きっと世界は寂しい


寒い日のことだった。

「しょーこ、傑、悟、こっちむいて!」

4人揃っての任務帰りの夜、その声に俺たちが振り向くと、カシャ、という音でシャッターが切られた。
ナマエの手の中にあるのは、最近機種変したばかりだというケータイだった。

「オマエ、なに勝手に撮ってんだよ」
「いいじゃん。ほらみて、暗いけど、結構良い写真じゃない?」

そう言って、ナマエは自分のケータイの画面をこちらに向ける。
全く気の抜けた状態だったはずなのに、傑だけしっかりキメ顔しててムカつく。

「お、なかなかイイじゃん」
「確かに。悟のアホ面がいい感じだね」
「ア!?」

硝子と傑が画面を覗き込んでそう言い、ナマエもくすくすと笑う。ナマエはケータイを引っ込めて、小さな画面を大事そうに見つめた。
本物が目の前にいるだろ、とからかってやろうとしたけれど、あまりに真剣な様子にタイミングを逸してしまった。

「悟、耳が赤いよ」
「うっせ」

本人は微塵も気付いていないくせに、どうしてだか親友は俺の気持ちを知っていて、こうして邪魔にならない程度の茶々を入れる。邪魔にならない程度っていうのが怒れないから逆にタチが悪い。
ナマエに視線を戻すと、硝子と二人でケータイの画面を見ながらなんやかんやと話をしていた。

「あ、でも写メだと現像出来ないね」
「全員に写メ送りゃいいじゃん」

そう言うと、傑が「結局欲しいんだ?」とからかってきたので、むかついてポケットに入っていた飴玉のゴミを投げる。もちろんあっさり避けられ、包み紙は地面にぽとりと落ちた。

「こらこら、ゴミを投げたら駄目だろ、悟」

そう言って、傑は落ちたゴミを拾ってすぐそばのゴミ箱に捨てる。ムカつく、その正論。
チッと舌打ちをして視線を戻すと、ナマエがまた神妙な顔で画面を覗いている。画面から放たれる白々しい光がナマエを不健康に照らす。
その白さにどきりとして目が離せないでいると、ナマエはひゅっと顔を上げた。

「ねぇ、悟」
「な、なんだよ…」

見ていたことがばれたのかと思って、心臓が急に脈を打った。柄にもなく動揺して、ナマエの次の言葉を待つ。

「なんで夜って綺麗に写真撮れないんだろう。知ってる?」
「……は?」
「ほら、だって星空とか夜景とかさ」

続けられた言葉に拍子抜けして、俺は深く溜め息をついた。

「知らねーよ、馬鹿」

少し後ろで傑と硝子がゲラゲラ笑っている。ムカついたので何か投げつけてやろうとポケットの中をまさぐって、何もなかったから「笑ってんじゃねー!」と声だけで噛み付いた。
高専二年の、年末のことだったと思う。


三日前、同期が死んだ。いや、この言い方は正しくない。僕が殺した。
10年前山村の住人を皆殺しにするなんて馬鹿をした親友が、いつの間にか宗教団体の教祖になり、一ヶ月ほど前に宣戦布告にやってきた。
狙いは何かと思えば憂太を殺して特級過呪怨霊の折本里香を得ようという魂胆だったらしい。憂太がぎりぎりまで追い詰め、逃げおおせようとしたところを僕が心臓を貫いて殺した。

「悟、海に行こうよ」

今朝、起き抜けにナマエが言った言葉。
新宿百鬼夜行の事後処理の小休止として与えられた、特級の僕の珍しい休日だったけれど、可愛い恋人の誘いを断る理由はない。
どこへ行くのか行き先を任せていたら、連れてこられたのは浜辺に雪の積もる海だった。

