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土方一行は依然札幌娼婦連続殺人事件の犯人を追っていた。
5人目の被害者が出ると予測されている日まで時間がない。もう五月になってしまっていた。とはいえ出来ることといえば変装して札幌の街の中を調べて回るくらいのことしかなく、この頃はいくつかの班に分かれながらも総動員をして捜索を続けていた。

「じゃあ、私ちょっと土方さんのところに行ってきますね」
「おう」

ナマエは尾形とともに捜索にあたっていた。今日の引き上げの時間を聞くのを忘れていたと思い立ち、尾形に断って一旦その場を離れる。確か今日土方はこの近くで金魚売りに扮しているはずである。とことこと街を見て回ると、西洋料理店の近くに土方の姿を見つけることが出来た。隣に門倉もいる。

「お二人ともお疲れ様です。あの、今日の時間なんですけど…」

そこまで話した時だった。ひとつ向こうの通りを「やだー!」と叫び声を上げながら男が走っていき、その後ろを二倍ほどの背丈の男が追っていく。二人目のほうは牛山だ。

「今の牛山じゃないスか?」
「ああ」

門倉がそう言い、土方が頷く。そして笠を取り去り隠していた刀を手に持つと、牛山の走り去った方に向かう。ナマエは一度尾形のところに戻るか逡巡し、しかしそう離れた場所というわけでもないのだからと土方たちについていくことにした。
前方からドンガラガッシャンと激しい音がする。見れば、店の出入口が見事に崩れ落ちていた。

「ナマエ、下がっていなさい」
「え?」

土方はナマエにそう言いつけると、ウィンチェスターを左で担ぎ、和泉守兼定に手をかけた。そして煙るなかに何かを見つけ、即座にウィンチェスターを構える。ナマエはヒュッと息をのんだ。ズドンと振り下ろされた椅子がウインチェスターの銃口を床にたたきつけ、今度は刃が土方の左の二の腕を貫通する。
土方は刀を抜き、じりっと刃が向かい合った。杉元だ。土方に襲い掛かったのは杉元佐一だった。

「す…杉元さん…!?」

土方は杉元の腹を蹴り飛ばして距離を取り、レバーを引いて弾を装填する。一発を打ち込むもテーブルを盾にされてしまい、今度はそのテーブルが杉元によって投げ飛ばされ、土方に降りかかる。杉元はその隙に銃剣を小銃に装着し、それを土方に向かって振りかぶった。
息をつく暇もないほどの壮絶なやりあいである。杉元の戦いぶりはまさに敵を目の前にした時のそれであり、土方を殺してやろうという気合が惜しげもなく晒されている。

「もうやめろッ!ふたりとも死ぬには惜しい!」

牛山がそう割って入り、杉元を両腕で抑え込む。店内には白石やアシリパもいるようで、隅の方から「そうだそうだ!」と白石の声が聞こえてきた。杉元は依然鋭い目線で土方を睨みつけ、次の瞬間、抑え込んでいる牛山をそのまま背負い投げた。
投げられた牛山が今度は杉元の襟首を掴んでひっくり返し、叩きつけられるすんでのところで杉元が先に床へ手をついて体勢を整える。
頭を引っ掴んで牛山の顔面に膝蹴りを入れると、牛山が杉元に掴みかかったまま表に飛び出してきた。

「誰か止めてッ!!」

まずい、このままではどちらかが死にかねない。しかも騒ぎを聞きつけられたら官憲や第七師団が駆けつけてもおかしくない。ナマエがどうするべきかと土方を見ると、店の中から聞いたことのない声が「牛山さん!!」と呼んだ。
その声の主は黒く美しい長髪を持つ男で、テーブルを牛山の頭にズドンとぶつける。

「よう海賊、久しぶりだな」

まるでテーブルを帽子のように被ったまま牛山がそう言い、海賊と呼ばれた長髪の男は牛山に投げ飛ばされて店の壁に叩きつけられた。

「駄目だった」

海賊がやれやれとそう漏らす。こんな状況を止められる人間がいるのか。というよりそもそも杉元は何故ここまで土方一行を敵視しているのだろう。仲間ではないとはいえ、一時は共闘した仲のはずである。

