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翌日から手分けして炭坑夫に聞き込みをし、月島の死体が見つかっていないかどうかを確認して回った。
杉元とアシリパと牛山が炭鉱の中を、永倉とキロランケと白石が炭鉱周辺で聞き込みを、ナマエは尾形、土方、家永とともに江渡貝剥製所で手がかりの捜索をした。

「人間剥製に残された皮と贋物の刺青人皮に共通点が必ずあるはずだ。きっとこの家に手がかりが残されている」

剥製の種類は様々で、見たこともない動物がたくさんいる。ナマエは動物の間を抜け、恐る恐る人間剥製の座している部屋へと足を踏み入れる。こんなところで怖気付いてお荷物になるわけには行かない。何か手がかりはないかと慎重に部屋を観察する。その時だった。

「きゃ…!!」

ガシャン、と硝子の割れる音がして、続いて瓶か陶器か、そういう割れ物が割れる音が響いた。反射的に一度目を瞑り、再び開けた時には目の前のテーブルが火の海になっている。投げ込まれたのは火炎瓶だ。

「オイナマエ…あッ!?」

ナマエの声と硝子の割れる音に尾形が扉を開け、室内を見て「チッ…やられた」と苦虫を噛み潰す。ナマエは炎に巻き込まれてしまわないように素早く扉まで移動し、すると尾形がナマエの手を引いて廊下に出して扉を閉じる。

「家永ッ!外へ出るな!撃たれるぞ!」

火災から逃れるために玄関から外へと出ようとした家永を制し、尾形は射線を切るために壁に背をつけて慎重に外を確認する。ナマエは尾形に倣ってその隣で身を隠した。尾形が小銃の遊底を引き起こして戻す。

「いま外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
「贋物製造に繋がる証拠を隠滅しにきたか」

土方もそう言いながら銃を構え、玄関の前に待機する。この家は窓に鉄格子が嵌められている。つまり脱出経路も侵入経路も玄関しかないということだ。

「鶴見中尉の手下がこの家を消しに来たということは、月島軍曹が生きて炭鉱を脱出したと考えるべきか」
「だろうな。窓は鉄格子がある。外の連中にとっても突入するならば玄関以外は無い。外の連中を玄関まで追い込む」

尾形は簡潔に土方にそう伝え、ナマエに「ついて来い」と続ける。ナマエは無言で頷き尾形の背を追った。尾形は二階へ続く階段を駆け上り、正面の部屋の窓から屋敷を囲んでいる兵を狙撃する。視野が広く相手を発見しやすい高い位置を陣取るのは狙撃手の鉄則である。
ダァン、ダァン、と音をたて外の兵を玄関の前へと誘導する。すると下階からも重いライフルの銃声が聞こえた。土方だ。それから逃れるために玄関のひさし部分から兵士が出て、そこをまた尾形が狙い撃ちにする。

「……!!」
「尾形さん…!」

瞬間、窓を突き破った銃弾が尾形のこめかみのすぐそばを駆け抜けた。命中は免れたが、硝子の破片が尾形の頬に傷をつけ、血がたらりと流れ出る。

「結構来てるな…ナマエ、窓には近づくな」
「は、はい…」

この状況でまさか手当をさせてくれなんて言うこともできず、ナマエは指示に応答だけをする。尾形はまた窓の外に狙いを定め、少しでも物陰から飛び出た兵士がいれば逃さずに狙い撃つ。弾薬盒から挿弾子にまとめられた実包を再装填した時だった。ギシ、と静かに、しかし確かに階段を踏む音がする。
いち早くそれに気がついた尾形はナマエを自分の後ろに隠しながら扉の裏に移動し、銃を下ろして銃剣を構える。
ほとんど音もなく扉からバッと兵士の銃が室内に向けられた。ここが狙撃地点というのは向こうからしても分かりきったことで、狙撃手がいないかを無言で確認していく。
尾形が扉の裏から飛び出し、肋骨の下のあたりから突き上げるようにして兵士の胸を突き刺した。ナマエも何度か兵営で顔を見たことがある男だった。
兵士はすぐに銃床で尾形の左頬を殴り、今度は馬乗りになって尾形の顔面へ銃床を振り下ろす。

