27



盗賊たちから逃れ森の中に身を隠し、数時間が経過した。まだ秋とはいえ、夜の森は冷える。裸の状態で風呂から飛び出している尾形は思わず身震いした。すると、それに気が付いたナマエが尾形の肩にそっと両手を当てる。

「……何だ」
「えっと、その…寒いのかと思って…」

こんな状況下で手のひらの温かさなんてものは焼け石に水のようにも思われたが、じんわりと広がっていく手のひらの感覚は存外悪くない。尾形はナマエの手首を引き、自分よりも小さく華奢な体を抱きこむ。こうするともっと温かくなった。

「お、おが…」
「ぬくいな」

ナマエが何か言おうとするのをそう遮り、ぐっと腕に力を入れる。ナマエもそれ以上は何も言わず、おとなしく尾形の腕の中で口をつぐんだ。朝までに敵に見つかってしまえば絶体絶命、そんな状況だと分っているのに、どこかお互いの体温が心を落ち着かせていく。
一度すぐそばでカンカンカンと盗賊たちの周囲を探る音がしたが、尾形たちには気づかずにすぐ遠ざかっていく。あちらは確か湖のある方角だ。

「……行ったか」
「はい。誰か追われてるんでしょうか…」
「その可能性はあるが、この状態ではこちらも援護できん。無駄なことは考えるな」

尾形に釘を刺され、ナマエは小さく「はい」と返事をした。彼の言う通りだ。自分の身を守ることさえ危ういこの状況で加勢などしたところで意味がない。
ナマエは祈るように両手を合わせ、何もできない自分の歯痒さに唇を噛んだ。


それからまた数時間身を隠し、尾形の視界の端に木の動く影が映る。盗賊のひとりだろう。武器として袖絡を持っている。尾形たちに気が付いてここまでやってきたかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
尾形はナマエを抱きしめていた腕を静かにほどき、その肩を叩くとぐいっと指をさす。移動するという意図がナマエに伝わり、ナマエはこくこく頷いた。もう夜明けがそこまで来ていた。
尾形は薄明りで視界が戻ってきたことを確認しながら小銃を構えると、目の前を行く男の頭めがけて一発の銃弾を放った。

「チッ…頭には当たらなかったな…」

視界がまだ不明瞭なこともあって、尾形の銃弾は男の頭ではなく肩を撃ちぬいた。それでも足を止めるのには充分な成果である。
日はどんどんと登り、あたりが白み始める。どうやらここから形勢逆転のようだ。
尾形は続いて目を凝らし、森の先に都丹の姿をとらえた。どれほどの指揮系統を持って盗賊が活動しているかは定かではないが、狙うならやはり頭である。尾形は立膝をつき都丹に向かって引き金を引いた。

「もうちょっと明るければ外さなかったのに…あと2発か…」

銃弾はまたしても頭には命中せず、都丹が耳に装着している集音器に当たった。都丹たちも夜明けを察知し、一緒にいた手下を伴ってその場を逃げる。がさがさと斜面を下っていく。

「行くぞ」
「はい」

尾形はすぐそばのナマエを連れ、都丹たちの後を追った。都丹たちはそのまま木の生い茂る中の廃旅館へと駆け込んでいくようだ。尾形は身を隠しながら様子をうかがい、都丹たちの様子を探った。いかに盲目とはいえ三対一で突入というのは分が悪い。そういう無茶は杉元の仕事である。
どこか旅館の中を射貫ける窓はないか、と観察するも、いずれも木の板で塞がれていて射線が通らない。

「どうしますか…?誰か応援を呼んで…」
「いや、戻るだけの時間はない」

ナマエが提案してみても、もちろん不採用だった。時間を与えて逃げられる方が厄介だ。

「尾形とナマエだ」

その時、後方からアシリパと杉元が姿を現す。大方銃声を聞いて方角を辿ってきたというところだろう。尾形は旅館から一度も目を離すことなく言った。杉元も当然のように裸で、ナマエはサッと目をそらす。暗闇と緊張で気を紛らわしていたが、日が昇ってきてしまっているためにどうしても視界に入ってきてしまう。

