?」

ちなみに夏油は胸より尻派だよ。いらない情報が付け加えられる。


風呂から上がり、ふわふわした頭を抱えながら談話室を歩く。共用の冷蔵庫に入っているミネラルウォーターを持って部屋に戻りたい。
丁度談話室に人影があり、誰だろうかと確認すると、目的地である共用冷蔵庫の前に立っていたのは夏油だった。

「あれ、ミョウジひとりかい?」

夏油の手には桃風味のついたミネラルウォーターのペットボトルが握られている。桃、桃、桃。正直言うとこの時ナマエはまだだいぶのぼせていて、だからうっかり口がすべった。こんなことを言うつもりはなかった。

「夏油さんはお尻派って本当ですか?」

ぴしり、空気が固まる。夏油は持っていたペットボトルを取り落としそうになって、慌てて20センチ下で持ち直した。

「………ミョウジ、ちょっと向こうで話そうか」
「はい?」

この後夏油から女の子はふわふわしてるくらいがいい、とまた別の情報を植え付けられたナマエは、華奢でふわふわで胸がおっきいなんて、どうやったらそんな風になれるのだろうかとまた頭を悩ませる。
なんでこんなに悩んでいるのかという理由には、今のところ気づいてはいなかった。

03 ふ わ ふ わ

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