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モノアに対し、エクロクは強い口調で「出ていけ」と指示をする。その厳しい声に杉元が「なにか奥さんの気に障ったかな?失礼があったらすまない」と言い、エクロクは歯切れ悪く「いやいや」と返答をした。

「やっぱりどうも様子がおかしいぞ」

尾形は譲らなかった。さらに追い詰めるようにエクロクを見つめ、その様に杉元が「まだ言うか尾形!」と抗議の声をあげる。それからガサゴソと家の隅に手を伸ばした。

「よし分かった!!さっきそこのシントコの裏に落ちてるのが見えたんだが…これを使ってみせてくれ。ほんとのアイヌなら使い方を知ってるはずだ」

探し出したのは奇妙な形をした木の棒だった。持ち手からまっすぐに一本が伸び、そこから拳一個半くらいのところで三又に分かれている。和人のナマエには到底どのように使うかなんて想像もできない。
全員が黙り、杉元だけが「ちなみに俺はアシリパさんほどうまく使えなかった」としみじみ木の棒へ視線を落とす。

「まずは牛山やってみろ!」
「え?俺?なんで俺が…」

小手調べとばかりに杉元が牛山を指名し、牛山が戸惑いながらもあちこちから気の棒を眺める。考えあぐね「あたい未亡人……」と妙な小芝居を始めた。くねくね体をうねらせ、それらしいセリフをいくつか並べた後、木の棒でポリポリと背中を掻く。ようは孫の手というわけだ。

「全然違うッ!!」

もちろんこれが正解なはずもなく、杉元がそう大きな声で突っ込みを入れた。牛山から木の棒を回収すると、杉元は続いて「じゃあ次!」と長にそれを差し向けた。いよいよ本番である。
牛山の使い方が正解でないだろうことはナマエにもなんとなくわかったが、だからといって正解がどういうものかは想像もつかない。みなが長に注目した。

「今のやり取りで何して欲しいかわかりますよね?」

和人の言葉のわからないだろう長に優しく、そして妙に圧力のある笑顔で杉元がそう言う。長が棒を受け取ったが、その額にはじっとりと汗をかいていた。それを尾形が見逃すわけもない。

「早くやってくれよ、爺さん」

尾形が急かすと、長は牛山の時のように小芝居を交えて実演を始めた。腕をパタパタと叩く動作に杉元が「綺麗好き?綺麗好きなジジイ!」とまるで謎解きのように回答し始め、続いて「わかった!お気に入りの服だ!!」ともはや正解を知っている人間の言い草とは思えなくなってきた。
それから身支度を整えるような動作の後、腰を押さえ、おもむろに木の棒を床に垂直に置き、三又になっている部分に腰をおろした。その場にいる全員が正解か否かを気にして杉元の反応を見る。

「なるほど…!!そういう使い方もあるのか!!」

まるで正解が複数あるような物言いに全員が肩を落とし、尾形が大きくはぁとため息をついた。

「もういい、よこせ。俺が正しい使い方を当ててやる」
「尾形にわかるかなぁー?」

回答権を申し出た尾形にいやらしく杉元が言って、尾形は杉元にわざとらしく笑いかけた。
尾形は何か正解に見当がついているのか。一体どんな使い方をするんだろう。ナマエがそれを見守っていると、木の棒を受け取った尾形が振りかぶり、長の足の小指目掛けて一直線にそれを振り下ろした。

「痛たあ!!」

叫び声は日本語だった。先程まで日本語が話せる素振りなど一度も見せていなかったのに。
こいつら本当にアイヌか?という尾形の言葉が現実味を帯びる。まさかアイヌが咄嗟の状況で日本語を話すとは考えづらい。

「この使い方が正しかったようだな」

尾形が髪をナデナデと撫でつける。牛山が「ジイさん日本語話せたのか!?」と問いかけたが、長は何も答えない。疑念は一気に濃くなった。
杉元はまだ長を擁護するつもりのようで、ひしっと長を庇うように抱きしめる。

