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ナマエの拠点での役割は主に炊事洗濯等のおさんどんである。
薬店でも自分のことは自分でやっていたから勝手がわからないわけではなかったが、これだけの人数の生活を賄うのは初めてのことでいくらかあたふたとした。

「君は薬店に奉公していたんだろう」
「は、はい…小樽薬店で5年ほどお世話になっていました」

洗濯物を干しているナマエに話しかけたのは土方歳三であった。初めて見た姿が茨戸での緊迫したものだったから、どうしても話しかけられるとぎゅっと筋肉が固まってしまうような感覚がある。
しかし彼らが単なるあらくれ者ではないということは充分理解していた。

「私も若いころは薬を売って回っていたんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。石田散薬といってな、私の生家伝来の薬を売って歩いていた」

思わぬ共通点に話が弾んだ。ナマエに薬売りの経験はないが、街を出た後にこんなふうに薬の話が出来る相手がいるとは思ってもみなかった。

「小樽薬店というと小樽で一番の問屋だろう。品ぞろえも相当だったんじゃないか」
「はい。輸入薬も幅広く取り扱ってました」
「薬の知識があるのはありがたいな」
「何かお役に立てることがあれば良いんですが…」

土方が気を遣ってそう言ってくれているのだということは聞かずとも分かった。薬の知識など飾りのようなものだろう。医療知識があればまだしも、ナマエに出来ることといえば応急処置程度の事である。

「何か必要な薬があれば言いなさい。軍資金は用意してある」
「ほんとうですか?えっと、じゃあその…消毒液と包帯と…それから脱脂綿を買い足しておきたいんですが…」
「わかった。手配させよう」

助かった。どこで補充しようかと思っていたのだ。小樽じゃ下手をすると尾形よりも顔を知られている可能性がある。なし崩し的に店を出てきたために、もしかすると店主夫婦がナマエの行方を探しているかもしれない。
しかも消毒液や包帯なんかが売られている店で小樽薬店の存在を知らないところはない。ナマエと面識がなくとも店主が声をかけて回っていたら居所がわかってしまう。ここで自分の居場所を知られるわけにはいかなかった。


数日後、随分と大柄な男と華奢な洋装の女が土方とともに拠点に現れた。ナマエは玄関まで出迎えに行き「お帰りなさい」と声をかける。
男も女も目をぱちぱちとまばたかせ、それから女の方が「まぁ可愛らしいお嬢さんね」と笑いかける。自分よりも随分と彼女の方が美しく見えたから、こんな美人に褒められるなんて、とナマエはどぎまぎ「ありがとうございます」と返した。

「こんな若いお嬢ちゃんまでお仲間にしたのか、土方のジイさんよ」
「この娘は尾形が連れてきた。下手な真似をすると後が怖いぞ、牛山」
「何言ってんだ、俺は紳士だぜ」

大男は牛山というらしい。この拠点に来た日に尾形から聞いた名前だ。その話によれば、彼もまた、網走監獄を脱獄した囚人の1人である。
牛山に寄りかかりながら立つ女の方は怪我がひどいのか、頭と左腕に包帯を巻いていた。

「包帯変えましょうか?少し緩くなっているようですが…」
「まぁ、それじゃあお願いしようかしら」

女はまたにっこりと笑いかける。こんな美人に笑いかけられてしまうと女の自分でも照れてしまうな、と頭の片隅で考えた。
牛山に手助けされながら女は拠点の中に運ばれ、居間の隣に敷いた布団の上に座った。ナマエはてきぱきと包帯やら患部に処置が施されていた場合に備えた脱脂綿やらを準備して戻る。女は名前を家永カノと名乗った。

「ミョウジナマエと言います。ここへは尾形さんに連れてきてもらいました。薬店で奉公していた際に少し処置のことは学んだので、包帯の交換くらいなら問題なく出来ると思います」
「ナマエちゃんっていうのね、すごくキメの細かい肌ね…若くてうるうるしてる…羨ましいわぁ」

