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あくる朝のことだった。一行の宿泊する旅館に「門倉看守部長」を名指しして刀が届けられた。男が届けに来たらしいが、どうして門倉の名前を知っているのか。不審に思いながら門倉がその刀を確認すると、それは紛れもなく土方の愛刀、和泉守兼定であった。

「永倉さん!!」
「永倉いない」
「どこぉ!?」
「タヌキは役に立たないってひとりで探しに行った」

門倉とキラウシの声を聞き、ナマエも何事かと部屋に合流する。門倉はひどく焦った様子で、ナマエとキラウシはきょとんと顔を見合わせた。

「俺んとこに和泉守兼定が届けられたんだよ…」
「えっ!」
「関谷だッ!関谷が土方さんを拉致したんだ。脅迫状を送ってきやがった」

その脅迫状には土方歳三がフグ毒で仮死状態に近く、数時間のうちに呼吸困難によって命を落とすこと、それから手持ちの刺青人皮とであれば土方歳三を埋めた場所を教えてやる、との交換条件が書かれていた。

「早く助けに行かなくちゃ!」
「土方ニシパが生きてる証拠はないだろ?」
「関谷は同じ手口を何度も繰り返してる。単独犯なんで人質を見張れねぇから生き埋めにして身代金を受け取りに行くんだがよぉ…あいつは几帳面に必ず人質を生かしておく。人質が生還する運命も肯定しているのさ」

門倉の言うとおりであれば、この脅迫状の通りまだ土方は生かされている。交渉材料になり得る刺青人皮を持っているのは永倉だ。早く永倉を探して土方を助けに行かなくてはいけない。三人は急いで旅館を飛び出し、町に繰り出している永倉を追った。受け渡しまで時間がない。失敗すれば土方が死んでしまう。ことは一刻の猶予もない。
と、少し町中を走ったときだった。門倉が情けなく腹を抱えながらぜぇぜぇと息を切らせる。

「ちょっと…キラウシ……いったん休も?もう走れないッ!苦しい…先に俺が死んじゃう…」
「ん…ジジイー!!」

思いのほか早すぎる門倉の限界にキラウシが地団駄を踏む。流石に今日ばっかりは死ぬ気で探してもらわないと土方の命が危ない。キラウシが「早く永倉ニシパ見つけないと!!」と鼓舞するも、もはや門倉に走るだけの体力は残されていない。

「もう時間がねぇ…関谷は俺らが刺青人皮を何枚持ってるか知らんはずだろ?なんとかハッタリかまして土方さんの居場所を聞き出すしかない」

額に脂汗を滲ませながら門倉が言うと、その言い様に元来真面目な気質であるキラウシがぴくりと反応し、納得いかないとばかりに口を開いた。

「なんとかってなんだ?そんないい加減じゃ失敗するぞ門倉」
「じゃあほかにいい手があるのかよ、行ってみろよ!!ほら!!思い付かねえだろ貧乏人ッ!!」
「お前だって無職で貧乏だろッ!肛門ほじりジジイ!!」
「ちょっと!二人とも落ち着いてください!」

時間がなく策もなく追い込まれているのは分かるが、後半は売り言葉に買い言葉だ。言い争いをしたところでただただ時間の無駄である。確かに門倉の言う通り、この状態で永倉を探して人皮を持っていくのは現実的ではないかもしれない。何かどうにかして関谷を出し抜くことはできないのか。

「土方さんの様子を見に行かなければいけない状況をつくれば…後を追って場所を特定出来ませんかね?」
「そうか、わざと取引を失敗させて関谷を逃がして、俺がこっそりあとを追いかければいいじゃないか。そうすれば少なくとも刺青を剥がしに土方ニシパと牛山ニシパのところへ戻るだろ」

ナマエの思い付きをキラウシが具体的な策に変えてくれた。関谷の厄介なところは慎重で用心深いところだが、そうであればそれを逆に利用してやればいい。
門倉が指示されたとおりにひとりで取引場所に向かい、視線を誘導してさもその先に仲間がいるかのように装う。そうすれば用心深い関谷はその反対側に逃げ、門倉とその仲間を撒いてから土方と牛山のところに向かう。裏をかいてキラウシは門倉が視線を向ける先とは逆の、つまり関谷が走ってくるだろう方向に身を隠しておく。そこから関谷を追跡しようという策である。

