『ほんましょーもなっ!破局せぇへんの?』

電話口で直哉が早速悪態をつく。三週間前の京都観光の2日目と3日目が実質見送りになってしまったことをまだ根に持っているらしい。
ナマエは「まぁまぁ」となだめてみるが、むしろ逆効果である。

『大体なぁ、ナマエちゃんがもっときっぱり言うてやたら良かったんや』
「それはそうなんだけど…」
『悟くんも悟くんやで。言いたいことあんならはっきり言うたらええねん』

全てが全てそうとも限らないが、この件に関しては全くもってその通りだったのでなにも言返せない。
この話は既に三回目である。三週間の内に三回ともなると流石に耳にタコで、しかし知ってか知らずか一連の立役者になった直哉を無下にするのはどうにも出来ず、甘んじてそれを聞き続ける。

『ほんまに俺んとこのお妾さんにしたろう思っとったんで』
「ふふふ、それはないね」
『ないとも限らんやん』
「だって、直哉くん意外と不器用じゃない」

慣れないことを言うものだから、ナマエは思わず笑った。直哉の見た目は年齢にしてなかなかの遊び人風ではあるが、その実子供っぽくて不器用である。今の地位だって才能に恵まれているのはもちろんだけど、努力して勝ち得たものでもあるとナマエはよく心得ていた。
くちは悪いけど、根本にある不器用さと言うものが可愛らしく思えて、なんだかんだと直哉との交流はやめる気になれない。

『ま、ナマエちゃんが嫌なったら俺んとこ来てもええよ。どーせ五条とウチはバチバチやし、今更火種のひとつふたつ増えたって変わらんやろ』
「もう……わざわざそんなことしないよ」

まったくそんなしょうもないことを言いに電話してきたのか、と思ってそのまま流していると、耳についていたスマホの感覚がひゅっとなくなり、ソファに座るナマエの上から、それを五条が取り去ったのだとわかった。

「直哉、お前電話かけすぎ。これから僕らデートだから。じゃあね」
『は!?ちょ!おい悟くーー!』

問答無用で終話ボタンを押し、五条がナマエにスマホを返す。どうせカンカンに怒った直哉をなだめることになるのは自分じゃないくせに、やりたい放題だな、と小さくため息をついた。

「ほらナマエ、直哉なんかに構ってないで行くよ」
「なんかって言ったら可哀想でしょ?」
「あいつの肩持つの?」
「そういうことじゃなくって…」

因縁は自分を挟まずに二人で解決してほしいところだが、もちろんそう言うわけにもいかない。五条は普段直哉をとりあってもやらないくせに、ナマエが関わるとあからさまに手を出してくる。

「ナマエ、僕には言えないことも直哉には相談するんだもんね?」
「だって…友達には言えても恋人には言えないこともあるでしょ?」
「ふぅーん」

本格的に五条が拗ねだした。これは早めに手を打たなければ面倒なことになるかもしれない。ナマエはスマホをテーブルに置くと、くるりと身体を反転させて五条に向き直る。

「悟くんにしか見せられないのはその何倍もあるんだよ?」
「うっ…ぐう…ナマエ、いつの間にそんなあざとい技を…」
「ふふ、私だっていつまでも子供じゃないんだから」

五条は大袈裟にダメージを受けたようなふりをして、辛抱たまらないといったふうでナマエを抱きしめる。あんまり腕の力が強いものだから「痛い痛い」と抗議して、ようやく力が緩められた。


2日前のことだった。巨大な鳥のような呪霊が高専に飛来したのは。
五条はその時夜蛾にこの頃暗躍しているとある呪詛師の話をしていて、その矢先のことだった。高専の結界内に突如として現れたその残穢に緊張が走る。それはナマエもよく知る男のものであった。

「…これ…!」

高専の駐車場にいたナマエは、感じ取ったそれを目掛けて走って行った。ほとんど同時に準一級以上の呪術師に正面ロータリーへの緊急招集がかかる。ナマエはぐっと唇を噛んだ。
ロータリーについたのはナマエが一番早かった。もとからそこにいた一年生たちのすぐそばに袈裟姿の男が立っている。五条の親友、たったひとりの、唯一無二の男。

「夏油、さん…!」
「やぁミョウジ、久しぶり」

夏油は乙骨に肩を組んだまま、顔だけをあげるとナマエに穏やかに挨拶をした。変わらないけれど、何もかもが違っている。
乙骨から引き離さなければ。しかし自分が夏油に敵うわけがない。じりっとナマエがにじりよる。