家永が怪我をしていない右手を伸ばしナマエの頬に手を伸ばす。触れるか触れないかのその瞬間、上から第三者の手でパチンと叩き落された。

「おい、余計なことするとはっ倒すぞ」

叩き落したのは尾形だった。いつの間にか尾形がそばまで来ていたらしい。家永は尾形の威嚇に伸ばした手をひゅっと引っ込める。
家永が挑発的に見上げ「あら、女同士で何か問題でも?」と家永が言うと「何が女同士だ変態ジジイ」と反論する。いくらなんでも女性に対してそんな言い方はないだろうと尾形に「ちょっと尾形さん」と嗜めるようなことを言えば、じろっと視線を向けてため息をつかれた。

「そいつは正真正銘のジジイだ。同源同治だとかなんとか言う迷信で人間を食う変態だぜ」
「えっ!?」
「あなた私のこと知っていたの?」
「いや、さっき土方のジジイに聞いた」

とんでもない内容をさも自然に家永は肯定するような言葉を返し、尾形がその情報の出所を吐いてみせた。ナマエは思わず家永と尾形を交互に見やる。尾形は相変わらずぶっきらぼうな顔で、家永は先ほどと同じようににこやかに笑っていた。

「私が男というのは本当よ。あなたのお肌いいわね、食べちゃいたいくらい」

その目がどう見ても冗談を言っているようには見えず、ナマエの喉がひゅっと鳴った。斜め上から尾形の舌打ちが聞こえる。

「おい家永、大人しくしとけよ」

また別の声がかかって振り向くと、立っていたのは牛山であった。手に家永のためだろう着替えを持っている。確かに怪我人がここで療養するならこの洋装よりも寝巻きに着替えてしまったほうがいいだろう。そして包帯を変えるならそのあとである。

「すまんなお嬢ちゃん、怖がらせたか?」
「い、いえ…大丈夫です。あの、包帯はお着替え済まされてから交換しますね」
「ああ。じゃあ準備が出来たら声をかける」

そのやりとりが終わるのを見て、尾形がくいっと顎でついてくるように指示した。それに従って家永の休む部屋を出ると、そのまま拠点までも一度出る。そこに来てようやくナマエはハァと大きく息をついた。

「びっくりしました…」
「だから用心しろと言っただろう」
「用心しろって…まさかこんなことだとは思わないじゃないですか」

網走監獄を脱獄した、なんて枕詞がついているのだから、当然その凶悪性に用心しろという意味だと受け取っていた。確かに人を食べるなんて凶悪極まりないが、それにしてはくっついているのもが突飛すぎる。尾形は先ほど家永を「変態」と称した。まったくその通りである。

「話によると刺青の囚人ってぇのは揃いも揃って奇人変人らしい。牛山も性欲の権化みたいな男だ。あまり近寄るなよ、食われるぞ」
「ひっ…」

にやりと尾形が片方の口角を上げる。先ほどの牛山は紳士的に見えたけれど、家永の件を思うと否定できないのが正直なところだ。
これからそんな奇人変人を見つけ出す旅をしようとしているのだと思うと気が遠くなる思いだった。


家永の着替えを待って包帯を交換し、それから消化に良いように茶粥を用意した。「何から何までお嬢ちゃんにやらせちゃ申し訳ない」と家永への配膳から先の役は牛山が買って出てくれた。やはり紳士のように思える。
尾形が嘘をついているようにも思えなかったけれど、あの話の真偽のほどは定かではないな、と少し思った。
ナマエが洗い物を終えて居間に戻れば、土方や永倉を始めとする一同が揃い踏みになっていて、この先の目論みの話が始まった。

「こっちにある刺青の暗号は……この俺牛山辰馬とここにいる家永、土方歳三、油紙に写した複製の暗号が2人分、そして尾形百之助が茨戸で手に入れた1枚……合計六人分だ」

牛山が情報を整理するように言った。火鉢を占有している尾形がぐいっと髪を撫で上げる。

「変人とジジイとチンピラ集めて蝦夷共和国の夢をもう一度か?一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが、政府相手に戦い続けられる見通しはあるのかい?」

