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「ナマエさんは、どうしてこんな危険な旅に同行してるんだい」
「えっ、と…」

ナマエは杉元の言葉にどう答えるべきか逡巡する。尾形になし崩し的に連れてこられたのだと打ち明けてしまってもいいものなのだろうか。
尾形の考えていることがわからないのだから、何が尾形の不利益になるかもわからない。
ナマエが答えあぐねている様子を見て、杉元がその理由を察し「何か探ろうってわけじゃないんだ」と弁明する。

「ただ…君はすごく普通の町娘に見えるから、こんな危険を冒してまで金塊が必要な理由でもあるのかと思って…」

気まずそうにそういう姿は、嘘を言っているようには思えなかった。何か誠実に言葉を返さなければいけないような気になって、ナマエはおずおずと口を開く。

「目的は…ないんです。あの、私本当は金塊のこととかよくわからなくって…」
「そうなの?」
「はい…尾形さんについてきただけ、というか…」

ナマエがそう言えば、杉元は苦い顔をした。どうしてそんな顔をされるのかは全くわからず、きょとんとしたままでいると杉元が言いづらそうにもごもごと口先を絡まらせる。

「おい杉元、妙なこと言ってんじゃねぇ」

それを断ち切ったのは尾形だった。ナマエをぐっと引っ張り、自分の後ろに隠す。杉元があまりに小さい声でいうものだから、結局何を言いたいのかもわからなかった。

「ナマエ、行くぞ」
「え、あ、はい…!」

尾形はそのままナマエの手首を掴み、ずんずんと進む。少しだけ一行と離れたところでやっと手を離し、ハァ、と大袈裟に息をついた。まさか自分は何かまずいことを言ってしまっただろうか。

「あ、あの…尾形さん?」
「お前、あんまり杉元に懐くな」
「ごめんなさい…何か余計なこと言っちゃいましたか?」

じろ、と視線を向けられる。そこまで差し障りがあることも言っていないし、土方たちに話をしたのとそう変わらない内容のことばかりだが、土方たちには言ってよくて杉元には言ってはいけない内容があるのだとしたら流石に教えて貰わなければ判断ができない。

「別に……」

尾形はそれ以上語ることなく、その場で銃を構えて鳥撃ちを始めてしまった。すぐそばで炸裂する銃声を聞きながら、この音にも少し慣れてきてしまったな、と、どうしようもないことを考えた。


山中の旅で驚かされたのは、アシリパの知識量だった。まだ十代前半だろうというのにその知識は多岐に渡り、しかもその全てが実用的で生存に直結するものばかりだ。

「アシリパちゃんはすごいね」
「何がだ?」
「だって、すごく物知りで頼りになるんだもの」

ナマエは食料を確保しに行くと出て行った尾形からアシリパと一緒にいることを言いつけられ、野営地に残って食事の支度をしていた。
野草の知識から動物の習性まで、どんな風にして山で生きていけばいいかということをアシリパは熟知している。街で暮らす和人より山と共に生きるアイヌたちの方がそういった面で博識だとはわかっているが、それにしてもアシリパには目を見張るものがある。

「それにアシリパちゃん、狩りもすごく上手だし…私はずっと足手まといになってばかりだから、すごいなって思うし羨ましいよ」

包み隠さずに打ち明けると、アシリパは大きな目をぱちぱちと瞬かせてから「ナマエは町の女って感じだ」と率直な印象を口にする。これはまさにその通りで、山の中を生きるには心許ない知識しかナマエにはない。

「ナマエはこういう旅に慣れているようには見えないが、どうしてこんなところに来たんだ?」
「えっと…自分でもよくわかってないんだけど…後悔したくなかったから、かな…」

杉元にも問われた同じ類の問いに今度はナマエは少し抽象的に答えた。抽象的ではあるが、これは紛れもない本心だ。自分が街を飛び出してろくに役に立たないことは百も承知だったけれど、あれから何度考えても、やはりあの時尾形についてこなければ良かったという気持ちにだけはならなかった。

「ナマエだってすごいと思うぞ。私は尾形の考えていることなんてさっぱりわからないが、ナマエは短い言葉だけで尾形の言いたいことを理解しているように見える」
「えっ」
「長い付き合いではないんだろう?じゃあそれだけ短い時間で、ナマエが相手のことをよく見ていたということだ」

アシリパはお世辞を言っているようには見えなかった。尾形の言いたいことを理解しているとまでは驕らないが、周りからそんな風に見られていたことは少し嬉しかった。いつかもっと彼の心の奥深くを、わかってあげられるようになればいい。

「…ありがとう。アシリパちゃん」

その日もたくさんの鳥を尾形が獲ってきて、こんな山の中だというのに目一杯食事をとることができた。


山の中を移動すること数日。樺戸まであと少しというところで一行はアイヌのコタンを発見した。アシリパの提案で少しだけ休ませてもらおう、という話になり、コタンの中へと足を踏み入れる。