「死ね!!コウモリ野郎がッ!!」

ナマエはグッと奥歯を噛み締め、床に転がった銃剣を握りしめた。だめだ、いますぐ助けないと。尾形さんが殺されてしまう。私が、私がこの人を殺さないと、尾形さんが。
思考の糸がぐちゃぐちゃに絡まった。けれど選択肢は二つしかない。ここでこの男を殺すか、殺さないかだ。柄を握る手が震える。ナマエは自分を叱咤し、息を止めて男に銃剣を向けた。
ナマエが一歩を踏み出すよりほんの少しだけ早く、目の前の兵士の後頭部にドッと衝撃が走り、ぐったりと項垂れた。誰かが兵士を殴ったのだということを数拍遅れて理解する。兵士を殴ったのは杉元だった。

「……なんだよ、お礼を言って欲しいのか?」
「お前が好きで助けたわけじゃねぇよ、コウモリ野郎」

尾形と杉元が言葉を交わし、尾形がペッと血を吐き出す。踵を返した杉元と目が合った。杉元はここにナマエがいると予測していなかったのか、少しだけ目を見開く。そしてそのまま土方に加勢すべく階下へと降りていった。

「…尾形さん…!」

尾形がむくりと立ち上がり、銃剣を返そうとしたが「まだ持っておけ」と制されてしまった。ナマエはまたぎゅっと柄を握りしめ、外からの狙撃に備えて窓から距離を取る。煙が充満し始め、部屋が白く煙った。
尾形は先程と変わらぬ冷静さで窓辺から兵士を狙撃し、屋敷への侵入を阻止する。少しの攻防ののち、尾形はナマエの手首を引いて階下に向かって走り出した。

「逃げるなら今しかない!!急げ!!」

まだ内部に残っているだろう土方と杉元にそう声をかける。これ以上ここで粘れば今度は煙から逃れられなくなるだろう。屋敷の外へと出たところで尾形はナマエの手首を解放し、両手で小銃を持った。背後を確認したが煙が目隠しになってお互い狙いも定められないだろう。
江渡貝剥製所の周辺の雑木林を抜け、あたりを警戒しながら街を目指す。どうやら牛山たちの到着によって家永も難を逃れたらしい。

「こいつらと?」

到着する頃には話がまとまっていたようで、そう言った牛山の言葉に「何の話だ?」と尋ねれば、ここから二手に分かれて熊岸長庵に接触すべく月形を目指すことになるらしい。確かに追われている身で大人数の行動は危険だ。
こうして、一時大所帯になった一行は土方、永倉、家永、白石、キロランケの班と杉元、アシリパ、牛山、尾形、ナマエの班に分かれることになったのだった。


そうと決まればこんなところには居ていられないと、早速杉元たちは近くの山に入る道を選択した。アシリパを先頭に、杉元、牛山、尾形、ナマエと続く。
深い森に入り、街の喧騒が遠のいたことで徐々に冷静さを取り戻していく。ナマエはそこでやっと、自分がまだ銃剣を握ったままでいることに気がついた。

「あ…お、尾形さん…これ…」

ナマエはまだ少しおぼつかない手で銃剣を差し出した。尾形はそれを黙って見たあと、何も言わずに受け取る。
あの時、あの時杉元が来ていなかったら、自分はこの銃剣をどうしていただろうか。きっと、ナマエはこれをあの兵士へ突き立てていた。避けられるかもしれないし、返り討ちに遭うかもしれない。だけどあのまま見ていることなんてナマエには出来なかった。

「ナマエ…どうした。煙でも吸い込んだのか」
「え、あ…すみません…大丈夫です」

ナマエが下手くそに笑う。その頼りない表情を少し先で杉元が見つめていた。
土地の人間の証言で行く先を特定されるのを避けるため、一行はなるべく人目を避けて山の中を進む。軍装の男や背広の男、アイヌの少女に町娘。全くと言っていいほど何の集団かわからないのだから、土地の人間にひと目で覚えられてしまうだろう。

