※2017年交流会の勝敗を捏造しています。また秤、星を本誌現時点の情報のみのキャラクター解釈で描写しています。後から齟齬出たらすみません。



9月に行われる京都校との姉妹校交流会は東京校の勝利に終わった。今年の主力は二年の秤と星だと目されていたが、実際にとんでもない活躍をみせたのは乙骨だった。何せ彼には特級禍呪怨霊の折本里香が憑いている。
そもそも乙骨自身のセンスの良さや飲み込みの早さもあいまって、里香の呪力を刀に込める戦い方はかなり板についてきていた。

「あれっ、ナマエちゃんだぁ」
「綺羅羅ちゃん、お疲れさま」

寮のほど近くで声をかけてきたのは東京校二年の星である。彼は男だが、本人の希望で「綺羅羅ちゃん」と呼ぶことを約束していた。
個人戦では辛くも負けた彼であるが、団体戦ではその術式を駆使してあれこれと様々なものをくっつけて場の撹乱に一役買っていた。

「個人戦、惜しかったね」
「もうちょっとだったんだけどなぁ」
「ふふふ、来年リベンジだね?」

揃って敷地内を歩く。彼の術式は風変りではあるが、いくらでも応用を利かせることができる。入学時から見ているけれども、その成長は目覚ましい。
二年生の二人は仲が良く、なにかと一緒に過ごしているところをよく見かける。同性というのもあるだろうけども、やはりこんなところだからこそ同期の縁というものは大事にするに越したことは無いと思っている。

「綺羅羅ぁ!ってあれ、ナマエさんじゃん」
「あ、秤くんもお疲れさま。すごかったね、個人戦」
「あざす。てか見てたの?」
「うん。教員控室からしっかりと」

厳密には高専の教師ではないが、五条との関係のこともあって人手が足りないときは雑用に駆り出される。今日もその一環だった。勝敗の記録をつけたり団体戦のときに棄権になった学生を回収するのを手伝ったり、仕事はまぁその程度だ。

「そうだ、昨日これ作って来たんだけど、良かったらふたりで食べて」

ナマエはそう言い、手にしていた紙袋を差し出す。紙袋の中には栗のかたちの型で焼いたマロンピューレたっぷりのフィナンシェが入っている。星はそれを受け取り、かさかさと早速中身を覗いた。

「わー!ナマエちゃんの手作りお菓子じゃーん!ちょー嬉しー!」
「秋だからね、栗にしてみたんだ」
「えへへ、ナマエちゃんのお菓子美味しいから大好き」

星がきらきらした顔でそう言い、中からひとつを摘まみ上げる。ぱくっと口に運ぶと、見ているこちらまで嬉しくなるような満面の笑みで「美味し―!」と声を上げた。

「金ちゃんも食べなよ」
「おう、いただきます」

秤も星に倣ってひとつ口に運んだ。手づかみでお行儀悪いよ、なんて注意はこんな笑顔をみせられたら出来なくなってしまう。

「すっげ、めちゃくちゃ栗の味すんじゃん」
「ふふ、気に入ってもらえて良かった」
「ナマエさんお嬢なのにこういうの得意だよなぁ」
「そりゃあ、たくさん練習したからね」

学生時代、家を出てすぐのころは料理こそ花嫁修業できっちり仕込まれていたが、お菓子作りなんてしたこともなかった。五条が甘いものが好きだと知って、何度も何度もいろんなレシピで練習してきたのだ。
寮に戻るというふたりと別れ、今度は今回の交流会の功労者である乙骨を探した。校舎のかげにちょこんと隠れている乙骨を見つけた。

「乙骨くん、お疲れさま」
「あっ、ナマエさん。お疲れ様です」
「急遽人数合わせなんて災難だったねぇ」

本来は一年生が参加する行事ではない。今回は人数合わせで乙骨に白羽の矢が立った。話によると団体戦の前々日に唐突に参加を聞かされたらしく、本当にろくに準備も出来なかったようである。
ナマエは栗のフィナンシェを「良かったらどうぞ」と差し出した。

「凄かったね、控室から見てたよ」

ナマエがそう言っても、乙骨はもごもごと唇を合わせるだけで嬉しそうには見えない。栗のフィナンシェを手に、乙骨は地面まで視線を落とす。

「…やっぱりまだ、怖くなる時があります…」
「…それは、自分の力が?」

乙骨が頷いた。折本里香の解呪自体は彼自身の望んだことであると五条から聞いてはいるが、自分の身に降りかかったことのすべてを飲み込めているわけがない。
非術師の家庭で生まれ育った、ごく普通の少年。周りと圧倒的に違うものを得てしまって、自分の身の振り方も守り方も知らない。呪いという存在に翻弄される姿がどこかあの男と重なった。