「…お久しぶりです」
「フフ、こんな状況でも礼儀正しくて流石にお嬢様だね」
「お褒め頂いて嬉しい限りですよ」
「あれ、ちょっと悟に似ちゃったかな…」

夏油が「はぁ」と大袈裟に肩を落とした。ナマエが「何の用ですか、こんなところに」と尋ねると、穏やかな調子で「ちょっとあいさつに来ただけだよ」と答える。

「僕の生徒と婚約者にイカれた思想を吹き込まないでもらおうか」

割って入った声は五条のものだった。全員の視線が五条に向けられる。

「悟ー!久しいねー!」
「まずその子たちから離れろ、傑」

夏油の声は聞いたことがないくらい高らかだった。ナマエはぐっと眉を顰める。夏油と顔を合わせたのは10年振りだ。

「今年の一年は粒ぞろいと聞いていたが…成程、君の受け持ちか」

夏油はそう言い「特級被呪者」「突然変異呪骸」「呪言師の末裔」と一年生を数えていくと、最後に真希を見下ろして「禪院家のおちこぼれ」とあざ笑った。ナマエが一歩踏み出した。真希が「テメェ」と声を荒げる。

「発言には気をつけろ。君のような猿は私の世界にはいらないんだから」

ナマエが口を挟むより早く、乙骨が肩に乗っていた腕をバシッと払って取り去る。

「ごめんなさい。夏油さんが言ってることはまだよくわかりません。けど…僕の友達を侮辱する人の手伝いは、僕にはできない!!」

乙骨にしては珍しく強い物言いで、ナマエは目を丸くして彼を見つめる。夏油が「すまない、君を不快にさせるつもりはなかった」と弁明する。では何故、どうして今日、捕縛される危険を冒してまで高専まで姿を現したのか。五条が乙骨と夏油の間に割りいる。

「じゃあ一体、どういうつもりでここに来た」
「宣戦布告さ」

夏油が口角を上げて挑発的に笑い、ロータリーに集まった呪術師たち全員に聞こえるよう大きな声で整然と口を開いた。

「お集まりの皆々様!!耳の穴かっぽじってよーく聞いて頂こう!!来たる12月24日!!日没と同時に!!我々は百鬼夜行を行う!!」

ざわざわと風が木々を揺らす。我々というのは後ろにいる三人を含めた現在の夏油の仲間の事だろう。いったい何人の呪詛師を仲間に引き入れているのか。彼は元々ひとを惹きつけるタイプの人間だから、その数がこちらの想定以上だとしてもおかしくはない。

「場所は呪いの坩堝、東京新宿!!呪術の聖地京都!!各地に千の呪いを放つ。下す命令はもちろん鏖殺だ。地獄絵図を描きたくなければ死力を尽くして止めに来い」

ナマエは夏油の宣戦布告に少し違和感を覚えた。そんなことをして、先に待つのはなにか。戦況によって被害は左右されるが、五条がいる限り高専側が負けることはない。勝算の低い戦いだ。
それに宣戦布告をしてしまえば、彼が選民すべしとしている非術師は避難させることが出来てしまう。そうしてまで戦場を用意する彼の意図が読めない。

「思う存分、呪い合おうじゃないか」

夏油がにやりと笑い、その場にいる呪術師が各々の獲物を持つ手に呪力を込めた。
宣戦布告は高専に必ず現場に来させるための脅迫。であればそこからどうする。夏油は一体百鬼夜行の結末をどう描いている。
ナマエの思考を引き裂くように、夏油の背後にいたブレザー姿の少女が「あー!!」と声を上げた。

「あー!!夏油さまお店閉まっちゃう!!」
「もうそんな時間か。すまないね悟。彼女たちが竹下通りのクレープが食べたいと言って聞かなくてね。お暇させてもらうよ」

いやはやあんな猿の多い場所の何がいいのか…とぼやきながら夏油が踵を返す。それを止めたのは五条だ。

「このまま行かせるとでも?」
「やめとけよ。可愛い生徒が、私の間合いだよ」

ずるりとその場に20体ほどの呪霊が躍り出た。これは夏油の術式で使役している呪霊たちだ。骸骨のような見た目の呪霊たちが学生をとり囲んだ。夏油がその中をゆうゆうと歩いていく。

