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「ジイさん、あんた……どこかで見覚えがあるような……どこかで会ったかな?」

軍帽の男、杉元がじっと土方を見つめる。知り合いなのだろうか、とナマエはキョロキョロ二人の顔を見て、すると白石がすかさず「いや…!!会ったことがあるわけねぇ」と割って入る。

「こいつは、土方歳三だぞ!」

その声に空気がピリッと緊迫し、杉元が肩にかけている小銃を下ろす。土方の腕の中にいた猫が床に降り、尾形も構えるようにカタッと動いた。

「久しぶりだな?白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」

土方の低く落ち着いた声がかけられ、杉元が「ひょっとして…」と背後に立つアイヌの男、キロランケに村に来た老人が土方歳三であったかどうかを尋ねる。キロランケはそれを肯定し、杉元が土方に改めて向き直る。

「アンタに会ったら聞きたいことがあった。のっぺらっぼうは土方歳三だけに伝えた情報があるはずだ。アンタをある程度信用しているのか…大きな目的が一致しているのか。アイヌに武器を持たせて独立戦争を持ちかけられたか?」

ナマエはぐっと息を飲み二人の攻防を見守る。杉元が「のっぺらぼうはほんとにアイヌかな?」と言って、土方が感心したように「ほぉ…そこまで辿り着いてたか」と返す。

「のっぺらぼうも出し抜こうって魂胆かい?アイヌの埋蔵金でもう一度蝦夷共和国でも作るのか?土方歳三さん」
「私の父は……!!」

杉元の後ろからアイヌの少女が口を開く。彼女は今なんと言った。「私の父」確かに今そう言った。
土方たちの話によればのっぺらぼうはアイヌに扮した極東ロシアのパルチザンであるらしい。少女はアイヌに見えるけれど、そもそもある程度血が混ざっていれば判別ができない可能性だって高い。

「手を組むか、この場で殺し合うか、選べ」

土方が少女にそれ以上話をさせないように言葉を遮る。杉元が小銃を握る。グキュルルルと鳴き声のように音がした。何の音だろう、と視線だけであたりを見たけれど何か音の鳴りそうなものは見当たらない。
張り詰める空気を縫うようにして土方の後ろから永倉が顔を出す。

「刺青人皮を持っているなら我々が買い取ろう。一緒に国を憂いてくれとは言わん。刺青を売ったカネで故郷に帰り嫁さんでももらって静かに暮らせる道もあるが…若いもんにはつまらん道に聞こえるかね?」

刺青人皮の収集と金塊の争奪戦は死と隣り合わせの旅だ。たった一枚のそれを手に入れるために茨戸では多くの人間が死んだ。そして夕張では炭鉱事故に巻き込まれて命の危機に晒された。その上あの鶴見も争奪戦に加わるとなれば熾烈を極めることは言うまでもない。

「のっぺらぼうに会って確かめたいことがある。それまでは金塊が見つかってもらっちゃ困る」

杉元は銃を下ろした。ここでの戦闘の意思はないらしい。ナマエはひとまず目先の危機を回避したと胸を撫で下ろせば、またグルルッコロコロコロッと鳴き声のような音が聞こえる。
牛山の「会いにいくだって?」と言う声にもコロコロとかき消すように音がして、どうにもその音が少女から聞こえる、と少女に視線をやれば辛抱たまらなくなった杉元が「なぁに?コロコロって!」とツッコミを入れた。

「私が何か作りましょうか?」
「家永生きてた!!」

ひょいっと家永が永倉の後ろから顔を出し、杉元がそんなことを言うものだから、ここもここで知り合いであると言うことが伺える。奇妙な縁だ。尾形も杉元たちと面識があるようだし、牛山や家永もそうだ。
ナマエは家永に呼ばれ、食事の支度を手伝うことにした。家永は手先が器用で料理も得意なようだった。それが女性然とした見た目と関係があるのかは知るところではないが、二人分の手があれば土方一行のおさんどんも随分と楽になった。

「何を作りましょうか」
「街でなんこを貰ったのよ。これで鍋でも作りましょう」

なんこ。聞きなれない食材だが、野菜か魚か、それとも肉か。家永が取り出した竹の皮の包みには動物のモツのようなものが収まっている。

「なんこ、って、何のお肉なんですか?」
「なんこは馬の腸よ。ちょっとクセはあるけれど、煮込むととびきり美味しいの」

まるで自宅の厨のような手際の良さで家永が鍋やらかまどやらを準備していく。ナマエもぱたぱたと動き回って、人数分の器と箸と、必要なものをあれこれと用意した。

「家永さん、あの兵隊さんたち…杉元さんたちとお知り合いだったんですか?」
「知り合いというほどではないけれどね。あなたたちに合流する前、札幌のホテルで会ったことがあるのよ」

いわく、家永を一行に加えようとしたのは牛山らしく、そのきっかけになった出会いが札幌のホテルでのことだったそうだ。そしてその時に奇しくも杉元一行と顔を合わせたことがあったのだという。