「やめるんだお前らッ!」

無謀にも門倉が高野行人の格好のままそう言って駆け寄るが、案の定一本歯の下駄で躓き、足首をひねってその場に転がった。慌てて追ってきたキラウシが「門倉大丈夫?」と引き起こそうとする。門倉は「捻挫したかもぉ」と情けない声を上げ、聞きつけて寄ってきた都丹が「なんで札幌来たんだお前ら」とため息をついた。
そうわちゃわちゃと外野がしている間も牛山と杉元の攻防は続き、ついに土方がまたウィンチェスターを構える。

「牛山、離れろ」

そう言う土方の銃口の前に立ちはだかったのはアシリパだった。左手の手のひらを向け、待ての仕草をし、土方を見つめる。何かどこか、網走で見た時とは顔つきが変わったように見える。

「みんなで止めないと官憲とか第七師団とか集まってくるぞ!」

未だ収まる様子のない騒動を前に門倉が声をあげる。そうだ、早く収めないと洒落にならない。

「キラウシ!!有古と尾形が近くにいたはずだ!呼んできてぇ!!」

それはまずい。ここにもし尾形が来たら、間違いなく杉元と殺し合いになる。そう思っても、尾形が杉元を撃ったことを知っているのはナマエしかいないのだから止めようがない。猛攻を繰り広げていた杉元が「尾形?」と攻めの手を止める。

「尾形が近くにいるのか?」

キョロキョロとあたりを見回し、その隙に牛山が杉元を締め上げる。「ぎいッ」といかにも痛そうな悲鳴を上げ、しかしそれに負けずに「頭巾ちゃん!尾形がいるって!!」と何者かに呼びかける。
店内から文字通り頭巾を被った男がひょっこりと姿を現した。顔は良く見えないが、どうにも和人でもアイヌでもなさそうだ。

「尾形だよッ!!頭巾ちゃん!!お・が・た!!」

尾形は確かに近くにいる。騒動を聞きつければ彼がここを確認しないわけがない。危険だ。もしも先に杉元に見つかれば、この男に接近戦で勝てるとは到底思えない。
杉元は更にもぞもぞと懐からハガキ大の紙切れを取り出し、ぺらりと頭巾の男にみせる。そこには尾形の似顔絵がこの上なく上手に描かれている。

「尾形!!尾形!!オ・ガ・タ!!」

杉元は締め上げられたまま周囲をくるくると指さした。頭巾の男はようやく意味を理解したようで、あわあわと自分の荷の中から小銃を探った。バタバタ落ち着きのない様子で、途中杉元の銃と自分の銃を間違えながらも自分の小銃を抱えると、なぜかスプーンまで持って屋根の上に登りだした。

「アシリパさんをどこか安全なところへ!!」

牛山に抱えられながら抑え込まれる体勢で杉元が白石にそう言った。それからまたギロリと土方を睨み上げる。

「網走じゃハメてくれたな土方歳三!!俺をアシリパさんから引き離しやがって…おかげで俺は尾形に頭を撃たれたぞ!!」

牛山がそのままの姿勢で「え?そうだったのか?」とこぼした。これで尾形のついた嘘は一同の知るところとなってしまった。土方は眉ひとつ動かすことなく「網走で殺しでもよかった」と言ってのける。

「やってみろよ、くそじじい」
「お前は邪魔になるとわかっていた」
「そりゃ邪魔するさ。のっぺら坊と土方歳三はアシリパさんをアイヌの偶像にして新聞で国民を煽り、独立戦争の闘士に仕立て上げようとしていたんじゃねえのかよ」

のっぺら坊はアシリパの実の父親ではなかったか。娘をそうした場所に担ぎ上げるなど、にわかには信じがたいことである。まるで軍人の息子に対するそれだ。

「私の考えは少し違う。女子供の兵士は必要ない。だが自分の民族の未来がどうでもいいのなら、山で呑気に暮らせばいい」

背筋に何か冷たいものが走った。知っていたはずのことだ。土方歳三は、いままで目的のためにあらゆるものを差し出してきた。そして立ちはだかる壁を打ち壊してきた。アシリパをそのひとつにすることも、彼の中では当然の選択肢のひとつなのだろう。