「はぁ、寒ぅ…さすが冬の海だねぇ」

ざざざ、ざざ、ざざざ。
波の音が容赦なく鼓膜を揺らす。冬の日本海というものは、どこまでも凶暴だ。僕はナマエと二人、浜辺をあてもなく歩いていた。

「来たいって言ったのナマエでしょ」
「そうなんだけどさぁ」

さく、さく、さく、雪と砂を同時に踏みしめる音が波の凶暴な音に混ざって聞こえる。視界が悪いから音をは余計に大きく聞こえた。
僕は彼女に合わせ、随分と狭い歩幅で足を進める。

「冬の日本海って異世界みたいじゃない?」
「あ、ちょっとわかる」
「ね。こうやってさ、雪が砂浜にまで降り積もって、雪の白と波の白とで視界の中が白ばっかりになってさ」

隣でナマエは両手を広げ、目一杯そのさまを説明した。眼前には荒れて濁った海が広がっている。時おり風がびゅうと吹いて、砂と雪を巻き上げた。
さくさくさく。海岸線はずっと同じ風景が続く。そばの道を何台かの車が通り過ぎた。

「あ、悟、みて。あっちの方で鳥が飛んでる」
「本当だ。とんびだね」

頭上をとんびが旋回した。ナマエは首から下げたデジタル一眼を構え、カシャリとシャッターを切る。
ナマエはいつからだったか、こうしてカメラを持ち歩くようになった。別に写真の才能があるというわけでもないから、写真はいつだって普通の、いい写真という風情だ。

「あちゃあ、逆光だ」

カチカチ液晶画面を見ながらナマエが映りを確認して「あれ」と言った。
ストラップを首に掛けたまま僕にその画面を見るように促したから、それに従って画面を覗き込む。

「悟、見て、逆光で失敗したかと思ったけど、結構いい写真じゃない?」
「うん。カッコいいね」

冬のうら寂しい空から注ぐ冷たい太陽がとんびの両翼によって遮られ、黒くその姿を浮かび上がらせる。いい写真だけれど、べつに特筆すべき点は特に思い当たらない。僕はナマエの撮る凡庸な写真が好きだった。

「シャッタースピードってあるでしょう」

ナマエが脈絡もなく言う。僕はうん、とだけ頷いて、話の続きを待った。

「あれってね、文字通りシャッターを切る速さなんだけど、速くすれば瞬間を綺麗に切り取ることが出来て、遅くするとぶれちゃうけど、その分動きのある写真になったり、あと暗いところでたくさん光を集めたり出来るの」

ナマエいわく、例えば夜景や星空を撮るときは、シャッタースピードを遅くして、光を集めて適切に露光しないと美しく撮影することが出来ないのだという。フラッシュバックしたのは17歳のあの夜のことだった。

「だから星の写真は、シャッタースピードを遅くすれば上手に撮れるんだよ」

あの日ナマエは機種変したばっかのガラケーで僕と傑と硝子を撮ってたんだっけ。そうか、傑がいなくなってからだ。ナマエがカメラを持ち歩くようになったのは。
あの日僕は不意打ちでぼうっとした顔になって、硝子はいつもの眠そうな顔をしていて、傑だけキメ顔だったのがムカついた。
不意打ちに間抜け面を晒してしまったのは、レンズの向こうにナマエがいたからだ。

「悟、今度は一緒に星を撮りに行こう」
「いいね」

さく、さく、さく。ナマエは歩く速度を緩め、カメラを海に向けた。沖では大きな船が航行しており、その大きさから海の深さを測る。
今日も世界はなんてことない顔で朝を迎えて、きっと夜を迎える。僕らが大切なものを失って、大切なものを取り戻したこととはまるで関係なしで。

「なんでずっと写真撮ってるの?」
「うーん、残しておきたいからかなぁ」

ナマエは少し考えるような素振りをしてからそう言った。

「ずっと色んなものが変わっていくでしょう。ひとも、町も、世界も。だからさ、私はその瞬間を忘れないでいるために、こうやって写真を撮ってるんだと思う」

まるでどこかの写真家が言うようなつまらないセリフは、ナマエのくちから紡がれたというだけで特別大事なもののように思えた。ナマエの手の中で記録されていくのだとしたら、それはきっと普通で、凡庸で、ありふれたどこにでもある記録になるのだろう。それはきっと心地がいい。