「日本語を話せるアイヌなんて珍しくも何とも無いッ!何てことをするんだ尾形ッ!!」
「ほんとにアイヌなら痛いときとっさに日本語が出るもんかね?」
「そもそもこの人たちがアイヌのふりをして何の得があるって言うんだ!?いい加減にしろ尾形ッ!!」

もはや尾形への対抗心の一種ではないかと思うほどの有様ではあるが、本人たちが認めなければ証明もできない。ナマエは言い争う杉元と尾形をおろおろと交互に見る。
すると、ちょうどそのときアシリパを便所に案内するために出て行った弟が家に戻ってきた。

「そうだな、俺もぜひそこが知りたいね。ちょうど戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」

エクロクが弟に耳打ちをする。尾形は背後の気配に気を配りながら、少しだけ左に移動してナマエを庇うように座る。

「あれ?アシリパさんは?」
「ああ…弟が言うにはあの娘は近所の女性に刺繍を教わって夢中になってるそうだ。まぁ、こんなところは子供に見せない方がいいだろう」

エクロクがそう答えると、杉元は手にしていた棒で突如弟に殴りかかった。あまりに一瞬の出来事でナマエはヒュっと息を呑む。何が杉元の琴線に触れたのか、木の棒はベキンと折れ、弟は鼻血を流した。

「アシリパさんが刺繍に夢中だぁ?てめぇ……あの子をどこへやった?」

地を這うような声だ。違和感を感じたのはそこだったらしい。付き合いが数日程度のナマエにはわからなかったが、一緒に旅を続けている杉元にとっては違和感を感じて然るべきところなんだろう。
倒れ込んだ弟の服から覗く足首を指さし、牛山が「なんだその足」と言った。弟の足首にはヤクザのくりからもんもんが刻まれている。

「そうそう、さっきも出て行く時にちらっと足首に見えた気がしたんだよな。そのくりからもんもんが……ヤクザがアイヌのふりか」

尾形は弟のそれを見ていた。だからああして疑い、試すようにしたのだ。杉元が木の棒を手にしたまま「うぇろろろろごうろろろああッッ!!」とまるでこの世のものとは思えない叫び声を上げた。

「アシリパさんをどこへやった!!」

尾形が立ち上がり、ナマエもそれに倣う。小さく「離れるな」と指示し、ナマエは無言で頷いた。

「俺のひと声で外にいる仲間があのガキの喉を掻き切るぜ!お前ら武器を捨てろッ!!」

もう隠せないと悟った弟は、そう言いながらアイヌの紋様の刻まれた鞘から短刀を抜く。
どうするつもりなのか。アシリパの場所がわからないならこちらが圧倒的に不利だ。
そう思っているのも束の間、杉元は木の棒を弟の口の中に突っ込み、そのまま肩を押さえてゴキッと首を捻り折る。

「ひと声出せるもんなら出してみろッ!」

今度はエクロクが壁に立てかけてあった杉元の小銃に飛び付き、そこをすかさず尾形が撃ち抜く。ジャキ。遊底を引いて戻し、にぃっと笑った。

「エクロク助さん、アイヌ語で命乞いはどういうんだ?」

尾形はエクロクがもう一度手を伸ばそうとする前に銃を取り上げ、「銃から目を離すな一等卒ッ!」という言葉とともに杉元へと投げる。
窓の下ろされていた簾があげられ、外にいた仲間の男の一人が内側に向かって矢を放つ。牛山はエクロクの足を引っ掴んで薙ぐように盾にし、そのまま窓に向かって投げ飛ばした。

「一体何人いるのやら…」

尾形はそうこぼし、仲間の男たちに銃弾を浴びせる。外では女の声もしていて、視界の端で見えた様子では杵のような木の棒で男の後頭部を殴打していた。アイヌ語は理解できないが、何か怒りをぶつけているのは声音でわかる。
「アシリパさーん!!」と杉元が彼女の名を呼びながら村の中を駆け、その背後で男が猟銃を構えた。その引き金が引かれるより前に尾形は頭部に狙いを定め、ダァン、とその額を撃ち抜く。

