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都丹の処遇に関しては、土方に任せてくれないか、と永倉から申し出があった。土方が現れたことによって杉元一行を襲うことはもうないだろうという話ではあったが、アシリパの親戚が住む村は近い。杉元が「殺してひん剥いてくれるとこちらとしては安心だがね」と言った。

「こんな暗いところで隠れて暮らして、悪さをするため外に出るのは夜になってから…これではいつまでたってもお前の人生は闇から抜け出せない」

アシリパが都丹に向かって言った。これは紛れもなく都丹にもう一度光の中へ歩き出す機会を与える言葉だった。都丹は少女の諭すような言葉を受け取り「参ったなこりゃ…」とこぼす。焦点の合わない瞳は一体どこを見ているのだろうか。
表に出ると、白石とチカパシが立っていた。そこでナマエはまた男たちが全員裸であったことを思い出す。森に潜んでいた時は真っ暗だったし、廃旅館の中でも緊張でそれどころではなかったが、ことが終われば気にしないというわけにもいかない。

「あ、あの…私旅館に戻ります…」
「あ?なんで急に……ああ、そういうことか。お前もいい加減初心だな」
「か、からかわないでくださいっ!」

ナマエはぱっと尾形に背を向け、永倉のもとへと駆け寄った。背後で谷垣と合流した尾形が彼を「犬より役に立っとらんぞ」となじるのが聞こえた。

「ナマエ、しばらくぶりだな」
「はい。旭川ではぐれてしまって以来ですね」
「道中怪我はなかったか」

今まさに土方の知人に殺されかける寸前というところだったが、処遇を任せるという話になったのだからわざわざ蒸し返すこともないだろうと「はい」と頷いた。
荷物から何からを置きっぱなしにしている旅館に向かい歩く道すがら、ナマエは永倉と緩やかに話をした。

「永倉さんもご無事でしたか?」
「ああ。こっちは師団の連中に追われていたわけでもない。お前さんらよりは苦労しとらんだろう」
「この後はどこかの町を経由して網走まで?」
「北見に寄る。ここからは少し北西方面だ」

北見、という町のことはあまり知らなかった。話によると、ハッカの栽培が盛んな土地らしい。ハッカと言われれば、薬問屋の奉公人であったナマエには一気に身近な土地のように思われた。それから永倉はいくつか世間話をして、ナマエはそれに穏やかに相槌を打った。


旅館を発ち北見へと到着すると、一行がまず連れてこられたのは「廣瀬寫眞館」という写真館であった。木造二階建ての建物で正面に窓が6つ。いずれも丁寧にカーテンがかけられている。撮影をする場所は二階とのことで、ナマエは珍しい写真館の設備をキョロキョロと見回す。
壁から床にかけて背景用の布が垂れ下がっていて、屋根の北面が大きくガラス屋根になっている。これは採光のためであるらしい。

「気になりますか、お嬢さん」
「あっ、すみませんじろじろと…」

写真師である田本は土方の知り合いであるらしい。あまりにもナマエが興味津々なものだから思わず声をかけたようだ。ナマエが咄嗟に謝ると、落ち着いた調子で「結構ですよ」と言った。

「写真機ってこんなに立派なんですね、初めて見るんです」
「ここのフタを外したら6秒間は動かないで下さいね。そうしないと映りがぶれてしまうんです」
「き、気を付けます…」
「はは、まぁまぁそんなに気負わず」

ナマエは写真機の蛇腹やらフタやらをまじまじと観察する。すると、杉元が全員に写真を撮ろうと提案した。キロランケが「なんだって急に写真なんか…」と珍しく言い淀み、杉元は「アシリパさんの写真をフチに送ってあげようと思ってね」と答えた。

「写真師の田本さんはヒジカタの知り合いだから安心しろ。せっかくだから思い出にみんなで撮影会しようぜ」

杉元の提案により、撮影会が始まった。
順番に撮影室に呼ばれ、まず永倉や土方が写真を撮る。それから尾形が呼ばれた。

「写真なんてめんどくせぇ」
「いいじゃないですか、せっかく撮ってもらえるのに」
「ガラじゃねぇ」

尾形は撮影室に呼ばれても、ツンとした態度で立ち上がろうともしない。面倒くさがらずに一枚くらい撮ればいいのに、とナマエはため息をつく。
ここまで嫌がるならもう別にいいだろうかと顔を上げると、丁度撮影室から出てきた土方と目が合った。

