今夜このまま


呪術師なんかクソくらえ、と思うのは月に8回程度。つまり週2以上の頻度ではそう思っている。それでも何となく辞めずに続けているのは、呪術師という存在にかつて救われたことがあるからだ。
小学校の校庭で呪いに襲われて動けなくなっているところを夜蛾さん…つまり学長にたまたま助けられた。その時初めて呪術師の存在を知り、呪術師が日夜この危険な呪いというものから色んな人を守っているのだと知った。
私も誰かを助けたい。私も、夜蛾先生や他の呪術師のように困っている人を助けたい。そう志し高専へと入学し、今でもなんだかんだで呪術師を続けているわけである。

「彼氏と別れた」
「…冒頭の語り必要ありますか?」

そんな志しがあろうとなかろうと、私もいち人間、いち女である。恋愛したいし彼氏欲しいしあわよくば結婚したい。
それがなんということでしょう。私は齢26歳にして結婚どころか彼氏の姿かたちもないのです。いや、正確に言うと姿かたちもなくなったのです、かな。

「だってさぁ…君との将来が想像できないって言われたら詰みじゃない?」
「まぁ、そうですね」

私は後輩の脱サラ呪術師七海建人クンとともにえっさほいさと呪いを祓っている最中だった。等級は二級。私の等級は準一級。どうして雑魚任務を任されているかというと、出戻りの七海の付き添いである。

「あ、七海そっち一匹」
「はい」

七海の呪術師としての能力は非常に高い。今は戻ったばかりで多少動きが鈍いかもしれないが、感覚が戻ればまた一級に返り咲けるだろう。
鉈のひとふりでいとも簡単に呪いを霧散させる。

「ていうか、七海は?」
「主語を省略しないでください」
「七海建人クンは彼女いないんですか?」

ひゅんっと飛んできた非行型の呪いを撃ち落とす。私の武器は銃の形状の呪具である。何丁か持ってはいるが、今日は七海の援護なのでライフルをメインに使っている。

「いませんよ」
「え、意外」
「呪術界に負けず劣らずのブラックだったもので」
「そりゃあヤバい」

七海はかっこいい。まぁ、なんか五条を筆頭にえらく顔の整った男が多い気もするが、七海はそれだけでなく五条と違っていいやつだから、彼女のひとりやふたりいるもんだと思っていた。いや、いいやつならふたりはいちゃダメか。

「でもめっちゃモテたんじゃない?」
「大学時代はそれなりに。社会人になってからはあまりの目つきの悪さで総務の女性社員から殺し屋と呼ばれてました」
「あはは!確かに!」

確かにじゃないですよ、と嗜めながら七海が鉈をひと振り。もうこれ私要らなくない?というのが本音である。
七海は学生時代に一度一級術師になっている。高専を辞めたことで一度免状返却となり今はとりあえず三級となっているが、別に実力が著しく落ちているわけではない。こうやって二級を割り当てられているのが良い証拠だ。

「うーんこれで終わりかな」
「そのようですね」

だから二級の任務なんて瞬殺。私にとってもそこそこの雑魚任務だけど、七海からしたら多分もっと雑魚任務。
腕時計を確認すると、丁度お昼をまわったところだった。ぐう。お腹の虫もいい具合に鳴いている。

「七海、このあと任務入ってないよね?」
「ええ。今日はこの報告が終われば上がりです」
「じゃあ高専戻る前にご飯食べていかない?」
「賛成です」

お互い急ぎの仕事はないらしい。確かこの近くに美味しいとんかつ屋さんがあったはずだ。お腹を満たしてから高専に戻ってのんびり報告書を書くことにしよう。
そんなこんなで私と七海は帳を解き、とんかつ屋さんへと向かった。そもそも補助監督の帯同もさせていない時点で私に丸投げ過ぎるだろ、と諸々を割り振ったらしい五条を呪う。


それから一か月。七海はとんとんと等級を駆け上がり、とりあえず二級の身で一級の査定に入った。ここまでくると私のお役は御免である。せっかく可愛い後輩のひとりが出戻ったのに一緒に任務いけなくなるのは寂しいなぁ、と少し思うけれど、まぁそんな子供みたいなことは言ってられない。