「この村にもアシリパさんの親戚がいるの?婆ちゃんの15番目の妹とか?うふふッ」
「フチの15番目の妹は釧路にいる。この辺に親戚はいない。初めて来た」

杉元へアシリパが答える。アイヌの村を見たのは先日尾形に連れ出された時のことが初めてで、間近で見たことのなかったナマエはきょろきょろと村の建物などを観察した。
世話になるのであれば、住民に話をつけなければならない。どこかに村びとはいないかと見回すと、一人のアイヌの男が話しかけてきた。

「やぁ…こんにちは。あんたら何の用だい?」
「旅をしていて寄っただけだ。今晩の寝床と米があったら分けて欲しい。もちろんタダでとは言わん」

牛山が対応すると、アイヌの男は「そうだったのかい」と納得したようだった。随分日本語が上手い。それは杉元も感じたことだったようで、「あんたも日本語うまいね」と言った。
男曰く、若い頃に和人相手の商売をしていたときに覚えたものらしい。アイヌにはよくある話だ。

「オイ、なんだあれ」

牛山が杉元に尋ね、少し離れたところにある井桁型に組まれた木を指さした。杉元はそれに「小熊のオリ…」と答えながら振り向き、何か妙なものを見たかのようにぎょっとする。

「あの小熊のオリ……いつからあのままなんだ?」

井桁型の目の部分からみっちりと熊の毛がのぞいている。身動きも取れないほどの状態にあることは一目瞭然だった。アイヌには熊を飼う習慣でもあるのだろうか、とナマエは少し考えたが、あの有様では飼うというよりも圧迫して殺すことが目的なのではないかと思えるほどだ。

「ちょっと小熊が大きくなるのが早くてな。大きいオリを作ってうつすとこだった。気にしないでくれ」

アイヌの男はそれから「エクロク」と名乗り、自分の父である村長に滞在の許可をもらうことを提案する。その村長の家の前まで移動すると、杉元がアイヌの家には訪問の際の作法があることを説明した。慣れているようで、やはりアイヌの少女と共に行動をしているくらいなのだから彼らの文化に詳しいのだろうと感心する。

「騒ぎを起こしたくなければ行儀よくしろよ。特に尾形」

じろっと尾形を見る。どうにも杉元と尾形は馬が合わないのか、終始警戒をしているようだった。そもそも初対面の時点で刃傷沙汰になっているらしいし関係が良好でないのは理解するが、杉元の警戒っぷりは凄まじかった。

「ハ、エエエ…」

作法は複雑だった。まず家の外で咳払いをする。声をかけてはいけないらしい。杉元が「ンンンン…」ともう一度咳払いをすると、エクロクよりも若いアイヌの男がひょっこりと家の中から姿を現した。
それからすぐに引っ込んでいってしまって、牛山が「引っ込んじまったぞ」と言うと「家の若いものが外に来た客を無言で確認するんだ」と杉元がヒソヒソ答える。
主人に来客を報告し、許可が降りればそこから家の掃除が始まるそうだ。

「アイヌの作法って複雑なんですねぇ」
「ナマエさんはアイヌのコタンに来るのは初めてかい?」
「はい。和人の暮らしとは随分違うんですね」

家の表で掃除を待つ。杉元とそんな雑談をしていると、中から物音が聞こえてきた。しばらく待っていれば掃除くらい終わるだろう、とたかを括っていたが、待てど暮らせど招き入れられる気配はない。

「このアリでっけぇ!」
「なぁ……まだなの?」
「見てください、尾形さん。綺麗な蝶ですね」

杉元、牛山、ナマエの言葉である。ついに暇を持て余し、各々が好き勝手に時間を潰し始めた。アシリパによると、和人の役人が昔雨宿りでアイヌの家を訪問した際には、掃除の時間のあまりの長さに家へと入る頃には雨が止んでいたという話さえあるらしい。
これは相当の時間を覚悟しなくてはならないぞ、と思ったそのとき、中から先程の若い男が出てきて「アフプヤン」と声をかけた。どうやら中に入ることができるようだ。
杉元は一同に手を繋ぐよう指示した。杉元、牛山、尾形、ナマエ、アシリパの順で手を繋ぐ。

「全員で手を繋ぐのか?」
「背筋を伸ばすなッ!手を引かれて招き入れられるときは腰をかがめるのが作法だぞ」

戸惑う牛山にそう言い、ナマエは慌てて身を屈める。そのまま一列になって家の中に入れば、長らしき老年のアイヌの男とエクロク、それから口元に大きな刺青を持つエクロクの妻ほどの年齢の女が中に座していた。
中心の囲炉裏のようなところを囲むように腰を下ろし、村長が黙ったまま手を胸の前で擦り合わせ、それから何かを持ち上げるようなかのような動作で腹の前から肩ほどの高さまで上げ下げする。その後口の前で両手を交差し「イランカラッテ」と唱えた。

