ピスタチオ・スカート
小学校の頃に思い描いていたのは漫画やテレビで見るような高校生活で、まさか呪術高専に入って呪いを祓うことになるとは思ってもみなかった。同級生なんて普通の高校の10分の1以下。しかも寮生活なんかをしているから、必然的に男女関係なく一緒に行動することが多かった。
「ねぇねぇ灰原、マカロン買いに行こ?」
「まかろん?」
授業を終えた放課後、同じ教室で同級生が二人でそんな話を始めた。マカロンってこの前五条さんがなんか話してたな、と思いながら会話には参加せずに二人の話を黙って聞く。
「最近流行ってるお菓子だよ。超甘いんだって。五条先輩が食べてたから一個下さいってお願いしたらせせら笑いながら却下されたんだよね」
「うわぁ、めちゃくちゃ想像できるね」
「ということで私の口はいまマカロンを求めてるの」
灰原の言う通り、五条さんがミョウジをせせら笑う様が容易に想像できる。ミョウジがティーン誌をひろげ、灰原が覗き込む。二人はきゃっきゃとはしゃぎながらページを指で追っていた。
灰原とミョウジは概ね同じようなタイプに思えるが、私とは少なくとも正反対だった。放っておけば二人で延々とお喋りをしていて、なんとなく波長も合うようだ。
「よし!マカロン求めてしゅっぱーつ!」
「おー!」
そう言って二人が立ち上がり、私が色々考えている間にマカロン専門店へ出発することが決まったらしい。まぁ放課後で任務もないし止める理由もないな、と思っていたら灰原がぐっと私の腕を引いた。
「ほら七海も準備して!」
「は?」
当然のように私が頭数に入っていて、ミョウジにも早く早くと急かされる。今日は寮に戻って本の続きでも読もうかと思っていたのに。そう思ってみるも、本当にそうしたいなら断ればいいわけで、そもそも放課後に教室で油を売っていなければいいわけで、つまるところ、私も二人と行動するのが嫌いではないかった。
ミョウジの目当てのマカロンの専門店は原宿にあった。女子が好きそうなパステルカラーの店構えに私は気後れしたけれど、妹がいる灰原はこういう店にも多少は慣れているのか、それとも生来の性質なのか、あまり気にした様子はなかった。
「うーん何味がいいかなぁ」
「種類たくさんあるんだね」
女性客ばかりの列に並び、二人は外に出された看板を眺めながらあれこれと考え始めた。味は8種類ほどあって、こんなに色々あることを私は初めて知った。パステルグリーンはピスタチオ味らしいが、ピスタチオに縁のない私はそれが一体どんな味がするのか全く想像できない。
「決めた!私ピスタチオ!」
「ピスタチオってどんな味?」
「わかんない!」
ミョウジがにへらっと笑う。どんな味か分からないから食べてみるって、なんかミョウジらしいな。そう思ってミョウジの後頭部を眺めていると、ミョウジがくるっと振り返った。
「七海は何にする?」
「私はバニラで」
「えぇぇ、冒険しようよぉ」
「初見で冒険はしませんよ」
ミョウジは不満げに「せっかくのマカロンだよ?」と口先を尖らせるが、そんなことをされても結果を変えるつもりはない。私は彼女と違って初めて食べるなら無難な味にしておくタイプだ。
そうこうしている間に順番が進み、私たちはそれぞれ目的のマカロンを購入した。
「楽しみだねぇ」
「ねぇ」
電車に揺られて高専までの道のりを戻る。ミョウジは灰原とマカロンの店のことや次の休日のことについて話していて、時おりこちらに同意を求めた。当たり前のように私も頭数に入れられているのが少しくすぐったい。
何度か乗り換えて最終的に高専近くまで向かうバスの出ている駅で電車を降りる。いつも通り灰原とミョウジが並んで歩いて、私は一歩後ろをついて行った。
「妹ちゃんこういうの好きなの?」
「どうだろ、東京行ってみたいとかよく言うから流行ってるものは好きかも」