「一級って私もなれないかなぁ」
「何いまさら言ってんの。無理でしょ」
「硝子、私に興味無さ過ぎ」

本日の任務を終えた午後7時。まだ残って研究があるという硝子のところでだらだらと話をする。マジで忙しいときは容赦なく無視をされるので、今日はまだ許容範囲らしい。

「なんでまた一級?」
「だって…なんか同期も後輩も皆優秀なんだもん。劣等感みたいな?」
「ナマエがそんなもん感じるタマだとは知らなかったな」

私も特別劣っているというわけではないが、やっぱり一級の壁は分厚い。硝子のいう通り、私には無理。努力友情勝利ではどうにもならないこともあると大人はよく知っている。
彼氏に「将来は見えない」なんて言われ、思い描いていた女としての未来は暗そうだ。なら呪術師としてバリバリ頑張りたいとは思うけど、この世界は才能が8割。

「なんかこうさ、パッと咲かせてみたいじゃん。花火みたいに!」
「速攻で散ってるじゃないか」
「あー、確かにー」

からからと笑う。まぁなんだかんだとこういう生活も悪くはないんだけどさ。と思うも、やっぱり時おり「呪術師にならなかった自分」とか「彼氏と結婚した自分」とかのことを考えると多少は気持ちが落ちこむものがある。
そうだ、こういう時は美味しいもの食べるに限る。

「硝子、ご飯行かない?」
「今日は無理だな。こっちの処理が終わらない」

そう言って硝子は電子カルテのようなものが映し出されているディスプレイを指差した。残念ながら、硝子の仕事は私にはさっぱり手伝ってあげられない。
仕方なくすごすごと硝子の研究室をあとにして、私は今日の夕飯のプランを練った。
クリームコロッケ、サバの塩焼き、オムライス。うーんどれも捨てがたい。この時間からならちょっとお酒飲むのも良いかもしれないなぁ。そうなると、しっかりめの洋食屋さんは除外かも。
そう考えていると、スマホがフルフル震えた。どうせどこかのダイレクトメールだろうと思いながら画面を確認すると、差出人に「七海建人」の文字。

『お疲れ様です。今上がったところなんですが、食事でもいかがですか』

珍しい。というか、一緒の任務終わりでもないのに誘ってくれるなんて初めてかも。私は即座に『お疲れ様!ご飯行こう!』と返信をする。
今上がったってことはまだ現場かな。そう思いながら所在を尋ねると、これから高専を出るところだという。なんだ七海も高専にいたんだ。

『私もまだ高専にいるよ』
『わかりました。では門のところで待ち合わせんしましょう』

ラッキー。これでひとりご飯は免れた。べつにひとりでもラーメン屋に行くタイプではあるけど、気持ちが落ちこみかけているときは誰かと一緒に食べたいものだ。
私の方が早かったようで、しばらく門前で待っていると七海が数分遅れてやってきた。「何食べに行く?」と聞けば「気軽なスペインバルでも」と提案される。さすがグルメは違うなぁ。私の行きつけのラインナップにそんなお洒落なお店は載っていない。


目黒の駅の近く。気軽なスペインバルというのはお洒落で女性客も多いようだ。

「わぁ、全部美味しそー」
「ここは料理もいいですがワインの品ぞろえも中々凝ってるんですよ」
「流石七海の行きつけだなぁ」

バルらしい背の高くて面積の小さいテーブルには軽く摘まめる系統の料理がいくつも並ぶ。初心者だから七海が選んでよ、なんて言って全部七海に選んでもらったもの。ワイングラスにはリオハで作られた赤ワインが注がれている。
このリオハというのはスペイン北部にある有数のワイン産地でオークによる熟成を伝統としているらしい。ちなみに私は七海から披露されたこの蘊蓄の半分くらいしか理解していない。

「お疲れさま、乾杯」
「ええ、お疲れ様です」

軽くグラスを傾け合い、ワインを口に含む。口の中に広がるワインの豊かな香りが鼻へすうっと抜けていく。これは確かに美味しいワインだ。

「美味しい。すごいね、普段飲んでるのと全然香りが違うや」
「テンプラニーリョを使ったオーク熟成ですからね。スペインの方は熟成されたワインを好む傾向にあるそうですよ」