「見ろ杉元。トゥレプタチリがいる。ヤマシギだ」

アシリパが茂みに隠れ、杉元に言った。視線の先では彼女の言うようにヤマシギが二羽トコトコトコと歩きながら地面をつついている。

「山菜を採りに行く女の季節になるとヤマシギはこの土地へやって来る」
「なんか掘ってるね。虫でも探してるのかな?」
「エサを掘り出す長いクチバシがアイヌの使うオオウバユリの根を掘る道具に似ているからウバユリを掘る鳥と呼ばれている」

アシリパの説明は滑らかで、その知識が一朝一夕で身についたものではないと知るに充分だった。
杉元がアシリパに「美味いの?」と尋ね「脳ミソが美味しい」とアシリパが答える。脳ミソ、と思わぬ言葉に驚いているうち、尾形が真横でスッと小銃を構える。

「おい!尾形やめておけ」
「なんでだよ。食うんだろ?」
「一羽に当てられたとしても他のが逃げてしまう。ヤマシギは蛇行して飛ぶのでその銃の弾じゃ当てるのは難しい」

年端もいかない少女に理路整然と諭されている姿が面白くて、思わずナマエは小さく笑いをこぼす。もちろんそんなものは尾形にすぐに見つかってしまい、じろっと視線を向けられて慌てて笑いを引っ込めた。
アシリパいわく、アイヌはヤマシギの習性を利用した罠を使ってヤマシギを獲るらしい。その説明を受けて尾形は「フン…」と納得のいっていない様子でその場を離れ、ナマエは慌てて背中を追った。

「尾形さん!」
「当てられるな。俺なら間違いなく」
「え?」

主語のない言葉に思わず聞き返すような言葉を転がし、その直後にあのヤマシギのことを言っているのだと理解した。なるほど、尾形はアシリパに「お前の銃の腕では獲れない獲物だ」とでも言われた気分になっているのだ。実際尾形の腕どうこうと言うよりは一般論を述べただけなのだろうが、それでも尾形の自尊心を傷つけるのには充分だったんだろう。存外子供っぽい男である。

「明日、早朝にあれを獲りに行くぞ」
「ふふ、わかりました」

明日の早朝にヤマシギを撃ち、アイヌの罠より自分の銃の腕が優れているとでも言いたいのだろう。これまでそう見ることのなかった尾形の一面にナマエの心は高揚していた。


翌朝、尾形に揺り起こされ、一行と離れて山の中に入る。どんどんと容赦なく進み、ナマエは遅れを取らないように必死に追いかけた。十数分歩いたところで足を止め、尾形がじっと茂みの向こうを観察する。ヤマシギだ。

「いましたね。四羽も」
「ああ。全部撃って持っていってやろう」

尾形の口角がニヤリと上がった。銃床を肩につけ、じっとヤマシギに狙いを定める。小樽や夕張でそれを向けているときは恐ろしくて仕方ないと思ったのに、今はあまりそう思わない。何が変わってしまったんだろうか。と考えてみたけれど、考えたところで色良い結果は得られそうになかった。
ダァン、ダァン、と二発の銃弾を放ち、一発で二羽を、もう一発で一羽を仕留めた。あいにく最後の一羽には逃げられてしまったが、小銃では撃てないと言われたヤマシギを三羽も獲れたのは充分な成果だろう。

「すごい!尾形さん三羽も獲れましたよ!」
「チッ…一羽は逃したか…」
「それはそうですけど…やっぱりすごいですよ」

ナマエが臆面もなく褒めそやすと、尾形は照れ隠しのように髪をナデナデと撫でてから撃ち落としたヤマシギの回収に向かった。
手分けしてヤマシギを一行の寝床まで運ぶと、そこでも罠でヤマシギが獲れたらしくアシリパと杉元がせっせと羽をむしっていた。アシリパがどこか不機嫌そうなのは、どうやら仕掛けた罠の割に獲れ高が少なかったからのようだ。
尾形がドサドサッと獲ったヤマシギを放ってみせ、するとアシリパはその数に驚いて「三羽も……」と漏らす。