「俺も別に好きじゃねぇぜ、杉元…」

呟かれたその言葉は、夕張で杉元が尾形に浴びせた言葉への返事のようなものだと数秒遅れて理解した。尾形は妙なところで人の言葉にこだわるところがあり、あの日のそれも彼の中では消化不良のままだったらしい。
ダァン、ダァン。銃声がこだまし、そのたびに小さなうめき声とともに人が倒れていく。尾形の射撃は精確で、すべての弾が予め決められていたかのように見事に当たっていった。

「おっと、外で熊が暴れ出したようだな…」
「え、え…!?熊ですか…!?」
「ああ。別の家に入っていった」

きっとあの窮屈そうなオリに詰め込まれていた熊だ。このどさくさに紛れてあのオリが壊れてしまったに違いない。あれほどみちみちに詰め込まれていたのだから、いずれにせよ近いうちに壊れてしまっていただろう。

「お、尾形さんどうするんです…熊なんて…」

ナマエは思わず怯えて声を出した。以前小樽の山でヒグマに遭遇した際には二階堂が強烈な叫び声を上げていた。あの時どうなったかは外套の中に隠れていたから見れていないが、辛くも退けることが出来たはずだ。しかし今回は違う。こんなに人が大勢いる興奮した状態で、同じようにいくと思えない。

「他の餌に食いついている間は放っておけ」

ナマエの怯えた様子とは対照的に尾形は冷静だった。尾形がそう言うんなら従うしかないだろう。ナマエはどうか見つかりませんようにと願いながら、尾形の外套をきゅっと握った。しばらく攻防が続き、村のあらゆるところから叫び声が上がる。
叫び声が止んで、尾形は外の様子をじっと観察し、それからナマエの手首を掴んで家の外へと出た。そこでは十数人の偽アイヌの男たちが無残な有り様に成り果てていた。
アシリパがどこからともなく姿を現し、どこにも怪我のない様子にナマエはホッと胸を撫で下ろした。
アシリパは地面に横たわる偽アイヌの男たちを呆然と見る。

「杉元のやつ…ほとんどひとりで偽アイヌ共を皆殺しにしやがった。おっかねぇ男だぜ」

尾形が髪を撫でつけながら言った。確かに、この男たちの殆どを殺したのは杉元だ。牛山や尾形も加わってはいたが、杉元の怒涛の殺意には誰も及ばなかった。

「アシリパさん」

そっとアシリパの肩に手が置かれた。杉元だ。至る所が血で汚れているが、おそらく全て返り血だろう。ナマエは思わず尾形の外套をぎゅっと掴む。

「アシリパさん、怪我はないかい?奴らに酷いことされなかった?」

そう声をかける姿はまるで善良で、先ほどまでの狂ったような戦いぶりが夢だったかのように思えてくる。
弟がエクロクを通して「あの娘は刺繍に夢中だ」と証言したあの瞬間。一瞬にして杉元は鬼神に変わった。あれがもしも自分に向けられたらと思うと背筋が凍るように感じた。


一行は、アイヌの女たちとともに偽アイヌの男を埋めた。話よれば、この村の男たちは皆樺戸監獄の脱獄囚らしい。この村の男たちを殺し、成り代わって潜伏していたのだ。
驚くべきは、樺戸監獄の目的であった熊岸長庵もこの村で潜伏していたということだった。しかも、先程の騒動で毒矢に斃れたらしい。
ナマエも尾形とともに遺体を運び、杉元や牛山の掘った穴に埋葬していく。墓あなは十数個に及んだ。鍬を手にしたモノアが墓に向かってアイヌ語を呟く。
そうして埋葬が終わってやっと、村の子供達が姿を現した。不自然なほど子供の姿がなかったのはずっと家の中で匿っていたかららしい。

