見つけて純情


同期のミョウジという女は、落とし物が多い。

「なーなーみぃ、あーけーてー」
「…今何時か知ってますか…」
「うーん、早朝5時!」

まったく私になら何をしてもいいと思っているのか。
帰れ、と言えば自宅前に座り込みを始めかねないので、私は悪びれもせず片手の指をすべて開いて5を表現した彼女を、仕方なく自宅へあげた。


学生時代、彼女は始め補助監督志望で入学してきたはずだった。のちに聞いた話によると彼女はもう嫁入り先が決まっていて、卒業と同時に結婚することになっていたため、呪術の勉強はさせても呪術師にはしたくないという家の意向らしかった。
彼女の家は細く長く続く術師の家系であり、私たち同期の中で唯一家系で入学をした学生だった。べつに好き好んでこんなクソみたいなことをすることはないと思っていたし、補助監督としての彼女はそこそこに優秀であった。

「ミョウジさん、落としましたよ」

入学してふた月ほど経ったとき、たまたま前を歩いていた彼女の制服のポケットからハンカチが落ちて、私は拾って声をかけた。

「あ…ありがとう…七海くん…」

彼女は少しの間のあと、気恥ずかしそうにそう言ってハンカチを受け取り、ぺこりと頭を下げるとそそくさと走り去ってしまった。私は何か無意識のうちに悪いことをしてしまっただろうかと考えてみたが、残念ながら少しも思いつかなかった。
当時ミョウジは私を七海くんと呼び、私もミョウジをミョウジさんと呼んでいた。同期といえど入学して日が浅く、相応の距離感であったと思う。
そのうち彼女は私を七海と呼び、私は彼女をミョウジと呼ぶようになった。丁度二年生の夏の終わりの、彼女が術師を目指すと言い出した頃からだった。


「で、今日の落とし物は?」
「パスケース!午後から自力で現地行かなきゃ行けなくてさぁ。ICカードないの面倒くさくて」

おじゃましまーす、とのんきな声をかけながらミョウジはてくてく勝手知ったる様子で私の部屋に上がり、廊下を進んでいく。リビングに入るとあっちでもないこっちでもないとパスケースを探し始めた。

「あ、あった」

ミョウジはごそごそソファの下に腕を伸ばす。細い腕が隙間から引き抜かれ、パスケースが現れた。どうやら今回はソファの下に落ちていたらしい。
いやぁ助かった。などと言いながら、ミョウジはパスケースをにこにこ眺めている。昨日の任務は遅かったしまだ眠っていたいところだが、こうも動いてしまうと目が覚めてしまった。

「コーヒー飲んでいきますか」
「え、いいの?ありがとう」

私はキッチンに向かい、電気ケトルの電源を入れると粒状のインスタントコーヒーをマグカップふたつにさらさらと入れた。二人分の湯はすぐに沸いて、マグカップに注ぎ入れればコーヒーの香りが立つ。これだけ手軽に美味いコーヒーを飲めるのだから、企業努力というものに感謝せねばなるまい。
私はマグカップを持って#name2の待つリビングに向かった。


驚いたのは、ミョウジに呪術師としての才能があったことだ。補助監督として優秀であったし、女性差別をするわけではないがミョウジは見るからに非力な少女というように見えていたから、まさかミョウジ家相伝の術式を持ち戦闘センスに長けているとは予想もしていなかった。

「ミョウジ、髪留め落としてますよ」

前を歩くミョウジがどこからともなく髪留めを落として、私はそれを拾って声をかけた。まったく相変わらずの落とし物癖だ。

「あ、七海だー」
「お疲れ様です」
「今日は休み?」
「ええ、君は任務ですか?」
「うん。一級査定中」

ミョウジは一年半私たちより遅れて呪術師を志したわけだが、才覚を現して三年の終わりごろには一級術師の査定を受けていた。私は当時まだ二級術師で、追い抜かされたことが悔しいのも多少はあったがそれ以上にめきめきと開花していく彼女の才能に興味があった。