「尾形、ナマエと一緒に写真を撮ってもらえばいいだろう」
「は?」
「ほら、後が詰まる」

土方がそう言い、尾形はナマエを見る。思わぬ提案だったが、ナマエはきらきら目を輝かせる。まさか尾形と一緒に写真を撮れるだなんて考えてもいなかった。
土方が「なぁ」とダメ押しのように言い、ナマエはうんうんと頷いた。尾形はそれにチッと舌打ちをしてからのろのろと立ち上がった。

「仕方ねぇな…」

尾形はくいっと顎でナマエを呼び、ナマエは急いで尾形の背中を追う。
ガラス屋根になっている撮影室に足を踏み入れると、田本が写真機の前でにっこりと笑っていた。

「さぁ、そこに並んでください」

田本に言われるがまま、二人は背景布の前に立つ。ナマエは写真機を前にかちこちに体を固めた。田本が「そんなに緊張しないで」と笑う。
ナマエは一度大きく深呼吸をして、唇を真一文字に整える。写真を撮る際の距離感というものがよくわからず、言われるがまま尾形に寄り添った。

「動かないで、撮りますよ」

田本が写真機のフタを開ける。そこから6秒間。映りがブレてしまわないように気を遣う6秒は想像以上に長く感じた。やっと田本が「はい、結構ですよ」と言って、ナマエは肩の力を抜いた。隣で尾形が「力みすぎだ」と笑った。


網走はもうすぐそこだ。必要なものを北見で揃えてから臨もうと一行は宿を取り、北見で二日間過ごすことになった。

「尾形さん、私ちょっと永倉さんと出てきますね」
「…あぁ」
「尾形さんも行きます?」
「いや、銃の手入れをする。弾は土方のジイさんが用意してくれてるみたいだしな」
「わかりました。じゃあ行ってきます」

ナマエはそう断り、少し減っていた包帯や軟膏を調達しようと表に出た。永倉が一緒に行ってくれるという話だったが、隣に杉元も立っている。彼も何か買い物だろうか。

「すみません、お待たせしました」
「なんだ、結局尾形は来んのか」
「はい、銃の手入れをするそうで」

ナマエがそう言えば、杉元があからさまに顔を歪める。買い出しくらい出てこいとでも思っているのだろうけれど、来たら来たで揉め事になりそうな予感しかない。

「そういや、白石はどこへ行った?」
「石川啄木と遊郭に行ってる。あいつらやけに馬が合うみたいだ」

石川啄木というのは土方や永倉と繋がりがある新聞記者だ。土方がわざわざ呼びつけて話をしているらしい。その話の内容までは知るところではないが、どうにも石川啄木という男は好色で有名らしく、永倉から近づかないようにと厳命されている。
尾形はとりあえずほとんどの人間に「気をつけろ」だの「近づくな」だのというが、永倉はそうではない。そんな永倉まで言うのだから、もうなんとなく石川には近づき辛かった。もっとも、石川にこれといって用はないのだから不便なこともないが。

「あの、永倉さんも遊郭って行ったことあるんですか?」
「なッ…!い、いきなり何の話だ…!」
「えっ、ごめんなさい。あの、男のひとってみんな遊郭に行くものなのかなぁと思って…」

何の気なしに口にした疑問は思ったよりずっと永倉を動揺させたようだった。永倉が珍しく狼狽え、その隣で杉元も顔を真っ赤にしている。
ただ尾形がそういうところに行くのを見たことがないと谷垣が言っていたから、それが一般的なことであるのかそうでないのかが知りたかった。ナマエが丸い目で見つめるものだから、うぐっと言葉を詰まらせた永倉が小さく「付き合いでな…」と言った。

「おい永倉のジイさん、あんた絶対付き合いなんかじゃないだろう」
「やかましい。お前こそどうなんだ」
「俺は生まれてから今までそんな金なんてなかったよ」

意図せず杉元と永倉の言い合いに発展してしまった。自分のせいで面倒事を引き起こしてしまったことに少し慌て、ナマエは必死に「ちょっと気になっただけですから!」と何とか仲裁する。
それにしても遊郭はそんなに金がかかるのか、それとも杉元がもっと苦しい生活をしていたのか。どちらなのかはナマエにはよくわからない。

「お、お買い物行きましょう!ね!」

何とかそうとりなし、止まっていた二人の足を動かさせる。結局疑問は解決しないままだが、これ以上藪をつついて蛇を出すような真似はしたくない。そこから三人は気を取り直して町に繰り出す。なんだかんだと買い出しを終えるころには、冒頭に起きた騒動などすっかり忘れてしまっていた。


