ミョウジナマエは自他ともに認めるところの生粋のお嬢様だ。
母は加茂家という古く由緒正しい家柄の出身であり、父も加茂家には及ばないながらも高貴な家柄の後継者である。呪術師と呼ばれるくくりでも、一般的な名家といわれるくくりでも、彼女の家はとても格式高い家柄であった。

「いいですかナマエ、あなたはミョウジ家の人間として恥じない生き方をなさい。弱きを助け、正しく、持てるものとしての生き方をなさい」

母からノブレスオブリージュの精神を教えられ、清く正しく美しく、いつかお嫁に行ったときに立派に務めを果たせるように一般教養にも花嫁修業にも精を出した。世の流れ的に言えばきっとこの考え方は古く、前時代的だと言われてしまうかもしれないとは分かっていたけれど、ナマエは嫁に入って子供を生み、その家を支えるという生き方に不満はなかった。

「ナマエ、あなたの婚約者が決まりましたよ」

そのため、十三歳で母にそう言われたときはとても嬉しかったし、その相手を聞いてまさかと驚いた。五条悟。御三家のひとつの五条家の嫡男でナマエよりひとつだけ年上。とても優秀な呪術師とその年で既に噂になっている少年だ。
そんな立派な家に嫁いで尽くせることはどんなに素晴らしい事だろう。ナマエは筆をとり、早速婚約者となった五条悟に手紙を書いた。

「…悟さま、どんなお方なのかしら」

噂では、六眼を持っていて透き通るような青眼なのだという。少し怖いような気もするけれど、自分の将来の旦那様なのだ。そんなことは言ってられない。
優秀な呪術師ということは、きっとたいそう努力家で聡明に違いない。次期当主であるとも言われているし、そうなれば自分はゆくゆくあの五条家を支えることになるのだ。

「悟さま、お返事下さるかしら…」

出した手紙の返事は一週間たっても二週間たっても届くことはなかった。返事がないのは少し、いやかなり寂しかったけれど、きっとお稽古ごとに忙しいのだろうと思うことにした。

「ばあやさん、今日はお手紙届いておりまして?」
「本日は加茂分家のお嬢様から一通届いておりますよ」
「まぁ…その…一通、だけかしら?」

ナマエがそう尋ねると、ばあやと呼び掛けられた使用人は申し訳なさそうに背を丸めた。昨日も今日も、件の婚約者から返事は来なかった。
返事は来なかったけれど、それから迷惑にならないようにと間隔をあけながら手紙を出し続けた。そんなふうに過ごしているうち、ついに一回も返事のないまま顔を合わせる機会が訪れてしまった。
ナマエは目一杯めかし込み、五条家の門を潜った。ミョウジ家とは比べ物にならないくらい荘厳な重要文化財めいた古い日本家屋で、背中がぴんと伸びるような気持ちだった。
五条家の使用人の案内で応接間に通され、中庭を見つめる。計算しつくされた剪定の植木が並び、椿の花が咲いている。椿の花はぽとんと落ちてしまうものだけれど、落ちた花がひとつも見当たらないということは細やかに庭師が手入れしている証拠なのだ。
私は将来この家を支えることになるのか。そう思えば恐ろしくもあり、その反面高揚もした。

「きゃっ…!」

そんなことを考えていたら、庭のほうからずしんっと重い音がした。地震ではない。一体何が、と庭のほうを見ようとすると、それより早くものすごい勢いで障子が開かれた。

「げぇ、マジでいんじゃん」

障子の向こうに立っていたのは真っ白な髪に青眼を備えた見目麗しい少年だった。ああ、彼が悟さまなんだ。ナマエはこの一瞬ですべてを理解し、青い瞳を食い入るように見つめた。少年はナマエの視線などお構いなしで部屋に踏み入り、ナマエの目の前まで来るとずいっと顔の高さを合わせる。まつげが頬に影を落とす。

「お、お初にお目にかかります、わたくし…」
「とっとと帰れ、このストーカー女」
「え…?」

投げかけられた言葉にナマエはぴしりと固まった。今彼は何と言った。私に向かって、なんて。
少年の顔は不機嫌そうに歪み、自分が招かれざる客であるということを否応なしに思い知らされる。

「す、ストーカーって、なんですか…」
「ストーカーだろ。返事もしねぇのにずっと手紙送ってきやがって気持ちわりぃ」

目の前の光景にヒビが入りがらがらと崩れ落ちていくようだった。良かれと思ってずっと手紙を出していたのに、こんなふうに言われるだなんて想像もしていなかった。

「そ、そんな言い方なさらなくても…仮にも、婚約をしているのですから…」
「はぁ?俺は全然認めてねぇけど」
「えっ、でも両親からはーー」
「だってそれって俺が決めることだろ」

ぴしゃりと断ち切るように言われた。婚約するんじゃなかったのか、私が夢をみていたこの一年は何だったんだ。便箋も、封筒も、いつも美しいものを探しては選んで、何度も何度も美しい字であるように書き直した。ぐっと目が熱くなるのを感じる。駄目だ、こんなところで泣いてどうする。
がらがらと崩れ落ちた瓦礫を粉々に踏みつぶされる。もう呆然としているナマエに向かって、彼はとどめを刺すように言い放った。

「あと単純にお前の手紙、言葉遣いが超キモイ」

これがナマエと五条悟のファーストインパクトであった。
抑圧されていたものが吹っ飛んだというか、自分でも知らない自分が生まれたというか、ナマエはそこで彼に向かって大きく振りかぶった。ばちん、と音が鳴り、打たれた彼の頬が次第に赤みを帯びていく。