蝦夷共和国とは、戊辰戦争末期に旧幕府軍が起こした事実上の政権だ。軍資金の調達のために地元住民からは寺銭を巻き上げたり一本木関門で通行税を出させるなどして随分と反感を買った。ナマエも亡くなった祖父からこの類の話は飽きるほど聞いている。
それもこれも、戊辰戦争における旧幕府軍の最後の最後の抵抗だ。今更この情勢で実現できるとは到底思えない。

「一矢報いるだけが目的じゃあ、アンタについていく人間が可哀想じゃないか?」

ぐっと尾形が上体を反らせ、縁側の寝椅子で新聞を広げる土方に投げかける。土方は一瞥もくれずに笑みを崩さなかった。
それをじっと見たあと、反らした上体を元に戻し、尾形はどこを見ているかも悟らせぬ視線で続ける。

「のっぺらぼうはアイヌなんだろ?」

尾形の言葉にその場の空気がピリッとは張り詰める。土方が尾形に視線を向け、永倉は小さく「鶴見中尉はそこまで掴んでいたか」とこぼした。
アイヌの金塊なのに、殺した男もアイヌだというのは何故だろう。仲間割れでもしたのだろうか。それとも、アイヌというのもナマエが考えているような一枚岩の存在ではないのか。

「のっぺらぼうが殺したアイヌたち……七名分の遺留品に共通点があったそうだ。男たちの小刀や煙草入れ、それら全てによく見ると新しい傷がつけてあった」

尾形によると、アイヌの葬式では死んだ人間があの世でも使えるように副葬品に傷をつけたり破壊してこの世での役目を終わらせるという風習があるらしい。七名の遺体はバラバラにされていたそうだが、それとは裏腹に全員の所持品に傷をつける行為はどこか懺悔のようなものを感じさせる。

「なぜ殺した?殺された七名は各地の村の代表者で和人と戦う武器を買うために金塊に手をつけた。のっぺらぼうの目的がアイヌによる北海道独立ならばどうして仲間割れした?殺された7人が金塊欲しさに裏切ったのか?」

尾形が朗々と推理を続ける。ナマエは投げかけられた疑問符をひとつずつ理解をしようとしたが、まるで話が見えてこない。

「おそらくのっぺらぼうはアイヌになりすました極東ロシアのパルチザンだ」

割って入ったのは土方だった。耳慣れない言葉にもうついていけないと途方に暮れていたが、牛山が「なに?それ…」と言ったことで補足の説明がされる。
曰く、ロシアと言っても暮らす民族は一枚岩ではない。白系ロシア人が支配する帝政ロシア、レーニン率いるユダヤ系の共産党、そしてそれらに抵抗運動をしている極東に住む少数民族。ロシア国内では三つ巴の殺し合いがずっと続いていた。

「つまりのっぺらぼうは極東ロシアの独立戦争に使うため、アイヌの金塊を樺太経由で持ち出そうとして失敗したのが今回の発端なわけか」

尾形がそうことの結論をまとめる。ナマエは数拍遅れながら説明された話を飲み込むことに努めた。牛山がじっと土方を見る。

「ジイさん、あんたこれっぽっちものっぺらぼうを信用していなかったんだな。ということは監獄の外にいるというのっぺらぼうの仲間も…」
「アイヌになりすましたパルチザンの可能性が高い」

牛山の言葉を引き継ぐように土方が続けた。
ことはアイヌと和人の話では済まないらしい。ナマエが想像していたよりもっとずっと複雑で業の深い話のようだ。

「で、この先どうするつもりだ?何か次の刺青人皮のアテはあるのかい?」

尾形がナデナデと髪を撫でつける。土方が笑みを深め、寝椅子の脇から新聞を取り出して尾形の方へと投げた。それを受け取ると、尾形が紙面に目を通していく。

「数ヶ月前、炭鉱事故で妙な入れ墨の炭坑夫が病院に運び込まれたそうだ」
「炭鉱か…ということは」
「ああ、夕張だ」

次の目的地は夕張。そこまで情報の収集をしながら、その妙な入れ墨の真相を確かめにいく。



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