「それ採用!!」

他にどうせ用意できる策もない。門倉がサッと即決し、三人は急いで阿寒湖に向かった。


関谷が取引に指定してきたのは、阿寒湖の真ん中だった。恐らく狙撃を警戒してのことだろう。ほとりまで一番近い場所でも1キロ以上はある。この距離を狙撃できる人間はそうそういない。もっとも、ナマエはそんな芸当を易々とやってのける男をひとりだけ知っていたけれども。
門倉はひとりで関谷のもとにむかい、キラウシとナマエは関谷を誘導する側のほとりに潜んだ。

「門倉さん、大丈夫ですかね…」
「土方ニシパの命がかかってるんだ。流石の門倉でも本気でかかるだろ」

門倉の武器はキラウシのマキリだけだ。関谷の戦闘力がからきしで武器が主に毒であるとはいえ、何か一歩でも間違えればどうなるか分かったものじゃない。
しばらく待っていると、湖の真ん中からぐんぐんと人影がこちらに向かって走ってきた。あれが関谷だろう。

「来たッ!計画通りにうまく行ったッ!!」

シャッシャとものすごい勢いで、あの速さはきっとゲロリを履いている。もう少しで湖畔だという瞬間、むくりと氷の下から何かが飛び出た。人の頭だ。関谷はそれを見て急停止してしまった。

「まずいッ!逃がすな、捕まえろ門倉ッ!!」

キラウシがそう叫び、門倉が関谷に飛び掛かるが、すぐに振り落とされてしまった。関谷がそのまま逃走し、ずるずると門倉が氷上を滑る。ゲロリを履いている関谷はみるみるうちに遠ざかっていった。ナマエとキラウシは門倉のもとに走る。
一体誰が氷の下から頭を出したんだと思いながら近づけば、引き上げられているのは見知った男だった。

「えっ、う、牛山さん…!?」
「本当だ、牛山ニシパだ!」

牛山はすっかり体が冷やされ青ざめている。びちゃりと濡れた背広を脱げば、そこからころんと蚕の繭が転がり落ちた。どうしてこんなものが転がり落ちてくるのだろう。

「これは土方さんの目撃現場にもあった白い殻…行方不明だった牛山さんの背広からも出てき来るということは……謎は深まった!!」
「蚕の繭だろそれ」

門倉が名探偵がごとくそう言って決めてみせて、それとキラウシが後ろから突っ込んだ。というか今気が付いたが門倉はどうして全裸にコートを羽織っているのか。寒そうで仕方がない。

「牛山ニシパが捕まっていた場所で偶然服に入ったのかも…冬は蚕業の時期じゃないから、建物には誰もいないところもある」
「それだぁ!!」

キラウシは自分の毛皮を脱いで牛山に着せる。ナマエも焼け石に水かと思いながら手拭いで牛山の濡れた体をぐいぐいと拭いてやった。
門倉が「点と点がひとつの線に結ばれた!!カイコの糸だけにッ!!」と調子のいいことを言っている。

「近くに蚕業の農家はあっちと湖の反対側のあっちだ」
「よし!もう時間がない、手分けして関谷を捕まえるぞ!!」

門倉は言うなりキラウシが指さしたほうへ走り出す。牛山に旅館まで付き添おうか、と提案すると、ひとりで帰れるから問題ないと返事が返ってきた。彼だけでも早く旅館に帰らせて火に当たるようにした方がいいだろう。

「行きましょう、キラウシさん」
「ああ」

ナマエとキラウシはそう頷きあい、門倉が走っていったのとは反対側の蚕業農家を目指した。関谷は門倉いわく戦闘力は低いらしい。それでも連続毒殺犯だ。恐ろしいことに変わりはないが、土方を助け出すには立ち向かうほかない。

「…土方さん…無事でしょうか…」
「門倉の話では人質が生還する運命も肯定していると言っていた。つまり取引のあいだは少なくとも死なない程度に毒を使っているんだ。急ぐしかない」