「何か気になることでもあったかしら?」
「いえ、なんだか皆さんいろんな縁で繋がっているみたいで…不思議だなぁって思っていただけです」
「ふふふ、それを言うなら、ナマエちゃんと彼もそうじゃないかしら」
「私ですか?」
「町娘が脱走兵と一緒にお宝探しだなんて、随分と劇的だと思うけれど」

家永の言葉に、街で出会った酔っ払いのことを思い出す。「兵隊さんと町娘なんて珍しい組み合わせだねぇ。お嬢ちゃんたち、まさか駆け落ちかい?」確かに軍装の尾形の隣で、明らかに身内でもない町娘の恰好をしたナマエが立っているのは奇妙な組み合わせだろう。

「やっぱり二人はそういう仲なのかしら」

じっと家永がナマエを見つめる。確かにナマエは尾形を好いているけれど、別にそういった関係にあるわけではない。結局連れ出された理由もよくわからないままだし、尾形とナマエがどういう関係にあるか、という話はどうにも答えづらいものだ。

「そういうんじゃ、ないんです…」
「あら、そうなの?」

言いづらそうにナマエが口ごもると、家永はずいっと顔を近づけてナマエを観察する。よくよく見れば、老人とまでは思えない程に色んなものを覆い隠す厚化粧で迫る顔から白粉の匂いが漂う。

「だけど彼はーー」
「おい変態ジジイ、ナマエに余計なこと吹き込むんじゃねぇ」
「あら、王子様のご登場ね」

家永の言葉を遮るように尾形の声がかかった。厨の出入り口からぬっと顔を出し、調理台のそばに立っていたナマエのところまで歩み寄る。

「メシは出来たか」
「あ、はい。もうお持ちするところですよ」
「貸せ」

ナマエが何を言う間もなく尾形がナマエの手元にあった皿を取り上げる。そのまま踵を返してしまい、ナマエは箸の類を持ってその後ろを追いかける。半歩後ろをついて歩いていると、尾形がじろっとナマエを見下ろす。

「え、っと…?」
「…不満か?」

尾形の主語のない言葉の裏を読むのは難しい。不満。不満とは何に対する不満だろうか。特にこの旅の道中不満に思っていることなどない。医薬品等の必要なものは土方の財布で買ってもらえる。今のところ衣食住だってどうにかなっているし、不満らしい不満は思い当たらない。

「特に不満はありませんけど…」
「…ならいい」

尾形はひゅっと視線を前に向け、土方たちの待つ部屋を目指す。不満。強いて挙げるとするなら、自分を連れ出した理由を聞けないことだろうか。けれどそれを聞いてしまうのは、少し恐ろしい気もした。


人間の剥製が坐していた長い食卓に並んで座る。土方、永倉、尾形、ナマエ、家永…と順に並ぶ様はまるで西洋の名画「最後の晩餐」のようである。
真ん中の少し右側に鍋を置き、そこでナマエと家永が器に中身をよそっていく。味噌の芳醇な香りが部屋に立ち上り、ナマエの腹もぐううと鳴ってしまいそうだった。

「なんこ鍋でございます。夕張を含む空知地方の郷土料理で、炭坑夫の間で広まったらしいです。腸を味噌で煮込んだ、いわゆるモツ煮ですね」

家永がそう説明してみせて、白石がじいっと疑わしいとでもいうように「なんこ」を箸でつまみ上げる。そして「オイ家永、この肉…大丈夫なやつだろうな?」と言った。
大丈夫なやつ、という意味がわからずナマエが首を傾げていると、その意図を汲み取ったらしい家永は「なんこ」の正体が馬の腸であることを伝えた。キロランケがそれを聞いて苦い顔をする。

「………あんたら、その顔ぶれでよく手が組めてるな」

食卓の向かって左側に座っている杉元が口火を切った。そのまま尾形に視線を向ける「特にそこの鶴見中尉の手下だった男…」と続ける。

「一度寝返った奴はまた寝返るぜ」
「なっ…!!」

真っ先にその言葉に反応したのはナマエだった。尾形が鶴見の元を離れたのは確かだが、出会って間もない人間になぜそんなことを言われなければならないのか。
ナマエだって尾形の人間性を全て理解しているわけではないのだから、これは完全にナマエの利己的なものだと自覚はしているけれども。
口から反論が飛び出そうなナマエを尾形がスッと片手で制し、そのまま右手を胸元に当てると見下ろすように角度をつけて杉元に視線をやった。

「杉元…お前には殺されかけたが俺は根に持つ性格じゃねぇ。でも今のは傷ついたよ」

芝居じみた調子でそう言うと、全員が黙ってその場の空気が重たくなる。白石が「食事中にケンカすんなよ」と仲裁したが、結局食事を終えるまで全員がほとんど黙ったままだった。