「すごいですね、まさか君がこんなに早く一級になるとは思ってませんでした」
「まだなってないよ、査定中」
「時間の問題でしょう」

入学当初はそれこそ借りてきた猫のような状態だった彼女とも、そこそこに打ち解けた。残された二人きりの同期だったし、ミョウジと過ごす時間は悪くなかった。

「…私がもっといい家の出だったらきっと家の圧力で一級なんか査定もしてもらえなかっただろうなぁ」

ぽつんと彼女が言った。呪術界というものは閉鎖的で前時代的な何時代かと問いたくなるような風習が多く残っている。特に呪術師の家系は血を残すことに必死だから、女性の人権というものはあまり顧みられていないというのが現実だった。

「…ミョウジは、どうして急に呪術師になろうと思ったんですか」

私は、一年以上聞きそびれていた素朴な疑問をくちにした。ミョウジは少し驚いたあとで、二ッと笑ってみせる。

「一級になって、実力認めさせて自由になるの!」
「自由?」
「そ。私は呪術師でも立派に役に立てるって証明して、いまの婚約も破棄してやるの!」

まるでどこか出かける計画を立てるような明るさで言った。「だって親が決めた人と結婚なんてやっぱ嫌だもん」と続け、そういえば彼女が婚約についてなにか言及したのはこれが初めてであったことに気が付いた。

「結婚とかは興味あるよ?でもやっぱ好きなひととしたいじゃん。顔しか知らないひとなんて嫌だよ」
「好きなひとでもいるんですか?」
「…い、いないけど…」

彼女が婚約破棄のために奔走していることも、好きなひとはいないと言ったことも、私にとってはとても都合がよく喜ばしいことだった。この一か月後に晴れて一級術師になり、お祝いをしようと騒ぎ立てるミョウジ本人とタチの悪い先輩に便乗して私も乾杯をした。
そのあと正式に婚約を破棄することが出来たと聞いたときは「おめでとうございます」と言ってまた二人でジュースを片手に乾杯をしたのだった。


「どうぞ」

リビングで待つミョウジにマグカップを差し出す。ミョウジは「ありがとー」と間延びした返事をして受け取り、ふうふうと息をかけた。

「治りませんね、アナタの落とし物癖」
「…気を付けてるつもりなんだけどなぁ」
「私の部屋ならいいですけど、くれぐれも財布なんか外で落とさないでくださいね」

ミョウジは小言を言われるのが不服なようで「はぁい」と小声で返事をするに留まった。
大人になっても落とし物癖の治らない彼女だが、抜けているようで呪術師としての実力は折り紙つきだった。私が四年間この業界を離れていたあいだにもめきめきと腕を上げ、正直なところサシで勝負をして勝てる気はあまりしていない。

「七海は今日オフだよね?」
「ええ、アナタに妨害されていなければ今頃まだ夢の中です」
「ごめんってば」

少しもすまなそうな顔をせずにミョウジが笑う。べつに本気で言ったつもりもなかったので、私はそれを指摘するでもなくコーヒーを飲んだ。

「そういえばさ、今度歌姫先輩がお見合いするんだって」
「その話今年三回目ですよね」
「うん。今回はどうやって断ってやろうか一昨日電話会議したよ」

京都高専に所属する庵さんは五条さんのみっつ年上の先輩で、学生時代はあまり関りがなかったが、数少ない女性呪術師ということもあってミョウジはよく連絡を取っているようだった。

「この前は彼氏でっちあげ作戦で後々面倒な事になったからなぁ。やっぱり仕事で潰すとか?」
「それも後々面倒になりそうですけどね」

どうしよっかなぁ。ミョウジはマグカップ片手にあれこれと策を練る。そういうアナタこそ、最近縁談はどうしてるんですか。と、聞くかどうかを少し迷って私はやっぱり聞くことにした。

「ミョウジは縁談どうしてるんですか。まさか来てないことはないでしょう」

私がそう尋ねると、ミョウジは少しだけ「うーん」と言葉を選んだあと、小さい声で「断ってるよ」と続けた。この問いかけに対してどんな答えが欲しかったのか自分でも答えを聞いて胸をなでおろすことで気が付いた。

「いとこの男の子が今度京都高専に入学するんだけど、私よりいい術式持ってるし養子の話が正式に纏まれば私もようやくお役御免かも」
「その話、結局進むんですか?」
「うん。みんな乗り気で本人も楽しそうにうちの実家通ってるみたい」