「悔しいならお前も高専来てみろよ」

それからナマエに向かってそう言って、痛がる素振りも見せずに彼はべぇっと舌を出した。何が「悔しいなら」なのか文法が成立してない気がしたけれど、もうどうでもよかった。

「最っ低!!」

かくしてナマエは悔しさのあまりこの男を見返してやろうと呪術高専の入学を希望した。難色を示した両親を何とか口説き落とし、今年から晴れて呪術高専の学生となった。ちなみに、どうしてだか五条悟との婚約は解消されていない。


二年後、高専、学生寮談話室。

「まさかミョウジと五条さんにそんな確執があったとは…」
「確執ってレベルじゃないです」

高専の寮の談話室で録画したバラエティ番組を見ながら、ナマエは同期の灰原と七海にそんな昔話をしていた。どこからかミョウジナマエと五条悟は婚約をしているという話を聞いてきたらしい。
前述の経緯から自分で話すことはないが、公表していないとはいえ禁口令を出しているというほどでもないのだから噂されていても仕方がない。

「本当にろくでもない思い出です」
「でも五条さんが意地悪してなきゃ高専に来ることもなかったわけだし、僕らが同級生になれたのは五条さんのおかげってことだね」
「灰原くん、それはさすがにポジティブ過ぎますよ」

浮世離れしていたナマエも随分と俗っぽく染まった。それは五条のおかげであり、五条のせいでもあった。
あの日初対面でストーカーとこき下ろしておきながら、五条はそれからも何かとナマエを呼びつけては子供っぽい嫌がらせをけしかけてきた。
しとやかな物腰をしていても元来勝気な性格であるナマエはそんなことに屈することはなく、むしろけしかけられることでより五条との対立構造を明確にしていった。

「まぁ灰原は極端だと思いますが、視野が広がったのは結果的に良かったですね」
「もう、七海くんまでそんなこと言う…」

七海の言葉に「それは確かにそうだけど」と思いながら、とはいえあんなに失礼なことを言われる筋合いは決してないはずだ。
ナマエがあからさまに不服とばかりに唇を尖らせると、灰原が「まぁまぁ」と宥めながらテーブルの上の個包装になっている菓子を差し出した。
ナマエはそれを受け取り、端からピリッと袋を破いて中身を取り出す。スーパーで売っているような四角い何の変哲もないチョコレートで、こういう菓子は家で食べたことがなかったから、食べたのは高専にきてからが初めてのことだった。
そのまま中身を取り出して食べようとすると、後ろからぐいんと勢いよく手首を掴まれる。

「きゃ…!」

高専の寮でナマエに対してこんなことをしてくるのなんて誰だかすぐにわかった。ナマエが手にしていたチョコレートは背後から形のいい唇に奪われてしまって、ナマエの手には個包装のビニールごみだけが残された。

「ちょっと!悟くん!」
「あー、任務終わりのチョコ効くわー」
「食べたいなら自分で開けなよ!」

ナマエのチョコレートを無理やり奪っていたのはもちろん五条だ。出会った時こそ「悟さま」と呼んでいたけれど、長らくそんな呼び方なんてしていない。呼び捨てにしてやろうかとも思ったが、ナマエの育ちからそれは憚られ、「悟くん」という呼び名に留まっている。

「ナマエがトロいから悪いんだろ」
「勝手に食べる方が悪いでしょ!」

一方、五条もナマエのことを「ストーカー女」とは呼ばなくなっていた。当然だ。そのきっかけとも言える手紙はずっと送っていない。

「開けるのだりぃじゃん。お前も食べたきゃもう一個開ければいいだろ?」
「そう言う問題じゃない!」

ナマエがむきになればなるほど面白がるように五条が煽り、ナマエの顔はみるみるうちに怒りで真っ赤になった。どうしてこんなに意地悪ばかりするのか。きっと自分がこの男にとって都合のいいおもちゃなのだろうとわかっているけれど、結局二年間その地位を抜け出すことはできていない。

「てか俺このシリーズのチョコ、ミルクよりいちごの方が好きなんだけど」
「知らない。私ミルクの方が好きだもん」
「はぁー、お前わかってねぇなぁ」

たかがチョコレートの趣味にわかるもわからないもあるものか。どうせそう言い返したところでニヤニヤと面白がって反論してくるに決まっている。
ナマエは言い負かせてやりたい気持ちを何とか抑え込み、談話室のソファから立ち上がる。

「もう部屋戻る。じゃあね、灰原くん、七海くん」
「あ、おい、ナマエ」
「また明日ね」

呼び止めようとする五条を会えて無視をして、スタスタと女子寮に向かって歩き出した。当然のように五条がその後ろをついていき、ナマエがついに「女子寮までついてこないで!変態!」と言えば仕方ないとにすごすごと引き下がった。
一連のごたごたのあと、もう用はないとばかりに五条は談話室を後にする。録画したバラエティ番組の笑い声がぽかんと浮いて響く中、ポテトチップスを齧って灰原が言った。

「ねぇ七海、手紙の言葉遣いがーっていうってことは、五条さん、中身ちゃんと読んでたんだね」
「まぁ、そうでしょうね」
「それってつまり…そう言うこと?」
「どう考えてもそう言うことでしょう」

パリポリパリ。薄くスライスされたじゃがいもが噛み砕かれる。五条のあの態度もこうして簡単に噛み砕けて仕舞えばもっと簡単に丸く収まるはずなのに、中々そうはいかないから二年間もこんな調子なのだろう。
恋々として思い余るだなんて、全くもって男子小学生と変わらない始末である。

01 れ ん れ ん

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