「…私が学生の時にもね、先輩に非術師の家庭で、とんでもない能力を得て生まれてきた人がいたの」
「ナマエさんの先輩?」
「そう。すっごく強い先輩で、まぁそこそこやんちゃもしてたけど…すごく後輩思いで優しい人」

十全の善人とは言わない。それこそ悪ふざけもたくさんしていたし、女の子を泣かせているような場面も見たことがある。けれど彼は普通で真っ当だった。だからそんな強大な力を受け止める器を元々持ち合わせていなかったのかもしれない。

「優しかったから、自分に与えられた力を正しく使おうとした。正しくあろうとするあまりにたくさんたくさん傷ついて、上手くいかなくなっちゃった」

隣にいる五条はいつだって、いとも簡単に「持っている者」の生き方を知っていた。だから大きな器で強大な力を受け止めていた。彼も「自分もそうあらねばならない」と、どこかで追い詰めていたのかもしれない。
ナマエは目を細め、それから乙骨を見つめる。

「乙骨くんの力は乙骨くんのものだから、乙骨くんが思うように使えばいい。間違ったふうには使ってほしくないとは思うけどね、使うのが嫌なら使わなくたっていい。ただ、その力が大切な人を守れる瞬間が来るかもしれない」

強大な力というものは、時として持ち主の人生をいとも簡単に捻じ曲げてしまう。そんな瞬間をナマエは目にしたことがあった。
けれども優しさだけでは何かを守ることはできない。それは紛れもない事実である。

「だからその日のために、後悔のなるべくないように、怖がらないで自分の力と向き合って欲しい」

ナマエは乙骨を見つめる。そんな日が来ないことを祈ってはいるが、現実は厳しい。この呪術高専で多くの学生が壁にぶつかり、挫かれ、大切なものを失う。それさえ乗り越える強さがなければ、ここでは生きていけない。
ナマエははっと視線を弱める。アドバイスのつもりが随分とずれてしまった。

「あ、ごめんね、何のアドバイスにもなってないよね」
「いえ、充分です。ありがとうございます」

乙骨はぺこりと頭を下げ、手に持っていたフィナンシェにやっとかぶりついた。


ナマエは寮に戻るという乙骨とそこで別れ、今度は教員の詰めている建物に向かう。玄関から入って一番南にある部屋が実質五条の私室と化している部屋である。

「悟くーん、今いい?」
「はぁい、どーぞー」

応答を待って引き戸を開く。日の当たる場所に置かれたバルセロナチェアに寛ぎ、長い足をこれでもかと投げ出していた。
今日は交流会があるから少し無理に任務を融通したのだ。束の間の休息といったところだろう。

「悟くんお疲れさま。フィナンシェ焼いてきたの。食べる?」
「マジ?食べる食べる」

五条はぐっと体を起こし、バルセロナチェアから立ち上がって長いコンパスでナマエのもとに歩み寄る。紙袋の中を覗き込んで「栗じゃん。秋だねぇ」と言い、必要もないのにナマエの腰を抱いた。

「飲み物入れるよ。カフェオレ?それとも紅茶?」
「今日はミルクたっぷりのカフェオレの気分かな」

それを聞き、部屋の中の簡易キッチンの前に立つ。腰を抱いたままの姿勢で五条も引っ付いてきて、大変動きづらいが「やめて」とは言えないのだから大概だ。

「悟くん、火傷しちゃうよ」
「大丈夫だよ、僕がそんなヘマするわけないでしょ?」
「まぁ、そうかもしれないけど」

インスタントコーヒーの粉をマグカップに入れて、しゅんしゅんと沸いたポットを片手にとくとくと湯を注ぐ。家にいると豆からこだわる日もあるが、高専では大抵インスタントコーヒーを淹れていた。
実家に暮らしていた頃は良家のお嬢様よろしく「インスタント」と名の付くものとはそこそこ無縁の生活を送ってきたが、高専の寮に入ってからは随分その辺りの価値観も一般とすり合わせられている。
五条のものには角砂糖を3つ入れ、自分のマグカップにはひとつ。それから冷蔵庫から取り出したミルクをたっぷりと注いで完成だ。