「真似しろ」
「こうか?」

杉元にそう言われ、一度見ただけで間違えずに真似をできるだろうか、と思いながらナマエも長の動作を追うように真似る。ぎこちない動きでなんとか手を上下させていると、アシリパが長に対してまっすぐ指をさした。

「ムシオンカミ」

アイヌ語だ。なんと言ったんだろう。アイヌを含めたその場の全員がぽかんと言葉を失い、妻らしき女性のアイヌがブフ、と吹き出した。
少しアシリパらしくない。それはナマエにもわかる程度に露骨だった。彼女の普段の振る舞いを知っている訳ではないが、いくつも手順を踏まなければならないこの作法の途中で人を指さすなんてことはらしくないと思える。彼女は幼いが、聡明だ。
一連の作法をなんとか済ませ、エクロクが杉元へ「この子は…どうしてあんたらと一緒にいるんだ?」と訪ねた。

「あー…ちょっと駄賃をやって案内をさせてるんだ。俺たちはこうやってアイヌの村にも滞在したりするんでね」
「そうか…」

もちろん、自分たちの目的を正直に言うことはできない。アシリパはあくまで道案内役だと言ってやり過ごしているのか、とナマエは斜め向かいに座る杉元を見た。
エクロクがアイヌの女性をモノアという名の妻だと紹介し、それから若い男を弟だ、と紹介しようとしたときだった。

「オソマ行ってくる!」
「へ?」
「ちょっと…アシリパさん我慢できないのか?」
「もうオソマが出口まで来てる!!」
「んまぁー、下品ッ!」

アシリパが立ち上がり、ダダダと出入り口の方へ駆けた。オソマとは大便を意味するアイヌ語であったはずだ。まぁそれは緊急事態だろうが、やはりこの家に入ってからアシリパの様子が少し変なのは確かだった。

「すみませんね、普段は礼儀正しいんだけど…他の家ではこう言った場で挨拶なんてなかったし、頭の鉢巻とかも取ってちゃんとしてたのに…どうしたんだろうな」
「………気にしてない。子供のやることだから」

やはりだ。ナマエが思っているくらいなのだから、当然杉元も不審に思っていた。エクロクは気にしていない、と告げたあと「うちの便所はわかりにくい」と言って弟にアシリパの様子を見てくるよう言いつける。弟が立ち上がり、その様子を尾形がじっと見つめた。
弟が出て行ったのを見送ってからずっと黙っていた尾形が口を開く。

「ムシオンカミってどういう意味だ?」

誰も答えない。長もエクロクも視線を外しっぱなしで、そんなにも言いづらい言葉なんだろうかとナマエは首を傾げる。

「おや?わからんのか?」

尾形は違った。この沈黙に何か別のものを感じている。
少しの無言のあと、エクロクが「ムシオンカミはちょっと聞いたことがない」と答えた。

「さっきの娘はこの辺のコタンの子か?アイヌ語にも方言がある」
「うんうん確かに!ギョウジャニンニクだけでもプクサとかフラルイキナとか違う呼び方があるらしいからね。一体何を疑ってるんだ尾形!この人達に失礼な真似は許さんぞ!」

エクロクを援護するよう杉元が続き、尾形に訝しげな視線を向ける。尾形は口角をゆるりと上げ「こいつら本当にアイヌか?」と投げかけた。まさか、とナマエは尾形を見て、それからアイヌを見たが皆黙したままであった。
杉元が立ち上がり、何をするかと思えばエクロクの右の横髪を上げ、耳元を曝け出させる。

「ほら見ろこの耳たぶ!アイヌは耳たぶが分厚いんだ。シンナキサラじゃない!」
「福耳にしか見えねぇけどな」

尾形の返答に不満を隠さぬまま元の位置にどすどすと戻り腰を下ろす。言われてみれば和人離れした耳にも見えるが、福耳だと言えなくもない。尾形はその程度では納得しなかった。そのときだった。

「ウンカオピウキヤン!」

窓の外から別のアイヌの女性のけたたましい声が聞こえた。アイヌ語はわからないが、それでも温和な歓迎の言葉でないことは声音だけでよくわかる。

「いまのご婦人はなんと?」

牛山が尋ねるとアイヌはまた黙した。いよいよ何かおかしい。尾形の言うように彼らがアイヌではないという根拠には足りないが、この村を不審に思うには充分だった。

「知らない方がいい。和人をよく思わない者もいる。でも我々は歓迎するよ。今夜は酒でも飲んで…」
「ウンカオピウキヤン!」

エクロクの声を遮るようにモノアが先程の女性と同じ言葉を口にした。



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