物腰とか語り口とかは偉大なもので、こうして蘊蓄を話されても七海からだと全然嫌味な感じがしない。多少私の贔屓目もあるかもしれないが、いい男というのは何をしてもいい男なのだ。

「すごいなぁ、七海」
「何がです?」
「こんな素敵なお店知ってて。やっぱ女の子にモテそう」
「…またその話ですか」

また、というのは主に後半のことだろう。でもやっぱ七海モテると思うんだよなぁ。
ブラック会社パンピー時代がいかに殺し屋の目つきをしていたといえど、そもそも七海がいい男であるところは変わりない。彼が気付いていないところで思いを寄せていた女性社員はたくさんいるに違いない。

「だってさぁ、七海なら引く手あまたでしょー?私も一回くらいより取り見取りの立場になってみたい」

どうしようもないことで管を巻きながらワインをもう一口。やっぱり二口目もしっかり美味しい。

「ミョウジさんも、充分魅力的だと思いますが」
「ああ、いいよいいよ。お世辞言わせるつもりじゃなかったんだって。ちょっと拗ねたい気分になっただけだから」

そう笑い飛ばす。本当にそんなつもりじゃなかったんだ。お世辞言ってもらったって彼に振られたことは変わらないわけだし、自分がそれで良くなるわけなんかないとは充分理解しているし。
ただ少し、出来過ぎた後輩が羨ましくなってしまっただけなのだ。

「お世辞ではありません」
「は?」
「ミョウジさんは呪術師として優秀ですが、それ以前にそもそも人柄がいい」

七海がじっと私を見つめる。オフ用に眼鏡をかけていて、そのレンズの向こうでブルーグリーンの瞳が私を追い詰めた。
お世辞でないなら一体なんだって言うんだ。本心?まさか。
七海ほどの男が私のことをそんなふうに思っているわけない。絶対。多分。

「ミョウジさんは人を見る目がありますから、今までの恋人が皆人間性のしっかりした相手だったことは知っています。なので、それに割り込んでまで自分の我を通すつもりはありませんでした」

七海は私のどうじようもない心臓なんてお構いなしで話を続ける。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことで、私は七海のブルーグリーンによってすっかりその場に縫い留められる。
七海の攻撃…もとい口撃は止まず、さらに言葉が降り注いだ。

「明るくて前向きなところはいつも救われますし、どんな状況でも人を気遣える優しさは誰にでも備わっているものではありません」
「な、ななみ…」

そんなことない。全然私なんて普通だし、七海にそんなこと言われるほどのことはひとつもない。わかっているはずなのに七海の声でそう続けられると、まるでそっちが正しいような気持ちになってきちゃうから危険だ。

「…やめて、これ以上おだてられると七海の事好きになっちゃいそう」
「なってください」

テーブルの下ですっと七海の手が伸びる。私の指先を捕まえ、様子を伺うように、でも確かに指が伸ばされ、あっという間にまるっと彼の手のひらのうちに納まってしまう。
大きくて分厚い手が私のささくれた指先を撫でる。ブルーグリーンが私を見つめる。

「私は元々、アナタを口説いているつもりですから」

七海の落ち着いた声が私の鼓膜を揺らし、それから言葉は脳みそに渡ってするすると心の中に沁み込んでいく。嘘でしょ、七海が、私を。
私が思わず「マジで?」と聞くと至極真面目な声で「マジです」と返ってくる。

「私ならその男性と違ってミョウジさんとの将来が想像できますが、いかがですか」
「い、一旦持ち帰らせていただきます…」
「ご検討よろしくお願いします」

勤めたこともないくせに会社員みたいな文言が飛び出て、七海がそれをフッと笑って鮮やかに打ち返した。それから私の動揺なんてお構いなしの涼しい顔のまま空いた左手でワイングラスを傾ける。
そのグラスに自分の情けない顔が反射して、いたたまれなさに拍車がかかった。
じとりと七海を見れば、ブルーグリーンの瞳がそれに応える。暗いと思っていた未来は、思いのほか明るいのかもしれない。


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