「今度送ってあげる?」
二人の会話を聞きながら歩いていてギョッとした。ミョウジのただでさえ短いスカートがくるんとめくれ上がって、下着こそ見えていないものの結構、だいぶ、かなり危ない丈になってしまっている。指摘しなくてはと思ったのに、こういうのってどうやって女子に指摘したらいいんだ、と逡巡してしまってろくに言葉が出てこない。
「ミョウジ…」
私は制服の上着を脱ぎ、とりあえず彼女の下着が見えてしまうような事態は避けてやらねばとミョウジの腰のあたりを隠すようにして上着で周囲の目を遮った。
背後の私の行動に気が付いたミョウジがきょとんとした顔で振り向き、つられて灰原も振り返った。
「七海?どうかした?」
「あー、いえ…その…」
不自然に上着を差し出し口ごもる私に、ミョウジが訝しむような視線をなげる。妙なやつだと思われるのは御免だし「スカートめくれてますよ」と小声で言ってやろうとした時だった。
「あっ、ミョウジスカートめくれてパンツ見えそうだよ!」
「エッ!」
灰原がいつもの声のトーン、つまりそこそこに大きい声でそう指摘して、ミョウジがササッとスカート丈を確認した。めくれていたところを引っ張って正しい位置に戻し「やだー、いつからだろー」と少し恥ずかし気に笑った。
「てか灰原、声おっきすぎ!言ってくれたのはありがとうだけど!」
「ごめんごめん、妹の指摘してる気分だった」
「もー…七海もありがとね」
ミョウジは私が不自然に差し出していた上着の理由を悟り、私を見上げてそう言った。私は「いえ」と返すばかりで、多少デリカシーに欠けても灰原くらい軽い調子で言ってやれば良かったかもしれない、と、自分の不器用さを呪った。
なんだかんだと想像とはほど遠い十代後半をすごして高専での生活が続いた。四年になって数か月が経過し、お互いに座学より任務につく方が多くなっていた。
あの頃と変わったのは三人だった同級生が二人になったことと、私がミョウジをナマエと呼び、ナマエが私を建人と呼ぶこと、それから二人の間に明確に「恋人」と名の付く関係が形成されたことだった。
「あ。建人、みてみて」
ナマエは時間を見つけては私の寮室に顔を出し、ベッドに雑誌を広げて寝そべっては我が物顔で入り浸った。
まぁそれも居心地よく感じるのだから、正反対の私とナマエは結構相性がいいのかもしれない。
「なんですか」
「新しいケーキ屋さん出来るんだって。可愛くない?」
私はナマエの指さすページを見るためにベッドに乗り出す。ツルツルとした紙に印刷された写真が反射で良く見えない。
少し角度を変えて写真を確認すると、彼女の好きそうな華やかな店構えのケーキ屋が載っていた。
「深沢ってどのへん?」
「自由が丘の駅の北側です」
「わかった、ルワンダ大使館があるとこだ」
「そうなんですか?」
妙な覚え方をしているなぁと思ったが、各国の大使館の位置なんて覚えようとしたこともない私には彼女の「わかった」が正解なのかどうかもわからない。
ケーキ屋の所在地というのが深沢らしく、ナマエは「今度買いに行こうよ」とうきうきした様子で誌面を見つめる。
「売りは何なんですか?」
「ピスタチオのケーキだって」
なるほど、彼女の指さすところに淡い緑色のケーキが載っている。ピスタチオという言葉に過ぎったのはマカロンの店のことだった。結局あのとき私はバニラにしたので、ピスタチオがどんな味だったかは謎のままだ。
「ピスタチオ好きでしたっけ」
「そういうんじゃないけど、なんか抹茶とは違う緑できれいじゃん?」
まあ確かに、素材そのものの色なのかあえてそうしているのかは分からないが、抹茶のケーキよりはなんとなく淡い色になっている気がする。小洒落た店構えにふさわしく、ケーキそのものも円筒状のそれに繊細なチョコレートの細工が冠されていた。