はぁはぁと息を切らせる。湖畔近くの森を走ること数分、開けた場所に大きな平屋の建物が建っているのが見えた。あれがキラウシの言っていた蚕業農家の一つだろう。キラウシは肩に提げている猟銃をぐっと握る。
一番近くの建物から順に中を見て回った。時期ではないから、キラウシの言う通り人の姿はない。中には糸車や竹カゴ、網の張られた木枠などが並んでいた。次の部屋、また次の部屋と見て行っても、関谷の姿も土方の姿もない。

「…誰もいませんね…」
「ああ。埃も被ったままで人が踏み入ってる形跡もない。もう片方の農家の方だろう」

建物の他にもその周りの森も探してみたが、やはりどこにもその影はなかった。少なくともここが現場なら関谷が戻ってきているはずだ。いないのだから、ここではないと考えるほうが妥当だろう。

「とりあえず別れたところに一度戻るか」
「そうですね」

門倉と別れた氷上まで戻ってはみたが、門倉は戻っていないようだった。キラウシが「門倉大丈夫かなぁ」とこぼす。
依然、門倉の武器はキラウシが貸したマキリひとつである。関谷を見つけたとして、取引が失敗した今、交渉の余地があるのか。

「もう片方の農家に行ってみませんか?」
「そうだな。ここで待っていても仕方がないし…門倉も心配だしな」

ナマエとキラウシは頷きあい、門倉が向かった養蚕農家を目指す。
しばらく歩いて見えてきた養蚕農家は、ナマエたちが向かった農家よりも三倍はある大きな農家だった。キラウシいわく、こちらは普通の養蚕農家と違って正確には蚕種製造所という蚕の品種改良や卵の大量生産をしている施設らしい。

「あっ!土方ニシパだ!」

キラウシが建物の外に立つ土方を見つけた。すぐ後ろに門倉の姿もある。良かった、二人とも無事だったらしい。ほっと胸を撫でおろして近づくと、二人の足元になにか長くて大きなものが布に包まれていた。中身が何かというのはその大きさから想像がつく。

「土方さん、フグの毒を飲まされたと聞きました。どこかおかしなところはありませんか?」
「問題ない。フグ毒だと分かってすぐに相殺できるだけのトリカブトを飲んだ」
「えっ…!」

ナマエは驚きのあまりそれ以上言葉が出なかった。フグに含まれる毒はトリカブトの毒と拮抗する作用があることはナマエも知っていた。しかしトリカブトも猛毒であることには変わりがない。即座にフグの毒だと判断し、しかもそれを丁度相殺するだけの適切な量のトリカブトをすかさず口にするなんて、判断力と胆力と運、そのどれか一つが欠けても成功することはなかっただろう。

「そんな無茶なことなさったんですか!?」
「この時代を生き抜くには運だけでは事足りんということだ」

土方が薄く笑って見せる。やはり激動の幕末を生き抜いた男のそれは常人のそれとあまりにかけ離れている。どれか一つ欠けても成功することはなかった、が、それらをすべて欠けることなく満たすことが出来るからこの男はここまで生き抜いているのだ。

「あ、キラウシ悪い。これで一回関谷刺しちまった」
「いい。貸したのは俺だし、門倉が身を守るために必要だったなら構わない」

門倉が柄を向けてキラウシにマキリを差し出した。いつの間にやら洋袴も履いているようだ。ほとんど裸に外套という格好で駆けだしたときはどうなることかと思った。キラウシは氷上で回収していた鞘にそれを収めると、じろっと門倉を見た。

「で、これどこに隠してたんだ?」
「えっとぉ…そのぉ…」

門倉があからさまに言い淀んで視線を左右に泳がせる。キラウシは「門倉、言え」と追撃を止めることはない。門倉がハハハっと乾いた笑いをこぼし、それから「ケツにはさんでたみたいな?」と、後頭部を掻きながら白状した。

「んんんッ!ジジイ!!」

キラウシが父に彫ってもらった大切なものだからと、借り受けるときもだいぶ苦しい言い逃れで「どこに隠すんだ?」という問いに対して「うん、わかった」とだけ言っていたが、まさか尻に挟んでいたのか。確かにそりゃあ武器を隠し持っていることを疑われる可能性を考えれば、隠すにあたって多少の無茶は必要だっただろうが、それにしてもそこかと思わざるを得ない。
門倉が「ごめぇん」と情けない声で鳴いた。



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