「いずれにせよ、坑内に月島軍曹の死体が無いか確認するまでは夕張から動けんが、死体がなければ絶対に判別方法を見つけなくてはならなくなる」

食事をあらかた終える頃、土方が湯呑み片手に切り出した。月島軍曹の死体、と言う言葉にナマエは息を飲む。それを尾形が横目で見た。

「私……思い当たる人物がいます」
「贋物を見抜けそうな人物か?」
「熊岸長庵という男です」

家永の言葉に永倉が相槌を打ち、それに更に家永が答えた。どうやらその「熊岸長庵」という男のことは白石も知っているらしく「あの贋札犯か!!」と指をさした。
いわく、その男は贋札作りで有名であるらしいが、そもそも美術家であり、あらゆる美術品の贋作師でもあるという。蛇の道は蛇というわけだ。

「美術品の贋作師?まぁ何もないよりはマシか……んで、そいつはどこへ行けば会えるんだ?」
「月形の樺戸監獄に収監されています」

月形。夕張の北、石狩川の右岸に位置する小さな町であり、維新前は松前藩領であった。明治14年に樺戸集治監、のちの樺戸監獄が設置され、月形村という名の由来はそこの初代典獄の姓に由来するものだ。
行き先は決まった。あとは炭鉱事故の現場が収束するどさくさに紛れ、月島の死体の有無を確認して次の行動に移る。


一同は土方の取っている宿に戻り、体の汚れを落とすことを含め体勢を整えることになった。大した汚れも怪我もないナマエは永倉と買いだしに出て、そこで「風呂敷包を持って行動するのは大変だろう」と肩掛けの鞄を買ってもらった。
確かにこれから更に厳しい旅になるのだとしたら、いちいち両手の塞がる風呂敷包では身動きが取りづらい。

「永倉さん、ありがとうございます」
「このくらい構わん。まぁなんだ、怪我はするなよ」
「はい」

小樽の拠点で土方が言っていた通り、永倉は女子供に優しいタチらしい。ナマエのことも孫とでも思っているのか、何かと気にかけてくれていた。
ひと通りの買い出しを終えて、まだ用事があるという永倉と別れて宿に戻ると、すっかり煤を落として身綺麗になった尾形が部屋の隅で小銃の手入れをしていた。襖を開けた途端に目が合い、視線だけでそばにくるように指示をされる。

「ただいま戻りました」
「なんだ、その鞄」
「これですか?ずっと風呂敷包持ってちゃ不便だろうって永倉さんが買ってくれたんです」

ちょこん、と隣に座ると、尾形は不満げにグッと眉間へ皺を寄せた。

「あまり好色ジジイに懐くな」
「好色ジジイって。別に孫みたいだと思われてるだけですよ」
「どうだかな」

尾形がふんっと鼻を鳴らす。きょろきょろと部屋を見回してみたが、今は尾形しかいないらしい。ナマエは食事の時からずっと気になっていた疑問を口にした。

「あの、尾形さん。杉元さんに殺されかけたっていうのは…」
「言葉の通りだぜ。小樽の山でやつと殺り合って腕を折られてな。それから川に落ちて顎が割れた」
「えっ…!じゃあ2月の大怪我って…!」
「ああ。杉元に殺されかけた時にこさえたもんだ。まぁ、殺す気があったのはこちらも同じことだが…」

尾形の負傷の理由までは聞いていなかったが、まさかそんなことだとは思いもしなかった。しかもその殺されかけた相手と今度は行動を共にすることになるだなんて、つくづく妙な旅になっていく。

「まぁ、殺人鬼じゃねぇんだ。俺はともかく、お前は滅多なことがない限り殺されやしねぇから安心しろ」
「俺はともかくって…安心できませんよ…」

ナマエがため息をつくと、尾形が愉快そうにハハッと笑った。愉快なことなんてあるもんか。現状協力関係を結んで一緒に行動をすることになるようだが、いつ何がどうなってもおかしくないことは変わりない。しかもあの尾形の命のぎりぎりまで手を伸ばしたと言うなら杉元という男は相当に強いのだろう。味方であれば心強いということは敵となれば恐ろしいと言うことだ。

「あの…あとアイヌの女の子って…」
「ああ、アシリパか。土方のジジイが喋らせねぇように話を切ったな…ひょっとすると、本当にのっぺらぼうの娘かもしれんぞ」

ナマエの意図するところはすぐに伝わり、尾形からそんな回答が返っていた。のっぺらぼうの娘。それが本当なら、アシリパの父親はこの残酷で怜悧な暗号の首謀者ということだ。
杉元はのっぺらぼうに会って確かめたいことがあると言った。それはアシリパと父親を引き合わせたいと言うことなのだろうか。
どんどんと黒く渦巻いていく金塊争奪戦からこぼれ落ちてしまわないようにと自分を叱咤する。ここまで来たのだ。足手まといにはなれない。



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