「今朝またお嬢ちゃんまで連れていなくなったと思ったら……散弾じゃないのによく撃ち落としてこれたもんだ」

牛山にそう言われ、尾形がフンっとふんぞりかえる。「腹立つなコイツ」と言われつつも、自分の銃の腕前が一定の評価を得たことには満足しているようだった。食ってかかったのは杉元だ。

「アシリパさんに無理だって言われたからムキになっちゃってさ…ハンッ」
「杉元は銃が下手くそだから妬ましいな」
「別に!!」

杉元にすかさずアシリパが言い、それをまた否定する。アイヌの少女と帰還兵という妙な取り合わせだが、二人は随分と仲が良く見える。
アシリパはヤマシギの首を切り落とすと、そのまま真っ二つに切って頭部をパカリと開けた。そのクチバシを持ってまるで匙のようにしながら牛山に差し出す。

「チンポ先生ヤマシギの脳みそです」

ナマエは思わずヒクヒクと口の端を痙攣させた。昨日の彼女の「脳ミソが美味しい」というのは聞き間違いではなかったらしい。杉元はというと慣れた様子でジュルジュルと脳ミソを口に入れているが、流石の牛山もこれには躊躇っているようだった。

「チンポ先生、脳ミソは嫌いか?」
「食っていいものなのかい?それ……」
「杉元ぉ?ヒンナだよなぁ?」
「ヒンナヒンナ!!」

アシリパの猛攻に牛山はたじろぐが、アシリパを援護するように杉元がヒンナと繰り返す。押し負けた牛山が恐る恐る脳ミソを口に入れ、次に勧められた尾形は空気を読まずにきっぱりと断った。

「ナマエ?お前は食べてくれるよなぁ?」

最後の標的はもちろんナマエだ。きらきらとした目でアシリパがナマエを見つめる。脳ミソを食べるところなんて生きてて一度も想像したことがないが、これを食べなければアイヌの食文化を侮っているような気もしてしまうし、何より連れの尾形が食べていないのだから自分くらいは食べるべきだろうと思った。
覚悟を決め、脳ミソを指で掬ってそろそろと口に運ぶ。生臭い。じゅるりとしか食感はなんとも奇妙で、イカの塩辛か何かだと思えばまだ咀嚼することができた。正直な話和人のナマエには美味いと言える食材ではなかったが、なんとかごくんと飲み込む。

「おお!ナマエ!えらいぞ!」
「あ、はは…ありがとう…?」

アシリパは満足げで、隣の尾形はナマエを見て眉を顰めている。誰のために食べたと思っているんだ、と言いたくもなったが、別に頼まれたわけでもないのだから言ったところで仕方がない。
アシリパは調理に戻るらしく、ナマエも気を取り直して作業に向き直った。

「あとは内臓ごとチタタプにする」
「出ーたーっ!チタタプ!!」

チタタプ、という聞き慣れない言葉はどうやら杉元にはおなじみらしい。勢いよくアシリパの言葉を復唱し、それに牛山が「チタタプ?」と首を傾げる。
チタタプとはアイヌの言葉で「我々が刻むもの」という意味で動物の肉を小刀で叩くものらしい。

「チタタプって言いながら叩いてください、チンポ先生」

そう言われ、牛山は「チタタプチタタプ」と呪文のように唱えながらトントンとヤマシギの肉を刻んでいく。チタタプとは交代で叩くものらしく、アシリパに言われて今度は尾形に代わった。しかし尾形が「チタタプ」などと素直に唱えるわけもなく、隣で監視するように見つめる杉元によってアシリパに告発されてしまう。
なんとも軽やかな調子のやり取りに、今まで見たことのない尾形を見ている気がした。
ナマエもそのチタタプとやらの呪文を唱え、ついにひとりだけ呪文を唱えなかった尾形はさらにアシリパと杉元から糾弾されることになったのだった。



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