「はい、どうぞ」
「角砂糖10個入れてくれた?」
「3個だよ。見てたでしょ?」

放っておくと際限なく甘くしようとするときがある。頭を使って疲れるのは分かるが、今日はフィナンシェも一緒なのだ。どっちがおやつだか分からなくなるような甘さにさせるわけにはいかない。
マグカップを持ってバルセロナチェアに戻る。うっかり五条の膝に乗せられそうになったがそれはなんとか回避した。

「交流会、東京校の勝ちだったね」
「まー憂太がいたからねぇ。あれは反則級でしょ」

ははっ、と五条が笑った。自分たちだって随分反則級の世代だったはずだ。
五条が二年三年と参加した交流会では当然のように東京校が勝利していた。ナマエが三年のころは残念ながら京都校に負けてしまい、決定的な負けの要因になったのが個人戦における自分の敗北だったから、この時期になると未だに悔しかった気持ちが蘇ってくる。

「この時期になると私が3年の時の交流会の時のこと思い出すなぁ」
「あー、個人戦でボロ負けしたやつ」
「ちょっと、ボロ負けってほどじゃなかったでしょ?」
「あんなの充分ボロ負けでしょ」

くくく、と五条が愉快そうに笑った。負けは認めるが、断じて手も足も出なかったというわけではない。もう少し近接の訓練を積んでいれば、あるいは勝つことも出来たかもしれない。

「ギリギリでも負けは負け。実戦だったら死んでた」
「う…それを言われてしまうと…」

五条の言う通りナマエの交流会での勝敗の決し方は、実戦であれば死んでいただろうと思われる。ぐうの音も出ないなと思いながらナマエはマグカップに口をつけた。甘くしたはずなのにカフェオレはほろ苦く感じる。

「ま、そのための交流会でしょ」

五条がぽんっとナマエの頭をなでた。原則高専の学生が任されるのは対呪詛師ではなく対呪霊の任務である。生き物ではないとはいえ、自分に真っ向から殺意を向けてくる存在を迷いなく殺すことは難しい。ましてや相手が人間となれば、躊躇うことは必至だ。そしてその一瞬の迷いは、自らと仲間の命を危険に晒すことになる。

「ねぇ、悟くん、このところ妙な呪詛師の動きがあるでしょう」
「あるねぇ」
「あれって何か後ろについて徒党を組んでいるの?」

じっと五条を見つめる。呪詛師というものも様々あるが、基本的には個々で活動する場合が多い。それが徒党を組んでいるとなると、なにか大それたことを目論んでいる可能性がある。

「大丈夫だよ」

そう言って五条はフィナンシェに手を伸ばす。ひょいっと口に運び「美味いね」と何でもない様子で言った。
大丈夫、というのは、彼の場合気休めに使う言葉ではない。僕がなんとかするから大丈夫。省略された言葉の中には大抵そういう文言が潜んでいる。

「残穢の探知なら私の得意分野だもの。現場に行けば手がかりもまだ残ってるかもしれないし…私が現場に入って探知すれば…」
「ナマエ」

ナマエが並べ立てると、五条は短い言葉でそれを止めた。
事実、ナマエは今まで何度も呪詛師の行方を追い、捕縛することに成功している。追跡系の任務があれば真っ先に話が回ってくるし、そのせいでここ数年呪詛師がらみの任務のことは直接処理することが無くてもナマエの耳には入るようになっている。五条がナマエの手を取った。

「ナマエ、大丈夫だから」
「悟くん……」

今回だけ少しも関連の任務の話が入ってこない。そして狗巻と乙骨の任務の現場を真っ先に五条が確認していた。
極めつけに彼が意図してナマエを遠ざけている。それだけ分かれば、今回の呪詛師が誰かなんてことは簡単に予想がついてしまった。

「すぐにどうこうってことはない。だからナマエは今まで通りで大丈夫」

一緒に背負いたいと思うものを、彼はいつもひとりで背負って行ってしまう。それが最強ということで、それが五条悟ということなのだろうか。
その隣に立つことを許された自分であれば、少しくらいその荷を分けてくれるかと期待した。あり得ない。だからこそ彼は最強であり、五条悟なのだ。

「…私に出来ることは、何もない?」
「ナマエはいてくれるだけで充分なんだよ」

その言葉が嬉しい反面、どうしようもなく寂しい。結局自分も、五条を孤独にすることしかできないのか。そう思い知らされる気がする。
ぱらぱらと何か、心の表面が剥がれ落ちていってしまうのを感じた。

15 ぱ ら ぱ ら

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