「それでは皆さん、戦場で」

夏油はひらひらと手を振り、ペリカンのような呪いの足に掴まるとゆっくりそれを浮上させる。学生の周囲に放たれた呪いは、彼が視認できなくなったところでやっとその姿を消した。夏油が術式で回収したのだろう。
ナマエはそっと五条を見つめる。ぐるぐる巻きにされた包帯で目は見えないが、どんな表情をしているのか、なんとなくわかってしまって目をそらした。


OB、OG、御三家、それからアイヌの呪術連まで声をかけ、総力戦で挑むことが決まった。千の呪いに夏油傑。一体何が起きるか想像もできない。そしてもちろん、夏油の対処にあたるのは五条の役目だった。

「悟くん、本当にこんなにのんきにデートしてて大丈夫なの?」
「あー、大丈夫。僕最強だから」
「そうじゃなくって…もう」

五条はそう言ってみせて、しかもこれが真実なのだからよっぽどたちが悪い。取り合う気もないような態度で、ナマエが少しそれに拗ねたふうにしてみせる。すると、五条がすかさずナマエの肩を引いてぎゅうっと抱き込んだ。

「ナマエがいてくれるだけで、頑張ろうって思えるんだよ。役に立ってないとかそんなのないし、むしろいてくれるだけでめちゃくちゃ助かる」
「本当は悟くんのそばで戦いたいんだけど…わがまま言っちゃダメだよね」
「ナマエに万が一のことがあったら僕もう世界滅ぼしちゃうかも」
「悟くんが言うと冗談にならないよ」

ぴったりと触れ合う距離で言葉を尽くす。ナマエの24日の配置は、救護班として動員される家入の護衛だ。家入が狙われるようなことになれば、事前の探知で少しでも危険から遠ざけようという采配である。

「それにしてもさぁ、傑のやつひどくない?あいつが百鬼夜行とか言い出したせいで式の日程延びたんだけど」
「結婚なんて書類ひとつでいつでも出来るでしょ?今じゃなきゃいけない理由がある?って、言ってたのは誰だったかなぁ」
「それはそれ!これはこれ!傑に邪魔されたっていうのが気に入らなーい」

べぇっと舌を出し、子供のように駄々をこね始める。その様子を見てナマエはくすくすと笑った。

「じゃあ夏油さんに会ったらご祝儀貰っといてよ」
「りょーかい。たんまり搾り取ってやる」

二人で冗談めかして言った。これから待ち受ける戦いは、どんな結果になってもきっと五条に大きな爪痕を残すだろう。そしてこの百鬼夜行が恐らくナマエが高専の呪術師として受ける最後の任務になる。この戦いのあと、ナマエは正式に五条家に入ることが決まった。

「…悟くんは悟くんの場所で戦ってくれる。だから私も、私の場所で戦うよ」

これから何度も傷つく。何度も辛酸を舐める。それがどうした。
そんなもののために譲れるものがあるはずがない。

「ナマエに降りかかるものは、どんなものでも僕が祓ってあげる」
「ふふ、私は大丈夫。悟くんのこと大好きなんだもん」

好きなだけではどうにもならないことだってある。けれど、思いがあるからどこまでも頑張ろうと思えるのだって事実だ。だからきっとどんな困難でも立ち向かうし、その先に何が待っていたとしても受け入れることが出来る。

「はぁー、もうナマエが強くなっちゃって参っちゃうよ」
「そりゃあ、高専入って鍛えられましたから」

悟くんのおかげね。とナマエがまた笑った。
毎日は選択の連続で、誰も後戻りをすることは出来ない。変わってゆくものもあるけれど、変わらないものだってある。彼の中の変わらないものになることが出来たら、どれだけ素敵なことだろうかと思う。

「ナマエ、やっぱ今日デート中止」
「えっ!?」
「こんな可愛いこと言われて、今日は離したくなくなっちゃった」

五条がそう言って、ナマエをひょいっと抱き上げる。じたばたと抵抗しても何の意味もなく、ナマエは着飾ったデート用の服のままソファに転がされてしまった。
ヘアセットはぐちゃぐちゃで服にもしわが寄っている。仕方ないなぁと許容してやる素振りを見せたが、ナマエだって嫌がる理由はどこにもなかった。

「ナマエ、好きだよ」

きらきらとした毎日の中で、あなたといくつも言葉を交わす。幸せとは、あなたと過ごす毎日につける名前のことだと思う。
いつだって燦々と輝く。あなたがそばにいれば、それだけで人生は。

20 さんさん

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