そうですか。と私は相槌を打った。その話が決まれば晴れて彼女は「自由の身」というわけである。冷静な顔で頷いて見せるけれど、内心学生時代に乾杯したときのように浮足立っていた。
ミョウジは適温まで冷めたコーヒーをこくこくと飲んでいく。その白い指先はいつまでたっても華奢なままで、けれど戦闘になれば恐ろしく冷たく光ることを私は知っていた。

「あ、昨日五条さんが七海の事飲み会に誘うって言ってた」
「あのひと飲めないくせにまた面倒なことを」
「私も誘われたよ」
「まさか乗ったんですか?」
「まさか。伊地知くん生贄にして逃げてきた」

ふふふ、と悪びれもせずに笑う。何かと面倒ごとを被る彼には大変申し訳ないが、五条さんとミョウジを飲み会に行かせるだなんてなんとしてでも避けなければならない。酔ったミョウジは面倒なことに大概記憶をなくすのだ。
そういえばこの部屋に彼女を初めて上げたのも、何のためかよくわからない懇親会のあとだった。五条さんが伊地知君をいじり倒し、家入さんが出来上がった庵さんと二軒目に行くと言って消え、夜蛾学長に彼女のことを頼まれたのだ。肩を支えつつミョウジを自宅まで送ると、玄関の前で酔っぱらったミョウジが「鍵がない」と言った。
鞄をひっくり返しても見つからずに、とはいえこのまま外へ放置して帰るわけにも行かず私はミョウジを自宅に連れて行って介抱した。
朝起きたミョウジが何も覚えてないくせに「七海の家なんかいい匂いするねぇ」とのたまった時は眩暈がするかと思った。そういえば結局部屋の鍵がどこから見つかったのかは一度も聞いていない。

「あ、ちょっと長居しちゃった。そろそろお暇しようかな」
「早朝五時に来ておいてそんなことを気にする神経があったんですね」
「うわ、七海ってば辛辣」

傷ついたと言わんばかりの物言いはあからさまにうわべだけで、ミョウジはタプタプとスマホを操作すると「ごちそうさまでした」と言って立ち上がる。私もついでにマグカップを流しに置いてしまおうと彼女のと自分のを両手に持って腰を上げた。

「七海は今日何するの?」
「部屋の掃除と買い出しですね。このところ日用品を時間もなかったので」
「さすが趣味家事の男」
「そうでもないですよ」

私はキッチンに向かいながらそう答え、私は彼女がいったいどこでそんなに落とし物をするのかと観察することにした。毎度毎度もれなく何かを落としていくのに、なかなかどうして落とし物をする気配はない。
私はリビングとキッチンの境界線に立ち、悟られてしまわないようにこっそりと振り返る。
すると、ミョウジはリビングの隅のチェストに自分のハンカチをこっそり隠してから玄関の方へと向かった。ああ、そういうことか。私は彼女の分かりづらい意図を汲み取り、チェストに隠されたハンカチを手にミョウジの背中を追った。

「ミョウジ、ハンカチ落としてますよ」
「えっ…あ…ありがとう…」

ありがとうと言うわりに顔は全くありがたがっていない。
彼女がこの部屋に来るためにわざわざこうして理由を工作しているのだと思うといじらしくて、結局のところ私だって、彼女が来ることをなんだかんだと心待ちにしているのだ。

「別に何か忘れ物がなくても、来ていただいて結構ですよ」

私がそう言うと、ミョウジはぱあっと顔を明るくして目を輝かせる。それから嬉々とした声で「いいの?」と言うので、私は「常識的な時間であれば」と答えた。

「じゃあ今日の任務終わったら遊びに来るね」
「何時に終わるんですか?」
「えっと、深夜1時」

人の話を聞いていたのかと問いたくなるような返事に私はミョウジの頭にこつんと拳骨を落とした。ミョウジは大げさに「痛ぁい」と言って頭をさすり、私はその手のさらに上に自分の手のひらを重ねる。

「美味しいチョコレートを用意しておきますから、次の休みに一緒に映画でも見ませんか。この部屋で」

ミョウジが目を輝かせて「うん」と頷いた。私は思わずそのまま彼女の髪を梳くようにして撫でおろした。
学生時代からの彼女の落とし物癖が、実はそもそも私の前だけで発揮されていたことだと知るのは、もう少しあとの話だ。


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