「コタンの女達がお礼をしたいと言っている。この時期に採れるトゥレプの料理で私たちをもてなしたいそうだ」
「トゥレプ?」
「オオウバユリのことだ」

アシリパがそう答える。オオウバユリのことをアイヌはハルイッケウ、食料の背骨と呼ぶほど大事にしているらしい。百合根を臼と杵でつき潰し、これに水を入れて袋で濾すと澱粉を入手できる。アイヌのオオウバユリの最大の利用法はこの澱粉で団子を作ることだ。
越した澱粉は一番粉、二番粉とその細かさごとに振り分けられ、本来は胃腸の薬用で使用する貴重な一番粉を今日は振る舞ってくれるらしい。
一番粉を筒焼きにした団子と二番粉を蕗の葉で焼き筋子を潰してまぶしたものなど多彩な料理が並ぶ。

「アシリパさん、筋子ダレも美味しいんだけど、味噌つけたら絶対合うんじゃないの?」
「わぁぁぁぁぉぉぉ!!」

杉元の提案にアシリパが目を輝かせながら杉元の差し出したワッパ弁当箱に飛びついた。その中身は杉元の持参している味噌で、アシリパはすかさず餅を味噌につけてパクパクと咀嚼した。

「うんうん!!やっぱり杉元のオソマは何にでも合う!!スゴイオソマ!!」

ナマエはオソマの意味を思い出してギョッとする。なんでそういうことになっているかの経緯は知らないが、アシリパは味噌のことを大便を意味する「オソマ」と呼んでいるらしい。
和人になら冗談だと通じるが、和人の言葉がわからないアイヌにしてみたらとんでもない誤解を生みそうだ。
そう思いながら村の女達を見ると、案の定「オソマ?」「オソマ…」とおそらく大いに誤解されていた。

「ほらほら、アシリパさんがオソマ言うからうんこ食べてると思われてるよ」
「タンペ アエ エアシカイ オソマ ネ ナ」

アシリパが堂々胸を張ってそう言い、モノアが恐る恐るといった風で味噌を受け取る。杉元が「ウンコじゃなくて味噌なんですよ?」と補足したが、和人の言葉がわからない彼女達にはまるで意味がないだろう。
それからモノアが味噌をつけた団子を食べ「ケアラン フミー!」と声を上げた。意味はわからなかったが、表情を見るにお気に召したようである。
もてなしを受けた後、家の外で縛り上げていた村長に化けていた男を囲んだ。先程の攻防の際に発覚したことだが、この男の上半身には例の刺青が彫られている。網走監獄の脱獄囚の1人ということだ

「さて問題は、村長に化けていた網走からの脱獄囚……詐欺師の鈴川聖弘をどうするかだ」
「村の女達が言うには、主犯はこの男だがこれ以上関わりたくないそうだ」

杉元が口火を切り、アシリパが続いた。尾形が「面倒だ……殺して皮を剥いでいこうぜ」と提案すると、アシリパがそれに「無抵抗の人間まで殺すのか?」と言った。
抵抗しないというならば紙に刺青を写すという手段があるが、鈴川はこの村の男を殺すに至った主犯である。そのまま逃すというわけにもいかない。沈黙を破ったのは鈴川であった。

「網走から脱獄した他の囚人の情報がある」
「…ほぉ」

杉元の温度がぐっと下がった。鈴川の真意を見定めている。やはりこの男は根本的に善良であるが、仇なすものへの容赦のなさは常人のそれをゆうに超える。

「どうだかな。お前詐欺師だろう。時間稼ぎのための嘘かもよ」
「嘘なら舌を引っこ抜いてやるさ。閻魔様がやるか俺たちがやるかの違いだろ?」

尾形の懸念を一蹴し、杉元が鈴川の頭を鷲掴んでじろっと覗き込む。その気迫に鈴川も黙りこくった。
今は何より先を急ぐ。一旦は鈴川を連れて月形へと向かい、土方と合流するまでその処遇は保留されることになった。
こうして偽アイヌのコタンでの騒動は幕を閉じたのだった。



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