「都丹と手下2名が建物に入っていった。あの廃旅館が奴らのアジトだ」
「銃を取りに行っていたら逃げられる。このまま突入して一気にカタをつける」

珍しく尾形と杉元の意見が一致する。また森の中に潜まれれば土地勘のないこちらが圧倒的に不利になる。ここで追わない手はないだろう。

「アシリパさんとナマエさんは外で待機していてくれ」

杉元はアシリパとナマエに外で待機しておくように言い、尾形と二人で旅館の中へと足を踏み入れる。廃旅館からは湿っぽい臭いがした。

「暗いな…飛び込んで窓を開けるぞ」

二人が潜入した直後、出入口が勢いよくばんっと閉じられる。中は夜のような暗闇に包まれた。外からアシリパが杉元を呼ぶ声がする。
この館の中に少なくとも3人潜んでいる。そしてこっちは暗がりに目も慣れていない。
奥からカンっとこちら側を探るための音を都丹が放ち、尾形は音の方角に向けて即座に一発を放った。

「走れ!!」

都丹が応戦する。二人のすぐそばを銃弾が穿つ。この視界では対応のしようもない。明かりの取れる場所を探して奥へ向かい、そこで二人は異変に気が付いた。
ここは窓がすべて塞がれている。ここへ逃げ込むこと自体が作戦のひとつだったのだ。誘いこまれてしまった。都丹の「形勢逆転だ」という声が聞こえた。


目の前で閉じられた扉を前にナマエは思わず「尾形さん!」と名前を呼んだ。銃剣を握る手に力が入る。焦るナマエに対してアシリパは冷静だった。

「ナマエ、裏から入れる場所を探そう」
「えっ、でも…」
「戸が閉じられてしまった。しかも見てみろ、窓が全部塞がれてる」
「もしかして…誘いこまれたってこと…?」

ダァン、と小銃の音がした。せっかく夜が明けたというのに、これではまた夜の闇と変わらなくなってしまう。しかも尾形の射撃の腕は一流だとは言え、先ほどの音から察するに残りは一発しかない。
ナマエはアシリパの後ろをついて歩き、どこか侵入できる場所は無いものだろうかと探す。

「こっちだ、ここなら開いてる!」

裏側の、同じく木で目隠しをされた掃き出しガラス戸を開けた。二人で慎重に中へと入ったが、想像以上の暗さだ。早く自分の持っている銃剣を届けないと。これがあればまだマシだろうし、あの二人が盗賊三人を相手にするなら獲物として役に立つはずだ。

「ナマエ、これを後ろに撒いてくれ」
「これは…」

アシリパから手渡されたのは塘路湖で調達したぺカンペだった。なるほど、せめて罠を仕掛けようという寸法である。
そこからナマエは逸れてしまわないよう先導するアシリパの肩を掴みながら進んで、左右に一度ずつ曲がったところで彼女が何かに気づいたように「杉元?」と名前を呼んだ。

「アシリパさん?どこから入ってきた?」
「たぶんこっちだ!!いや…あっちか!?」

アシリパが暗闇の中で方向感覚を失っている。ナマエが「左右に一度ずつ曲がったのでこっちです」と言うと、尾形が「お前まで来たのか」と少し呆れた声で返した。
カンカンとまた都丹がこちらを探る音が聞こえる。探している。しかもここは奴らの寝床だ。間取りも距離も熟知しているはずである。どこから襲ってくるのか。こちらからはまるで見えない。

「ぐううッ」

背後から男のうめき声が聞こえた。盗賊の一人が罠のぺカンペを踏んだのだ。
素早く尾形が小銃で声の主の頭を撃ち抜き、手にしていた袖絡を杉元が奪い取る。もう一人別の方向から姿を現わしたが、その男もまたぺカンペを踏みつけ呻き、杉元が肩口を袖絡で捻り上げて壁に打ち付けた。その衝撃で板が一枚剥がれ落ち、わずかに光が差し込む。

「後ろッ!」

その瞬間都丹が背後に立っているのが浮かび上がって、ナマエが思わず叫んだ。杉元が振り返りざまに都丹の手を打ち拳銃を弾き飛ばす。
都丹はそのまま杉元の足に掴みかかり、体当たりで床に倒すと容赦なく顔面を拳で殴ってから首元をぎりぎりと締め上げた。