「今更だけどさ、カメラって呪術師にしちゃ随分な趣味だよね」
「ふふ、私もそう思う」

呪いは人の負の感情だ。
写真は時としてその感情の媒体になり、感情を増幅して呪いに転ずる足がかりになることもある。
そんなものを積極的に残そうとは、随分なことだ。

「じゃあ、悟が死んだらこれ憑いて呪ってくれる?」
「ヤだね。てか僕が呪いに転じて死ぬなんてことがあったら日本終わるでしょ」
「確かに」

その時は一面焼け野原だね。そう言ってなんでもないことのように笑う。
平和主義者ですって顔をしているくせに、ほんとうはしっかりイカれている。ナマエはいつも綺麗すぎるから、そういう側面を見ると安心する。
ナマエは一眼を両手で構え、僕の方へレンズを向けた。カシャ。なんでもない僕を撮る

「へへ、隙あり」
「こんなの撮って楽しい?ちゃんと声かけてくれればもっとポーズとったりキメ顔してあげるのに」
「いーの。こういう悟が好き」

ナマエがまたカチカチと手元で写りを確認する。今度は僕に見せてくれないらしい。
ナマエは出来栄えに満足したようで、肩から下げてたカメラバッグに一眼を収めた。

「悟がいなくなって日本がぐちゃぐちゃになったら、いっぱい写真撮ってあげる」

その話、まだ続いてたのか、と思いながら「なんで?」と尋ねると、ナマエがふふふと笑った。

「悟のいない世界はこんなに寂しかったんだよって、地獄で悟に教えてあげるの」

ざん、波が一等高くなって、浜辺へ押し寄せる。目頭まで冷やしてしまうような冬の匂いがつんと鼻から抜けていく。吐き出した息は白く、僕とナマエがここに生きていることを証明していた。

「ナマエも地獄に来てくれんの?」
「当たり前でしょ。呪術師なんだから」

僕はナマエの小指と自分の小指を絡めて、まるで指切りをするように繋いだ。
さくさくと音を立てながら、砂と雪の浜を進む。僕はなるべく小さな歩幅で、ナマエはいつもより大きな歩幅で、ふたり互いを一人にしてしまわないように隣り合って歩いた。

「悟がいなくなったら、世界はきっと寂しいよ」

ぎゅっと、僕の小指を握る力が強くなる。
大丈夫、僕は君を一人になんかしない。と、頭の中で考えて、親友一人救うことの出来なかった僕に一体なにが出来ると言うんだと、10年前の自分が自分を笑った。

「大丈夫、私は悟のそばにいるよ」

見透かされたのかと思って、どきりとした。
思わず見下ろすと、ナマエは僕のほうを見てなんかいなくて、真っ直ぐに前を見つめていた。

「…敵わないな、ナマエには」

僕は繋いだ小指を解いて、そのまま五本の指を絡ませてナマエを捕まえる。僕は彼女のか細い手を引いて隙間なく寄り添えるように抱きしめた。

「地獄に行ったら皆に報告しようね。わたしたち、結婚しましたーって」
「傑のやつ、何て言うと思う?」
「私の前で惚気るのは辞めてくれ、かな」

ナマエが全然似てない傑のモノマネでそんなことを言って、でもあいつなら言いそうだなってところがありありと想像できておかしかった。
傑はスカしたふうでいてめちゃくちゃ顔に出るタイプだから、物凄いあからさまに顔を歪めるんだろうな。ちょっとそれは拝んでやりたい。

「ま、僕がナマエを置いていなくなるなんてことはないんだけどさ」

それは例えば地球と月が引き合うように、天体たちがそれぞれバランスを取りながら公転するように、僕たちが、ここでまっすぐ立っているために。
一番弱い部分を晒し合って、僕たちはこの寂しい世界に二人でやっとひとつだった。


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