夜。雑魚寝の大部屋の隅にナマエは丸まっていた。北海道の秋の夜は冷える。しかも、網走まであと少しというこの北見の地は小樽で過ごす秋よりも随分寒く思えた。
去年の秋は何をしていたんだったか。そうだ、小樽の兵営に初めてひとりで配達に行ったのが秋のことだった。
鶴見の小隊が一部小樽に駐屯を始めたのは夏のことで、その規模はどんどんと大きくなっていった。最初は本隊からの支給物資が滞っていたからなのか、薬店からたくさん薬を仕入れる必要があったようで、そこで店主と鶴見が懇意になった。

「……なつかしい…」

ぽつりと口からこぼれた。
確かあの日は鶴見に薬を配達したら兵舎の裏に来いと言われたのだ。そして言われたとおりに向かうと、尾形が木の上で待ち構えていた。
ちょいちょいと手招きされて、仕方なく着物の裾をたくし上げて木に登った。「前世は猿か?」なんて嫌味を言われた気がする。
ナマエの中に小樽での日々が思い出され、どうにも眠れなくなってしまった。むくりと起き上がり、月明りでほんのりと照らされる大部屋の中を見渡す。尾形以外は、この一年、あるいは半年で知り合ったばかりの面々だ。

「……お水いただいてこよう…」

ナマエは立ち上がり、みんなを起こしてしまわないようにそっと部屋を出る。厨のほうに足を運び、やかんの中の水をこっそりと拝借した。そこまで喉が渇いていたつもりはないが、口にした水はじんわりと体の隅々まで沁みわたっていく気がする。

「おい」
「ひっ、ご、ごめんなさい…お水をいただきに…」
「馬鹿たれ、俺だ」

宿の人間に見つかった、と思って慌てて弁明すると、声をかけてきたのは尾形だった。のっぺりとした夜の闇に向かって「尾形さん?」と声をかけると、低い声で「ああ」と返ってくる。

「すみません、起こしてしまいましたか?」
「べつに熟睡しちゃいない。お前こそ眠れなかったのか?」
「はい。なんとなく目が冴えてしまって」

雲に隠れていた月が静かに姿を現わす。尾形の影が少しだけ鮮明になる。浴衣になっているのに銃はしっかりと担いでいて、その妙な取り合わせがおかしかった。もっとも、彼は警戒して露天湯にまで銃を持ち込んだ男である。このくらいは彼にとって普通なのかもしれない。

「少し夜風に当たってから戻ります。ごそごそしたらみんなを起こしてしまうかもしれませんし…」
「こんな夜に外に出るやつがあるか」
「でも、すぐそこまでですよ?」
「お前はまったく用心が足りんな」

尾形が大げさなほどため息をついた。そんなにだろうか。ちょっと宿の目の前に出るだけだ。遠くに行くわけでも長居するわけでもない。
ナマエが「そうですか?」と聞き返すと、先ほどより大きなため息が返ってくる。

「いいか、そもそも俺たちは追われる身なんだ。どこに鶴見の部下がいるかもわからねぇ状態で、お前は相手によっちゃ面が割れてるんだぞ」
「は、はい…」
「それにお前が小樽に戻ってない以上鶴見はお前が俺と一緒に逃げていると見当をつけるはずだ。そんなやつを見つけてみろ、お前ならどうする?」
「えっと、捕まえるか報告するかします…」

ナマエが降参とばかりに両手を挙げると、尾形が「そういうことだ」と言った。説き伏せられても「少しくらいいいだろう」と思う気持ちはなくもないが、確かに周囲にまで迷惑をかける可能性はそこまで考えていなかった。
大人しく「部屋に戻ります」というと、尾形がナデナデと髪を撫でつけながら「少しだけなら俺も行ってやる」と口にした。

「いいんですか?」
「ああ。周りに妙な気配がないか見張ってやるよ」
「ありがとうございます」

そこまでして夜風に当たりたいというわけでもなかったが、尾形がついてきてくれるなら話は別だ。尾形と二人きりで話ができるのは嬉しい。

「お前あんまり杉元に懐くなよ」
「杉元さん?」
「他の連中にもだ」

玄関に向かうまでの廊下で尾形がそんなことを言いだし、果たしてそんな瞬間はあっただろうかと思い浮かべる。強いて言うなら日中の買い出しくらいだろうか。ナマエが「永倉さんは?」と尋ねると「永倉のジジイは許す」と返ってきた。判断基準はよくわからない。
玄関を出れば、思いのほか冷たい風が吹き抜ける。ナマエの体を尾形がぐっと引き寄せた。こうして北見での夜がゆっくりと更けていったのであった。



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