「きさまら鉱山会社の連中と網走監獄の犬童は報いを受けるべきだ。囚人の命と光を奪って得たものをすべて奪ってやる」

ナマエはその都丹の言葉を聞き、彼らが杉元たちを鉱山会社や犬童の差し向けた刺客であると勘違いしていると理解した。いや、元は勘違いから始まっているとしてもこの状況で説得なんて困難だし、彼らが盗賊であることも事実である。戦闘を止めるだけの力はなかった。

「うおるああッ!!」

杉元が締め上げられている体勢から都丹を持ち上げ、今度は逆に地面に引き倒す。そして転がっていた袖絡を手に取ると先端を都丹に向かって突きつける。
尾形がナマエのそばに寄り、小銃を差し出した。これは先ほど最後の一発を使い果たしている。手にしている銃剣と交換しろということだと理解し、ナマエは小銃を受け取ると銃剣を引き渡す。

「オラ、咥えろよこの野郎」

じりっと尾形も構える。アシリパから「杉元どこだ?大丈夫か?」と声がかかり、杉元は彼女にそこを動かないように厳命した。先程のいざこざでアシリパだけが取り残されてしまっていたらしい。

「無関係のアイヌの村も襲って回った分際でよ、テメェらに大義なんてねぇだろう、盗っ人が」
「そうさ、いまさら按摩なんてできねえ、飢えて目も見えない俺達はそう生きるしかない。だがアイヌも和人も無関係の人間は殺しちゃいねぇ」
「そのうちみさかいが無くなるさ」
「わかるのかい?確かにあんたからは人殺しのニオイがぷんぷんするもんな」

都丹の弁明を杉元が一蹴し、都丹が口角を上げて笑う。杉元が彼の言葉に一瞬動きを止め、その隙に都丹が転がっていた拳銃を手に取り杉元の眉間に銃口をあてる。ナマエがヒュッと息をのみ、隣で尾形がいよいよ銃剣を構えた。

「久しぶりだな、都丹庵士」

その声に一斉に全員が左を見る。暗がりに立っていたのは土方歳三だった。杉元は都丹に向けていた袖絡を少しだけ引く。都丹も同じく銃口を下げ、思いもよらない人物の登場に驚いているようだった。

「その声…なんであなたがこんなところに…」
「犬童典獄と喧嘩だ」

土方の口角がニッと上がる。すぐそばの縁側からバキバキと音がして、そこから光が差し込んで旅館の室内を明るくした。目隠しに使われていた木々諸共壁を破壊したのは牛山のようだった。

「お嬢…また会ったな」
「チンポ先生ッ!」

牛山の合流にアシリパがはしゃいだ声をあげる。
話によれば、土方たちも都丹がこの周辺に潜伏していたという情報を掴んでいたらしいが、今朝このあたりについたばかりだという。

「よくここがわかったな?」
「……外にいる犬っころだ」

都丹たちの襲撃の際、序盤で脱落した白石と谷垣から隠れて動かないように言われていたチカパシ、木に繋がれたリュウを見つけ、それを手掛かりにここを突き止めたらしい。
永倉と土方、杉元で都丹の処遇についての話がされる。尾形が一歩引いて壁際に立ち、所在を無くしたナマエもその隣に立った。

「…ナマエ」
「あ、はい、小銃ですよね」
「違う…いや、違うことはないんだが…」

尾形に名前を呼ばれたものだから、てっきり実包は込められてないとはいえ小銃を戻せという意味かと思ったがどうやら違うらしい。ナマエが首を傾げると、尾形はナデナデと髪を撫でつけてから口を開く。

「……怪我はねぇか」
「はい。どこも怪我はありません。ずっと尾形さんのそばで隠れてましたから」
「ねぇならそれでいい」

尾形はそのまま「寄越せ」と言ってナマエから小銃を取り上げ、代わりに銃剣を持たせる。この銃剣はすっかりナマエの守り刀代わりになっていた。
外から鳥の泣く声が聞こえる。長い夜は、こうして終わりを告げたのだった。



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