ナマエはふんふんと鼻歌を歌いながらパティシエのインタビュー記事を目で追い、足をぱたぱた動かす。その動きで短いスカートの裾がひらひら揺れる。
「建人、次出かけられるのっていつ?」
「あー、多分予定が合うのは再来週…」
「まじかぁ。うーんどうしよ。買うだけひとりで買いに行っちゃおうかなぁ」
買ってきて建人の部屋で食べればいいもんね。と、当然のように私の部屋を使う気でいる。まぁ女子の部屋は緊張しそうだし、自分の部屋にナマエがいるのも緊張すると言えばするけども、天秤にかければ自分の部屋のほうがマシだ。
ぱたぱた。それに合わせてひらひら。
「あ、五条先輩ヒマしてないかな?あの人もう五年だもね」
「ハァ?」
飛び出た名前にも思わず声が低くなって、ナマエがびっくりした顔でこちらを見ていた。いや、なんで私と予定が合わないからって五条さんなんだ。きっと彼女に他意はなくて「五条先輩甘いの好きだし」とでも思っているに違いない。
「五条さんと一緒に行くのは辞めてください」
「え、なんで?」
「何でもクソもないでしょう。不愉快だからです」
「行くのは私なのに?」
「アナタだからです」
数秒考えるようにして、私の言葉にナマエがその裏を読み取ったようで、にへらっと笑って「やきもち?」と言った。時間差でも彼女が自分で分かるようになっただけ進歩だ。
「ふーん?建人は私と五条先輩が出かけるのが嫌なんだ?」
「五条さんとというか、私以外の男と二人で出かけるのが嫌ですね。もちろん五条さんは輪をかけて嫌ですが」
「ふふーん?」
ぱたぱた。それに合わせてひらひら。
私は誰かが話していれば黙っているし、あまり自己表現の得意なタイプではないと思っていたが、こと恋愛においてそれはまた別の話であるらしい。ナマエと付き合うようになって初めて知ったことだった。
ぱたぱた。それに合わせてひらひら。
「ナマエ、そんなに動くと下着見えますよ」
「いいもん、建人だし」
「アナタ…」
私だからと余裕綽綽なのか癇に障り、私はベッドに乗り上げるとナマエのスカートの裾をぴんと引っ張る。まさか私がこんな行動に出るとは思っていなかったようで、ナマエはびっくりして目を丸くした。
「ちょっ!建人!」
「なんですか。私だったらいいんでしょう?」
「や、そういう問題じゃなくて!」
ナマエが手のひらでスカートを押さえたが、摘まんだスカートの裾を放してやることはしない。空いた左手で晒された太ももに触れれば、わかりやすく身体を硬直させた。
「…昔はパンツ見えそうになったら上着で隠してくれたのに…」
「あの時と今では状況も関係も違うでしょう」
「それは…そうだけどぉ…」
ひたりひたりと左手を徐々に上へ移動させた。スカートを押さえるナマエの力が少しずつ弱まる。押しに弱いというかなんというか、私がこれから何をしようとしているかも分かっているのに、こんなに無防備にガードを緩めていくのだから参ってしまう。
「…ナマエ、少しは抵抗したらどうですか」
「いいの、建人だから!」
ナマエの顔が真っ赤になってあまりに必死でそういうものだから、私は思わずぷっと吹き出した。するとナマエが「笑わないでよ!」と大きく抗議をして、なんだかこの先をどうにかしてやろうという雰囲気がきれいさっぱりなくなってしまう。
私は覆いかぶさるような体勢から上体を起こし、ナマエも真っ赤な顔のままベッドに座ってスカートの裾を引っ張って正した。
「五条先輩と行くのは辞める!」
「是非そうしてください」
結局いまだにピスタチオがどんな味かはピンとこないので、次の休みにあの原宿のマカロン専門店に足を運んでみようと思う。私がひとりであんなところに行ったと知ったら、きっとナマエは驚くに違いない。
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