「じゃあふたりとも殺し合う必要はない!」

アシリパのピンと張った声が言い争いを止める。そして大きな青い瞳で土方をもう一度見上げた。

「聞いておきたい。土方歳三が考える未来ではアイヌはどうなってるか」

アシリパの問いかけに対し、土方は芯を持った声でひとつの迷いもなくすらすらと述べる。
北海道の森林資源はこのままだと間もなく枯渇すること、設立した蝦夷共和国の経済活動は炭鉱に置くこと、それから炭鉱開発は諸外国から移民を募って、国力増大を目指すこと。
大和民族だけで暮らしてきた内地の人間よりも、古くから極東の少数民族やロシア人と関り暮らしてきたアイヌであればその多民族国家の根幹となる「つなぎ」になれると考えていること…。

「北海道アイヌと樺太アイヌ。そして帝政ロシアに迫害された青い目のポーランド人。それらの血が混ざりあったアシリパこそ、多文化国家を象徴する主導者として最適である」

あまりの規模の大きさに眩暈がしそうになった。土方の思想を聞いたのは初めてではない。しかし、こうして克明に語られると圧倒されるものがあるし、アシリパをその主導者にしようと目論んでいることはここで初めて聞いたことだ。

「鶴見中尉よりはマシという程度だなぁ。こんなところで鉢合わせる予定ではなかったのに」

白石がそう呟く。そうしている間に永倉、夏太郎、有古も現場に駆け付けた。牛山が杉元を拘束する手を緩め、その場に座らせる。

「第七師団にアイヌの埋蔵金を奪われることだけは避けたい。杉元が持っていた刺青人皮はすべて鶴見中尉に網走で奪われた。でもこちらには新たに鶴見・土方どちらの勢力も把握していない刺青人皮がある」

アシリパが集まった面々を見渡して言った。杉元たちも樺太からタダでここまで来たわけではないということだ。一同がアシリパに注目する。それをさせるだけの迫力が今のアシリパにはある。

「我々は手を組むしかない」

永倉がそっとナマエを見る。ナマエはそれに眉を下げて少し笑った。どうやら、ここでお別れのようである。
土方と杉元が手を組むなら、ここにはいられない。杉元が尾形の同行を許すはずがないし、そもそも尾形も近寄らないだろう。

「すみません、永倉さん」
「ナマエ…」

輪の隅でそう言葉を交わすナマエと永倉を、じっと杉元が見つめた。ここで行かせないともしも言われるのなら、殺される覚悟だ。

「ナマエさん、尾形のところに行くのか?」
「はい」

杉元に投げられた言葉をまっすぐに肯定する。今更隠し立てしたところで何の意味もない。

「私は尾形さんについて来ました。これからも尾形さんについて行きます。たとえ今ここで撃たれても……私は、そう決めたので」

俺は決めた。お前も決めろ。小樽で決意を固めたときの言葉を思い出す。あの日から何度も何度も尾形についていくという選択をした。そしてそれは一度もブレたりすることはなかった。この旅の中で、何よりも変わらないものだ。杉元が「けど…」と難色を示し、それきりシンと静まり返る中、口を開いたのは土方だった。

「行かせてやれ。ナマエには何の情報も聞かせていないし、刺青人皮も持たせていない。ただの戦えない町娘だ。尾形と行かせたところで何の脅威にもなるまい」
「土方さん…」

対角線上にいた土方がそう言ってゆっくりと瞬きをする。それから少し逡巡するように黙り、杉元が息をついた。そして振り返るようにしてナマエに視線を投げる。

「わかった。止めないよ。けど、これから先戦場であんたに会ったら…俺は容赦しねぇ」
「はい。もちろんそれで構いません」

望むところだ。もしも衝突するようなことがあれば、ナマエだって尾形を守るためなら牙を剥くだろう。もっとも、それで杉元に傷ひとつ付けられる気はしないが。
杉元がぐっと軍帽のつばを持って目深に被る。ナマエは深々と頭を下げた。

「お世話になりました」

顔を上げると、その場の全員の視線を一身に受けていた。もう二度と会うことはないだろう。これはそういう選択だ。ここから先も、尾形と行く。



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